て日


2007年2月分


2007年2月28日水曜日

きょうは、とても花粉が多かったように思う。


2007年2月27日火曜日

昼飯を食いに大学生協の食堂に行ったら「斉藤さんのミンチカツ」というメニューがあった。牛や鶏のミンチカツなら俺も好きだが、斉藤さんを食ってもいいものなのだろうか、人間として。いや、斉藤さんというのが必ずしも人間とは限らない。なにしろ、かつて吉田戦車の漫画に斉藤さんという名のカブトムシがレギュラーで登場していたことがあったからな。それはともかく、俺の今日の昼食はミンチカツではなくカキフライだった。午後から小雨がぱらつき、夕方には虹が出た。

妻がこのところノンストップ(本人談)で、ちょっとしんどそうなので、今夜の夕食の支度を代わってやった。簡単に作れるものをと思って、豚肉の生姜焼きにした。さいわいスーパーでモモ肉ブロック450グラムで650円というのが手に入った。付け合わせはレタスと茹でたブロッコリーとジャガイモ。妻にも子供らにもそれなりに好評。


2007年2月26日月曜日

先週の木曜日に出してもらった花粉症の薬のおかげでだいぶ楽になったが、あいかわらず、昼の3時頃にどうしようもなく眠くなる。そして、夜11時頃に寝ても、このところ毎晩、夜中の3時ごろに目が覚める。どうなってるんだか。


2007年2月25日日曜日

久々に教会の日曜学校なるものに顔を出した。牧師さんの説教は、マダイのマーちゃん、イシダイのイーちゃん、イシガキダイのガキちゃんの話だった。安全で快適な水槽で飼われていたタイを海に放すと、ものの数時間で見違えるほど鱗の色つやがよくなり動きが機敏になるそうだ。水槽は人間が作ったもの。海は神さまの作ったもの。海には天敵もいるし餌は自分で探さにゃならん。だけど、リスクと表裏一体のチャンスがある広い世界のほうが、人工的な環境よりも生命を輝かせる。だいたいそういう話だった。子供向けの話だから、魚の絵を見せながら丁寧に話されて、わかりやすく面白かった。

教会の図書室に「NHKみんなのうた」の古い楽譜集があった。あのビゼーの「ちいさな木の実」が収録されている第13集には、ドビュッシーの「月の光」に日本語の歌詞をつけた曲が収録されていて、これがなかなかいいので、楽譜を手に入れてどこかで演奏してみたいと思った。で、同じ書名『NHKみんなのうた・第13集』というのがコミセンの図書館にあるようだったので見に行ったら、全然収録曲の違う別の本だった。やっぱり教会で借りることにしよう。


2007年2月24日土曜日

昼間は【娘】の面倒を見ながら、1月28日のフルート協会演奏会の録音データを編集した。ひと月ほどの日数をおいて聴いてみると、フルートばっかりの演奏会というのはどうしても「綿アメを腹一杯」というようなもので、ちとやりきれない。

夜は例によって吹奏楽の練習。合同音楽会も終わって、仕切り直しでブルックナーの2楽章と3楽章、それと大栗裕の「神話」だ。もう一人のテナー吹きのタモトくんと同席するのはずいぶん久しぶりに感じる。マエストリが煽るようなことを言うもんで、「神話」のテンポのいいところを「ウリャウリャァ〜〜〜〜♪」と悪ノリ気味に吹いたら、タモトくんもそれに合わせて普段よりパワフルに演奏していた。こちらがニヤリとすると、あちらも負けずにウヒヒと笑っていたように思ったが、まあそれは気のせいかもしれない。そして、タチバナさんは歌謡チャンピオンになれるだろうか(意味不明でごめん)。


2007年2月23日金曜日

金曜日の夕方というのは、そろそろ帰ろうかと思う午後6時前ぐらいに、ヘロっと用が入ることがよくある。今日もN教授のパソコンのインストールを手伝ったりしてピアノのレッスンにいくのがだいぶ遅くなった。あまり遅れて行くとO先生がクマに戻れない、じゃなくて、久万高原町へ帰れない。申しわけない。ツェルニーの94番を15分だけ見てもらった。この曲は13小節めから16小節めにかけて、弾いていてとても気持ちがいい。だけど、家に帰って練習していると、【娘】が「この曲こわい」と嫌がった。小さい子供には、アレグロ・モルト・コン・フオコの嬰ハ短調は怖いらしい。


2007年2月22日木曜日

夕方、医者へバカにつける薬をもらいに行く。花粉アレルギーの薬も出してもらった。


2007年2月21日水曜日

花粉のおかげで目がかゆくてたまらない。特に右目は充血してドヨ〜ンとお化けみたいだ。

晩飯には4人で立花の一興にいった。


2007年2月20日火曜日

今日も、とてもいいお天気だ。用があって午後3時前に外へ出た。自転車で走っていると、鼻歌のひとつも唄いたくなるほど気分がいい。用を済ませて職場に戻る途中、スーパーABCに寄ってスパムランチョンミートと妻の大好きなクマのマカロニを買った。

先週の水曜日以来6日ぶりの「て日」更新。先週のこととなるとなかなか思い出せない。こういうことは毎日やらないといかんね。


2007年2月19日月曜日

とてもいいお天気だ。

妻の作ってくれたお弁当に、あとからわさび漬けを追加。ついでに、妻のお弁当のご飯にままかりの酢漬けを追加。ままかりの酢漬けはなぜか子供たちに好評。


2007年2月18日日曜日

ビクトリヤホテルの朝食はなかなかうまかった。ちと準備不足だったが研究発表をして帰途につく。静岡のお土産は「新銘菓こっこ」とわさび漬け。静岡には のぞみ が止まらないから ひかり に乗って名古屋まで行き、名古屋から のぞみ で岡山へ行って、しおかぜ で松山に戻る。名古屋できしめん、岡山でままかりの酢漬けを自宅用のお土産に追加。どの便も指定席はすいていた。


2007年2月17日土曜日

ヨリオカくん主催のカンファレンスのために静岡に来た。晩飯を食いに出た居酒屋で「わさびごはん定食」というのを食った。これは、生わさびとご飯と漬物とみそ汁だけ、というもので、わさびを摺ってご飯に乗せ少しだけ醤油をかけて食う。うまかった。わさびが本物の新鮮なやつでないと、こうはいかないだろう。

静岡おでん というのは、出汁が少なくて色が濃く、お好み焼きのようにカツオと青のりをふりかけて食うものらしい。これまたうまかったが、所変われば品変わるとはこのことか。


2007年2月16日金曜日

明日は静岡で仕事なので、今夜は京都の実家に一泊。あまり遊んでいる時間はなかったが、アバンティのブックセンターで数学の本を2冊購入。京都駅から山陰線に乗ったら、女性の声の車内アナウンスで「車掌はアザラシです」と。きょうび、女性の車掌は珍しくもないが、アザラシの車掌は珍しい。車内を巡回するのに苦労するだろうし、なにより、動物としての性格が車掌向きではないと思う。アシカやイルカなら、あるいは車掌向きの性格かもしれない。


2007年2月15日木曜日

はて、どんな日だったっけか? (19日月曜日記入)


2007年2月14日水曜日

バレンタインデーを楽しみにしてた【娘】(5歳10ヶ月)は、託児所の仲良しさんでもうすぐ小学生になるTkrくんにチョコレートをあげるそうだ。なかなか微笑ましい話でまことに結構なのだけど、それにしてもなんで、当日の朝になって大慌てでラッピングをしてやらにゃならんのだ。しかも父親の俺が。そういうことは前の晩に母と娘でやっておいてほしいと思うのだった。とかいいながらも、俺なりに工夫して、ピンク色の使用済み封筒を使って、リボン風に細工をしてやった。ちったあ感謝しろよムスメ。

あとで聞いたところでは、娘はTkrくんを託児所の廊下に呼び出して人知れずこっそりチョコを手渡したらしい。なんじゃそれは。10年早いじゃないか。

で、夜になってから、妻と娘が俺にくれたのがこれ:

BBショコラのチョコレート

ありがとう。いっしょに食べようね>妻子


2007年2月13日火曜日

花粉はそれほど気にならないが空咳が出る。これがつらい。


2007年2月12日月曜日/休日

マエストリ中学との合同音楽会当日。一昨日と昨日の練習でがんばりすぎたし、朝からあまりちゃんと食事をしていなかったし、おまけに、花粉症対策に鼻炎の薬を飲んだら眠くなってチューニング室でも居眠りしていたくらいなので、本番でもあまり調子が出なかった。もっとも、俺の場合、主観的に調子がいいときは単に無神経にブヒブヒ鳴らしているだけの場合が多いので、調子が出なかったくらいがちょうどいいのかもしれない。

終演後、予定どおり家に帰って髭を剃った。髭をなくすのはかれこれ5年ぶりだ。で、ウチアゲに行こうと電停で電車を待っていると、一つ前の電車にウィンド団員のT母子がいた。ひょっとしてウチアゲにいくのだろうかと思って声をかけたが、なにしろこちらが見たこともないヒゲナシ顔になっているもので、相手はキョトンとしている。ある意味、ウチアゲ会場に到着するより一足早く期待通りの反応が得られたわけだ。


2007年2月11日日曜日/建国記念日

生涯学習センターで明日のためのリハーサル。二日続けて練習があるとアンブシュアが痛いのは、顎にまだ余計な力が入っているのだろう。録音を聞き返してみると、今日の合奏の後半には俺の音から音程というものがなくなっていた。こりゃいかん。明日は練習時間に吹きすぎて本番がヘロヘロにならないように気をつけなくちゃ。

楽器搬入前の待ち時間に、駐車場の搬入口前のターンテーブルのさしわたしと周囲を、靴で測ってみた。さしわたしが靴の前後の長さのほぼ21倍、周囲が66倍ちょっとだ。この「ちょっと」が微妙で、「ちょっと」を無視すると、周囲と直径の比は3.1429ぐらい。「ちょっと」を一割と思うと3.1476くらい。二割と思うと3.1523くらいだ。周囲と直径の比を円周率 π (≒ 3.1416) より大きめに見積もったことになるけど、一番大きく外れた場合でも誤差0.4パーセント未満。なかなかいい測定値になった。単なる暇つぶしではあったがたいへん面白かった。

これ、もっとデータを収集しようとするなら、同じ靴なら別のターンテーブルでやり、同じターンテーブルなら別の人の足で測る必要がある。けど、もちろんこういうアホなことを面白がって協力してくれる人はなかなかいない。


2007年2月10日土曜日

今朝早く、mixiでFuさんの日記(という形式だが実質はほぼ数学基礎論の自学自習レポート)にツッコミを入れたら、これが誤爆だったので、30分くらい後にあわてて削除。俺はやっぱりツッコミ向きのキャラクターではない。

ピアソラ『タンゴの歴史』の楽譜が届いた。MMO (ミュージック・マイナス・ワン, つまりカラオケ) のCDつきだ。参考演奏はポーランドの若い女流フルーティスト。テクニカルな面でしっかりしていて、決してヘタではないが、クラシック的にきれいにまとまってしまっており、面白い演奏ではない。

吹奏楽の練習。タチバナさんが病気で青い顔をしており、指揮者に言われて退場し自分の車で休んでいた。イデウエくんは卒論発表のまとめのため欠席。両隣がおらず少々やりにくかった。あと、きょうの練習には、もと団員の紅茶マンが和服で登場。若旦那か噺家かという出で立ち。本番を明後日に控えて、明日の夜は会場リハーサルだ。


2007年2月9日金曜日

昨晩は雨の中を自転車で帰ったので上着がずぶ濡れだった。今日は代わりに真冬仕様の分厚い上着を着て出かけた。歩いて帰ったら、大汗をかいてしまった。夕方から例によってピアノのレッスン。ツェルニー百番練習曲の93番が済んだ。次の94番は打って変わって、四分の二拍子嬰ハ短調アレグロ・モールト、コン・フオコの、激しい曲調。この曲を書いている時には、ツェルニーの背後に師のベートーヴェンの霊が立っていたに違いない。あ、いや、ベートーヴェンがそのとき生きていたか死んでいたかは知らないんだけど。


2007年2月8日木曜日

自分で言うのも変だが、置かれた状況に対応して俺が物事に取り組む場合、それに先立つ感情的な反応のハードルがえらく高い。たとえば、仕事で渡された資料に「自分探し」とか「自己理解を深める」とか書いてあると、反射的に警戒信号が点灯する。一言で言えば、ムカっとくる。イヤになる。ただ、一度この感情的な反応が収まると、落ち着いて話を聞いてやろうと言う気にもなり、場合によっては「意外と面白いかもしれん」と乗り気になることもある。置かれた状況に、あまり反射的に対応しないほうがいいようだ。とくに、反射的な感情の動きを肯定する理屈を組み立てて、しかもそれを表現してしまうと、あとが面倒だ。最初のムカムカは放置してうまくやり過ごすに限る。仕事では、感情を抑えてつきあうことをいわば強制されているけれど、家族という情緒的なつながりのなかでは、これがなかなかうまくいかない。ほんと、妻子に申しわけない。


2007年2月7日水曜日

きょうの昼間はコートがいらないくらい暖かかった。

M.ジャキントの『確かさを求めて〜数学の基礎についての哲学論考』を読み始めた。なかなか面白い。それと、野矢茂樹『入門! 論理学』も。


2007年2月6日火曜日

高校の部活の後輩からマイミクのリクエストがあった。ちょうど入れ替わりの3年ちがい。あの学年は俺たちの学年なんかと比較にならない「当たり年」だったように思う。あのときの感覚では当然のことに「ずいぶん年下」だったあいつらも、俺たち同様、もう若くはない。そして、高校バンドの関係で付き合いのあったたいていの後輩たちより妻のほうがずっと年下だという事実が、なんだかずいぶん奇妙な感じで、ちょっと頭がクラクラする。

昨日、「口幅ったくて言えない」と書いた「無財の七施」について、気を取り直して少し書こう。「施」というのは仏教で善根を積む修行のひとつ「布施」つまり他の人に施しをすること。金や品物を持っていればそれを人に与えればいいようなものだが、われわれはえてして「あたしゃ無一物で、人にあげるものなんか何もありゃしませんぜ」なんて気持ちになりがちだ。ところがお釈迦さまは、財産なんか何もなくても、他の人に施せるものが七つもあるよ、とおっしゃる。それは

  1. 穏やかな眼差しでまっすぐに見ること(眼施)
  2. 和やかな表情、笑顔(和顔悦色施)
  3. 丁寧な言葉づかい(言辞施)
  4. 苦労をいとわず働くこと(身施)
  5. 気持ちを慮る心遣い(心施)
  6. 席を譲ること、地位にこだわらないこと(牀座施)
  7. 家に招き入れ雨風から守ること(房舎施)

要は「我」を空しくして他の人のために体を動かす、ということだね。たしかにどれもまったく元手のかからない施しだけど、修行の足りない俺にはなかなかできないことばかりで、やっぱり口幅ったくて、そうおいそれとは語るわけにいかないことだとは思う。だけど、「仏の教えを伝える(法施)」は「金品を施す(財施)」「恐れや心配を取り除いてやる(無畏施)」と並んで大切な布施の修行だというから、ちょっとくらい口幅ったくても、ここに書いて善根を積んでおこうと思ったのだった。


2007年2月5日月曜日

いろいろの理由でまたしてもダメダメな気持ちで帰途につく。夜の9時ごろ、すっかり腐れた気持ちで街を歩いていたのだけど、自転車に乗ってすれ違った若い女が、何かうれしいことでもあったのだろう、とてもニコニコしていた。それをみて、ああ、笑顔っていいもんだな、と思うと、少し心が明るくなった。俺もあなたも、笑顔になれるときは笑顔になろう。心の底からの笑顔は、手間もかからず元手もいらず、周囲を幸せな気分にする。もっとも、俺のようなヒゲオヤジの笑顔にそういう効き目があるかどうかは不明。

それで思い出したのだが、仏教には「無財の七施」という言葉がある。口幅ったくて言えないので詳しくはこちらをどうぞ。と言いながら、話は変わる。

PowerBook G3 WallStreetにインストールしたDebianが起動しない件(→先月18日の日記)。次の方法でムリヤリ解決。最初の基本システムのインストールが終了したら、Vine Linux 4.0 インストール用のものを流用した仮の (というより、借りの) カーネルで (BootX1.2.2経由で) 起動して、システム全体のネットワークインストールに進む。その後、MacOSと共通のHFSパーティションを手動でマウントして、そこへ /boot にあるカーネルイメージと RAMディスクイメージをコピーする。それ以後、Debianを起動するには、まず MacOS を起動し、先ほどコピーしたカーネルイメージと RAMディスクイメージを使って、BootX で Linux をブート (ルートデバイスは指定しない) すれば、ちゃんと ハードディスクのルートパーティションがマウントされて、Debianが起動する。Wallstreetの場合、BootX で入力するカーネルパラメータは

video=atyfb:vmode:14,cmode:16

だけでよさそうだ。しかしこの方法は他所からカーネルイメージを借りてこないといけないのが面倒だ。基本システムのインストーラが HFS パーティションをマウントできたら、仮のカーネルイメージを使う必要もなく、手順はずいぶん簡略化できるはずなんだけど。


2007年2月4日日曜日

一昨日と昨日の「そうとしか聞こえなくなる」問題と似ているけど、今日も某所で「そう言われてみたら、そう見えだして、それ以後はそうとしか見えない」というのをやってきた。名付けて「科学忍法 ゲシュタルトクライス。」

シネマサンシャイン衣山のチャチャラブーでベーグルとビールでくつろぎながら、本当に久しぶりの、予定のない日曜の午後の雰囲気を満喫…しようとしたら、ひょんなことでビールをひっくり返してしまった。あーあ (泣)。

家でボケっとしているのが好きな俺としては、週末に出かける用事が多すぎるとつらい。結婚前の一時期、毎週のように妻とドライブに出かけていたときもちょうどこんな感じで、充実している一方で、ちょっと不満でもあった。だけどそうすると、きっと、今もあの頃と同じように、もっと幸せな次の段階への準備期間ということなのだろう。


2007年2月3日土曜日

吹奏楽の練習。マエストロは、リード第二組曲の一曲目「ソン・モントゥーノ」のサビのところが『帰ってきたヨッパライ』のサビの「天国よいとこ一度はおいで〜♪」のイメージだと言い出した。まあ、わからんでもない。あの「怖い神様」の「もっとマジメにやれぇ!」という台詞を、想像上の なかレまソ に言わせて、俺一人で笑いをこらえていたのだけど、そもそもこのネタ、若い連中には通じないのと違うかな。そのうち、最初のメロディーをマエストロが「メキシコよいとこ一度はおいで」と歌詞をつけて唄いだしたもので、そうとしか聞こえなくなる人が続出。昨日のザル蕎麦練習曲の話とネタ的に同じだけど。

晩飯は久々に平井のジョイフル。


2007年2月2日金曜日

いま習っているツェルニー百番練習曲の第93番は四分の四拍子、アンダンティーノ・グラツィオーゾ・エ・エスプレシーヴォのホ長調という優雅なイメージの曲だ。一貫して右手単旋律、左手伴奏、装飾の多い流れるようなメロディー。時折、右手がカデンツァ的な動きを見せる部分でだけ、左手は白玉で和音を弾くが、それ以外はずっと、八分音符でドミソミレファシファ云々と分散和音を弾いている。ところが、最後の一小節だけこの左手の伴奏パターンがちょっと変わる。この曲で一拍単位で和音が変わるのはこのエンディングの部分だけで、そうすると八分音符の分散和音では和声を再現しきれない。それで作者も困ったのかもしれないが、最後はブンチャ・ブンチャ・ポンポンポン!と終わってしまう。なんか、ひたすら「ザル蕎麦ザル蕎麦ザル蕎麦……」と言い続けてきて、最後の最後だけ手のひらを返したように「カレーライスに福神漬け」と言って終わるような奇妙な感じがする。「なんででしょうねぇ」とO先生に聞いてみたのだけど、俺のたとえが面白かったらしく、次に弾いたときに、先生は途中で笑い出した。きっと、左手のドミソミレファシファが、「ザル蕎麦ザル蕎麦…」と聞こえたんだろう。


2007年2月1日木曜日

妻はどんなときも、そう、たとえ朝ご飯のための炊飯器のセットを忘れた日でも、天気予報のチェックだけは欠かさない。きょうは雪が舞うほどの寒さになるという予報を受けた妻は、【娘】のお気に入りの毛糸の手袋をタンスの奥から出してきた。普段から出しておくと、すぐにどこかになくしてしまうに決まっているから、いざというときのために隠してあったのだ。さて、その【娘】がなかなか起きてこない。待っていては仕事に遅刻するので、【娘】は俺が幼稚園に直接連れて行くことにして、妻は【息子】だけ連れて出かけた。

【娘】はママが用意してくれた手袋を見て喜んで「ねえ今日雪が降るかなあ。カマクラ作れるかなあ」と言う。「カマクラが作れるほどの雪が松山で降ったら、家がつぶれてみんな死んじゃうよ」と俺が言うと、【娘】は「ちょっとだけ雪が降ったら、こうやって(上向いて)食べる」と言う。

幼稚園の前ではいつものとおりユリコ先生がみんなをお出迎えしてくれている。俺たちが着くと、ユリコ先生が「あれ【娘】ちゃん今日は歩いてきたんかね」と言うので、俺が「飛んできたんよなあ、こうやって(両手を横へ広げて竹トンボみたいに回ってみせて)ぷるぷる〜って」というと、ユリコ先生は「【娘】ちゃんの想像力はお父さん譲りやね。長女は父親に似るからね。【娘】ちゃんは絵本作家になれるよ」と請け合ってくれた。

というところでいったん話は変わる。

X11 向けのDVIプレヴューアの xdvik の日本語化パッチは xdvik 日本語化パッチ整理プロジェクト というWebサイトで公開されている。ところが Mac OS X 上では、このパッチを適用した xdvik のコンパイルが一筋縄でいかなかった。日本語フォントのレンダリングのために FreeType ライブラリが必須なのだが、アップルの配布している X11 に含まれる FreeType ライブラリでは古くてだめならしい。そこで新しいバージョンを Sourceforge からダウンロードしてきた。これが /usr/local 以下にインストールされて /usr/X11R6 以下の古いライブラリと重複するのはイヤなので、もともとあったライブラリに上書きするようにインストールした。その後 xdvik をコンパイルしインストールしたのだが、なぜか

共有ライブラリ
/usr/local/lib/libfreetype.6.dylib が見つからんから
動かないんだもんね

というエラーを起こして起動しない。そりゃそうだ。ライブラリは /usr/X11R6/lib にインストールしたんだから見つかるはずがない。起動時に環境変数を

DYLD_LIBRARY_PATH=/usr/local/lib:/usr/local/teTeX/lib:/usr/X11R6/lib:/usr/lib

と指定して起動すれば、どうにかちゃんと動くので、これはプログラムのバグというより、configure スクリプトの ちょっとしたオプションの書き方の問題に違いない。そう思って、いろいろ設定を変えて何度となくコンパイルしなおしたが、なかなか事態は改善せず、できるバイナリファイルの中にはしっかりと /usr/local/lib/libfreetype.6.dylib と書き込まれてしまっている。数時間後には結局こちらが根負けして、/usr/X11R6/lib にある FreeType 関連のライブラリへのシンボリックリンクを /usr/local/lib に置くことにした。なんともエレガントでない解決となった。これ、どういうことなんだろう。

そういう悪戦苦闘のさなか、午後2時頃、職場の窓から外を見ると、ほんとうに雪が舞っていた。ちょうど幼稚園が終わる頃合いだ。【娘】はきっと園庭を大喜びで走り回って、それこそ上を向いて雪を食べようとしたことだろう。雪が降ったのは、昼下がりのこの時間だけだったようだ。ひょっとしたら、【娘】や幼稚園のお友達に神さまがサービスしてくれたのかもしれない。