て日


2005年 7月分


2005年7月31日日曜日

午前中、中央郵便局へ冊子小包の発送に行った。銀天街を通ったら、動物キャラクターの大きなフロアクッションとか、ピンクの花柄の甚平とか、妻が喜びそうなものがいろいろ目に入った。それで、午後、妻がVAIOを修理に出すためにベスト電器に行くと言い出した時には、車を使わず銀天街を歩いて行くことを提案。妻と娘はそのあと、ラフォーレで開かれている『がんばっていきまっしょい』の写真展にも行った (俺と息子はフライングスコッツマンで待ち) ので、けっこうよく歩いたことになる。三津浜の花火大会の日でもあり、ゆかた姿の女たちをたくさん見かけた。午前中の雨に洗われたクリアな陽光が街にあふれて、こういう日は、通りかかる女たちがみんなキレイに見える。目の保養というか目の毒というか・・・。

帰りみち、予想どおり妻はクマちゃんのクッションにメロメロ。レジに持っていくと、店員さんたちが袋に入れようとして「この子ら、折り曲げたらかわいそうかな」だって。

クマとワンコのクッション
使わない時は壁につるしておくことに
写真では大きさがわかりにくいけど、タテ95cmヨコ70cmくらい


2005年7月30日土曜日

久万高原町の久万美術館に行ってみた。山間の静かな町の小さな美術館で、とてもいい時間を過ごすことができた。エントランスホールにグランドピアノが置いてあった。いつかここでサックスアンサンブルの演奏ができたらいいな。

久万美術館
久万美術館の正面

クロアゲハ
前庭の栗の花と戯れるクロアゲハ
オニグモやミンミンゼミもいた


2005年7月29日金曜日

マエストロO久保の指揮する中学校の吹奏楽部の演奏を聴きに、吹奏楽コンクール県大会の会場へ行った。松山ウィンドの定期演奏会に友情出演してくれた1ヶ月前と比較すると、演奏内容が格段に進歩していた。

その後、ピアノのレッスン。こちらも1ヶ月どころじゃない久しい前から同じ曲をやっているのだが、進歩が遅くて自分でもイヤになる。そうはいっても自力で前へ進むしかないのでがんばろう。


2005年7月28日木曜日

暑い。汗だくだ・・・ってそれはビールの飲み過ぎ? ごめん。

一昨日リリースされた SoundStudio 2.2.2 が起動しないと思ったら、すぐに 2.2.3 が出て「うっかり Tiger (Mac OS X 10.4) でしか起動しないオプションでコンパイルしちゃってましたので修正しました」と来た。そんなことくらいちゃんとテストしてからリリースしてくれよぉ(泣)

土用の丑の日なので、例年どおり夕食は うな丼。


2005年7月27日水曜日

なに? ふれあい魚ッチングとな?

宇和島にある愛媛県水産試験場を一般に開放しておサカナたちとふれあってもらおうというイベントで、それに文句をつける筋合いはまったくないし、宇和島でなく松山とかせめて八幡浜あたりだったら、子供を連れて行ってみたいとも思うけど、そのネーミングセンスはなんとかならんのかいな・・・と思っていたが、どうも農林水産系の愛媛県地域情報ネットワークには農林水産 eー予 ネットと名付けられているようだし、土地改良事業団体連合会のネットワークは全国規模で《水土里(ミドリ)ネット》らしい。組織ぐるみでそのネーミングセンスというのは、なかなか手強い。

済美の甲子園行きが決まってよかったよかった。と思いながら帰宅したら、妻子がいない。どうしたんだ? と思っていたら、しばらくして戻ってきて「上甲監督に花束渡してきた」という。そう、妻は熱血青春学園ドラマにめっぽう弱いうえに、うちは済美高校まで徒歩圏内なのだ。


2005年7月26日火曜日

GREEで「男女間に友情が成立すると考える人」というキーワードをときどき目にする。男女間に友情が成立するか、というのは、《男と女のどちらがよりスケベか》などと同様、若い人たちの間で議論の絶えない永遠のテーマのひとつだと思う。しかしこの歳になって少し冷静に考えると、事実として友情が成立した事例はたくさんあるわけだから、客観的には「友情は成立しうる」でオシマイの話なのだ。これが議論の永遠のテーマになるのは、ここで問われていることが実は客観的な「友情は成立しうるか」ではなく、もっと実存的な「わたしとあの人の間で、友情を成立させるべきか」という問題だからだろう。「自分と異性たち」の実存的な問題を「男女間」という一般論にすりかえているから、話がややこしくなる。しかし、もうひとつ忘れてはならないのは、問題設定が曖昧であることも、議論が果てしない原因になっている、ということだ。

つまり、《友情》という言葉で何を意味しているのか、とか、《友情》の反対は何か、つまり、友情が成立していない場合には、代わりにいかなる関係が成立していると考えているのか、とか、そのあたりが曖昧だから、議論が果てしなくなるんだろうと思うのだ。ひとまず「男女間の友情」と「恋愛感情」の区別をどこでつけるかという点に決着をつければ、問題はよりクリアになるはずだ。

俺と妻の場合は、いわゆる恋愛結婚であり、お互いに愛情はたっぷり感じているし、結婚前の半年などは、ほとんど毎晩電話で連絡をとりあい、ほとんどすべての週末を一緒に過ごしたけれど、それでも、恋愛はしていなかった。と、なぜそんなことが断言できるかというと、《御垣守衛士の焚く火の夜は燃え昼は消えつつものをこそ思へ(©大中臣能宣さん)》とか《会えない時間が愛育てるのさ〜(©郷ひろみさん)》とか《ドキドキとモジモジの上に、ちょぴりイライラがないと、恋とは言えません(©冷徹斎さん)》といった、相手が目の前にいない時の焦燥感を体験していないからなのだった。

恋愛か友情かを、会っているときにどんな行動をとっているかによって区別しようとしてはいけない。相手が自分にとってかけがえのない大切な存在だと認めることや、会えてうれしいと感じることは、《恋愛》の必要条件であるかもしれないが、十分条件ではないし、俺の考えでは、これらは《友情》の必要条件でもある。《愛情》を《恋愛》に独占させて《友情》と《愛情》が互いに相容れないと考えてはいけないと思う。友情と恋愛感情を分ける最大のキーポイントは、「じゃあまたね」といって別れてから、次に会うまで、その人のことを忘れていられるかどうかにあると、俺 (と妻) は思っている。「忘れていられる」という表現が冷淡にすぎるというなら「相手のイメージが閉じた瞼にちらつかない」でもいい。会っている時にどんなにワクワクドキドキのラブラブハッピーな (...書いててイヤんなるな) ホットな関係を謳歌していても、会っていないときに焦燥や不安を感じないで、相手のことを「横へ置いといて」いられるなら、それは恋愛ではない。

逆に言えば、俺にとっては、恋愛というのは大変やっかいな、辛い苦しいものであって、しないで済むならしないに越したことはないというようなものなのだ。《ある日突然二人黙ぁ〜るのぉ〜♪(©トワ・エ・モアさん)》と友情のなかで育まれた深い愛に気がつく、というほうが、たとえば夫婦関係を構築するにしても、いいと思うのですよ。

以上のようなわけで、俺は「男女間に友情が成立する(成立させるべきだ)と考える」ほうに清き一票を投じよう。妻も同意見のはずだから、これで二票だ。ただし、相当数の《男女交際》が俺の理屈では《恋愛》ではないということになるわけだから、同じ側に票を投じる人たちの間でも、実はかなり意見の違いがあるだろうとは思う。同じ「男女間に友情は成立するか」と問いながら、実は「セックスする/しない」を問題にしている人もいるだろうし、「結婚問題を視野に入れる/入れない」を問題にしている人もいるだろう。中学生高校生くらいなら「つきあってるとかそういうんじゃなく仲良くしたいんだけど」という意味で言っているのかもしれない。問題が、《友情の本質論》から《浮気論》あるいは《男女交際の形式論》まで多岐にわたって、ひとつに絞れないから、議論が果てしなくなるのも当然なのだった。


2005年7月25日月曜日

顔を上げてまっすぐ歩こう。人と目が合ったときには、視線を下へは逸らさないほうがいい。長年のうちに、俺にはうつむいて歩く癖がついている。特別に気分が前向きなときにだけ、世の中にまっすぐ顔を向けて歩き、そして世の中が決して普段考えているような酷いところではないことに気づくことができる。それなら、逆に普段から顔を上げて、世の中をきちんと見ながら歩けば、気持ちのほうがつられて前に向いて進むかもしれない。今日、なぜかそんな風に考えた。

そう思って街を歩いて帰りながら、それとなく観察していると、視線を下へ逸らす人はほとんどいなかった。人に会った時には、言葉で何を言うかより、視線がどう動くかで、相手に与える印象が決まるようにも思う。あまり神経質になるわけにもいかないけど、気をつけようと思った。

ん〜、天気が怪しくなってきたと思ったら、台風7号が接近中とな?


2005年7月24日日曜日

昨日から、頭の中でずっと『スウィングガールズ』のエンドロールが回りっぱなしで、ふとした拍子についついフィンガースナップしながら 《L is for the way you look at me〜♪》 と口ずさんでしまうのだった。妻はあいかわらず『がんばっていきまっしょい』に夢中なので、二人で話していると、なるほど上野樹里は鈴木杏だったのか、とかなんとかいう話になってしまって、もうどうしようもない。

夜は萱町商店街の天神まつり夜市に行った。商店街の人たちがいろいろな露店を出している。萱町商店街は市民の台所として昔はもっともっとにぎわっていたのだろうが、地元密着型の商店街のご多分に漏れず、ここも客足の遠のいた寂しさは隠せない。今夜の夜市も小規模だが、それでも、のどかで楽しげなムードで、たいへん好ましい。それにしても、夏の夜に見る女たちって、どうしてみんなあんなに魅力的に見えるのかな。いやいや、ノースリーブの夏服の若奥さまたちは確かに魅力的だったが、浴衣を着たわが妻と愛娘も素敵だったさ。浴衣を着たお母さんは、他にいなかったように思う。

露店のひとつに、板にドラえもんの絵を描き、口のところを切り抜いて作った「ボールなげゲーム」があった。スーパーボール3つを、1メートルくらい離れたところから投げ、ドラえもんの口に入った個数で景品がもらえる。娘にやらせたら、ルールを勘違いしたらしく、ドラえもんの口に手を突っ込んで、ボールを「ぽっとん」してしまった。傍らで写真を撮ろうとデジカメを構えた俺は、あまりのことにシャッターを切れなかった。(同じくケータイのデジカメを構えた妻は、あまりのことにシャッターを切ってしまった。) まあ、四歳そこそこの子供のすることでもあり、笑って許してもらえた。しかし、ごめんなさいついでに、裏へ回ってドラえもんの口から娘の顔をのぞかせて記念撮影したのは、ちょっと調子に乗りすぎだったか。


2005年7月23日土曜日

朝、『スウィングガールズ』のDVDをもう一度観た。TVドラマ版『がんばっていきまっしょい』のダッコ役の女の子 (岩佐真悠子) が出ていたというのを聞いて、ガールズのメンバーじゃないし、きっとあの野球少年のカノジョに違いないと思って、それを確認するために観ていたのだが、やっぱり最後まで観てしまい、やっぱりラストのステージのシーンには感激してしまった。それに、二回目観て初めて気がついたこともいろいろあった。パチンコ屋の前で「それでもジャズのつもりかぁ〜」とヤジを飛ばしているお兄さんは、実はバンド演奏の指導をしていたトランペッターの人だ、とかね。いい映画だが、楽団にも観ていない人が多いので、近々DVDを観せてやろうと思うのだった。

昼間、散歩がてら南堀端へ行って、久しぶりにアルトサックスを吹いた。テナーと比べて何が違うといって、運ぶのがすごく楽。いや、それはともかく、これからは時々アルトも吹こうと思うのだった。

吹奏楽の練習。ベルリオーズの弦パートを置き換えたセクションを、便宜上サクソルンと呼んでいるのだけど、そのセクション練習をした。セクションリーダーのジョー橘から、息の入れかた・タンギングの仕方(というよりなるべくタンギングをせずに音を作ること)の指示があった。いままで試したこともなかったが、勉強になった。合奏するたびに課題が見つかって、奥が深いわ。

練習後の夕食は焼き肉。姫原の「じゃんじゃか」では、3,000円ごとに隣のナムコランドのメダル100枚が提供される《焼肉めだる》キャンペーンをやっている。2,000円の食い放題コースを6人で頼んだので、ど〜んと400枚のメダルをもらった。だもんで、皆でしばしゲームに興じた。


2005年7月22日金曜日

ピアノのレッスン。夕食は茜屋でラーメン。

大西英文『はじめてのラテン語』(講談社現代新書) はたいへん面白い。ラテン語はさすがに蘊蓄の宝庫だ。たとえば、ラテン文字のCが、もともとはギリシャ文字Γの異字体で /g/ 音を表していたのが、エトルリア語の影響で /k/ 音を表すようになったため、Cという文字を少し変形したGという新しい文字が発明され /g/ 音に割り当てられた、という話など、知らなくても少しも困らないけど、すごく面白い。


2005年7月21日木曜日

千代島雅『アキレスと亀〜時間の哲学と論理』(晃洋書房)という本を買ってきた。ゼノンの逆理について、それなりに興味深い考察をしているが、著者が言いたがっている「自分はアキレスと亀のパラドックスを、人類史上初めて、完全に解決した」という見解には全く同意できない。この点については近々かならず《てなさく読書欄》で詳述するつもりだ。

『アキレスと亀』は銀天街の丸三書店で買った。レジカウンターに女子パウロ会から提供された栞があった。色鉛筆と水彩絵具で描かれたと思われる素朴なチャペルの塔の絵に《神は、実り豊かな人生を愛されるように、何の実も結ばなかった人生をも、お愛しになる。》という、アントニー・デ・メロ神父の言葉が添えられている。数年前に同じ栞を見かけて以来、この言葉は俺にとって忘れられない言葉になっている。外には虚勢を張りながら内に深い劣等感を隠し持って生きている俺のような人間にとって、これほどありがたい慰めの言葉はそうない。この言葉の出典は、女子パウロ会の『心の歌』だと、栞に記されていたので、その足でカトリック教会の書店に行って、幸いにも本を入手できた。12枚の絵と言葉を、メモ帳のようなリングで綴って表紙をつけただけの、質素でかわいらしい本だ。手に入れることができて本当に嬉しい。

アントニー・デ・メロ『心の歌』女子パウロ会
わたしの態度のほかに
変わったものは
何もなかった。
...それだからこそ、
すべてが変わったのだ。
(アントニー・デ・メロ『心の歌』より)

同じアントニー・デ・メロの『沈黙の泉』は、なんだかんだで手放してしまったが、一人暮らしの頃の俺の愛読書だった。Amazonのマーケットプレイスに安く出ていたので注文。宗教的な瞑想をめぐる、古今東西の警句が集められている本だ。誰だったかはとっさに思い出せないが、たしか唐の時代の禅匠の事績もキリスト教の修道院での出来事に翻案した上で収録されている。

それはこんな話だ:ある禅匠の雲水(修業)時代、座禅をしているところに、師が通りかかった。師は座禅する雲水を見て聞いた。「何をしておる」「座禅をしています」「座禅してどうする」「悟って仏になろうと思うております」この返事を聞くと、師は何を思ったか、やおら傍らの割れ瓦を石でゴリゴリこすり始めた。雲水は驚いて聞く「何をしているのです?」「磨いて鏡にする」「瓦は鏡になりませんよ」「なら、お前も仏にはならんぞ」・・・雲水はこのやり取りを機縁として、大いに悟るところがあったという。


2005年7月20日水曜日

16日のベルリオーズ云々の続き。考えてみれば、芸術家の表現が効果をあげるためには、芸術家は自分の駆使する技巧にかんして冷静かつ客観的であるべきなのは当然のことだ。たとえその表現されるものが幻視のなかの地獄の光景だったり、自分が断頭台で処刑される悪夢だったりしてもだ。たとえ狂気の沙汰を表現するにしても、効果的な表現で人に訴えかけるという目的を果たすためには、理性的でなければならないわけだ。

そう考えるうちに、理性はより大きな目的に達するための道具のひとつにすぎない、本来そういうものであるように思えてきた。夢や幻だって、心に訴えかけるものである以上、決して単なる無秩序ではない。リアルな経験から素材を得てそれを編集して見せている点では、夢も幻も、理性の働きと変わりはない。

では、人々に奇怪な幻想を見せ、それを表現するために芸術家に職人芸を発揮させ、批評家にそれを解釈させ、さらにそれら全てを動機づける情熱という絶大なエネルギーを供給するのは、いったい何者か。理性と狂気の境目など《そいつ》にとっては何ほどのこともない。どうせどちらも《そいつ》の切るカードにすぎないのだから。

いっぽう、西欧近代の始まりにおいて、啓蒙思想は、理性の力で《そいつ》から自由になれるはずだという希望を表明していた。一種の理性至上主義で、現代を生きる我々の考えも、基本的には同じ線上にある。だが、理性的であるとは、実際上どういうことだろうか。理性は本当に、道具という意味づけを超えるほどまでに、いいもの、大切なものなのだろうか。

そんなことを考えつつ、夜、いつもの喫茶店でサックスの練習。


2005年7月19日火曜日

仕事も一段落したし、部屋を片付けて本を読もう。いやそれにしても「スウィングガールズ」の本仮屋ユイカはいいね。特典ディスクのサイドストーリー「フライング」がとくに素敵。あと、シネマサンシャインのチラシにあった 皇帝ペンギン っていう映画がちょっと気になる。どういう映画なんざんしょ。


2005年7月18日月曜日/海の日

お隣の孫のシュンちゃんをまじえて、子供たちがベランダでプール遊び。いい天気で気持ちがいいね。プールで遊ぶ子供たちの写真をシールにしてシュンちゃんにあげようと思って、シールプリント用紙を買いに街に出ても、暑かったせいか、あまり人が多くなかった。

Polar Bear at work
ショッピングセンターで働くシロクマくん
お中元はアイスコーヒーにしなさいだそうです


2005年7月17日日曜日

昨日に引き続き、いい天気だ。どうも梅雨は明けたと見える。急ぎの郵便物を郵便局へ差し出しに行ったついでに、眼鏡を新調しに大街道のカラールへ行った。休日の朝に郵便局に行くときには、いつも娘を自転車に乗せて行く。メガネ屋さんに小さな子供を連れて行って大丈夫かと思ったけど、案外いい子で待っていられた。えらいぞ娘。だけど、午後になってダイエーに行ったときには、その娘が大はしゃぎで大活躍して大変だった。

花
花とミツバチ

写真は、郵便局へ行く道すがら、伊予銀行本店の近くの歩道に作られた花壇で撮影した、花とミツバチ。


2005年7月16日土曜日

ベルリオーズの管弦楽法は実に周到に計算された職人芸でありながら、ベルリオーズ自身は彼の「幻想交響曲」を、あたかも迸る情熱に任せて一気に書き上げたかのように解説していた。俺たちが若かった1980年代には、苦労して作ったものでも、鼻歌まじりのやっつけ仕事のように軽く提示することがカッコよかった。いまはどうかというと、画一的な工業製品であっても「わたしにぴったりサイズ」とかなんとか、ナルシシズムに媚びるのが流行だ。自分で作ったものを人前に出すときには、やはりそういう時代の流れに対する配慮も必要ということなんだろうか。アホちゃうかと思うけれども。

コロっと話は変わる。市民コンサート例会だ。今夜はアレクセイ・トカレフのトランペット・リサイタル。曲数も多く、難しい曲ばかり。技術もパワーも音色もすばらしい。ただ、どんな名人が演奏しても、トランペットという楽器の性質上、当たらない音はどうしても出てくる。管楽器は、音を出すことがまず大問題。その点、ピアノとはわけが違うのだ。だから、けっこうドキドキしながら聴いた。俺は今回写真係だった。三脚を持ち込んで、演奏中のステージを撮影するということも試みた。うまく写っているといいけど。

そんなわけで、吹奏楽の練習は欠席。お願いだから土曜日に例会は入れないでほしいのだった。


2005年7月15日金曜日

どうにか「て日」をRSS対応にしてみた。これでGREEでも日記が表示されるようになる。アクセス数が増えてくれるといいけど。

もっとも、積極的に友達を増やすなんてのは、俺のキャラクターではないから、GREEは読んだ本のレビューを書くくらいしか、利用していない。


2005年7月14日木曜日

このディレクトリにあるHTML文書について、HTML4.0 の規格にできるだけ添うようにタグの id の付け方を変更した。EZweb版「て日」のスクリプトを作ってみて思うに、HTML4.0 で書いてきたおかげで、データの使い回しがずいぶん楽だ。これが、楽団のホームページ みたいに HTML3.2 のFONTタグを多用したページだったら、自動処理でマルチプラットフォーム対応なんて芸当は望めない。

5年前の「サマーコンサート2000」の会場録音CDが出てきた。吊マイクのデッドな音にあとからエフェクトをかぶせてあり、リバーブが金属的で不自然だ。これなら俺の客席録音のほうがいい、と言いたいところだが、こちとら失敗の常習犯だから、偉そうなことは言えない。それより、バーバーのアダージョにせよレスピーギにせよ、当時の演奏のテンポ設定がずいぶん速めで、いま聴くと欲求不満が残る。俺たちの体力や集中力の限界というものもあったのだろう。「1905年」をやって以後は、このあたりが少しは改善された、と思いたい。


2005年7月13日水曜日

自室をもっと居心地よくしないことには、本も落ちついて読めやしない。そうはいっても、右のものを左に移すだけで片付くような部屋ではないから大変だ。小物の整理の足しにしようと思って、整理棚の部品として売られているメッシュを買ってきた。壁に立てかけるようにしていろいろなものを吊るす。フックは針金で自作する。それなりに便利だが、焼け石に水といわれればそれまでだ。

整理するぞ
こんな感じだ


2005年7月12日火曜日

コミセンの図書館にいってフランス革命と啓蒙思想に関する本をひと山借りてきた。ベルリオーズと『幻想交響曲』の時代背景について学ぶというのが第一の目的。第二の目的は「近代」という時代を、「力学的世界観」とそれに由来する「実験室モデル」という人間観・社会観が形成された時代として理解できるだろうというここ数年来の直観の裏付けを得たいということだ。気になっているのは次のような点。ベルリオーズに顕著な、ロマン派芸術における主観的でナルシスティックな傾向と、フランス啓蒙思想における唯物論的な傾向との対比の問題。フランス革命の理性的・合理主義的な側面と、その裏面にあって「断頭台への行進」に影を落としている、ギロチンによる公開処刑などの野蛮な側面の対比の問題。また、フランス革命期の指導原理の形成に対する啓蒙思想とりわけ力学的世界観の寄与如何という問題。

フランス革命によって「国民国家」の理念が生まれ、「公教育=普通教育」の必要性が初めて認識され、同時に社会全体が人間を改造するための学校的空間に変わることによって、人間の内面への政治権力の介入が始まったように、俺には思われる。そして社会の学校化の前提として、人間の内面を、あたかもニュートンの「質点」のように、空間の中を基本的に自由に慣性的に運動し、その運動の量的変化が加えられた力に正確に比例するような、単純で無機的な実体と考える、「力学的世界観」があるように思われる。近代的な国民国家の形成と古典力学の理論体系の成立が、単に時間的に並行していたにすぎないとは、俺には思えない。このあたりのことをもっとよく理解したい。


2005年7月11日月曜日

きょう一日のうちにかなり咳が軽くなった。助かる。楽団の情報や「てなさく世界」の更新状況がRSSで読めたら便利かもしれないと思い、XMLを少しかじってみることにした。Firefoxという強力なツールもあることだしね。

温泉水栓
平和通りの路上で見つけた水栓のフタ
本当にここから温泉が湧くのか?


2005年7月10日日曜日

青白G3くんの内蔵光学ドライブをNECのND-3540Aに変更した。商品としては I・OデータのDVR-ABN16Dだ。Disc Burner非対応でちょっと不便だが、Toast 5以降なら問題なく書き込みできる。8倍速DVD-Rメディアで16倍速書き込み可能を謳っているが、試してみたところ、7〜8倍速程度だった。このあたりはCPUの力量の問題もあるのかもしれない。しかし、50枚1,900円の激安DVD-Rメディアでも問題なく4倍速書き込みできたから、OKということにしよう。これからせいぜいいろいろのデータのバックアップをとって、ハードディスクの空き容量を確保したいと思う。


2005年7月9日土曜日

近所のお寺で市民コンサートのサークル交流会が開かれた。あろうことか、俺のサックス独奏でミニコンサートなどという無茶な企画。やった曲は「エストレリータ」「見上げてごらん夜の星を」「星に願いを(Kさんピアノソロ)」「人生のメリーゴーランド」「リパブリック賛歌」。七夕にちなんだお星さまシリーズだ。伴奏のKさんのお力添えのおかげで、なんとかゴマカシてきた。だけど、この俺が人前で独奏だなんて、まったく綱渡り、いやむしろサル回しだわ。

夜は吹奏楽の練習。金のフルートも輝かしく、新入団員が一人。見学者多数。


2005年7月8日金曜日

演奏会が終わってから、ずっと喘息ぎみだ。明日ソロ演奏の出番だというのに咳が止まらん。おまけに、とうとう熱まで出だした。うげぇ、どうしよう・・・

ルロイ・アンダーソンの曲集のCDを、確か持っていた。さっき探したけど見つからない。きっとBOOK・OFFに売ってしまったのだろう。なぜそのCDが必要だったかというと、某所で行なわれている学習会で使うために「トランペット吹きの子守唄」の解説が欲しいという人がいたからなのだ。おかしな話だ。ショスタコーヴィチやマーラーの交響曲でもなく、リヒャルト・シュトラウスの交響詩でもなく、ワーグナーの楽劇でもない、他でもないルロイ・アンダーソンの「トランペット吹きの子守唄」に、何の解説が必要だというのだろう。タイトルと演奏だけで、もう十分じゃないか。これがそれこそベルリオーズの「幻想交響曲」なら、解説が欲しいというのもわかる。解説なしに聴かされたら「なんであのマーチはあんな変な終わりかたするんですか?」と聞かれるに違いない。しかし、「トランペット吹きの子守唄」やドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」やエルガーの「愛の挨拶」を聴いて、解説がないから理解できませんでしたなんて、誰が言うだろう。そんな人は、もう音楽を聴くのなんかすっぱりやめて、百科事典を読むことを趣味にすればいいんだ。

と、愚痴2連発で溜飲を下げたところで、話は変わる。この「て日」をEZwebで読むためのフィルターを改良して、ひと月分一括ではなく、日ごとに個別にダウンロードするようにした。URLも http://www.tenasaku.com/cgi-bin/eztepi-daily.pl に変わった。いま現在EZwebで読んでいる人は、CGIスクリプトを再読み込みすれば、このURLへのリンクが表示されるはずだ。

・・・と思ったら、カレンダー表示にバグ発見! どこで間違えたかなあ。(翌日修正しました)


2005年7月7日木曜日

誕生日だ。夕食時、ばうの実家のコーヒーレスト(喫茶店兼ごはん屋さん)で牛丼を食って生ビールを飲んだ。妻がコルネットを持って行くというので、なんだそりゃと思いつつも、俺もフルートを持って行った。閉店時間が近くなり他のお客さんが引き払った頃、妻がコルネットを取り出し、「Happy Birthday to You」を演奏してくれた。ばうがミュージックエイトの「イン・ザ・ムード」と「テキーラ」の楽譜を持って来た。ばうは先日の松山ウィンドの演奏会を聞いて吹奏楽衝動をリリースしてしまい、このところすっかりスウィング・ガールズ状態になっているのだ。「テキーラ」の楽譜に書かれたアドリブの参考譜を、フルートを吹きながら歌うラテンぽい奏法で演奏したり、俺もけっこう楽しんだ。だが、この楽譜はジャズコンボ用だから、演奏するにはリズムセクションが要るぞ。どうするんだ?

あ、Sound Studioのバージョン2.2が公開されているね。


2005年7月6日水曜日

ドビュッシーの「夢」が聴きたくて、田部京子の「pianissimo」というCDを先日買ったのだけど、これの2曲めに収録されているジュリオ・カッチーニの「アヴェ・マリア」というのが大変美しい曲で、気に入ったので、インターネットを徘徊して楽譜を見つけ出し、自分なりにピアノ独奏用に編曲してみた。もちろん、田部の弾いた吉松隆アレンジにはかなわないが、楽譜はこんな感じ(PDF 60KB弱)。MIDIファイルも作って近日中に「てなさくDTM」に公開しようと思う。


2005年7月5日火曜日

夜。松山が舞台の青春小説「がんばっていきまっしょい」がTVドラマ化されたというので、学園ものが大好きな妻が観ているところで、息子が起きた。妻は息子をおひざに抱っこしながらテレビを見て、合間合間に「よーし。【息子】しゃん、君もボートに乗るんだぁ!いーち!にーい!」とボート漕ぎの格好をさせている。小さな息子は意味もわからず笑っている。数ヶ月前、妻がNHKのアニメ「メジャー」を観て、おひざに抱っこした息子に「よーし。【息子】しゃん、君も野球をするんだぁ!ゴローくんだ!ウグモリくんだ!」と言っていたときも、もちろん小さな息子は意味もわからず笑っていた。

それで、もともとはそれほど見る気もなかった「ウォーターボーイズ」を、ぜひ妻に見せたくなった。「ウォーターボーイズ」も面白かろうけど、俺としてはそれより「ウォーターボーイズ」を見た妻が「よーし。【息子】しゃん、君もシンクロをするんだぁ!準備体操だぁ!水泳帽だぁ!」と、おひざに抱っこした息子に平泳ぎの格好をさせるのを見たいわけだ。そのときもきっと、小さな息子は意味もわからず笑うことだろう。赤ちゃんってかわいいね。

その娘は、見た目は娘の赤ちゃんの頃と「同じ」だが、中身はだいぶ違うようだ。音楽のかかっている俺の部屋に連れて入ったときに目が据わって、音に意識を集中しているのがわかるのだ。全体に、娘はどちらかというと視覚を偏好するところがあったように思うが、娘の音楽に対する反応はいい。といっても、所詮は俺たち夫婦の子供だから、あんまり期待してはいけないのだけどね。


2005年7月4日月曜日

JCBカードのポイントがたまったので浄水器に替えてもらった。試してみると、たしかに水道の水のカルキ臭さはキレイに抜けて、丸い味の水になっている。コーヒーをいれてみた。たまたま豆の種類を替えるタイミングと重なったので、この一回だけではなんとも言えないけど、水道の水で入れるよりは豆の味がよくわかるように思う。けっこう効果があるようだ。

水といえば、先週末は大雨で大変だった。水不足を心配していたのに、一転して大水だなんて、天気の神様も冗談きついよ。


2005年7月3日日曜日

土曜日にソロで演奏する曲は4曲。ガリクソンに教えてもらった市販の楽譜を1曲採用した他は、深夜(というより明け方)までかかってFinaleを操って、自分で楽譜を用意した。有名な曲ばかりなので聴く人には喜んでもらえるはずだ(希望)。一昨日ようやく伴奏者を見つけてもらったので、明日さっそく楽譜を送って目を通しておいてもらうことにする。


2005年7月2日土曜日

DVDディスクのマスターイメージ作成はG4 867MHzのPowerBookで12時間ちょっとかかった。だが、それでできたディスクイメージをBlue&White G3 (800MHz/Mac OS X 10.3.9)でディスクに書き込んで検証するのには 30分かからない。できあがった最初のDVDをaxionのプレーヤでテスト再生。うまくいって下さい、とお願いしながら再生ボタンを押す。映像も音もキレイに再生され、チャプターメニューもちゃんと操作できる。成功だ。ほっとした。

できたディスクを DR-MX5 に入れて内蔵ハードディスクにダビング。これは全体を再生するのと同じ時間、97分かかった。チャプター設定情報はコピーされたが、iDVDで苦労して作ったチャプターメニューがコピーされていないようだし、配布用のディスクを量産する目的からすると、ちょっと苦しい。パソコンでのDVD-Rへの書き込みが案外と高速なので、DVDに関しては DR-MX5 出る幕はないかもしれない。ただ、VHSへの書き込みには、やはり専用のビデオデッキが必要だから、DR-MX5がお役御免になるわけではない。だって、自宅用のデッキでやったら、絶対に娘に邪魔されるからな。

演奏会後はじめての吹奏楽の練習。次のステージは11月の県民総合文化祭吹奏楽公演で、宇和島へ遠征だ。先月27日に書いたとおり、俺たちは《幻想交響曲》の第4楽章「断頭台への行進」をやる。その楽譜の初めての合奏。ベルリオーズの職人芸的なオーケストレーションをできる限り活かすために、通常の吹奏楽のやり方を踏み外した楽器編成と並び方をあえて試みる。フルートの半分とクラリネットの半分とサクソフォンとサクソルン属 (フリューゲルホルンを使ったビューグル隊を含む) の金管楽器を弦楽器のパートに割り当て、オーケストラの管楽器のパートをほぼそのまま残すのだ。人数の少ない俺たちの楽団では、結果として1人1パ−ト態勢を取らざるを得ない。したがって、編曲者兼指揮者O久保としては、演奏者の顔を思い浮かべながら編曲することになり、一方ではベルリオーズの意図を活かしつつ、もう一方では演奏者たちにいかにも自分が演奏することを想定して書いた楽譜だなと思わせるという、手品のようなことが起こる。よくある一般吹奏楽団の発想の枠組みをとっぱらって、O久保のアイディアでいろいろと実験的な試みをするというのが、いまでは俺たちの楽団の一番の特色になっている。


2005年7月1日金曜日

ようやく雨が降った。それも土砂降りのうえ、雷がピカピカドンドンだ。空のほうでも実は降らせたくてうずうずしていたのだろうとかなんとか、意味不明のことを思ってしまう。

昨日の続き、結局、次の方法を試してみることにした。PowerBook G4の光学ドライブはDVD-ROMとCD-RWのコンボドライブで、DVDディスクを焼くことはできないが、 iDVD をインストールすることはできるので、ビデオのデータにチャプターメニューをつけ、DVDディスクのイメージファイルを作るところまではできる。一方、Blue&White G3には iDVD をインストールすることはできないが、光学ドライブを CD-R/RWとDVD-R/RWを兼ねたいわゆる SuperDrive に換装してあるので、ディスクイメージからDVDを焼くことは可能なはずだ。首尾よくマスターディスクができたら、あとは Blue&White G3 と DR-MX5 の両方で配布用のDVDをどんどんダビングすればいいのだ。これで DVD を焼いて団員や賛助出演者に配布して、評判がよければ、PowerBook G4 の外付け DVD-R ドライブを購入して次回からの工程の短縮に備えることも考えられる。

と、ここまで考えて作業を開始したものの、ムービーデータを圧縮してディスクイメージを作る操作に、まあ時間がかかることかかること。夜の9時にディスクイメージ作成を始めて、かれこれ3時間経過したが、進捗はまだ4分の1というところだ。こりゃもう、明日の朝まで放っておくしかない。