て日々

2011年6月


2011年6月30日(木)くもり

夕方、いつもの医者へ行って薬を出してもらう。その後、久々に宮脇書店に寄って帰る。【娘】には『黒魔女さんが通る!! ポストカードブック』(講談社)、【息子】には『せいかつの図鑑』(小学館)を買う。あと、ローソンのポイントカードを作った。妻が古いポイントカードを持っているが、そちらはイヌのデザイン。新しいカードは子狸のデザインの「ポンタカード」である。俺は帰宅すると、さっそくイヌ嫌いの妻にポンタカードを見せてくやしがらせたのだった。


2011年6月29日(水)はれ

午前中、歯医者に行く。歯が折れて痛くも痒くもないのも妙だと思っていたら、10年ほど以前に同じ歯医者で神経を抜いてもらっていた。つまり、その歯は10年前から酷い虫歯だったようだ。

午後、講義。距離空間のコンパクト性の話に入る。ただし、今回はその前段階として点列の収束について。閉包、集積点、写像の連続性などなど、距離空間の位相的諸概念は、いずれも収束点列の言葉で言い替えることができる。

そして、完備性という性質の有り難さと気持ち悪さについて。点列が収束するというのは、極限点までの距離が限りなくゼロに近づくということだが、この定義にもとづいて収束を判定するとしたら、あらかじめ極限点がわかっていないといけない。しかし、これから収束するかどうか(極限点があるかどうか)判定をしようという時にその極限点がどれかなんて、そんなものわかるわけがない。そう思えば、点列の収束は極限点への言及なしに判定できるべきだ。数直線やユークリッド空間では、基本列(コーシー列)であるかどうかという基準で、それができる。基本列であるかどうかというのは、点列の各項のあいだの距離を調べればわかる。この点が、極限点を参照しないとわからない収束と異なる。基本列が収束することが保証されている空間は、点列の各項の位置関係だけから極限の存在が保証されるわけだから、とても扱いやすい。そのような距離空間のことを「完備な距離空間」という。これはつまり、数直線の連続性を距離空間の言葉で表現することを通じて得られた重要概念である。

コーシー列が収束するという空間の性質はとても有り難いが、これは実はかなり気持ちの悪いことでもある。数直線上の線分を6等分してそのうち一つをサイコロを投げて選ぶということを繰り返していくと、線分はどんどん縮小して一点に近付いていく。そしてその一点すなわち一つの実数を見ると、どのようにサイコロの目が出たか、その情報を完全に復元できる。それはまあ、それでよいのだが、気持ち悪いのは、集合論的な数学観に従うかぎり、その実数は、まだ一度もサイコロを投げないうちから、あらかじめ存在していた、とせねばならないという点だ。あたかも、旅先で気紛れに立ち寄った飲み屋の女将が俺のことを何から何まで知っていると言わんばかりの気持ち悪さ、というより、そら恐しさである。

夏の雲

写真は、夕方の空の夏色の雲。18時ちょっと過ぎに職場の窓から撮影。


2011年6月28日(火)はれ

昨日書いて志村さんに間違いを指摘された第IV章の演習問題[31]の解答を書き直す。第IV章の演習問題には、ZFCの整礎的なモデルばかり扱っているせいで抱きがちな思い込みと衝突するような、なかなか面白くも厄介なものが数々ある。


2011年6月27日(月)はれ

午前中、auショップに立ち寄って新しい携帯用wifiアクセスポイントについての話を聞く。XOOMを妻に持たせようかと思ったりする。

午後、クラビノーヴァの修繕に来てもらう。鍵盤の動きを拾うセンサー、というよりメンブレンスイッチの部品を交換してもらった。これで当分は大丈夫だろう。しかし、天板を開いたときにクラビノーヴァの中から絵本の『しろくまちゃんのほっとーけーき』(こぐま社)が出てきたのには驚いた。


2011年6月26日(日)くもり

小学校の参観日。今年から3年間は子供ら二人ともが小学生なので、親も二人で行く。【娘】のクラスは音楽と国語だった。【息子】のところは算数と図工。俺はまず【娘】のクラスの音楽を見て、さて次は【息子】の図工を見ようと思ったら、教室の【息子】がずいぶん心細そうな顔でこちらを気にしている。さっきまでいたママの姿が見えないのが心配なんだろう。そのとき妻は四年生の教室で先月の合宿の写真をみていたが、予定を変更して次の時間も俺が【娘】をみて妻が【息子】を見ることにした。一年生のクラスはまだ親御さんたちも気持的に新鮮なせいか参観者が多く、立ちっぱなし二時間の参観が終ると、ほどなく妻がブラックアウト。それで午後に予定されているPTAバレーボール大会はお休みさせていただくことにした。

帰宅後、丸干し食ったら歯が折れた。


2011年6月25日(土)はれ

【娘】がお友達のランちゃんに誘われて土曜夜市へ行ったはいいが、待ち合わせ時刻から小一時間も過ぎた頃に自宅へ電話してきて心細そうに「ランちゃんが来ない」という。そのときは理由がわからなかった。妻と【息子】はどのみち行く段取りをしているところだったが、とにかく心配なので俺が急行することにして着替えなどしているうちに、当のランちゃんからうちに電話。「ユキカちゃんが来ないんですけど」という。どうやら待合せ場所をどちらかが間違えている。真相はこうだ。マツモトキヨシで待合せする約束だったというのだけど、俺たちの知らないうちにマツモトキヨシが大街道にもできていて、ランちゃんはその大街道のマツキヨのことを言ったつもりだったが、【娘】は普段通学のときに前を通る銀天街のマツキヨのことと信じて疑わなかったと、そういう話。ひと安心したが、せっかく出掛ける準備もしたので俺たち3人も出向くことにした。【息子】はまつちかで配っていた まつちカッパ のゴム風船で幸福度マックス大喜び。帰るまでに【息子】のために使ったお金は100円のかき氷のみ。安上りなやつだ。いっぽうの【娘】は千円もっていって五十円もって帰った。これ毎週やられたら、ちょっとかなわんな。


2011年6月24日(金)はれ

写真は通勤の途中に通るロープウェイ街でみた砥部焼の風鈴。ロープウェイ街の店の軒先のお揃いのテントにいろいろな形の砥部焼の風鈴が釣るされていて、折からの風に涼しげな音を立てていた。朝から日射しが強かったけれど、おかげでしばし暑さを忘れる。

ロープウェイ街でみた砥部焼の風鈴

昨日に引き続きかなり蒸し暑いが、仕事中はどうにかエアコンなしで過ごした。授業が済んでから夕方まではキューネン本第IV章の演習問題[16]の解答を書くことに費やしたが、この問題が案外と曲者だった。書いても書いても終らないうえ、しまいにはそもそも求められていることが本当に実現可能なのかどうかもわからなくなってきた。わからないなりに書いたが、どうも釈然としない。しかしいずれにせよ、演習問題にとりくむことで本文の理解も深まることは確かなようだ。

金曜日のお約束といえば、ピアノのレッスン。白鍵を弾くときにキーの手前のほうを打鍵しようとする癖があるようで、いまやっている曲のように黒鍵を多用する曲ではどうしても無駄な動きができてしまう。そして、自宅のクラビノーヴァのペダルが結構もっさりしているもので、レッスン室のピアノのペダルを踏むときにもついついもっさりと踏んでしまう。どちらの癖も矯正せねばならんが、クラビノーヴァの修繕が済むまで家では練習ができないのだった。

今朝ちょっと子供たちとイザコザがあったので、反省して市駅前のミスドで子供たちへのおみやげにドーナツを買って帰った。それで帰宅したら家は留守。こりゃとうとう子供の訴えを聞いた妻が家出をしたかと思ったら、そうではなくて、PTAバレーボール大会の練習というものに行っていたらしい。PTAバレーボールなんて、俺が小学生のころ、すなわちかれこれ40年前から変わらず存続している、昭和の香り高いイベントだ。こういうものについては変革の機運なんてものが高まる可能性はかなり低いから、ひょっとしたら子供たちが親になってPTA活動に参加するようになっても、まだやっているかもしれない。


2011年6月23日(木)はれ

かなり暑いなか、学校を病欠している【娘】の面倒を見る。ところが【娘】は熱があるわりには元気で、いままでに読み終えた本を本棚から持ってきては積み上げて「どれくらいの高さになるかなあ」なんて言っている。「本は読むもんやで。積んで遊ぶもんと違うで。」と小言を言ったら、その途端に自分の耳が痛くなった。そして、言われた【娘】はというと、今度は本を布団の上に敷き詰めはじめたのだった。やれやれ。


2011年6月22日(水)はれ

やっとのことで雨は止んだが、しかし湿度が高く蒸し暑い。

弘法は筆を選ばぬというが、弘法さまでない俺たち凡人は筆記具には妥協しないほうがいい。俺が常用しているのはゼブラのSK-0.5芯の4色ボールペンとサラサ0.5というやつ。あるいは無印良品のゲルインキボールペン。ただし、ゼブラのサラサ0.5と無印良品のゲルインキボールペンとは、デザインこそ違うが中身は同じ。おそらくゼブラが無印にOEM供給している。で、俺としてはサラサでも無印でもどっちでもいいけどこの書き味が気にいっている。きょうはユニのジェットストリーム0.7というのを使った。ところが、これだと変なところに力が入ってしまってうまく筆が運ばない。特にきょうのような蒸し暑い日には、ペンの使い勝手というだけのことが、けっこう頭の回転も左右する。

iPad でメモやノートをとるにあたってのツールに、まだ「これだ」というものがみつからない。昨日から Textastic というエディタを入れて使っている。HTMLなどの構文カラーリングがあり、FTPサーバとのやりとりもできるので、ちょっとしたコーディングにはこれはけっこう便利だ。しかし、エディタはエディタである。数式を含むメモ書きには手書きメモパッドが必須で、これの決定版がなかなかない。Note TakerSpeedTextTouchwriter を交互に試しているところ。数式を扱わないなら Touchwriter がいいかもしれない。 SpeedText もいいが 溜めたメモが月単位で整理されてしまうのは、よく使う時期と使わない時期のギャップが大きい人間にとってはありがたくない。そう思うとそっけない Note Taker がいいのかもしれない。

いずれにせよ、俺にとっては iPad はまだまだ紙とペンに完全に取ってかわるメディアになっているわけではない。読むことは画面上で済ませることができても、書いたり考えたりには、まだまだ紙の上での計算が俺には必要だ。


2011年6月21日(火)くもり

朝はかなり本格的に雨が降っていたが、午後からは久し振りに晴れ間が見えた。【息子】が学校に行けるようになったと思ったら、夜から【娘】が発熱。

第IV章の演習問題[20]はなかなか解けない。あの手この手でモデルを構成しようとするのだが、そのたびに何か不具合があってうまくいかない。この問題にてこずって他がおろそかになってもいけないので、一旦撤退して他の簡単な問題を片付けていこう。


2011年6月20日(月)あめ

【息子】の上靴を買いに、昨日に引き続きフジグラン松山へ。買い物を済ませてから3階のフードコートで一息つく。帰りの電車を待つ駅から見上げた空には、雷と電光。今年は梅雨入りがずいぶん早かったが、そのぶん梅雨明けも早いのかもしれない。


2011年6月19日(日)くもり

二食作った。朝食は豚生姜焼き丼。昼食は麻婆茄子。

二軒先の家の玄関近くの壁に新しいツバメの巣ができていて、けさ見たら、ポヨポヨ頭のちいさな雛が4羽、巣から頭だけピョコンと出して並んでいた。とてもかわいい。

【娘】の靴がどれも穴だらけで使いものにならないから買いに行かねばならない。昨日から【息子】が熱を出していて、皆で出掛けることはできないので、俺が連れて出る。まず高島屋の7階のサービスカウンターで市立図書館の本を返却させ、美術館で『19世紀フランス絵画のおくりもの 印象派の誕生』というのを観た。それほど沢山の絵はないが、見応えはあった。【娘】にはまだ難しかったかもしれないが、まあ、機会があるごとに美術館には連れていくことにする。それからジュンク堂にいったら、【娘】の同級生の ゆうちゃん と遭遇した。街の靴屋で子供の靴を探すのは厄介なので、電車でフジグラン松山へ移動する。まつちかでは【息子】の同級生らしき美少女が【娘】をみて「あっ、【むすこ】くんの…」と言って手をふってくれた。息子、なんだか知らんがモテとるみたいだなあ。

演習問題で今日解答を公開できたのは結局IVの[18]だけだった。しかし[18]ができれば[19]はその応用ですぐにできるし、[20][21]まで射程内だ。がんばりましょう。


2011年6月18日(土)くもり

近所の田んぼはきょう一斉に田植だった。

二食作った。昼食にはミートソースのスパゲティ。夕食はざるそばと、茄子と豚肉の味噌炒め。それ以外はほとんど何もせずダラダラと過した。【息子】が発熱。

昨日と今日はキューネン本の演習問題の作業を全くしなかった。昨日は授業もありレポートの採点もあり外食もありで言いわけもできるが、今日については、家族がうるさかったという他には何の言いわけもできない。反省せねばならぬ。


2011年6月17日(金)くもり

このごろまたうちのクラヴィノーバが不調で、中央のドレミのあたりの音の強弱が時々おかしくなる。以前にもそんなことがあったが、こうなると、もう練習にならない。忙しさのせいもあって練習が大変おろそかになっている。それでピアノのレッスンもあまり調子がでないのだった。

夕食は久々に茜屋のラーメン。マスターが「こうせいくん、なんねんせいになったん?」と言ってくれた。名前を覚えてもらっているとは、ありがたいことだ。


2011年6月16日(木)あめ

はて、どんな日だったっけ…

ツイッター上である哲学徒とカントについて対話。といっても、俺はカントをまともに読んだことなどないので、教えてもらうばかり。しかし俺もできるだけ早いうちに『純粋理性批判』を読んだほうがよさそうなのは確かだ。

久々に歩いて帰宅。


2011年6月15日(水)くもり

講義。距離空間の連続写像の続き。それと部分距離空間の開集合の特徴づけ。\(\varepsilon\)-\(\delta\) 法で定義される写像の連続性と \(f(A^a)\subset (f(A))^a\) (定義域の部分集合の閉包の像が像の閉包に含まれる) という条件との同値性が教科書で演習問題になっているのだが、初めての学生には、これはちょっとハードすぎるだろう。

夕方は日赤近くのレディ薬局まで養命酒を買いにいって、またまた電車で帰宅。このごろ帰りが遅くなりがちだったが、きょうは残照の残るうちに帰ることができた。昨晩は怒らずに過ごせたんだから、今夜もできるだろうと自分に言いきかせながら帰る。この調子でいきましょう。


2011年6月14日(火)くもり

午前中のセミナーは、整列順序集合と順序数(という言葉はまだ出てこないけど)の同型対応の構成で、整列順序にかんするモストフスキの同型定理を証明した。順序数はともかく、推移的集合なんてものは「ふつうの数学」で集合を扱っているぶんにはまず出会う機会がないのだが、専門分野としての集合論には必須の概念だ。このあたり大切だからゆっくり進む。

キューネン『集合論』第IV章の演習問題を4問解いて解答を公開。このあたりの問題は、簡単だけど、言わにゃならんことが沢山あって大変ではある。夕方から、先日の学会のウチアゲ。職場近くのいたって庶民的な酒場で飲む。いつもより早いペースで生ビール3杯飲み、お開きを待たず8時すぎに会場を辞して、電車で帰る。

いつも家がちらかっているとイライラして怒ってしまうのだが、家事も子供の面倒も妻に押しつけて外で飲んで帰るんだから、家がどんなにちらかっていても今夜ばかりは怒らないぞと、帰りの電車で心に決める。実際、決してきれいな状態ではなかったが、なにも怒る必要はないし、怒ってみたところでそれで家が片付くわけではない。おかげで、ひとつ勉強になった。


2011年6月13日(月)くもり

ちょっとした話題作りにいいなと思って時々見にいく 「診断メーカー」 だけど、もとより玉石混淆のところ、このごろはますます石の割り合いがかなり上がってきたようで残念だ。まあ、それはともかく、昨日の日記にあんなこと書いて公開してから、「あなたがにゃんこったー」 というのをやってみた。すると

ゼルプスト殿下が猫になったら、毛はゴールドで長毛、目の色は淡いグリーンで落ち着いたにゃんこ。ちなみに鳴き声は「みゃあ」です!

という結果が出た。長毛の動物は(オンナノコ以外は)あんまり好きじゃないんだけどな。この診断結果に「あたしゃ名古屋のねこじゃないぎゃぁ、なに言っとりゃぁす」とコメントをつけて Twitter でツイートしたら、鏡さんが試して

かが☆みんが猫になったら、毛はシルバーの縞模様で短毛、目の色は淡いグリーンでやんちゃなにゃんこ。ちなみに鳴き声は「みゃあ」です!

という結果を出したので、夢との符合に驚いた次第。シルバーの縞の美猫を見たら、これからは「かが☆みん」と声をかけることにしよう。

動物にせよオンナノコにせよ、長毛というのはどこか観賞用という感じがする。オンナノコの長い髪と長い爪は、カノジョらが生産と労働の場から隔離されていることを含意する。長毛の動物は彼らの生産と労働の場、生存競争の場から隔離されていることを含意する。ただ、自ら望んで髪と爪を伸ばすオンナノコと違って、動物の長毛は自分の意思ではない。もともと観賞用として造られた動物なんていないのに、自然の摂理に反して長毛の動物を作りだし、愛玩するというのは、俺には悪趣味と思われる。それで、長毛の動物が好きではないのだ。あと、オンナノコの長い髪は苦しからずだけど、長い爪は見ていて気が気じゃないので、これも好きじゃないです。いえ、オッサンの繰り言ですから、どうか気になさらず。捨ておいてください。

昼休み、妻の仕事場に行って一緒に弁当を食う。仕事部屋ごと他所へ移る相談中とこのごろ毎日聞かされているうえに、行ってみたらずいぶん部屋が片づいていて、こりゃここで弁当を食うのもこれが最後かなと思った(けど、移り先がなかなか決まらないらしく、三日後の木曜日もまだ同じ部屋で仕事しとる。妙に片づいていたのは会議のためだったそうだ。6月16日記。)

久々に一万歩越えで、歩数計カウント11,692歩。


2011年6月12日(日)あめ

朝には「小動物3匹を連れて電車で旅行する」という夢を見た。

その小動物は、最初はゴールデンハムスターだった。3匹のうち2匹を鞄に隠し、1匹を外に出して、新幹線(?)の先頭車両の最前列、展望席のようなところに座った。外に出したハムスターは、途中で小さなロボロフスキーに変わり、しまいにはなぜか銀灰色の縞柄のネコに変わって、他の乗客の周りを悠々と歩き回って「あらカワイイ」と評判を取っていた。

妻はこの話を聞いて、小動物とは自分と二人の子供のことだと確信したそうだ。そうかもしれないが、俺にはよくわからない。ふだんチマチマ動きまわるハムスターなのはまだわかる。しかし、たちまち銀色の美猫に変貌して人々の注目の的になるなんて芸当が、うちの妻や子供にできるんだろうか。たぶんムリなんじゃないか? いや、断言するのはやめよう。まだ時がきていないだけかもしれないからな。

自宅のクラビノーバの鍵盤がまたおかしくなった。以前にもあったことだが、中央のドレミあたりのベロシティを感知するセンサーが故障したらしく、タッチの強弱にかかわらず音が最強スフォルツァンドになることがたびたびある。これを修理せんことには、どうも練習する気になれん。

それはともかく、妻へのサービスの一貫として、スタジオジブリのアニメの音楽のピアノ譜を買った。妻は久石譲のファンなので、ひとつ「人生のメリーゴーランド」を弾いてやりたいと思って。


2011年6月11日(土)あめ

本当にひさしぶりに、家族4人でフジグラン松山に行った。3階のフードコートで昼食をとり、細々とした買い物 (もっぱら学用品) をし、【娘】と【息子】に本を買ってやった。ここしばらく、これしきの家族サービスすらできていなかったからな。


2011年6月10日(金)あめ

きょうの解析学の演習のテーマは「各点収束と一様収束」だ。ε と N と ∀ と ∃ が入り乱れ、しかもそれらの順序が致命的な意味をもつ。これは初めて学ぶひとにはなかなか難しい。ところがどっこい、こちらもこの道二十年のプロであるから、あの手この手で説明する。どの学生にも理解できる説明は存在しないかもしれないが、どの学生にも理解できる説明は存在するはずだ。と、こういうと、あからさまに矛盾したことを言っているようだが、実はこの “どの学生にも理解できる説明が存在する” という文の曖昧さこそが各点収束と一様収束の違いを理解する要になっている。「この説明さえすればどの学生にでも理解してもらえるぜ」という万能の説明法はないかもしれない。しかし「どの学生も、いろいろな説明法のうちどれかで自分に合うものを見つけて理解できる」という意味の、学生ごとに個別の説明法はあると信じている。前者は “∃説明∀学生(理解できる)” で一様収束に相当し、後者は “∀学生∃説明(理解できる)” で各点収束に対応する。

その伝でいくと、われわれは学校教育というもののなかで、ついつい「一定の成果をすべての受講者があげる」という一様収束的な効能を求めがちであるように思う。実際には、各点ごとに収束の早さも違うし、ひょっとしたら縁がなくて最後まで収束しない点もあるのかもしれない。つまり、測度ゼロの発散点の集合を無視した「ほとんど至るところ収束」だけしか保証できないのかもしれない。無理を承知でアナロジーを続ければ、実態は「ほとんど至るところ収束」であるにもかかわらず、アンサンブルを適当に制限すれば「ほらこの部分集合の上では一様に収束してますよ」という理想的効果をアピールできる、という教育産業の宣伝戦略みたいなことを言うのが、ルベーグ積分論でやるエゴロフの定理というわけだ。

きょうはそのほかに、キューネン本第III章の演習問題をたくさん解いた。第III章はあらかた片付いた。

ピアノのレッスンはお休み。


2011年6月9日(木)くもり

先週土曜日の教育懇談会のための休日出勤の代休をとった。まあ、日頃グータラしている人間が休日だからといって張り切ったりはしない。

スーパーにはたくさんの梅の実が並び、梅酒を漬けるガラスの壺、梅干しのためのザルなどが売られている。俺は梅干しも梅酒も大好きなので、いつかは自作してみたい。まあ、それはともかく、夕食には冷やし中華を作った。


2011年6月8日(水)くもり

今朝はどういうわけか京都の古いコンサートホール(京都会館第一ホール)のロビーにいる夢をみた。どうやら京都市交響楽団の演奏会をやっていて、ブラームスか誰かの作品をやっているようだった。なぜそんな夢をみたのかは、皆目わからない。

きょうは講義があり、提出物の採点とデータ入力があり、学生の質問があり、金曜日の授業の準備があり、寄稿されたキューネン本演習問題のチェックと公開作業があり、もちろんビジネスの前線でバリバリ働いているエグゼクティブとは比較にならないが、普段が普段だけに、けっこう仕事をしたなあと思う。

一言だけ昨日の続き。GCHの定式化を、 \[ \forall \alpha\in\mathbf{ON}\forall S\subset\mathcal{P}(\alpha)\big(\, S\prec \alpha \lor S\sim \mathcal{P}(\alpha) \,\big) \] とまで弱めても、まだ同値だろうか?


2011年6月7日(火)あめ

キューネン本第III章演習問題[9]をめぐる昔話。まだ修士課程の学生だったころ、セミナーの席で一般連続体仮説(GCH)の話になった。GCHには何通りかの表現がある。ここでは \[ \forall X\forall S\subset \mathcal{P}(X)\big(\,S\prec X\lor S\sim \mathcal{P}(X)\,\big) \] という定式化と \[ \forall \alpha\in\mathbf{ON}\big(\,2^{\aleph_\alpha} = \aleph_{\alpha+1}\,\big) \] という定式化を比較してみよう。難波完爾先生の『集合論』(サイエンス社 1975)では第一の定式化、田中尚夫先生の『公理的集合論』(培風館 1982)では第二の定式化を採用している。シルピンスキ (W.Sierpiński) が証明したとおり、第一の定式化は選択公理(AC)を導く。その証明は難波先生の本で読める。選択公理が成立しているなら両者が同値であることは明らかだ。しかし、第二の定式化は整列可能な濃度にだけ言及しているので、第一の定式化と比較して、選択公理を仮定しない場合に弱くなっているように見える。両者は選択公理を仮定せずとも同値だろうかと、俺は篠田先生に質問した。篠田先生は「違うんじゃないの?」とおっしゃったが、当時博士課程の学生だった米澤佳己さんが、

“選択公理は、任意の順序数の冪集合が整列可能であるという主張と同値である”

という命題を教えてくれた。それによれば、GCHの二つの定式化のどちらもが選択公理を導くため、めでたく同値となる。で、この命題がキューネン本第III章の演習問題[9]になっている。あのとき米澤さんは証明を手短に口頭で説明してくれたが、俺はきちんと理解せぬまま放置していた。キューネン本の演習問題を解く作業が活発になってきたので、この問題にも手をつけようと調べてみたら、イェック (Thomas Jech)“The Axiom of Choice” (North-Holland 1973/Dover 2008) の第9章に証明つきで載っていた。なかなか巧妙な証明で、演習問題としてはちょっと難しいが、読んでわかりにいということはない。イェックの書いた証明をもとに自分で解答を書いてもよかったのだけど、集合論大好きでイェックのこの本も持っている藤沢在住の組み込み系プログラマさんに、このプロジェクトへの参加を促すつもりで、頼んで書いてもらうことにした。イェック本では、この命題が ZF において AC と同値だけれども (外延性公理を緩和して空集合以外のアトム あるいは urelement を認める) ZFA ではそうではない、ということが論じられている。いまのところ確証はないが、証明を見て推察するに、基礎の公理を認めない ZF- でもだめだろう。


2011年6月6日(月)くもり

きょうは、産総研の縫田さんと日大の志村さんがキューネン本第II章の演習問題の解答をたくさん寄稿してくれた。それをひとつひとつチェックしてHTML化して公開する。せっかく頂いた解答でも、残念ながら間違っていることだってあるので、チェックは欠かせないのだ。これはなかなか勉強になる。問題はまだまだ沢山残っているから、他の方もどんどん寄稿してください。

歩数計カウント9,556歩。


2011年6月5日(日)くもり

学会二日目。しかも今日は妻が福岡で開催されている別の学会へ修士論文の研究結果の発表にいく。子供たちの世話をどうするか迷ったが、結局俺が科学基礎論学会の会場へ連れて行き、空き部屋で遊ばせた。その結果、会議とワークショップの間を除くほとんどの時間を子供の心配をしながら過ごすことになり、講演はいっさい聴かなかった。初めてのワークショップは少々緊張したが無事終了。夜は中山先生フチノさんウスバくんに俺と【娘】と【息子】という妙な組み合わせで「じぃ家」で夕食。フチノさん子供と遊んでくれてありがとうございます。歩数計カウント14,120歩。

大学院時代にお世話になった南山の服部先生と再会してご挨拶できたのは幸いだった。

後日追記: ワークショップに関しては、俺の司会としての無能ぶりに不満だった出席者もいた模様。いやほんとうに面目ない。(6月13日月曜日)

きょうは朝のうちに 第III章演習問題[4]の解答 をアップロードし、学会の裏番組で 第II章演習問題[2]の解答第II章演習問題[3]の解答 を書いた。


2011年6月4日(土)はれ

科学基礎論学会の年次総会と講演会。代表者ではないが開催校所属の学会メンバーとしてそれなりに会場係のサポートをする。そのため、講演はあまり聴いていない。懇親会の席では、これまで書物で名前を見るだけだったI先生やO先生から「無限論の本を読んだよ」と言ってもらい、ありがたいやら恥ずかしいやら。

学会の裏番組で、学部の教育懇談会。学生の親御さんたちに学部の教育方針と現状を説明し理解を求め、また意見を聞くという会合。俺のような下っ端は懇談会で発言する役目を仰せつかったりするわけではないが、受け持ちの学生の親御さんとの個別懇談があった。学部の建物と学会の開かれている部局の建物の間を何往復かしたので、帰宅するとき(4,000歩くらい)歩いた他は大学から出ていないのに、歩数計カウント19,082歩。けっこうよく動いた。


2011年6月3日(金)くもり

午前中、一昨日の \(R(n)\) の問題に関連して, \(R(5)\) の要素を数え上げるプログラムを Ruby で書いた。それに Python のプログラムを提供してくれた人がいたので、それらをあわせて 第III章演習問題[1]の解答 を書いた。

午後は授業があり、学会の会場準備があり、明日の教育懇談会の準備があり、ピアノのレッスンがあった。なんだか妙に忙しかった。歩数計カウント10,452歩。


2011年6月2日(木)はれ

朝、定期検診にいく。血圧はほどほどだが、昨年の同時期と比べて体重が3キロ増えている。そろそろなにか対策しないとまずいかもしれん。歩数計カウント8.356歩。

明後日からの科学基礎論学会に備えて、機材の接続チェックなどの作業に参加。【娘】は小学校の合宿に行っている。このごろはそういうものがあるらしい。夕食は近所の丸亀製麺でうどん。


2011年6月1日(水)はれ

家族そろって寝坊した。妻の運転する車で出勤したので、講義のある日とはいえ歩数計カウント7,867歩。ちょうど、昨日や一昨日の数字から徒歩通勤片道分の四千歩強を引いたぐらいだ。

キューネン本の第III章の演習問題[1]に、\(n=0,1,2,3,4,5\) の場合に \(R(n)\) を書き下しなさい. という問題が出ている. \(R(n)\) というのは, \[ \begin{gather} R(0)=0 \\ R(1)=\{0\} \\ R(2)=\{0,\{0\}\} \\ R(3)=\{\,0,\{0\},\{\{0\}\},\{0,\{0\}\}\,\} \end{gather} \] という具合で, \(R(0)=0\) (空集合) から出発し, \(R(n+1)\) としては \(R(n)\) の冪集合をとる, という仕方で再帰的に定義される. \(R(4)\) の要素の個数はまだ16個だが, \(R(5)\) になると要素は65536個あり, とても手作業で数え上げ列挙するわけにはいかない. そんなことはもちろん出題者も先刻ご承知のはず. とすると, なにか工夫してみろ, ということなのだろう. たとえば, コンピュータに答えを列挙させるプログラムを書く, とか.

集合 \(R(5)\) の全要素を, 上記のような \(0\) と中括弧とコンマだけをつかう表現で, 一行に一個ずつすべて重複なく, 標準出力に書き出すプログラムを書いてみよ, というのは, プログラミングの演習問題としても好適な気がする. 実際にコードを書く過程であとに続く演習問題[5]との関連も見えてきそうで面白いし, 演習問題[5]は第I章の演習問題[23]とも関連している. というのも, ここで紹介されたコーディング手法で, 初等算術 \(\mathrm{PA}\) に集合論の部分体系 \(\mathrm{ZF}^{-}-\mathrm{P}-\mathrm{Inf}\) を埋め込むことができるからだ. 今日はもう遅いしMacBookも手元にないからよすが、俺としては習いたてのRubyで書いてみたい. 他にも Haskell なり Java なり Python なり OCaml なり, 思い思いのプログラム言語で書いてよこしてくれる人が出てきたら嬉しいと思う.

ところで, \(R(5)\) の次にくる \(R(6)\) の要素の個数は 2の65536乗個で, 10進表記なら2万数千桁1万9千桁以上の巨大な数だ. だから, コンピュータを使ったとしても, 全要素を列挙できるのはせいぜい \(R(5)\) までだろう.