編曲者・指揮者による解説『マエストロへの道』(第9回)

譜面立て

ショスタコーヴィチ作曲 交響曲第7番「レニングラード」

その9

〜変な解釈?何とくらべて!〜

松山ウィンドオーケストラ指揮者 大久保健二

前回のマエストロで、愛媛大学交響楽団の話が出た。ちょっと時間をもらってゆっくり話題にしたい。

ぼくが小中学生の頃は愛媛大学交響楽団の演奏が好きで、ほとんど毎年欠かさずに演奏会に出かけた。お値段が安いのと、セミプロとちがってすごく必死で演奏する大学生の姿を見るのと、松山ではめずらしくわりかしエキセントリックな演奏解釈が聴けるのが好きだった。指揮者が豊島さんという方で、びっくりするようなフレーズの取り方や、変だけど妙に説得力のあるバランス感覚、ダイナミックレンジの広さ、色彩感あふれる音色など、受けた影響は大きい。なまいきな小僧だったが、すました顔してえらそうにつまらん演奏をするよりも、こっちの方がぜったいいい!と考えた。ぽくが本当に愛大オケに入団して、間近でリハーサルや本番をいっしよにできた経験は、今でも宝物だ。

おぼえてる言葉もたくさんある。今でも時々思い出すのは、サンサーンスの「オルガンつき」の第3番目の交響曲「われわれは今、精巧なガラス細工に取り組んでいる」とか、ベートーベンの「リズムが神様」第7番目の交響曲「これは愛の交響曲だ。イ長調は愛の調だ!」とか。やけにロマンティックな人だった。でも、人間自体がそもそも指揮者という感じの人だったから、ぼくはそんな言葉でも信用していた。他になんの目的もない、美しい音楽とそれを演奏する団員と指揮者がいまここにいる、ことだけが信仰の対象であるという感じの人。

しかし、最も影響を受けたのはバトンテクだ。ぼくがフルートを吹いている間は、ふりまちがえたことは一回もなかった。前拍で吸わねぱならない息の量を示してくれるので、次に始まるべきテンポも音量もアタックの強さも、全部ひとふりで理解できた。難しいソロのところはわざとその奏者を見ず、合図だけ与えて耳を傾けるしぐさをしたので、安心して吹けた。おおかたの楽器は全部吹くことができた。指揮者とはそういうもんだという認識ができたので、ぼくは指揮を始めたとき、まず全ての楽器の練習から始めた。「指揮者が全部の楽器が吹けたら、その奏者に妥協してしまうから、逆効果だ」なんてゆう人もいるが、ほんとうにいいのかな、それで?

ぼくから見れば「なるほど」解釈だったが、頭の固い人から見れぱ「変な」解釈というのもあったかも知れない。おっと、「頭の固い人」じゃないや。「CDを聴くのが好きで、その解釈をおぼえてしまうほどの人」ですね。たとえば、豊島さんは終わりの一音を必ず「そうっとおく」。特に第1楽章の終わりはいつもそうだった。これがなかなか合わせられない。最初は面会らった。でも、オケの先輩はみんな当たり前のように、指揮どおりのニュアンスで「そうっと」終わることができた。そのころの先輩はみんな豊島さんを尊敬していた。お客さんとして初めて聴くと「ええっ?」と思うけど、すぐにゆったりした第2楽章が始まるので、イヤな感じじゃなかった。

愛大オケの話ばかりですいません。大学生だったぼく自体は、あちこちサークルを掛け持ちしていて、オケに腰を落ち着けることもできずに、わけあって途中で退団した。そのころのいろんな苦い経験が、いま、ぼくをひとつの団に一生懸命うちこんで、死ぬ気でやらんと意味なし、という生き方にさせている。ほんとはオケでも吹奏楽でもアンサンブルでもいいから、「あのときはほんとに死にものぐるいでやったなあ、いい時代やったなあ」と言える大学時代にしたかった。ぼくは友達づきあいの下手な方だが、本当にむかしからの友達がいない。OB会とかつくって今でも仲良くしている人を見ると、うらやましい限りだ。松山ウィンドはそういう団になれるのかな。

いったい、変な解釈ってなんだろう。客席でスコア広げて、楽譜とちがうと言っては指摘するようなお客さんがいるのか?カラヤン+ベルリンフィルの参考演奏(?)以外は解釈がどこかおかしい、本物ではない、と決して本物ではないCDをよくききこんだ人が指摘するのだろうか?今日の松山ウィンドの演奏は確かにうまかったが、われわれになんの感動も刺激ももたらさなかった、よって技術100点、表現0点、アホな指揮者のせいで全てだいなしである、演奏会に来たのは時間のむだであった、といってくれたほうがまだましである。

たとえは大げさかも知れないが、じゃあ。その団になんの愛情もない、評論家気取りで冷たい団員が、とりあえずまちがえないようには吹いて、早く帰ってバレンタインデーの約束をした彼女のご機嫌をとらなくちゃあ、と考えてステージにのる。解釈はすごく普通だ。映画なら「普通の人の普通な一日、気の乗らない仕事編」を2時間見せられて、お客さんが満足するか?団員がその団に惚れ込んで、一生ホネをうずめる覚悟で演奏する音楽、明日事故で死んでもいいから、今日のこの演奏だけはちゃんとやってからにしたい、その異常な思いで作った映画「明日死ぬ人の最期の一日、異常な仕事編」ぼくならお金出して見に行くけどね。

(平成15年12月)

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