ベルリオーズ作曲「レクイエム」/編曲者による解説(2)

松山ウィンドオーケストラ 大久保健二
何年か前に、中学校の記念式典でこの「レクイエム」を演奏した。ティンパニ6台を3人がかりで叩き、トランペットとトロンボーンを3つに分けて体育館の2階に登らせてやった。原曲の編成はもっとすごくて、ベルリオーズの要求するとおりの打楽器や金管の人数は、とてもじゃないが用意できなかったが、それにしてもこの打楽器編成や金管楽器の配置は普通ではない。「なんで記念式典でレクイエムなんて曲をやるんだ」という、物知りの同僚の匿名の意見もあったが、やった部分が「最後の審判」のとこだと知っていたら、もっと怒ったんだろうな。ベルが手すりをこえられない子がいて、とびばこを持ってあがってその上に立たせたり、来賓のお客さんの上に楽器とつばを落とすなよ、とメガホンで注意したのがなつかしい。
バンダっていうのは魅力的だ。レスピーギはバンダが好きで、客席の後ろからラッパが聴こえてきたり、どこからか鳥の鳴き声が聴こえてきたり、迫力があって臨場感があって、すごくおもしろい。ホルストの惑星やドビュッシーの夜想曲では、女声合唱が遠くから聴こえてきて、神秘的である。スクリャービンは色とかにおいとかまで持ち出そうとしたらしく、こうなるとバンダっていえるのかな。ベルリオーズもバンダ好き。ぼくはキリスト教徒じゃないけど、世界中の人間が集められていっせいに裁かれるときの、その審判の開始を告げるラッパの音なんて、想像もできんなあ。
作曲家は「最後の審判」にいろいろ。意外なのはモーツァルトのレクイエム。トロンボーンのソロがなんとものん気な、やさしいメロディをのほほんと吹く。まあ、臨場感とか迫力よりも、形式とか趣味のよさとかが優先された時代だったからしかたない。フォーレにいたってはその曲さえない。がっつくのはイヤ、という芸風を大事にしたんでしょうな。その点、ベルディのは有名。強烈なGmollの和音4つで開始される荒れ狂うような怒りの日が静まって、不気味で不吉なトランペットの弱奏がつぎつぎに重なっていき、またたくまに全楽器の強奏へとつながっていく。迫力がある。ちょっとサイケなシュニトケなんていかがでしょう。なぜかフレクサトーンを使ってる。このヒトあぶないんだなってのは、聴いたらわかる。
ベルリオーズはベタベタ。お客さんの頭の上に、四方八方からがんがんにラッパの音を降らせ、ティンパニを何個も並べて思いっきり叩かせた。並んでるのを見ただけで気持ち悪い。ぼくが裁かれるとしたら、一番いやなのはベルリオーズだなあ。