ベルリオーズ作曲「レクイエム」/編曲者による解説(1)

断頭台への行進

変人ベルリオーズ

松山ウィンドオーケストラ 大久保健二

自分で自分のことを「変わってる」と言える人は、すごくまともだ。なぜなら、「自分は変わってる」ということをちゃんと客観的に判断できているからだ。その上で変わった言動をする人はいわば確信犯で、「変わってる」と見られたいだけである。なんの得があるのかはわからんが、はためいわくである。そう、本当に変わってる人は、自分のことを「変わってる」なんて思ってもいない。

ベルリオーズには「幻想交響曲」という変わった曲がある。この曲のプログラムについてはあまりにも有名なので、細かい説明はよす。まあ、第3楽章までは許す。ティンパニの不気味な雷鳴とか、2回目は答えが返ってこないバンダとか、気になる要素はあるけど、ええわ。しかしあの4楽章は何?だいたい、名前からして変だ。「断頭台への行進」、もし中学生がコンクールでやるとしたら、こんな不吉な題名の曲を練習するために、ひと夏つぶして青春をかけるわけだ。やっぱり中学生は「明日の君は希望に輝く新しい光の未来と世界へ」とかいう題名が定番でしょう。なのに、行き先は「未来」じゃなくて「断頭台」。最後にごていねいにギロチンが落ちてきて、首が「ころん、ころん」って転げる音まである。ギロチン台に向かうまでの描写は、まさに想像を絶する世界である。手かせ足かせをつけられた嫌がる死刑囚、ズルルルッズルルルっとまわる木の車輪、沿道で叫ぶヤジ馬の怒号、妙に明るい鼓笛隊、処刑が近づくにつれて高鳴る心臓の音、ぼくはこの曲が大好きだ。いつか、いっぺんやってみたい。

だが、ここが本当に変わってるかどうかの分かれ道。実はこの楽章、もともと「断頭台への行進」として作曲されたものではない。旧作のオペラの中の「兵士の行進」と題された曲を、幻想交響曲の第4楽章にほとんどそのまま転用したものである。よく考えてみれば、処刑されに行く行進曲が、あんなに明るくゴージャスなわけがない。結局われわれは「断頭台への行進」というとっぴな曲名に照らし合わせて、部分的に無理やり理屈で解釈をつけては、「変わってるなー」「普通ならこんな曲書かんよな」と思っていただけである。ベルリオーズは、まったくちがうコンセプトの曲を、まったくちがう題名で発表したときの解釈のされ方を、冷静に完璧に計算していた。変人どころか、ものすごくまともである。恋人と恋敵を殺すために、短銃持って女装して出かけたなんてエピソードもあるが、結局はちゃんと思いとどまっておうちに帰ってきてるわけだし。さあ、ここで問題。いったいベルリオーズは変わってるのかな、変わってないのかな?

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