編曲者・指揮者による解説『マエストロへの道』(第10回)

Shostakovich at the Piano

ショスタコーヴィチ作曲 交響曲第7番「レニングラード」

その10

〜カットわかった?ゆるして!〜

松山ウィンドオーケストラ指揮者 大久保健二

うちのカミサンの母校は広島のある高校だが、リムスキーコルサコフ作曲の「シェラザード」第4楽章を演奏した録音テープを聴かせてもらったことがある。曲のほうは、あやしげなアラビアの雰囲気がただよう、何ともなやましげな美しい音楽。とくに第4楽章は、はげしい部分とゆったりした部分が交錯する、最も見せ場の多い楽章だ。その最高潮の盛り上がりに向かうところで、たたみかけるようなリズムに乗って、キイが少しずつ上がっていき、船が難破へと進む場面がある。船が荒波にもまれながら、目の前に大きな岩がだんだんとせまってくるような、見事な描写だ。だが、この楽章をコンクールで演奏するとき、すごく困るのがこの場面だ。

コンクールで演奏される自由曲の演奏時間は、だいたい7分〜8分、それを越えると時間オーバーになる。シェラザード第4楽章は10分以上あって、必ずどこかをカットしなければならない。あちこちすこしずつ切りさいて全体の体裁をととのえるか、どっかをばっさりやるか、のどっちかだ。カミサンの母校の演奏は、前者を選んでいた。船がコントロールを失ってから岩に座礁するまでの時間が、おそろしく早い。とびとびでコマ送りのようにぶつかっていくので、とばしたとこがしゃっくりみたいに感じられて、なんだか聴きにくい。また、ぼくの母校がこの曲を演奏したときは後者を選んだが、はっと気がついたらもう岩が目前にあって、ビビるヒマもなくあっというまにぶつかってしまった。なんか迫力に欠けて、いまいち盛り上がらない。

ぼくはハチャトゥリャンという作曲家も好きだ。ガイーヌは吹奏楽でもおなじみの曲だが、大学の時にボリショイ劇場が演奏した全曲版のCDを手に入れて、楽譜と見比べながらわくわくしながら聴いた。やけにラッパが元気だとか、吹奏楽よりも明るいとか、いろいろなことにおどろかされたが、一番おどろいたのは、たいがい楽譜とちがうということだ。順番がちがうのは当たり前、あらぬところで何小節もカツトされていたり、逆にもういっぺんフレーズを繰り返したりしている。まあ、バレエ音楽ってゆうのは、もともと踊り手さんのためにある音楽だから、「ここ、もういっぺんくるくるっと回りたいのよね」とプリマ・ドンナがいえば、そのように音楽がつぎはぎされたんだろうな。それにしてもガイーヌって曲は、どこで切ろうがまったく違和感がないということだ。

ショスタコは楽器の特性を本当によく知っていた。いや、「楽器奏者」の特性といった方がいい。まずは、金管楽器奏者。こいつらは目立ちたがりやで吹きたがりーだが、ずっと吹かされてしんどいのはイヤ、というおそろしくわがままな性格を持っている。(念のためいうが、これはぼくのこれまでの実体験と観察から導き出した紛れもない確かな真実ではなく、ショスタコの考えである。)だからショスタコは、金管楽器奏者にはものすごく長い休みと、ものすごく目立つところとを、バランスよく与えた。よく考えたら5番の4楽章だって、中間部はラッパ何にもしてないやんけ!

さらに木管楽器奏者の特性。どうせおれら一生懸命フォルテで吹いても金管に消されるし、みんなが吹いてるとこは適当にサボっちゃえ。でも、ソロがあると俄然やる気がちがうよ!という、むちやくちゃげんきんな性格を持っている。(重ねていうが、これはぼく自身の実体験にもとづいた正直な心情の吐露ではない。)だからレニングラードでは木管のソロがすごく多い。それも中途半端な長さではなく、まるまる2分も3分もフルートだけ、あらフルート協奏曲かしら、と思わせるような部分もある。そのかわり全楽器が吹くところでは適当にサボれるように、ユニゾンばかりである。

さあさあ打楽器奏者。「たたかせろたたかせろ、何でもいいからとにかくたたかせろ、この曲打楽器いらないよなんていわれた日にゃあ、打楽器パート全員、合奏中にうしろで麻雀大会して、ウノやって、たき火して、焼き肉パーティーするぞ!でも、うちらタイコ連中ってゆうのは長い交響曲でたった一発、一発のシンバルに命を懸けるのよね、あの忙しいバイオリン奏者と同じ給料で、シンバルー発!ああ、なんて究極の職人芸!おまえら一般庶民にはわからんだろうがな!」断言していうが、これはぼく自身の私憤がこもっているわけではない、全世界の人がそう思っている。ついでにショスタコは、ここでこの打楽器が絶対に必要なように曲を書いた。だから出番が少なくても、たたくところは思いっきりたたける。ショスタコの曲をやると、なぜかティンパニ奏者が休みでウデ組みをしてこっちをにらむ。

こんなやつらのために犠牲になるのは、弦楽器奏者である。「レニングラード」では、弦楽器があいだをつなぐところが異常に多いが、吹奏楽ではそこも管楽器でしなければならない。そこで、スタミナが続かないところはばっさりカットする。とくに曲を知らないお客さんには、どこをカットしたのかわからないように、そして内容はしっかり伝わるような演奏をしなければならない。曲を知っている人には、最初からバレバレなのだから、いいのがれのしようはない。本番の演奏を聴いてつなぎが変だと思ったら、それはカットのせいです。ごめんなさい。

(平成15年12月)

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