以下の文章は、松山ウィンドオーケストラ第7回定期演奏会のプログラム・パンフレットに掲載された、編曲者・指揮者による曲目解説を再録したものです。
ショスタコーヴィチの交響曲は全部で15曲,そのうち今回わが団で演奏する11番は副題を「1905年」といい、ロシア帝政時代に起こった「血の日曜日事件」と呼ぱれる史実をもとにして1957年に作曲されている。ロシア革命は1917年だから、その40周年記念に作曲されたわけである。
1905年は日露戦争が終わった年である。民衆の生活状況は粗当に悪条性なものであったろう。貧困にあえぐ労働者はロシア皇帝の住む冬宮殿めざし、まさに1905年の1月9日の日曜日、生活改善を要求するデモ行進を行った。その中には女や子供なども含まれており、武器など一切持たない無防備な状態だった。折りしも冬宮殿は、真っ白な雪が一面に降り積もっていたと思われ、民衆は不気味なほどに静かな宮殿の広場に集まり、ロシア皇帝が出てくるのを待ったのである。
しかし無言で民衆の前に立ち並ぶ皇帝の軍隊。響き渡る威嚇の銃声、倒れる先頭にいた男。事態を察知して逃げ始める民衆、その背後に容赦なく浴ぴせられる一斉射撃、次々と倒れこむ労働者、女、そして子供たち。冬宮殿の広場は数千人の死傷者でうまったと考えられ、この事件をきっかけに第一次ロシア革命が起こる。
さて、この事件をもとにしたショスタコーヴィチの音楽は、冬宮殿で起こったことをほぼ正確にたどったものである。全体的に暗く、悲劇的な色合いで統一されており、各楽章には「官殿前広場」「1月9日」「永遠の記憶」「警鐘」といった、わかりやすい副題がつけられている。当時のソビエト連邦においてもこの曲の表すところはすぐに理解され、レーニン賞が贈られた。現代のクラシックファンにも「いかにもショスタコらしい」重厚な響きの交響曲第11番は人気がある。1917年のロシア革命の成就をうたった、祝祭的に終わる第12番は「体裁に迎合した力のない失敗作」とみなされるのに対して。果たしてそうだろうか?
わたしがスコアを研究した結果、第11番と第12番は姉妹作であり、同じ土壌の上にたった作品といえる。その例として、
などがあげられる。前作の第10番、次回作の第13番と比べても、この点において大きくちがう。(実際に交響曲第13番「バビヤール」は私が勤める南第二中学校の吹奏楽部で演奏したが、全く毛色のちがう作品である。)結論からいえば、駄作だとすればこの2曲はどちらも駄作であり、傑作だとすればどちらも傑作である。大好きなショスタコの作品だからこそ、表面的な雰囲気と好き嫌いのみで判断することはできない。
それにはわけがある。前作第10番は、党委員会から批判を受けていたので、それに対する答えの意味もあったろう。(ちなみに第10番はスターリンの死後に作曲されたもので、「証言」という本の中でスターリン批判を含んでいるという説があった。しかし、この本は偽書である証拠が指摘され、現在の学界では全く評価されていない。逆に新しく発見された手紙により、第10番はかなり作曲者の個人的な内容をもつ曲であることが明らかになっている。)
また、この時期ショスタコーヴィチはムソルグスキーの未完のオペラ「ホヴァンシチナ」のオーケストレーションを行っている。もともとムソルグスキーを尊敬していたショスタコーヴィチが、ロシアの民衆を主人公とした国民主義的なムソルグスキーの音楽に感銘を受けたことは間違いない。第11番の冒頭部分や第3楽章に流れる追悼の歌は、まさしくムソルグスキーの響きがする。「ホヴァンシチナ」のスコアも研究した結果、「ゴリーツィン公の流刑の場面」「銃兵隊の命乞いの場面」の弦楽器の和音の重ね方は、第11番そっくりである!
そのような事情にあって、やはり第11番は駄作なのか?批判に答えて作曲され、ロシアの歴史をもとにした理解されやすく重厚な響きの交響曲。それはまさに革命40周年にふさわしい、表面的で攻府ウケを狙ったものでばないのか?
私はこの曲の最大のポイントは第4楽章にあると思う.しかも、第4楽章の最後、長大な40分以上の交響曲を締めくくるホンの2〜3分間の部分に。この部分がなけれぱ、第11番は確かに、駄作といわれても仕方がないだろう。ショスタコーヴィチはこの曲の最後に、復讐に燃える民衆の情熱と抵抗力、これから予想されるロシア革命を表すかのような激情的な音楽を書いた。普通なら「昔、このようなことがあった。今は平和は訪れた。死者の冥福を祈る」といった、静かに思い出すような音楽で幕を開じることも考えられる。(実際にホヴァンシチナ改訂の仕事では、前奏曲「モスクワ河の夜明け」を再登場させて静かに終わらせている。)
個人的なことで恐縮だが、私はこの交響曲を小学生の時にラジオで聴き、その終わり方のあまりの迫力に感動し、ショスタコーヴィチのとりことなった。この終わり方には、「これでええんか、本当にそれでええんか、いま、おれたちの周りはこれとおんなじ状態とちゃうんか!」とでもいうような、鬼気迫る迫力がある。こう解釈すると、第2楽章の一斉射撃の場面は「朝起きたら真っ黒な大きな戦車が何台も家の前をごうごうと走っていた」ように聴こえるから不思議である。実際に、初演者であるムラピンスキーの演奏はこの部分をものすごい速さでぶっ通し、機関銃の一斉射撃の雰囲気を表現しているのに対し、ロジェストベンスキーやロストロポーヴィチといった現代ロシアの指揮者は、この部分をつとめて遅く演奏する。そうやると何ともいえない、何か圧倒的な大きな力に押しつぶされるような感じが出るのだ。
この曲を編曲するにあたって、次の点に注意した。
例えば、第1楽章冒頭部。原曲では弦楽器のみ演奏し、それぞれの5つの弦パートがすべて2声ずつのディヴィジ(分奏)となっており、2声5オクターブの対位法的音楽となっているのが非常にわかりやすく、すっきり見える。このような風景のスコアなら、一切のにごりのない、透明で平坦な音楽を予想させ、実際にそれは雪に覆われた静まりかえった広大な官殿の広場の表現にぴったりである。吹奏楽に編曲するならば、クラリネットの鳴りにくい音域やサクソフォンのコントロールしにくい音域をカバーするように音を互いにブレンドさせて使うのが正攻法である。しかしそれでは人数によってバランスの差が生じ、上下パートが楽器によって逆転してしまう場合もあり、何よりスコアが複雑になってしまう。そこで、今回はショスタコの原曲どおり、楽器によって単純に2声に割るアレンジを試みた。これにより、演奏は大変に難しくなるが、静かで背景の霧のような雰囲気を出すことに成功した。チェンジングブレスもとりやすくなり、わが団にはバリトンサクソフォン奏者が3人いることをも、効果的に使えることになったものである。
松山ウィンドオーケストラの団員は、常にいい演奏と技術の向上を目指し、努力を重ねるひたむきな団員ばかりである。私はいつも無茶な編曲をして団員に文句を言われているが、今回の編曲は特に演奏者に負担が大きいものとなった。今夜の演奏は、それでも音楽の感動をお客様に伝えようと必死にがんばり、練習に打ち込んできた結果である。
Copyright (c) 2002 by Kenji Okubo and Matsuyama Wind Orchestra.