て日々

2012年7月


2012年7月31日(火)はれ

朝食にオクラの味噌汁と冷奴と納豆という大豆人生。

理学部の藤棚
たいへんいい天気
午前11時頃に理学部の庭の藤棚に座ると
ちょうどいい日陰になっていて気持ちよい。

4年生のゼミ。『論理と計算のしくみ』を読んでいるH(K)くんが4.3節に書かれている符号化の詳細がわからないと言うもんで(そりゃそうだろう)、指導鬼畜教員の俺は「ゲーデルと20世紀の緑色」「挑む」「フランセン」「前原本」をドサっと手渡してきた。次のゼミは3週間後。

鮭のムニエル

歩数計カウント9,649歩。夕食には鮭のムニエル。ご覧のとおり思いのほか綺麗な仕上がりで、味もよく、子供たちにも、出張から戻った妻にも好評。


2012年7月30日(月)はれ

妻が水島コンビナートなるところへ泊まりがけで仕事に行ってしまった。なので、俺が子供の面倒をみる。とはいえ仕事もあり、子供らは夏休みだ。月曜日は児童館も閉まっている。なかなか難しい。ただまあ、母親がいない緊張感も手伝ってか、子供らも今夜は実にいい子にしていた。午後6時半に俺が戻った時には、家はいつになく綺麗に片付いていたし、子供らはすでに自分たちで風呂の用意をして入浴してパジャマに着替えていた。やればできるのね。で、夕食には冷やし中華を作った。いつものラーメン同様スープから調合するのだが、冷やし麺のつゆは脂が凝固してしまうのでなかなか難しい。夕食の後片付けが済んだ時点でまだ午後8時ちょっと前だ。子供らは宿題も今日の分は昼のうちに片付けたというから、消灯時刻まで三人でトランプでもしようということになった。【息子】ができるトランプのゲームといえば、ババ抜きと神経衰弱と七並べくらいだ。ただし、まだまだ手先が不器用な【息子】にはカードがうまく扱えない。3人でババ抜きをしてみたが、【息子】が上がって二人になった時点で、【娘】の手札が5枚、俺のが7枚という「数学的にありえない」枚数になってしまってノーゲームとなった。


2012年7月29日(日)はれ

朝、地域の公民館の掃除当番に家族総出で出向く。他の家の人たちは、まあたいていの場合、ママさんだけが来ている場合が多い。さすがに子供が二人も参加なんてのはうちだけだが、うちの子供らは戦力になったのやら邪魔になったのやら。せめて和み要素にだけはなったと思いたい。俺としては、夏服の人妻たちのあんな姿やこんな姿でたいへん結構な目の保養が…じゃなくて、鴨居やなんかの高いところの拭き掃除と玄関の下駄箱の清掃を担当した。

二階の自分の物を入れている棚から、ほとんど未使用で新品同様の眼鏡が出てきた。これまで使っていた眼鏡と度数は同じくらいで、フレームはよほど上等だ。こりゃいったいどういうわけだ。眼鏡が三つになってしまったぞ。きっと、以前に作りなおした眼鏡を使わないでいるうちに忘れてしまったのだろう。我ながらアホだ。

昼食には簡単にドライカレーを作った。夕食は「牛スジと大根の煮物」と「もやし炒め」。


2012年7月28日(土)はれ

朝のうちに近所のスーパーマーケットに行くと、昨日の売れ残りの生鮮食料品が安く売られている。国産牛こまぎれ肉100グラムあたり198円が半額になっていたので300グラムのパックを買ってきて昼食に牛丼を作った。それはいいのだが、盛夏とあって青果、とくに青菜が高い。野菜を食わんといかんのだがどうしようか。

午後は妻が某巨大ショッピングモールの医務室詰めのバイトに行っている。先週末にオーダーした眼鏡を受け取りに子供を連れてフジグランに行く。少しばかり老眼が進行してきたので、初めての「遠近両用眼鏡」だ。いままでになく視空間が歪んでしまうので、ゆっくり慣らさないといけないと思う。子供のおやつをどうしようかと思ったが、フードコートのマクドナルドのハッピーセットに落ち着く。それにつきあいながら、自分は1階食料品売り場で買った缶チューハイを飲む。

夕食は「ひき肉味噌炒め、レタス添え」「ゴーヤベーコン炒め」「かみなりこんにゃく」「冷奴」を作った。深夜になってから のうこ (@noukoknows) と 四時 (@YohjiGreat) からチャットで長々と話を聞く。


2012年7月27日(金)はれ

3年生セミナー。今日が最終回かと思ったが、あと一回やるらしい。今回はファトゥーの補題まで進んだので、目標であったルベーグの優関数収束定理まではもう一息だ。

ファトゥーの補題は、可測集合 \(E\) 上の“正値”可積分関数の列 \(f_1,f_2,\ldots,\)に対して不等式 \[ \int_E\big(\liminf_{n\to\infty}f_n(x)\big)\,dx\leq \liminf_{n\to\infty}\int_Ef_n(x)\,dx \] が成立する、というもの。ただし、ここでの正値という制限はもう少し緩められる。あとはその部分を検討して、天地を引っくり返した不等式 \[ \limsup_{n\to\infty}\int_Ef_n(x)\,dx\leq \int_E\big(\limsup_{n\to\infty}f_n(x)\big)\,dx \] の成立する条件を調べる。こうなればしめたもので、両者を合わせた \[ \int_E\big(\liminf_{n\to\infty}f_n(x)\big)\,dx\leq \liminf_{n\to\infty}\int_Ef_n(x)\,dx\leq \limsup_{n\to\infty}\int_Ef_n(x)\,dx\leq \int_E\big(\limsup_{n\to\infty}f_n(x)\big)\,dx \] から、\(\lim f_n=f\) a.e.ならば \(\lim\int_Ef_ndx=\int_Efdx\) という積分と極限の順序交換ができる。

土用の丑の日である。ところが妙にうなぎが高価で、妻が買うことを躊躇している。やむなく断念するが、妻が「暑気払いあんころもちで代用させて」というのには笑った。暑気払いにあんころもちも悪くはないが、うなぎの代わりにはならんぞ。


2012年7月26日(木)はれ

Mac OS X がバージョンアップして 10.8 (Mountain Lion) になった。iOSで導入された通知領域や通知バナーなどがMac OSにも登場した。Mailから「メモ」が独立し、iCalが「カレンダー」と「リマインダー」に分けられた。どうも、アプリケーションレベルではMac OSがiOSを追いかけはじめた感じ。うーん、この先どう推移していくんだろうね。


2012年7月25日(水)はれ

妻の実家から届いたメロンが食べごろになったので,きょうの午後は,子供らがそれぞれに友達を家に呼んで「メロンパーティー」なることをしたそうだ.

位相の講義の千秋楽.連結成分の話をして,残った時間でユークリッド平面 \(\mathbb{R}^2\) が3次元ユークリッド空間 \(\mathbb{R}^3\) と同相な部分集合を含まないことを,メビウスの帯の性質とジョルダンの閉曲線定理に訴えて「証明」した.といっても,実際にはオハナシしただけだが.

午後は大学院セミナー.新井本の4.3節を910くんが読む.累積階層の性質を述べる補題4.3.13の証明で,\(\forall y\in x\;(\operatorname{rk}(y)<\operatorname{rk}(x))\) と \(\forall y\in x\;(\operatorname{rk}(y)<\alpha)\) から,いきなり「ゆえに \(\operatorname{rk}(x)\leq\alpha\)」と結論に飛躍しようとしていたので,俺が言ったのが,《百円ショップどの商品も現在の所持金で買えることからは,現在の所持金が105円以下であることは導かれないでしょ.》…910くんに変な顔をされた.

これにはちょっと説明が必要かもしれない.もちろん,\(\forall y\in x\;(\operatorname{rk}(y)<\alpha)\) を示せば \(\operatorname{rk}(x)\leq\alpha\) が出てくる.というのも,\(\operatorname{rk}(x)\) はすべての要素 \(y\in x\) について \(\operatorname{rk}(y)<\xi\) が成立するような順序数 \(\xi\) の最小値として超限再帰的に定義されるからだ.ただ,集合の階数(rank)を扱うのは今回が初めてだから,ちょっと慎重を期して,上限をとる操作を考慮せずに結論を出そうとしていた点にツッコミを入れたのだった.


2012年7月24日(火)はれ

昨晩,位相の講義テキストの問題への解答例をプリントして配布する約束をしていたので,その入力にとりかかったが,調子が出だしたころに妻子が迎えにきたので,パソコンを起動した状態で昨晩は帰ったのだった.今朝,35分の徒歩通勤で汗だくになって大学に着いて,その解答プリントのTeX原稿を入力中のエディタに,真っ先に「大学にツイッター」っと入力してしまった.こりゃいかん.ツイッター中毒がかなり進行している.

4年生セミナー.H(K)くんは愛媛県の教員採用試験を受験のため欠席.キューネン本2011年版のI.7節を0-1くんが読む.補題I.7.10の証明で,\(\xi=\alpha\) を示すと言って \(\xi\subset\alpha\) だけ言って終わり,という流れになりそうになったので,俺が言ったのが,《片方だけじゃまだ終われんのやない? 少女マンガって,たいてい両思いになってメデタシメデタシで終るよね.》…0-1くんに変な顔をされた.

歩数計カウント10,001歩.


2012年7月23日(月)はれ

朝飯にカレーチャーハンなるものを作る.

朝めし

昨日の話の続きで,BMIから逆算した理想体重を近似する一次式を探して計算をした.与えられた身長に対してBMIが22になる体重は身長の二次式になるはずだが,そこを無理矢理一次式で計算するには,昨日問題にした 《身長[cm]マイナス110》 ではなく,《(身長[cm]マイナス80)×0.7》がいい.140cmから180cmという,それこそ標準的な女性の身長の範囲内では,この簡略法でも,正しい逆算式《(身長[m]の二乗)×22》とほぼ同じ数値が得られる.とはいえ,どのみち身長だけから適正な体重を計算しようというのは無理があるし,もっといえば,身長と体重だけで美容と健康を語れるはずもない.少なくとも,体脂肪率を考えに入れないと,いわゆる「かくれ肥満」などかえって不健康なケースを見逃すことになる.入力変数も,身長だけでなくせめて年齢くらいは考慮せにゃならぬ.年齢と身体のサイズから適正な体脂肪率と体重を考える,といえば,少しはマシかもしれない.

ともあれ,上で言った近似式を探すために,統計学でいう回帰直線の式を求める必要があったが,これがなかなか計算が合わずに困った.せっかくなので,計算結果をメモしておこう.

区間 \([a,b]\) 上で定義された二乗可積分な実数値関数 \(f(x)\) に対して,積分 \[ I = \int_a^b\big(f(x)-(\alpha x+\beta)\big)^2\,dx \] を最小化する定数 \(\alpha\) と \(\beta\) は, \[ \begin{gather} \alpha = \frac{12}{(b-a)^3}\int^b_a\left(x-\frac{a+b}{2}\right)f(x)\,dx,\\ \beta = \frac{1}{b-a}\int_a^bf(x)\,dx - \frac{a+b}2\alpha \end{gather} \] で与えられる.これは二つの確率変数,\(X\) と \(Y\) の間の回帰直線を \[ y-E(Y)=\alpha\big(x-E(X)\big),\quad \alpha=\frac{E(XY)-E(X)E(Y)}{E(X^2)-E(X)^2} \] と計算する式の特別な場合である.


2012年7月22日(日)はれ

教会学校の合宿の日。普段よりちょっと早めに子供たちを教会に連れていく。子供たちが健康診断を受け礼拝をしているあいだ、妻は仕事の電話をしにいったん帰宅、俺は銀天街のドトールで先日来の懸案だった岩波文庫版の『共産党宣言』を読み終える。本当は俺は立命館大学に通っていた学生時代にこの本を読んでおくべきだったのだろう。当時と現在では日本をとりまく状況もマルクス主義についての世の評価も俺の境遇もまるで違って、いまはいまなりの読みかたしかできないが、ともあれ、30年来の宿題を片づけた格好だ。ドトールは冷房が効きすぎていてむしろ寒かった。

そのあと10時半くらいから、妻子と合流し、さらに【娘】の同級生p/qちゃんを交えて、美術館で開催されているお絵かき教室の作品展を見にいく。本人も言っているけれども【娘】はこのごろめっきり活字中毒で、お絵かきに注ぐ情熱が冷めてきているようで残念だ。だが、自分や仲間の作品が展示されている展覧会はやっぱり嬉しいらしい。美術館の中庭に臨時で出ている「おでカフェ」のママさんは妻のわりと親しい知り合いだ。子供たちのスコーンと、レモンの飲みものと、俺のためのフェアトレードコーヒーを妻が買ってくれた。ママさんの了解を得てお弁当の時間にする。その後、教会へ戻り、子供たちは合宿に出発。

俺と妻は、午後3時半からの作品展の撤収作業に参加せにゃならんが、この時点で時刻は1時すぎ。ちょっとヒマがある。ドライブがてら天山のイオンに行く。3階の紳士服売り場で、これまた長らく懸案だった新しいズボンを買い、すそあげ処理をしてもらっている間に2階の「くまざわ書店」を冷やかし、1階でたこ焼きと野菜ジュースを買う。というのも、俺も妻もあまりちゃんとは昼食をとっていなかったからだ。ズボンを受け取って堀之内公園に舞い戻り、広い芝生の真ん中の大きな楠の木陰のベンチに腰をおろして、二人でたこ焼きを食う。これで3時20分となったので、作品展の開かれている美術館の南館に向った。撤収作業はお絵かき教室のスタッフと生徒の親御さんたちが共同で、一時間ほどでやる。

帰宅していったんシャワーを浴び、6時ごろには二人とも浴衣に着替え、下駄を鳴らして近所の魚料理屋に行った。子供たちが二人ともいない夜なんて、実に一年に一度、この日だけ。今夜だけは心置きなく夫婦で出かけて酒を飲めるってもんである。

じぶん
帯も自分でそれなりに締めれたので
この夏はもっと再々着てみることにする

夜8時まえに帰宅し、二週間前と同様にSkypeのチャットで「つどい」運営会議。11時すぎに寝たが、夜中2時すぎに目がさめて、なんとなく眠れぬまま、身長から標準体重を求める計算式に関連して二次方程式を解き、ぶなしめじの佃煮を作り、ジェームズの『プラグマティズム』の岩波文庫版を少し読み、さらに日記を書いているうちに、外はすっかり月曜日の朝になってしまった。明け方の東の空の金星が綺麗だった。

やるきのないあひるやるきのないあひるやるきのないあひる

もののついでに、いわゆる「標準体重」のはなし…

よく知られた「身長[cm]マイナス110の数字をキログラムに直す」では、(身長180cm未満のそれこそ標準的な女性に関する限り)ちょっと標準体重を小さく見積り過ぎていることは確かだ。それでも「ええーっ平方根ってワッカンナーイ。それ食べられるの?」という数学オンチの皆さんにも計算できる簡単さと、誰でもが「太り気味」と誤って判定されてしまうという、まさにその理由により、この簡便な計算式がダイエット食品や痩身術の広告でよく使われている。妻と同じく身長150cmの人についてみると、保健所の健康指導でよく使われるBMI〔= 体重[kg]/(身長[m])^2〕が良好とされる22になる体重はおよそ50kgなのに対して、150マイナス110は40であるから、妙齢のお孃さんたちは、痩身術の広告に10kgも「フッカケられている」計算になる。身長173cmの俺の場合、現在体重69kgだからBMIは23、BMIが22になる「標準体重」は66kgだ。身長173cmだとBMIの計算が簡単になるのが嬉しい。いっぽう、ダイエット食品の広告の方式だと173-110=63となる。63kgといえば、独身時代に思うに任せない独りぐらしをして死にそうになっていた頃の俺の体重である。

しかしまあ、BMIだって決して完璧というわけではない。それに、考えてみれば身長だけから適正な体重を求める方法はどのみち簡略法にすぎない。このあたりの話は、そのうち保健師である妻とも話しあって本格的に再論したいところだ。


2012年7月21日(土)くもり

このごろの疲れやすさの原因として心あたりは二つある。眼鏡が合わなくなったことと、夜にTシャツとトランクスだけで寝ていることだ。なんとかしよう。

朝のうちにひとりでフジグラン松山に行った。まずはメガネ屋だ。ぽよぽよしたマンガ声(?)の店員さんに丁寧に検眼してもらった。コトがコトだけに、その美人の店員さんとバシバシに目が合う瞬間もあってなかなか楽…いやそんなことはどうでもよくて、ちょっと張り込んで遠近両用の新しい眼鏡を誂えることになった。お受けとりは一週間後。そして、現有の眼鏡もあらためてよく見るとずいぶん歪んでいたので調整してもらった。それだけでも頭痛のタネが一つ減って楽になった。

さて次は寝間着だ。フジグラン松山にはg.u.も入っているが、いまひとつ気に入らないので、ヴェスタの紳士服売り場で昔ながらのオヤジ服を探す。しかし見てまわるうちに、着ていないパジャマが一着、家にあるような気がしてきたので、何も買わずに離脱。フードコートで小腹を満たし、一階のカルディでコーヒーを買い、食料品売り場で子供らの昼食の材料を買う。

うどん

昼過ぎに帰宅して妻子のために昼食を作った。冷やしうどん。具は錦糸たまごと天かすとじゃこ天と紅しょうがと椎茸と胡麻。午後はまたまた単独行動で、コミセンの図書館に行った。

オクラの花
【息子】が小学校で育てていたオクラ
朝、白い花が咲いていた
なかなか清楚で美しい花じゃないか


2012年7月20日(金)くもり

全然体力がない。昼間は会議と3年生のゼミがあったが、それ以外の時間は寝てばかりいた。3年生のゼミではルベーグ積分の基本性質のうち加法性と単調収束定理をやった。これで次回に優函数収束定理をやれば、どうにかルベーグ積分の基本のところを期間中にやりましたと言える状態になる。この授業は不可抗力とはいえ俺の私用で2回も休講にしたので、いろいろ申しわけない。

夕方、ピアノのレッスンに行く。O野先生に「いままでになく程よく力が抜けていて響きが綺麗ですよ」と言っていただいたが、上手に脱力したというより案外バテて力が入らないだけかもしれない。褒められたからといって、11月の発表会までバテた状態でいようなんて言ってたら、きっと発表会直前にぶっ倒れて入院なんてことになる。

レッスン後は小学校のサマーカーニバルなる催しに行く。学区の公民館の事業なのだが、子供たちにとっては夏休み突入記念の夕涼み+早めの盆踊り大会である。しかし今年は以前と比較して規模が小さかったように思う。気のせいかもしれないが。

帰宅後に少し動き回ってゲタを履かせた結果、歩数計カウント10,004歩。明日こそはメガネを直しにいこう。


2012年7月19日(木)くもり

朝のうち小雨。ダイキで必要なものを買う。

夕方、本の返却期限なものだから、県立図書館に寄ってから医者に行く。急いで歩いて行ったら7〜8分も早く着いた。自分の歩く速さというか、図書館から医者までの所要時間を読み損ねていたようだ。そんなことなら、もう少しゆっくり歩くなり、もう少し図書館で粘るなりすればよかった。まあ、いつどんな不測の事態が起こらぬとも限らんことを思えば、時間的な余白が少しはあった方がいいし、そもそも普段から余白だらけの生活をしている俺がいまだけ時間にケチケチしてみても意味ないし、どのみちたいした問題ではないのだけどね。

歩数計カウント12,067歩。


2012年7月18日(水)はれ

おもてが一日中太陽の光に浸されて、なかなか暑い日になった。講義室やセミナー室では冷房を使うが、自分の居室ではエアコンを使わずに過ごす。暑いが、窓から風を入れればしのげないことはない。帰りは小学校に放課後の見守りに行っていた妻の車に便乗して帰ったので、歩数はあまり伸びず、歩数計カウント7,687歩。

午前中は位相の講義。数直線の連結性、連結集合の連続像がまた連結集合であること。数直線と平面と円周とがお互いに同相でないこと。などなど。ようやく面白い話ができる段階になったと思ったら、来週が最終回なのだった。午後は910くんのセミナー。新井『数学基礎論』第4章から、整列集合と順序数の理論のところ。910くんはこの話自体は昨年度の024くんのセミナーなどで何度か聞いているはずだが、自分で扱うのは初めてらしい。

数学科の普通の授業では 反射的 (すべての \(x\) について \(x\mathrel{R}x\))、推移的 (\(x\mathrel{R}y\land y\mathrel{R}z\) のとき \(x\mathrel{R}z\))、反対称的 (\(x\mathrel{R}y\land y\mathrel{R}x\) となるのは \(x=y\) のときだけ) という三つの条件をみたす二項関係 \(\mathrel{R}\) を半順序関係という。新井本でもこれを踏襲するが、新井本ではまた、二項関係 \(R\) がすべての \(x\) と \(y\) について \(\neg (x\mathrel{R}y)\) または \(\neg (y\mathrel{R} x)\) の少なくとも一方をみたすときに、これを “非対称的” 関係と呼び、すべての \(x\) について \(\neg (x\mathrel{R}x)\) をみたすときに、これを “非反射的” 関係といって、非対称的かつ推移的な関係を(非反射的な)半順序と呼ぶ。非反射的な半順序が三択律 (どの \(x\) と \(y\) についても \(x\mathrel{R}y\) または \(y\mathrel{R}x\) または \(x=y\) のどれかは成立) をみたすか、(反射的な普通の意味での)半順序が連結律 (どの \(x\) と \(y\) についても \(x\mathrel{R}y\) または \(y\mathrel{R}x\) が成立) をみたすときに、全順序であるという。新井本では全順序や半順序を反射的に定義しておいて、整列順序 (最小原理をみたす全順序) についてだけ非反射的な順序関係として定義を述べている。非反射的順序と反射的順序の関係についての説明はちゃんとあるし、整列順序については非反射的に考えたほうが具合がよいことは事実だからそれはそれでよい。しかし、読む側の理解はそれとは別問題だから、ゼミで読んでいる場合は、一応は理解を確認しながら進む必要がある。とくに、通常は非反射的かつ推移的な関係を非反射的半順序というのであるから、新井本の「非対称的かつ推移的」という定義との同値性を確かめておかねばならない。


2012年7月17日(火)はれ

梅雨あけ。歩数計カウント9,029歩。夕方、書店に行ってジェイムズ『プラグマティズム』(岩波文庫)を購入。

というのはこういうわけだ。ツイッターである人が「別れのアプリオリ」とつぶやいた。俺は、いっさいの経験に先立つアプリオリの別れは残念すぎるから、せめて【経験】してから(何をだ?)別れたいと思った。だが、いざ恋人と別れるときには、その別れはアプリオリ、つまり最初から結ばれるはずのない関係だったのだと割り切ったほうが、出発点においてタブラ・ラサだった関係が経験の結果として瓦解して別れに至ったと考えるより、よほど立ち直りやすいようにも思う。これは「因果」あるいは「運命」というものに対する考え方の違いが実体験の意味づけの違いを生み、ひいては次の行動の違いを生むという話であるから、【運命論と倫理】という倫理学的テーマとして真面目な考察の対象になっていそうである。元発言の主としばしそんなやり取りをするうちに、20年近く前に読みかけで放り出してあった『プラグマティズム』を思い出したというわけ。


2012年7月16日(月) 海の日はれ

庭というほどの庭はなくて、「余白」くらいのものなのだけど、土があれば草が生える。それで、普段は車が停まっているあたりの草引きをした。

家の前に生えた木の芽

小さな小さな草が、小さいながらも頭からシッポまで植物の形態を完備させているのを、根を切らぬように丁寧に抜きとる。根の周りにいたアリが慌てている。この草を雑草と呼ぶのはまったく人間の都合で、草は撒かれたその場所で一心に育とうとしているだけだし、その葉を食みその根の汁を吸って生きる虫たちにとっては、この草は雑草どころか、とても大事な命の綱だ。だから、俺が庭の美観のためと称して雑草を抜いてしまうのは、ある意味で殺生だ。だけど、それなら玄関先に草が生えるに任せるのが、命を大事にする立派な行いかというと、俺にはそうも思えない。

なぜか。

人間というものは愚かなもので、とくに用がなければ、腰を屈めて土に接することをしない。立った人の目の高さからは、土の上でつましく生きる小さな生きものの姿は見えない。立っている人の目には、雑草が「景観のさまたげ」として目に入りはしても、それが一本の草として過不足ないひとつの生き物だということは、理屈でしかわからない。炎天下で腰を屈め土の上にしゃがみこんで、草を引き土を均せば、小さな生き物の姿が見えてくる。自分から虫や雑草の目線に近づいて、初めて奴らの気分が少しはわかってくる。

そうすると、自分で草引きもしないし小石を拾いもしない人の唱える「いのちの大切さ」は、雑草を「景観のさまたげ」「ノイズ」と見る人の「いのちの大切さ」なのだ。同じ「いのちの大切さ」を唱えるにしても、俺はもう少し地面に近いところから考えたい。


2012年7月15日(日)はれ

妻は夕方まで某巨大ショッピングモールの医務室詰めのアルバイト。朝のうち、子供らは教会学校。そのあと、【娘】のお友達のp/qちゃん(仮名)を混じえて銀天街のはなまるうどんで昼食。【娘】は他の約束に出かけ、p/qちゃんは家に戻り、俺と【息子】はフジグラン松山に寄って帰る。たまには俺も新しい服の一着も買いたいところなのだが、小学二年の男の子と父親が洋服を選ぶというのは、なんとも頼りない話である。女の子ならそれなりに意見もしてくれるが、男の子が父親の服に関心を持つはずもない。それなら、一人で行ったほうがまだ落ち着いて選べるというものだ。結局、何も買わず帰宅。夕食はカレー。今回はじめて「中辛」にした。あるいは子供たちに不評かもと思ったが、問題なく完食。トッピングの茹で野菜が少し残ったので、冷蔵庫にあった昨日の残りのベーコンを焙ったものと一緒にドレッシングに漬けておいて、明日の朝食にする。


2012年7月14日(土)くもり

午後、愛媛県美術館で開催されている「ヴェネツィア展」に【娘】を連れていくつもりだったが、【娘】はお友達(以下、仮に、ひよこちゃん)と土曜夜市に行く約束があるようなないような、はっきりしないことを言っている。それで、妻と娘がああでもないこうでもないと言いあいになったので、俺は「相手のいる話なんやから、すぐに電話して確認せんか、ここで議論なんかしとらんで」と怒声を上げてしまった。それであわてて【娘】がひよこちゃんの家に電話したが、ひよこちゃんはすでに児童館に出かけていて、夜市に行く予定のことは何も聞いていないと親御さんがおっしゃる。それで、じゃあ美術館に行こうと出掛けたものの、【娘】の表情は暗い。それで、行き先を変更して【娘】を児童館に連れていった。さいわいひよこちゃんにはすぐに会えたが、ひよこちゃんは夜には別のお出掛けがあり、夜市に行くことはできない。じゃあいまの時間に遊ぼうという話になったので、帰りの電車の時間だけ確認して、父は別行動。ひとりでヴェネツィア展に行った。あと、同時開催のジェームズ・アンソール展は8月下旬までやっているので今回は見送り、美術館の南館で開かれているiichiko design展に行った。

ヴェネツィアには(沈んじゃう前に)一度行ってみたい。日本の国はヴェネツィアという都市国家から学ぶべきものが多いかもしれない。その栄華は通商と諜報によって支えられていたというし。水だらけで陸地が乏しいし。

スパゲティ
昼飯。水菜とベーコンに和えたスパゲティ
ソースは、レモンとトマトのドレッシングをブレンドし、
オリーブオイルとガーリックを加えたもの


2012年7月13日(金)くもり

ランダウ・リフシッツ「物理学小教程」の『力学・場の理論』と『量子力学』が、ちくま学芸文庫に収録されている。『力学・場の理論』は買ったが、『量子力学』は確かまだだったと思って昨日ジュンク堂で買って来たのだが、しっかり職場にあった。こりゃいかん。またやってしまった。ツイッターで呼びかけて貰ってくれる人を見つけて、譲ることにした。

昔話。もう一冊の『力学・場の理論』について。学生時代に東京図書(だったか)から出ていたのを持っていた。教員免許状を取る意思がなくて教職科目を取っていなかった俺は、卒業に必要な単位を揃えるために、物理学専攻学生向けの『力学II』を四年生で選択した。この科目のテーマは、ラグランジュ方程式やハミルトン方程式を扱う解析力学だ。それで何か参考書をと思って選んだのがこのランダウ+リフシッツだった。白状するが、あまり授業には出ていない。何度か出た授業のひとつでたまたま小テストがあった。これくらいなら授業に出ていない俺でも、という内容だったが、デスクの下にテキストを隠しもってカンニングしている学生が何人かいたことを覚えている。もちろんカンニングは不正行為であり、許すべきではないが、それにしても、これしきのテストでカンニングせにゃやっとれんのだったら、テキストを見たところで理解できないんではないかと思ったものだ。


2012年7月12日(木)あめ

中島匠一『集合・写像・論理 数学の基本を学ぶ』(共立出版)を読みはじめる。俺はこのところ、数学の論理(数理論理学でなくて)を教えることにすっかり自信をなくしてしまっているので、そうした本を繙いて、何かヒントをつかみたいと思っているのだ。

だが、本当のところ、数学の先生が論理を教えるというとき、彼らが考えていることの内実は、自分たちの言葉づかいを教えるということなのだ。そのせいかどうか、どの本でも、「命題 \(P\) が偽のとき、命題 \(Q\) の真偽にかかわらず、複合命題 \(P\Rightarrow Q\) は真となる」という規約について、多くの人が疑念をもつところだと認め、いろいろ手を尽して丁寧な説明をしているとはいえ、その疑念を自分自身の疑念として言語化している本には、どうも出会えない。

\(P\) が真で \(Q\) が偽のとき \(P\Rightarrow Q\) は偽、\(P\) が真で \(Q\) も真のときは \(P\Rightarrow Q\) も真、ということには、誰しも異論の余地がない。問題は、\(P\) が偽のときで、この場合、複合命題 \(P\Rightarrow Q\) そのものが、いわば足場を失う。このときに \(P\Rightarrow Q\) を真とするのは、それが(使ってみれば)いちばん便利で、(慣れれば)いちばん “自然” だからだ。ところが、多くの本で、こういう説明がされる:《\(P\) が真で \(Q\) が偽のときは \(P\Rightarrow Q\) は、ハッキリ偽である。\(Q\) が真のときは \(P\Rightarrow Q\) を真としていいであろう。最後に \(P\) も \(Q\) も偽のときに \(P\Rightarrow Q\) を真とするのは、これを偽とするハッキリした理由がないからだ》と。俺にはこの説明の最後の点がどうしても理解できない。

そりゃ俺だって、\(P\) が偽のとき \(P\Rightarrow Q\) が真であること自体は喜んで認めるが、そうなる理由となると、どうも俺にはうまく説明できないのだ。これでは、数学教師失格である。

深夜、妻の寝言が絶好調だった。「少なくともママは行かない」とか、「どうしてそういうことになるのかちゃんと説明しなさい【息子】くん」とか。


2012年7月11日(水)くもり

昨日回転寿司でビールなど飲んでしまったせいで、やるべきだったことが全然できておらず、少し憂鬱な気持ちで出勤。午前中の講義では、予定通り連結性の話をする。今回は、定義とその言いかえだけ。一番大事な「数直線の連続性」は、今回は予告としてステートメントのみ。


2012年7月10日(火)くもり

朝7時の電車に乗りたくて駅へ走っていった【息子】が駅の少し手前で転倒。右ひざをズルむけにしてしまったので、家に戻って手当する。この怪我のおかげで昨日から言っていた風呂屋行きがパアになったので、夕方には、代わりに回転寿司を食いにいった。それなりに満足して帰ってきたが、落ち着いて考えれば、やりくりが決して楽ではない現状でそんなサービスする理由はなかったんと違うかなあ。


2012年7月9日(月)くもり

【娘】が小学校の体験学習で、きょうから二泊三日の大三島行き。

【息子】は「おねえちゃんだけお出かけいいなあ」と言ってる。教会学校の合宿も近いので、今夜は【息子】を風呂屋に連れていこうという話になった。というのも、合宿で【息子】が自分の脱いだ服を自分でたたむという行動をきちんととれるかどうかを、妻がひどく心配しているのだ。温泉には俺としても行くに吝かでない。しかし、夕方俺が「晩飯どうするん?」と問うたのに妻の答えがなかったあたりから認識のズレが生じ、妻は俺が早めに帰宅するだろうと踏んで夕食を用意する、俺は温泉に行く途中で食っていくんだろうと踏んで仕事しているで、思い違いに気付いた俺が帰宅したのは夜も8時ちょっと前。さすがに子連れではもう出かけたくないので風呂の話は流れてしまった。


2012年7月8日(日)くもり

午後、「健康フェスタinえひめ2012」なるイベントに行ってきた。なかなかの人出だった。【娘】と【息子】、それに【娘】のお友達のp/qちゃん(仮名)も一緒だ。


2012年7月7日(土)くもり

48歳の誕生日。そういう歳だから、特にお祝いらしいことなど何もしなかったが、Facebookで沢山の人から「おめでとう」と言ってもらえたのがうれしかった。


2012年7月6日(金)くもり

きょうもきょうとて、蒸し暑いなか、急に雨が降ったり雷が鳴ったり。

朝、小学校へ本の読み聞かせのボランティアに行く。本来なら俺の役目ではないのだが、家で練習している妻が、あまりに不自然な関西弁を使うもので、手本を見せてやるつもりでちょっとだけ読んだら、妻がぜひ俺に小学校まで来て子供に読んで聞かせろという。否も応もない。子供たちは喜んでくれたようだったが、読みに行ったのが【息子】のクラスの隣の教室だったもんで、【息子】は残念で寂しかったらしい。

読み聞かせをしているところ
読んだのは『ええところ』(学研)
くすのき しげのり文 / ふるしょう ようこ絵
くすのきさんのアトリエまで妻が押しかけて、サインしてもらった本
(写真で黒板が傾いているように見えるが、むしろ撮影者(妻)のカメラだろう、傾いているのは)

午後は3年生のセミナー。やっと一般の関数のルベーグ積分の定義。ところがテキストの証明には少し穴というか省略があった。気付いたときにはもう時間がなかったので、そこは次回俺が埋めてやることにする。月末までに、ルベーグの項別積分定理に到達できるだろうか。

ピアノのお月謝を納めに楽器店に行くと、女子高生らしき制服の女の子がスタインウェイをたいへん上手に弾いていた。発表会の出し物なのだろう。俺たちの発表会は11月だが、ジュニアクラスの発表会は7月下旬だからね。俺のほうはあいかわらず問題山積で、これまで朗々と弾いていたところの楽譜の指示が実はピアニッシモだったので静かに弾くように変更せにゃならんし、出だしのメロディーの二拍三連がちょっとおかしいので修正せねばならん。レッスン後は例によってジュンク堂に行くがなにも買わず。歩数計カウント9,524歩。


2012年7月5日(木)くもり

天気のいい日がないので洗濯が滞る。朝のうちに妻と二人で近所のコインランドリーに乾燥機を使いにいく。それから歯医者。右上の親不知に銀歯をつけて、治療は一段落となった。ありがたいことだ。


2012年7月4日(水)あめ

午前中の講義では連結性の議論の前段階として位相空間の2つの部分集合が「離れている」ことをどう定式化するかを説明した。2つの集合 \(A\) と \(B\) のあいだに \[ A\cap (\operatorname{Cl}B)=(\operatorname{Cl}A)\cap B=\emptyset \] という関係があるとき、\(A\) と \(B\) は 離れている ということにする。距離空間では、このことは、 \[ A\subset U,\quad B\subset V,\quad U\cap V=\emptyset \] をみたす開集合 \(U\) と \(V\) が存在することと同値である。この意味で離れている2つの空でない部分集合に分割できないような集合のことを連結集合という。今回はここまで話した。次回から連結性・弧状連結性の話をする。その応用として、開区間と閉区間が同相でないことがわかる。時間があれば、トーラスと球面が同相でない、とか、平面上にはメビウスの帯と同相な部分集合がない、という話などにつなげたいところだが、さてさてどうなることか。

午後の大学院セミナーは院生910くん発熱のため流れてしまった。

梅雨あけ間近なので天気が安定しない。そうなると洗濯が大変で、風呂に入っても体を拭くタオルに事欠く始末。もうすぐ夏休みだから体に気をつけて頑張りましょう。そういえば定期健診の結果が返ってきた。やや貧血気味で血圧が高め。要経過観察というところだ。なんとか生活習慣を改善して健康増進体力回復幸福度アップっぷを図りたいところ。むむむむむ。歩数計カウント7,428歩。


2012年7月3日(火)あめ

移動日。朝のうちかなり強い雨。すっかり油断していた。傘を持っていないのでホテルの近くのファミマでビニール傘を買う。新大阪駅構内の喫茶店で朝食。昼食は松山に戻って14時半頃、まつちかのカレー屋さん。それから電車で大学に行き、溜まった仕事をちょっとだけ片付ける。ゼミはお休みにしたが、院生910くんが質問にきた。帰宅後は妻と【娘】と三人で【娘】の進路について少しだけ話し合う。歩数計カウント8,259歩。


2012年7月2日(月)はれ

晴天になった。となると暑い。

午前のうちに実家を経ってアバンティのブックセンターに行き、中村元編『大乗仏典』(筑摩書房)を購入。維摩経・法華経・華厳経・阿弥陀経・無量寿経・勝鬘経・般若心経・理趣経、それに『大乗起信論』など、主要な経論の現代語訳を収録して4,000円。お買い得だ。岩波文庫版『法華経』や中公文庫版『維摩経』を学生時代に読んだが、華厳経や勝鬘経は初めてだ。仏教に関心をもつ人々は、読みようもない漢文そのままのお経を闇雲に有難がるなんてことはやめて、いちどは現代語訳を通読すべきだと思う。

その後、銀座ライオンで早めの昼食。オムライスを食ってビールを飲んでいたら、28年前にこの店がオープンした当初、俺がアルバイトとして1年間世話になった、当時の主任=副支配人の西原さんがウェイターの格好で登場。これにはびっくり。挨拶すると、俺のことをちゃんと思い出してくれた。聞けば、西原さんはその後名古屋の店や横浜の店、東京本社などに勤務し、先ごろ定年退職したのだが、自宅が大津にあり、会社が定年後再雇用ということをせねばらなんご時世なもので、この古巣で一年契約でウェイターをしているのだそうだ。また、お目通りこそ叶わなかったものの、当時の杉田チーフも同様に、いまこの店の厨房を手伝っているという。ああ、おなつかしや。

それから大阪へ行き、地下鉄御堂筋線に乗り換えて中百舌鳥へ。大阪府立大学のセミナーに行くためだ。毎週月曜日に開かれる集合論セミナーでは、修士課程1年の田尻くん (@proper_TAJIRI) が、カダくん (@kadamasaru) の指導のもと、キューネン本2011年版を読んでいる。そして常連のオーディエンスとして大ボス加茂静夫先生(ただし今回は残念ながらお会いできなかった)と、大須賀くんと柄戸くんが参加している。これは、とんでもなく恵まれた環境である。そして、セミナーの後半ではしばしば他の機関の研究者がゲストとして話題を提供する。今回は俺がその役を引き受けるというわけ。俺の講演内容は大した話ではなかったのでまあおこう。それより、カダくんがまるで倅に家業を教える職人の父親のように親身な指導をし、しっかりとしたゼミ運営をしているのを見れたのは、大きな収穫だった。泳ぎを教えるためにまず海に放り込む “名大基礎論セミナー方式” で育てられた(そして結局それが性に合っていた)俺には、カダくんのような指導はとてもできそうもないが、ひとつの目標とさせてもらいたい。

セミナー後、カダくんとやまげん (@hymathlogic) と俺の三人で、大阪王将中百舌鳥店で早めの夕食。歯医者に行くというカダくんと別れて俺とやまげんは地下鉄で梅田に行き、地下のサイゼリヤでもう少し飲み食いして話をした。宿は前回(→2012年2月21日同24日)と同じホテルグリーンプラザ大阪。歩数計カウント11,272歩。


2012年7月1日(日)あめ

いよいよ、四十年来の念願だった法隆寺訪問。朝からあいにくの雨天だったが、そんなことはかまわない。朝食後実家を出発してまずJR京都駅へ行き、奈良線のみやこ路快速で奈良駅へ。そこから関西本線に乗りかえて法隆寺駅に着く。京都駅からの所要時間はおよそ1時間だ。改札を出ると、先に来ていた山元 (@hymathlogic) が待っている。

京都からの電車では、上原和『法隆寺を歩く』(岩波新書2009年)を読んでいた。まだ少ししか読んでないけど、これはいい本だと思う。

駅を出ると雨は止んでいた。20分ほど歩いて法隆寺に着く。写真でしか見たことのなかった建物をこの目で見て感激する。エンタシスのある円柱、卍崩し高欄、五重塔の維摩と文殊の問答のシーンの塑像、金堂の釈迦三尊像、四天王像、百済観音…

法隆寺五重塔と金堂 法隆寺夢殿

東院伽藍の夢殿を拝観したら、隣接する 中宮寺 にも忘れずに行かねばならん。ご本尊の如意輪観世音菩薩半跏思惟像に手を合わせる。これまた飛鳥時代から伝わる古い仏像で国宝である。その静かさをたたえた姿とアルカイック・スマイルは、太秦広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像に通じるすばらしいものだ。

雨は断続的に降ったり止んだり。中宮寺を出て中門前に戻ったころにはまだ雨はほとんど降っていなかったが、西円堂を訪うころには急に雨脚が強くなって足止めを食ってしまった。高台にある西円堂から雨に烟る西院伽藍五重塔の法輪をみるのもまた風情があっていいものではあったが、さりとていつまでもここにいるわけにもいかない。西大門近くの売店に移動し、数珠とお守りを買う。

時間と天気のこともあって、法輪寺と法起寺には回らなかった。それが心のこりでもあるし、次はもっと気候のいい時に、もう一度来たいと思う。門前の店で梅うどん定食というものを食って、駅に戻る。すっかり濁流になっている大和川に沿って走る関西本線の快速に乗って、大阪へ向かうためだ。

JR天王寺駅でのうこ (@noukoknows) と合流し、四天王寺へ。四天王寺は、戦災でもとの伽藍の大部分を失ない、昭和になってから再建された。だから建物も御本尊も壁画もなにもかも新しい。太秦広隆寺や斑鳩の法隆寺と比較すると、どうしてもそこのところで大変な違いを感じる。だからといって、有り難くないと思ってはいけない。もちろん古い文化財が失なわれたことは惜しんでも余りあるが、いまの人々を教化するために新たにやりなおすことも、それはそれで大切なことだと思う。昭和の画家が描いた壁画は、仏教物語を俺たちにもわかりやすく伝えてくれたり、反対にとてもモダンな仏画だったり。宗教は死者のための儀礼をも含めて、やはり究極的には生きている人のためにある。古くから伝わるものを大切に守ることは尊いことだが、新しいものが有り難くないのではない。四天王寺というとても古い寺が新しくチャレンジする姿勢を俺は評価したい。行ったのが夕方になってからなので、宝物殿へ回れなかったのは残念だ。いずれまた日を改めて行くことにしよう。

子供のころこの近所に住んでいたことがあるという のうこが、きょうがちょうど「愛染まつり」の日だと調べをつけてきてくれた。四天王寺を出て、ほど近い勝鬘院に足を運ぶ。たくさんの露天が並ぶ。浴衣美人もちらほら。さっそく愛染祭の間だけ御開帳されるご本尊の愛染明王にお参りする。しかし、なんというか、いかにも現世利益と縁結びの仏さまである。境内で「開運息災花守り」やおみくじを売る浴衣ギャルたち(愛染娘・愛染女組という愛染祭公式キャンペーンガールズらしい)の ラフレシさ に辟易して早々に退散。隣接する大江神社で夏越の茅の輪くぐりをして参詣。夏越には一日遅れた気もするけど、半夏生にちなんで、ひとつ無病息災でこの夏を乗り切らせてくださいな。

いやまあ、たしかに、お釈迦さまがご覧になったらなんとおっしゃるかわからんとは思うけど、これだって現代に生きる仏教文化の生きた姿だから、目を背けたり、無下に全否定したりは、しないほうがいいと思うです。それにしても、いったいいかなる論理操作で仏教寺院がこのような…

勝鬘院を出て露店を冷やかしながら北へ向かい、なんばへ移動するが、その途中でまたしても大雨に襲われる。なんとも不安定な天気である。夕食はなんば551蓬莱の中華料理。母へのおみやげに餡まんを買い、南海電車なんば駅の前でやまげん&のうこと別れて実家への家路をたどる。大阪駅からの新快速では、小学一年生の男の子とその両親と同席。ぱっと見た感じでは背が高く賢そうな印象だったので、うちの【息子】よりお兄ちゃんかと思った。なぞなぞ大好きな男の子で、これから京都のお父さんの実家に泊まるのだそうだ。久々に二万歩を超えて、歩数計カウント21,621歩。なにしろよく歩いた。