組曲「展覧会の絵」(M.ムソルグスキー作曲)その5

〜金持ちのユダヤ人と貧乏なユダヤ人、モノマネ一発芸〜

松山ウィンドオーケストラ 大久保健二

展覧会-5

CDの説明や市販のスコアの解説、例のNHKの本を見ても、この曲はよくほめられる。「もともとは2枚の別々の絵だったものを、ひとつにまとめたそのおどろくべきイマジネーション!」とか、「まったく動きのない絵から想像して、二人のユダヤ人を会話させたり、あるいはケンカさせたりするその物語性のすばらしさ!」とか。まちがいじゃない。まちがいじゃないけど、あまりに劇的な面だけを強調するのは危険だ。じゃないと、この曲の持つ、軽妙で気の利いたサービス精神や、新聞の戯画を思い出させるような器用さと、茶目っ気が失われる。思いっきり短調でユダヤ風の旋法を使った暗いトーンの作品でありながら、内容的にはなんの真剣な意味合いも含んでいない、全然ウラのない、愛すべき佳曲なのだ。

ぼくが休み時間に機嫌のいいときなんかは、なんかの曲を即興でいろいろにアレンジしてピアノを弾いて、生徒に聴かせて遊ぶことがある。たとえば学校の校歌を「ほーれこれは演歌風や、次はワルツ、巨人の星風、えーいついでに悲しい校歌にしちゃれ!」という感じである。(余談だが、ぼくはききおぼえのある曲なら、たいがいハ長調で即興で何でも弾けるので、よくアニメの曲なんかをリクエストされる。これはとても生徒がよろこぶので、ぼくの好きな遊びのひとつだ。逆にどんなに簡単な合唱曲でも、楽譜どおりにピアノ伴奏譜をきちんと弾くことはまったくできない。「確かにこの曲だけど、先生のは微妙にちがう」といって混乱するピアノ担当の子が多い。)ムソルグスキーも、記憶のどこからか持ってきたユダヤ風の旋法で即興のメロディを作り、「ええか、これはユダヤ人じゃ・・・・そうやな、お金持ちでえらそうなほうとでもしょうか!ほんでこれは貧乏なほう。そうじゃ、ふたついっぺんに弾いちゃろか。うふふふふーこんなふうになるんよねえ」

金持ちと貧乏がいっしょになるところは、なんら複雑な対位法的処理がなされているわけでもなく、高度な作曲テクニックでもってぴったりつじつまが合うように計算されているわけでもない。金持ちユダヤ人のメロディに内包された和音や持続音を、貧乏ユダヤ人のメロディのリズムで取り出し、合いの手を加えているだけ。だれでもできそう。これがショスタコーヴィチなら、「ぜったいにこんなの、オレにはつくれん!」っていうような、天才的なメロディの組み合わせで、作曲のウデをこれでもか、これでもか、と見せつけたにちがいない。(またまた余談だが、交響曲第4番の最終楽章の最後、行進曲の主題が帰ってくるところは本当にすごい!何度聴いても体じゅうの力が抜ける。)

もういっちょ。ラベルは最後のフレーズを「シドシラ!(移動ド)」に変えたが、即興・ユダヤ人のモノマネ一発芸はこれで終わり!っていうのを出すためには原曲どおり「シドララー!」です。最後の2フレーズ、こんなふうに聴こえませんか?「ワシなんで松山弁ー?」「松山弁はやめよでー!」


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