ベルリオーズ作曲「レクイエム」/編曲者による解説(3)

怒りの日: Dies Irae, Dies ira.

4回くり返される「怒りの日」

松山ウィンドオーケストラ 大久保健二

当然のことだけど、むかしはCDもテープもなかった。音楽はその場そのとき演奏されたものがすべてであった。吹奏楽を聴こうと思ったら、たくさんの楽器と50人の演奏者、ひとりの指揮者、練習会場と練習時間をまずそろえなければならない。それからスコアとパート譜を準備して、何ヶ月もの練習期間をこなさなければならない。われわれがやっと演奏にありつけるのは、チケットを手に入れて開演に間に合うように時間を作ってホールに出かけて、客席に座ってはじめて、である。CDもテープもなかった時代は、音楽とはこういう貴重品だった。めったに演奏を聴くことのできないオペラやオーケストラの曲は、少人数アンサンブル用の編曲楽譜が作曲者の承諾もなしに勝手に出回るのが当たり前だったらしい。だから、2〜3人で再生できるトリオソナタの楽譜はとぶように売れ、CDの代わりにさまざまなところでくり返し演奏、再生されたんだろうな。いい音楽は何回も聴きたいものだ。

今は、何千円かのうすい円盤をかちゃっと機械にのせるだけで、吹奏楽の音が聴ける。それも、本当ならアメリカやヨーロッパに出かけでもしない限り聴けることのない一流のバンドの演奏を、何回もくり返し聴ける。ぱっと聴いてわけのわからない曲は、何回もくり返し聴いて理解できるように作ってある。吹奏楽コンクールの課題曲なんかは、何回も練習するというコンクールの性格上、こういうのが多い。ぱっと聴いただけでは複雑すぎるか言葉が少なすぎるかして、動きがちょこまか細かいためになんだかよくわからない、でも何回もくり返し聴いてると、ああ、なるほどね、すばらしい!と理解が深まる曲が多いのだ。初めて聴くお客さんには「?」でも、結局は曲をよく知っている何人かに聴かすわけだから、それでもかまんのでしょうな。

ベルリオーズの時代は、ぱっと聴いて一発目で理解してもらえなければ、それで終わりだった。ベルリオーズはあの手この手をつかって、自分の曲を理解してもらえる算段を練った。あるメロディを一曲の中で何回も出現させておぼえさせ、意味を持たせたり、くわしい題名をつけ、曲のコンセプトを紹介した解説書をお客さんに配るよう義務づけたり、びっくりするような編成やオーケストレーションに凝って、曲のサウンドをだれが聴いても分かるかたちに整えたりした。「怒りの日」の冗長に思われるメロディは、あえて4回ぐらいくり返して、やっとおぼえてもらうはずのメロディなのだ。この曲を初めて聴くお客さんのために演奏するように仕上げるべきだと思う。ベルリオーズに限らず、なんでもそうだ。たとえ課題曲でも。

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