編曲者・指揮者による解説『マエストロへの道』(第4回)

ショスタコーヴィチ作曲 交響曲第7番「レニングラード」
その4
松山ウィンドオーケストラ指揮者 大久保健二
交響曲第7番「レニングラード」を知らない人でも、ブラバンの世界の人なら「革命」は知っているだろう。正しくは交響曲第5番。「革命」なんてだれがつけたか知らないが、おちゃらけもいいところだ。まじめな顔をして「ショスタコの革命の4楽章が....」なんて話しているやつを見ると、ぼくは絶対にその人のいうことは信用しないことにしている。ベートーベンの「運命」も非常に迷惑、よく考えたら自分の曲に「運命」なんてつけるの恥ずかしくないか?「命」がついたらなんでもいいのか?交響曲第5番「宿命」「救命」「一生懸命」「べらんめえ」「泣かすぞオメエ」....ダメやろう。オケの世界の人は「ショスタ5」っていうらしい。下品だけどこれは便利。松山ウィンドでは「タコナナ」または単に「そんじゃ次ショスタコ」ですね。「レニングラード」っていうのは、例によって本人がつけたんじゃないけど、作曲者はそう呼ばれることに対して抵抗はなかったらしい。「レニングラード市とその勇敢な市民にささげる大交響曲」っていうコンセプトには反していないようだから。
いったいだれが最初に第5番を「革命」だと言ったのか?あの第1楽章のどろどろした感じと、第4楽章の最後、勝利のニ長調をくっつけて、混沌→闘争→勝利という小学生でもわかるようなプログラムを連想したのだろう。だとしたらこの人は最初だけ聴いてあとは寝てしまって、4楽章のティンパニの「どんでんどんでんどんでん」でびっくり飛び起きたにちがいない。なんかの説明で「特に第1楽章と第4楽章が革命というイメージを如実に表現している」などと書いてあって、笑ってしまった。そんなら最初から2楽章と3楽章なんかついてる意味ないやん!ドボルザークの交響曲第8番の第4楽章のあるメロディが「コガネムシーはー金持ちだー」の世界を如実に表現している、よって交響曲第8番「コガネムシ」と呼ぼう、なんてドボルザークが聞いたら、泣いて怒ると思うよ。
もうしばらく第5番の話を。第4楽章の最後。トランペットの、あんだけ吹かしたあとのハイCは、休みがあるとはいえキツイ。勝利を表現するためであったとして、オーケストレイションの天才だったショスタコが、あまりにも喜びとはほど遠い音しか出させなかったのはなぜか?そのあいだ木管楽器と弦楽器はえんえんと八分音符をきざみ続けるが、このしんどさは何か?一番最後、ティンパニの輝かしいソロであるべき部分に、わざわざ重苦しい音になるように大太鼓をかぶせてあるのはなぜか? ショスタコはキツイのなんかは百も承知で、その絞りだすような必死のハイCがほしくて、あのように書いた。もし、ラクラクと高らかに演奏されると、この曲の解釈を根本からまちがえることになる。ショスタコの第5番は、共産党の新聞でその作品を直接名指しで非難され、ショスタコの作品の演奏をだれも怖がってしてくれないという、最悪の状況の中で作曲された。起死回生の一発パンチだった。だれがどう聴いても、この4楽章の最後は「負けるもんか!」という抵抗を表現するものである。正確に言うと、最後まで抵抗するぞ!という精神を、コブシを握りしめて高らかに宣言するものである。曲の最後を短調で静かに終わったら、まったく反対の意味に理解される恐れもあった。(実際に第4番の最後は、たたかれてたたかれて絶望のどん底でひとりつぶやくように、死んでいくように終わる。)結局、第5番のコンセプトをだれがどういうふうにとってつけようが、作曲者にとってはどうでもよかったんじゃないかと思われるほど、この曲は捨て身の勝負を挑んでくる。第7番は吹奏楽でやりたいと思うが、第5番は吹奏楽でやる気になれない。
編曲という行為は非常に危険である。とくにこんなひとすじなわでいかない曲を編曲する場合、編曲した人のその曲に対する解釈が前面に出てしまうからだ。ぼく個人の考えでは、作曲者の書法のクセや曲の成立背景、当時の社会情勢、原曲のオーケストレイションの分解などろくにせずに、その曲と団員に愛情も持たずに「原調である」「原曲に忠実である」などという歌い文句ばかり先行して編曲するのは、すべて責任逃れに近いと考えている。編曲する人が指揮もする場合はもっと大変だ。メンバーの編成や力量がアタマに入っているから、どうしてもそれに都合がいいように楽譜を用意してしまう。これは練習を進めていくうえでいい時もあれば、悪い時もあるのだ。
「レニングラード」の編曲では、今の松山ウィンドが抱えるいろんな問題をなるべくたくさん盛り込むことができるように、楽譜を書いた。練習を休みがちな団員が受け持つパートに、なるべく来てほしいという願いをこめて大事なソロを。目立たないけど最近すごく上手になった団員が活躍するように。いつもしんどいしんどいと言って大変な目にあっている団員が少しでも楽に吹けるように。いつもヒマだヒマだと言ってる団員がほどほどに出番があって、しかもただの付け足しでないパートを。他の団をやめてウィンドにたどり着いた団員に、わざとその人の音がないと曲にならないように。第4楽章の最後は、少ない人数でどこにも負けないすごくいいサウンドがするよう、そして安っぽい勝利ではなく、「絶対に負けんぞ!」という力強さを感じるフィナーレとなるように!
(平成15年8月)
Copyright (c) 2003 by Kenji Okubo and Matsuyama Wind Orchestra