第8回定期演奏会 曲目解説に代えて

ベートーベン作曲「交響曲第7番」演奏にあたって

松山ウィンドオーケストラ指揮者
大久保健二

 

私はこの曲が大好きです。特に第一楽章のフルートのメロディ、第二楽章の長調に転調するところ、第四楽章の最後の盛り上がり、何回聴いてもいい。何でこんなにいいと思うのか、いっしょに考えてみませんか。

 第一楽章は不思議です。なんといっても、主部とは一見関係のないような、非常に長い序奏がまず不思議です。この序奏は4分の4拍子、追い立てられるように刻む16分音符のリズムが特徴的です。ときには同じ音を工事中の機械のように、ときには融通の利かないお役人のような単純な音階で。われわれの耳に残るようにしつこくしつこく繰り返します。しかしそれとは別に、肝心の第一主題は8分の6拍子、流れるような歌うような、繊細にして優美なかわいらしいメロディです。第一楽章はこのターンタタン、ターンタタンというリズムが基本になって展開されます。序奏のダダダダダダダダとはえらいちがいです。「主部にまるで関係ない、こんな序奏ほんとに必要なのか?」と思わせます。ほんと、なぜこんな序奏がついているのでしょう?

 これを解明する前に、序奏と第一主題のつなぎのところを見てみましょう。

譜例
(第一楽章) 序奏から第一主題の登場へ
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これこそ、ベートーベンの天才を示す書法です。まるで関連のない二つの特徴的なリズムが実にスムーズに、自然につなぎ合わされています。美術でいうグラデーションっていうやつですね。ダダダダ→ダンダン→ダーン→ターン→タターン→ターンタターン・・・・。これだけでも非常に説得力がありますが、さらにベートーベンが素晴らしいのは、これを「会話仕立て」にしていることです。「つかれたね」「つかれたね」「お腹すいたね」「お腹すいたね」「どっか行く?」「そうだね」「どこがいい?ちょっと聞いてるの?」「聞いてるよ」「ラーメンは?」「いいねえ」「行こう」「行こう!」「行こう行こう!!」「行こう行こう行こう!!!」どうやら第一主題の登場のために、そうとう気をつかっているみたいですね。

 ここでちょっと、同じベートーベンの「交響曲第5番」の運命の動機を思い出してください。あの有名な「ジャジャジャジャーン」です。個性的で強烈、我が強くて有無を言わせない、聴く者を圧倒する力を持っています。まるで体育の先生のようです(会場におられる体育の先生、すみません!)。これほど力のある、非常に引力の強いメロディであれば、冒頭からいきなりかましてもお客さんを引きつけられますね。しかし、われらが交響曲第7番のフルートによる第一主題は、そんなに強い性格をもっていません。物腰のやわらかい、やさしくて恥ずかしがり屋の、若い女性の音楽の先生です。しかも、今年初めて先生になって学校にやって来ました。分からず屋の序奏がすんでこの主題が始まったとたん、われわれは理由もわからずほっとしてしまい、心が和み、何だかあたたかい気分になってしまうのです。まんまとベートーベンの仕掛けたマジックに引っかかってしまっています。この曲の序奏はよくおぼえてないのに、第一主題はすぐ思い出せるのは、そのせいです。

Flute...

第四楽章の最後。ここは暗く長いトンネルの向こうにある、かすかな、でも確かに輝く光に向かって疾走していくような感じがします。まさに最後の和音が鳴り響いた瞬間、われわれはやっと束縛を逃れたような開放感、喜び、昂揚感を味わいます。なぜでしょう。

 私の吹奏楽の師匠で、中学時代の恩師であった白石先生は、よく職員室で部員相手にオセロをしてくれました(これはこれで、ん?と思うところですが、話をすすめましょう)。が、どうしても先生には勝てませんでした。とにかく、盤がコマで埋まる最後の2、3手前まではずーっと私の圧倒的優勢なのです。最後の最後でいつもひっくり返されて、友だちといっしょに「何でー?」と首をひねっていました。こんな負け方は悔しさが倍増します。9回裏まで3点差で勝っていたのに、2アウトからサヨナラ満塁ホームランで逆転されるようなものです。おそるべし師匠の技、そしてベートーベンのオセロの腕前は?

 第四楽章の最後で、その音で終わるべき和音が堂々と鳴り響くのは、最後の3小節だけです。それ以前で、明確に主調に戻ったことが確認される音が、一瞬だけ2回ありますが、この2回はマラソンのゴール直前にチラチラ見えるテープ。勝利を確信するための伏線ですので、本当のゴールは最後のたった3発のトゥッティであると言えます。驚くべきことに、この勝利を確信するまでの94小節間、一度も強拍に確実な主和音が戻ってきません。しかもこのうちの43小節間は、「オルゲルプンクト」といいますが、バス音が属音を伸ばし続けています。上のほうの楽器が「早く勝ちたい、早く勝ちたい」といくら結論を急いでも、「いいや、まだまだ、まだまだ」と、引っ張り続ける役目をしています。飛んでいきたいトンボの腹にひもをくくりつけたようなものです。ムソルグスキーの「展覧会の絵」という組曲の終曲は「キエフの大門」という堂々たる曲ですが、この曲が終了までに何回も何回も主和音を鳴らし続けるため、多少食傷気味になるのとは非常に対照的です。われわれはおあずけをくらっている犬のように、じらされてじらされてエサに飛びついてしまうのです。 

Timpani...

最後になりましたが、この曲のアレンジについて説明させていただきます。

 吹奏楽のアレンジをする上で、古典作品のアレンジはいつも頭を悩ませます。たいがい、原曲にはティンパニ以外の打楽器はありませんし、トロンボーンもないことが多いのです。また、ベートーベンの時代の金管楽器にはまだバルブがついていなかったので、出せる音には非常に制約がありました。特にトランペットは、ほとんどティンパニと同じところで「ソーソソド!」と吹くのが仕事でした。もし松山ウィンドオーケストラで「原曲にできるだけ忠実に」アレンジを施したならば、なんと演奏会に出られない団員が出てくる上に、金管には現代の楽器に合わない奏法を強いることになってしまいます。原曲の調性はイ長調、フルートには3つ、クラリネットには5つ、アルトサクソフォンには6つ、シャープがつくことになります。弦楽器の代わりをするであろう木管楽器には、恐ろしく難しいパッセージが延々と続くことになるでしょう。

 この曲をよく知っておられる方は、今回のアレンジには大変にびっくりされるかもしれません。「こんなのはベートーベンじゃない!」とお怒りをいただくかもしれません。それほど大胆な演奏をお聞かせすることになると思います。

事実、そこまでして吹奏楽で演奏する必要があるのでしょうか。むしろ、この曲を演奏したいのなら、弦楽器のあるオーケストラに入って、原曲どおり演奏すれば問題ないじゃないか、吹奏楽団にいるのならば、オリジナルのリードやバーンズの交響曲をすればいいじゃないか、という意見もあるでしょう。しかし私には、いまさら他の楽団に移って理にかなったことをしよう、という気持ちはありません。それに気づくより前に、松山ウィンドオーケストラの人たちが好きになってしまったのです。何とかこの仲間たちといっしょに、これまた好きなベートーベンの交響曲第7番を無理やりできないか、と思うわけです。私の専門の楽器はフルートですが、もし今後指揮者でなくなっても、やっぱり松山ウィンドでフルートを吹きたいと思ってしまうのです。毎回そうですが、今回のようなアレンジによる演奏は、今現在の松山ウィンドオーケストラのメンバーの存在なくしては、実現しないものなのです。団員が一人減っても楽譜が変わります。私は自分のアレンジでそういう演奏をするときに限って、「これで本当にお客さんに喜んでもらえるだろうか?」と真剣に考えてしまいます。特に演奏前に客席に向かってお辞儀をする時、「どうかこのメンバーによい評価を下さい!」と無意識に祈ってしまうのです。

私は非常に恵まれています。草野球チームの監督という立場にすぎないのに、ちゃんとした練習場もあり、かっこいいユニフォームもそろえ、お客さんに来ていただいて試合もでき、なんといっても信頼できる力のある選手にゆうことを聞いてもらえて、長嶋監督のマネができるのですから。私には夢があります。年をとって松山ウィンドオーケストラを若いモンにゆずって引退したら、その足で「シルバーウィンドオーケストラ」を結成することです。入団資格は60歳以上、練習は朝の5時集合6時合奏、それでショスタコだのレスピーギだのばんばんやって(もちろん松山ウィンドよりうまく!)、練習が終わったら仲間と道後温泉に行って・・・・・・

(平成15年1月3日、自宅にて)


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