組曲「展覧会の絵」(M.ムソルグスキー作曲)その8

〜ババヤガ、小さい置き時計のえんぴつデッサン〜

松山ウィンドオーケストラ 大久保健二

展覧会-8

ぼくだってそうだった。宮崎駿に出てくるようなワシ鼻の意地悪ばあさんが、ほうきにまたがって夜空をぶんぶん飛び回り、「うっしゃっしゃっしゃっしゃあー!」とか叫びながら、なんか悪さをして回ってるにちがいない。きっとたて10メートルよこ20メートルほどの大壁画に、赤や黄色や青の原色が大胆にちりばめられているにちがいない。岡本太郎みたいな、爆発してるやつにちがいない。でも、絵を見たとたん、「・・・・これ?」

よく考えたら、題名はババヤガの「小屋」。絵のほうも、ほんとうにただの「小屋」。の形をした置き時計のデザインスケッチ。色はなし。えんぴつオンリー。デザインなので正面のみ。大きさはハガキぐらい。魔女もほうきもおよびでない。時計なので真ん中に時計がついている。あたりまえか。

またまた悪いくせだ。ラベルの豪華絢爛な色彩的なオーケストレーションから「絵」を想像するからこういうことになる。あえて反対のことをしないといけない。このあまりにもしょぼい「時計の絵」からムソルグスキーが何を考え、ピアノの小品に何を投影したか、を考えて編曲に盛り込むのが今回のぼくの目的。あらためてこの時計の絵をじっくりながめると、なかなかおもしろいよ。屋根のかたちがなんだかロシアの民話に出てくる魔女が住む森の家そのものだし、だいいち、台としてニワトリの足がにょきっとついているのが場ちがいでグロテスク。全体の作りがおおざっぱなわりに、こまかい模様が複雑で凝っており、まさにロシア的。おもしろい。びゅんびゅん動き回る躍動感はないが、なんかこう、手作りの味わいがある、繊細でロシア的な工芸品。「センは細くともこれがぼくの芸だ、正真正銘ロシアの芸術家の作品だ!」という自負心にあふれている。ようにぼくには感じるスカヤ。

そうやって絵をながめたら、この曲の演奏のしかたも変わる。やたらバンバン躍動的に開放的にやるのはまちがい。ある程度こまやかでかっちりした木造の固さを保ちつつ、グロテスクで野蛮な感覚だけは捨てずに、あくまでも出てきてしまった音を楽しむようにやる。実際、この曲の音程の跳び方といったら、ピアノで弾いてみるまで予測できない。平均律のピアノでカチカチ弾いたら、まさに機械仕掛けのような、でも足はニワトリだし、ってゆうような妙なギャップがたまらなくおもしろく聴こえそう。そう言われてみれば、中間部の不気味なメロディは、たっぷり抑揚をつけておどろおどろしく歌えるような構造を、最初から持ってないでしょう。もし「ババヤガ」って人形劇があって、イワンおじさんの手作りセットと子どもたちの人形で上演したら、こわれかけのアップライトピアノでこの曲を前奏曲にやる。どうだ。この曲が管弦楽曲にならなかったのは当然とさえ思えてくる。

というわけで、ババヤガの編曲が一番難しかったスカヤ。


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