組曲「展覧会の絵」(M.ムソルグスキー作曲)その2

〜プロムナード、あいだのやつは全部カットした〜

松山ウィンドオーケストラ 大久保健二

展覧会-2

出だしのメロディを、いったいなんの楽器でやるか。これはものすごく重要な問題だが、あんまり悩まなかった。ちなみに原曲は右手一本、ラベルはトランペットのソロ、ストコフスキーは第1バイオリンのみのユニゾン、リムスキーコルサコフはオクターブ重ねてチェロまでの弦楽合奏+クラとファゴット。ウィンドのは教えない。

このメロディはよく「作曲家自身を表しており、絵を見て歩く姿と、その絵を見終わった後の気持ちなどが描写されている」と解説されるが、これはまちがいではない。ただし、ムソルグスキー自身は手紙で「この間奏曲には、ぼく自身の姿があらわれているよ〜」と簡潔に言ったにすぎない。微に入り細に入り、うがった見方をしてはおおげさに解釈して、めんどい吹奏楽編曲をほどこす方法は、今回はとらない。なるべく聴きやすく、でもそれらしく聴こえるようにやるつもりだ。

小曲がいくつも並んでいて全くまとまりのないこの組曲に、ムソルグスキーはどうやって統一感を与えるか、一生懸命考えたのだろう。結局、気まぐれに形も大きさもちがう宝石を、同じ素材を使ったヒモでくくりつけたネックレスのような構造を考えついた。音楽でいうと、ある部屋からある部屋へと次々わたり歩いていくような感じになるはずだった。しかし、音楽は時間の芸術である。

正直この何回も何回もくりかえされる「プロムナード」は、途中でかなり聴きあきてしまう。料理でいうタコづくし、「使われてるのは確かにタコだが、料理が変わってゆく!」ってゆう変奏曲なら、感動モノだ。が、これはいろんな味のポテトチップス、「同じ料理だが味がちがう」だけの間奏曲である。料理と料理のあいだに出されるお口直しが、これまたシェフ肝いりの結構こいくちの料理で、しかも全て同じものなので、「ひょっとして実はしつこいのでは?」とこっそり考えても、口には出せない。

曲としては、「プロムナード」の旋律や和声、リズムはとてもおもしろく、ロシア的ですばらしい。これを立派な1曲目としてしっかりアタマにすえただけで、「展覧会の絵」全体がひきしまる。実際には「カタコンブ」の後半でも顔を出すし、「キエフ」の最後にはちゃんともどってくるから、わざわざ全曲を通じて余計にしつこく見せる必要はない。現代では、有名なメロディとしてもうみんな知ってるし。

みなさん、どうか正直に。いろんな長い曲を聴いていて、「この楽章はつまらんなあ」とか「これはとばして早く次の曲」とか「でもいちおう全部ちゃんと聴かないと怒られるのでは」とか、困った経験ないですか?せっかちな時代ですから、いいところだけ集めて、お客様のニーズにいちはやくダイレクトにお答えしたいと考えている次第でございます。


Copyright (c) 2005, 松山ウィンドオーケストラ, 大久保健二