編曲者・指揮者による解説『マエストロへの道』(第11回)

Our Conductor

ショスタコーヴィチ作曲 交響曲第7番「レニングラード」

その11

〜よっしゃ、いこか!ええ、いきましょや!!〜

松山ウィンドオーケストラ指揮者 大久保健二

ぼくがはじめて指揮をしたのは、たぶん、小学校5年生のときの器楽合奏の時間だったと思う。モーツァルトのドイツ舞曲かなんかをやって、いつもよりもっとおそくやりたかったのでおそく指揮したら、先生がキレて途中でかわらされた。「ベームみたいに、おそけりゃいいってもんやないんかあ」と気づいた。小学校6年生のときに学級歌発表会の指揮をやったときは、カッコいいとこ見せようと気合い入れてぶんぶんふりすぎて、小学生のくせにショルティみたいな指揮になった。音楽の先生の講評で、自分ではなくてよその学級の子がほめられて、「ああ、ぼくの指揮は上手やなかったんかあ」と感じた。その次は中学3年生の合唱コンクール、その頃はまだだれもやったことなかった、強弱をつけた指揮をぶっつけ本番でやった。が、当然だれもついてこれなかった。「やっぱ練習してなんぼやなあ」と思った。

高校3年生のとき、ヨーロッパに長期出張に出かけた先生の代わりに、式典のための序曲を吹奏楽部あいてにふった。最後の音がなり終わると同時に始業のサイレンがなるようにするのが、仕事のすべてであった。「どんなに高尚な音楽でも、役に立たんときってあるんやなあ」と悟った。その後大学のとき、高校のOBバントの演奏会でふったのが、正式な指揮者デビューだった。与えられた練習時間で、あの手この手をつかってゲネプロまでに自分なりに曲を仕上げたつもりだったが、奏者の顔のほうを向かずに、自分の指揮する姿に向かってふったので、本番だけ奏者が増えていることに全く気がつかなかった。「指揮者はふるかふらないかやない、そこにいるかいないかが勝負や」ということをつかんだ。

先生になって、中学生を集めて吹奏楽を教えるようになってからは、指揮する楽しみは本番当日だけのものとなった。本番ステージで音楽が始まってしまったら、自分の仕事はほとんど終わりなのだ....というよりは、指揮台の上でかっこよく踊るのは指揮者として残された最後の仕事の、ほんの一部となってしまった。むかしは練習であれなんであれ、バンドの前で棒がふれるだけでうれしかった。しあわせだった。ウィンドでの指揮は、「真剣勝負」以外の何ものでもない。だれかの代わりだとか、いやだけど頼まれたからとか、修行だとか思ったことは一度もない。そんな気持ちでうかつにふると、このバンドには食いつぶされてしまう。上手な人ばかり集めたバンドではないが、おそろしく反応がいい。「このフランクという作曲者は、名誉とかお金とかに全然欲がなかったらしいよ」という指示で、サウンドが変わる。こっちのいうことがなくなったら、そこでおしまいだ。最後にわかるのは指揮者が無能だということだけだ。

本番の日っていうのは、1年に一回しかない、もっとも異常な日だ。まず朝。ぼくは朝ブロの習慣があるが、何年かまえの本番の日に朝ブロに入ってから始まったものだ。ウィンドでチューバを吹いてる教え子の女の子が、髪の毛が抜けるのを心配してくれた。もうおそいよ。それから朝ごはん。いつもはお茶漬けだが、本番の日に限って、近くのコーヒー屋でモーニングを食べようとしたりする。ぜったいおかしい。カミサンも、この日だけはぼくの好きにさせているらしく、抵抗せずについてくる。慣れないことをしたら、ホールに向かう頃には持病の不整脈が出だす。

ゲネプロは難しい。10年もやってて、いまだに満足なゲネプロができない。確かめたいとこはいっぱいあるが、時間がない。テンションを思いっきり上げておきたいが、吹かせすぎると疲れ、おさえてばかりでは無人の客席を前にビビってしまう。せっかくのホール練習なのでバランスをとりたいが、結局は練習でずっと積み重ねてきたことをやるしか方法はない。ホールに入ってから、ここを出せだのあそこを落とせだの注文をつけて解決できるバランスなんて、もうお客さんの心に響くもんか。タイコだけは大きすぎないように注意深く聴くが、本当はそれも練習中に解決できることだらけだ。

本番待ちをしている仲間の顔が、無理に、ものすごく無理に平静をよそおっているのが、お互いにわかりすぎるほどわかりすぎるので、妙にやさしかったり妙になれなれしかったりする。それでも距離間がつかめず、いらんのにもう一本缶コーヒーを買って口封じにする。コミセンは出たとこにローソンがあるので、おにぎりなんかを買って軽くハラに入れる。アマチュアの演奏会では、お弁当係がお弁当を注文して配るのが普通だが、なんとらんぼうな!本番直前という異常な精神状態のときに、人によって胃腸のぐあいもそれぞれあろう、好き嫌いもあろう、大事なソロがあって当分だれにも会いたくない人もあろう、それなのに全員集めておんなじ時間におんなじ弁当!楽屋に充満するカラ揚げの匂いと緊張で吐きそう。ウィンドでは第3回定演からお弁当を廃止した。でもいまだに、本番に遅刻した人はいないよ。

さあ、いよいよ本番だ。このときだけはみんな別世界のプロだ。舞台裏では手に冷や汗をかくので、さっき磨いたばっかりの楽器に指紋がつく、ようなどうでもいいことが妙に気になったりする。ステージに上がると、客席の知り合いが手をふってくれる。手をふりかえす余裕のある団員は、そうとうなやからだ。うちは、全員がステージに入ってお客さんの拍手がやむまでは座らない。そう、ウィーンフィルのマネ。楽長の合図でチューバからチューニング、指揮者の登場、カラヤンは「なるべく時間をかけて指揮台にいけ」といったらしいが、ぼくはまだペーペーなので、こけないように普通に歩く。おれら演奏に集中してんだから、頭を下げてお願いするのは楽器を持ってないおまえが代表してやれヨ!というわけで、コンクールじゃないので、なるべくあちこちにお辞儀をしてお客さんにお目通しを願う。回れ右。手をあげると同時ぐらいに、心の中で無意識のうちに叫ぶ。「よっしゃ、ほんならいこか!」団員の顔が「ええ、いきましょや!」と言ったように見えたら、その日は本当にいい演奏になる。

(平成16年1月)

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