て日々

2015年4月


2015年4月30日(木)はれ

前にも書いたかもしれないがうちの学科では毎週木曜日の午後に「数学科お茶会」というのを開催して、コーヒーとお菓子と数学の問題を提供し、学生さんに自由に議論してもらっている。今回ひとつ新しい問題を提供したのだが、自分が正解を知らないものだから、懸賞問題にしてヴェイユの『初学者のための整数論』(ちくま学芸文庫版)を賞品として提供することにした。その問題というのはこうだ

等式 \[ e-1=1+\dfrac{2}{2+\dfrac{3}{3+\dfrac{4}{4+\dfrac{5}{\ddots}}}} \]は正しいか.

のらっちゃんは答えを知っているようだったから、整数論の専門家のあいだでは周知の結果なのだろう。だけど懸賞だから、知ってる人も関係者には教えないでね。

話は変わる。いつもの医者が移転して、今日は初めてその新しい医院に行く。自宅からの距離はそれほど変わらないのだが、職場からはけっこう遠くなった。30分に1便くらい、職場の近くから医院の近くまで直接行けるバスがあるから、計画的に行動すれば不便ではないのだが、平日の夕方の5時から6時にかけてというのは、なかなか思うに任せない。今回は一度JR松山駅まで行ってそこから空港行きのバスに乗った。道が混んでいたせいもあってたっぷり遅れてしまった。わははは。すみません。


2015年4月29日(水)/昭和の日はれ

ジュンク堂書店にいって、ちくま学芸文庫に収録されているフォン・ノイマンの『数理物理学の方法』と『作用素環の数理』を買ってきた。電車で行ったが、文庫本にしては非常識に高価な(1,500円(税別)+2,100円(税別))本を買って、けっこう散財したわけだから、埋め合わせにはならないにせよ、帰りは歩くことにした。堀之内公園を通る。晴れた休日の午後。子どもたちを遊ばせながら歓談するママさんたち。女の子にサッカーを教えるお父さん。トランペットを練習する若者。広々とした公園はとても気持ちがよい。西堀端に出ると、人だかりしている。何かと思ったら、お堀のハクチョウのヒナが見れるのだった。

松山城西堀のハクチョウの一家


2015年4月28日(火)はれ

松山TGSAセミナーで講演する。自分の研究結果の報告もさることながら、記述集合論が成立するにあたってアンリ・ルベーグの果たした役割の紹介と、解析集合 (\(\Sigma^1_1\)-集合) の理論の基本のところのおさらいに主に時間を割いた。LaTeXのBeamerクラスを使ってスライドのPDFを作り、iPadをVGAアダプタにつないで映写した。自分の結果は、もともとたいしたことない上、講演していたら証明に穴があることがわかったので、その部分は削除して、スライドの歴史の話の部分だけをなげやりアカデミアに置く:「記述集合論誕生秘話(PDF)」


2015年4月27日(月)はれ

実家の手伝いに行っていた妻とセガレが帰ってきた。晩飯の用意は俺がして、妻の労をねぎらう。


2015年4月26日(日)はれ

昨日と同じく,家でくすぶっているのがもったいないくらいの晴天.それなのに,なんだか気持ちがダラケてしまってどうしようもない.まあぼやいてばかりいても仕方がないので洗濯をする.天気さえよければ洗濯は気分のいいものだ.昼食はトマトソースのスパゲティ.夕食には回鍋肉.


2015年4月25日(土)はれ

家でくすぶっているのがもったいないくらいの晴天なのだが,いろいろやる気がでない.家事と子供の面倒があるので気晴らしにコーヒーを飲みにいくのも憚られる.

実家の手伝いに行っている妻の誕生日なので「落ち着いてからでいいので,労をねぎらってやるとともに,ひとこと祝ってやってください」と義母にメールした.


2015年4月24日(金)はれ

朝,行列計算についてちょっとした初歩的なミスをやってしまった.

\[ \begin{pmatrix} a_{11} & a_{12} \\ a_{21} & a_{22} \end{pmatrix}^2 = \begin{pmatrix} -1 & 0 \\ 0 & 1 \end{pmatrix} \]

となる実数の行列の一般形を考えたと思って,よせばいいのに数式をツイッターにアップロードまでしたのだが,考えてみれば実行列を2乗して行列式が負数になるはずがない.この道で飯を食って24年になるのだが,まあサルも木から落ちるというやつだ.

仕事に向かう道を歩きながらその間違いに気づいて,それから考えた.木の枝につかまって生活するために手を発達させたサルが木から降りて,その手を他のことに使うようになって,そのおかげでサルがヒトになった,という説がある.「サルも木から落ちる.木から落ちたやつがヒトになる」というわけだ.

もっとも,こう言ったからとて,木から落ちたほうが高等だとか優秀だとかは必ずしもいえない.木の上で暮らしているサルから見たら「落ちたか…フッ,ヤツももう終わりだな」ってなものかもしれない.現に俺だって,計算間違いくらいはするが,いまの仕事や何やかやという古い木の枝に,うっかり落ちてはたまらんと,必死でしがみついている.

金曜日は2年生向け「集合と位相I」の講義と演習.きっちり予定した分量で講義が終わったので気分がいい.

夕方はピアノのレッスン.夕食は久々に「久留米とんこつラーメン松山分校」に行った.


2015年4月23日(木)はれ

朝食にはホットドッグを作ってやる.

生け垣のツツジ.赤い斑点のある白とピンク. 生け垣のツツジ.紅.
職場近くの中学校のツツジが見頃

昼間は図書室がらみの仕事と理学部の会議.

たこ飯と白菜の漬物
夕食はたこ飯にした.


2015年4月22日(水)はれ

数理論理学の講義.坪井先生のテキストの§2.2を済ませた.本当は§2.3まで進みたかったが,まあ慌てる乞食はなんとやらで,受講者をほったらかして講師がかっ飛ぶわけにはいかない.慎重に進もう.

夕食にはもやし炒めを作った.食材の買い出しに向かう途中,夕空に月と金星が並んで輝いていてとても美しかった.


2015年4月21日(火)はれ

ハルモス (Paul R.Halmos)の本 «A Hilbert space problem book» (Springer 1974)の序文に,数学を学ぶ上での独立独歩・自助努力のすすめが書かれていたので紹介したい.

数学を学ぶ唯一の方法は,数学をやることだ.この信念がdo-it-yourself(自分のことは自分で)式の,ソクラテス式の,あるいはテキサス式の基本で,教師はこの方式においては,学習者と事実との間で,博識だが無愛想な審判の役割を演じることになる.
数学書の正しい読み方は,まずコンセプトの定義と定理の主張を読んだら本を横に置いて適切な証明を見付けようと試みることだ.定理がトリヴィアルでないとすれば,この試みは成功しないかもしれないが,それと同じくらい,やはり得るものがある.
受け身の読者にとっては,型通りの計算も奇跡的な創意工夫も気軽に入ってくる.ただしその読者は,何かを自力でせねばならぬ段になって,来たときと同じくらい気軽にすべてが去っていることに気付くことになる.能動的な読者は,何がうまくいかないかを知っているぶん,著者の用いた方法でうまくいった理由を知るのにより好都合な位置にあるし,後には,どんな本にも書かれていない答を,いずれ見つけることになる.

さてさて,明日の講義の準備だ.命題論理の意味論のところ.含意記号→の真理値表がいつも悩みのタネである.これはしかし「日常的な用語が数学用語として流用されている場合に,通常の意味の理解がむしろ邪魔になる」ということの,数多くある例のひとつにすぎない.「ユニーク」とか「連続」とか「ほとんどすべて」とかもそうだ.最初は奇妙に思われるかもしれないが決して恣意的な定義ではない.ひとまず割り切って受け入れてもらおう.

とはいえ,テキスト(坪井明人『数理論理学の基礎・基本』(牧野書店 2012年))でもこの含意記号の真理値表については半ページを費やして説明を加えている.鈴木登志雄さんなんか半ページどころか1冊本を書いてしまったくらいだ.(『論理リテラシー』(培風館 2009年))だが,先週の第1回の講義でも言ったことだし,先ほど引用したハルモスの言葉にも通じるのだが,こんなものは自分で考えて納得してもらうに限るのだ.自分で考える人にとってこそ,坪井先生の半ページや鈴木登志雄の213ページが意味をもつ.だが,疑問を持つことを強要することはできない.われわれはただ「含意記号→の真理値表はこうなっている.これを奇妙だと思う人は多いね.」というだけだ.

晩飯の牛丼の写真
夕食には牛丼を作った.なかなか美味かった.

AquaSKKがOS X Yosemiteでなんだか使い物にならなくなったので,仕方なくGoogle日本語入力に乗り換え.Windowsでは快適に使っているGoogle日本語入力がMacでも使えないはずもあるまいが,習慣というものは面白いもので,Macのキーボードでは手が勝手にSKKの流儀で入力し始める.新しい入力方法に慣れるまではしばらく時間が必要だが,まあ「ことえり」を使っていた昔に戻ると思えば,さほど不安はない.


2015年4月20日(月)くもり

どうも集中力がなくて仕事にならない.妻が実家の手伝いに行ってしまったのでしばらくは俺が子供らの世話をする.夕食には海鮮丼を作った.

結城浩『数学ガールの秘密ノート〜微分を追いかけて』(SBクリエイティブ 2015年)が届いた.今回も何人かの学生さんを巻き込んでレビューをちょっとだけ手伝わせてもらった.


2015年4月19日(日)あめ

学科主催の新入生歓迎会.松山市野外活動センターで,時折小雨がぱらつく中だが,バーベキューをする.夜は飲み会.こちらは,もちろん3回生以上のメンバー限定.もっとも,俺はいろいろ気がかりなことがあっていまいち盛り上がれず.


2015年4月18日(土)はれ

晩飯
基本的にグータラして過ごした。昼飯の蕎麦と晩飯を担当。晩飯は肉じゃが、水菜の和え物、冷奴。


2015年4月17日(金)はれ

宝林寺のベニハナミズキ
城北交番前交差点にて。宝林寺のベニハナミズキ

「集合と位相I」の第2回の講義では、集合の分割から同値関係が得られること、写像(全射)が集合の分割を引き起こすことを語り、「同値関係と集合の分割はタマゴとニワトリです。次は同値関係から集合の分割が得られることをみましょう。」といって同値類の定義と例を出したところで時間切れとなった。

首都圏や京阪神の書店ではすでに結城浩『数学ガールの秘密ノート』の最新刊が出ているらしい。それで、ピアノ教室に行く前にジュンク堂に行ってみたが、松山まではまだ来ていない。そのかわり、倉田令二朗著・高瀬正仁解説『多変数複素関数論を学ぶ』(日本評論社2015年4月)が出ていた。倉田ファンとしてはこれは素通りできない。

kurata-book20150417

ピアノのレッスン。発表会まで日があるので一度すべての音の「棚卸」のようなことをすることになった。レッスン後は電車に乗らず歩いて帰る。途中、宮西のブックオフで菊地成孔+大谷能生『憂鬱と官能を教えた学校』(河出書房新社2004年)を買った。


2015年4月16日(木)くもり

教室の図書委員として図書室運営のための会議の議長をしてきた。1年前に改装して綺麗になった数学科図書室だが、司書さんがいなくて教員が自主運営するほかないため、蔵書の整理をはじめとするいろいろな用事がどうしても後手にまわりがちで、まだまだ有効利用できていない。

午後6時すぎに会議が済んでそれから明日の授業の準備にとりかかったので、帰りが夜中すぎになってしまった。くたびれた。寝ずに待っていた妻が用意してくれた軽い夕食をとり、クラビノーバに向かい、少しだけ練習をしてから寝る。


2015年4月15日(水)くもり

数理論理学の講義。初回は命題論理の論理式の帰納的な定義。テキストにない「構文木」の話が中心になった。余計な脱線をしたので、一番大切な「帰納法による証明」が次回送りになった。むむむむむ。

開口一番に言ったのが「この科目は数理論理学ですが、これを《数論》と略すのはマチガイです。《数論》はNumber Theoryで、これは日本では整数論と呼ばれている分野です。」

それと「論理的思考に強くなるという期待をもって来ている人がいるかもしれません。お互いの幸せのために早めに誤解を解いておきますが、数理論理学で扱うのは数学における推論(証明論)と数学的な問題の定式化(構文論と意味論)の数学的カラクリに限られますので、論理的思考を鍛える訓練として、他の学問分野と比較して数理論理学が特によいとは思っておりません。論理的思考に強くなるためには、どの学問分野にせよ、たくさんの本を読んで真剣に学び、学んだことについていろいろな人と語りあうことです。論理的な思考力は、主体的に学ぶことでこそ身につくものであり、授業で教わるものではないのです。」


2015年4月14日(火)くもり

普通に仕事をする。数学図書室がらみのだんどりとか、明日の講義の準備とか。

手書きの講義ノート

本来なら、講義ノートは大学ノートに書いて残すべきなのだろう。だからこそ、あれを大学ノートというのだ。ところが、いざノートに向かうと、気負いがあるせいか、なぜか筆が進まない。iPadの手書きノートアプリのGoodNotesなら、気軽にどんどん書くことはできるが、だがこいつでは、図を描く段になると苦労する。結局はレポート用紙のようなパッドに書くのがいい。それも、使用済みのコピー用紙の裏なんかが一番いい。なんとも貧乏くさい話だ。


2015年4月13日(月)くもり

いつものように朝6時前に目覚しが鳴ったのは覚えているのだが、つい二度寝してしまって、盛大に寝坊した。二度寝のとき「研究室を引越する夢」をみた。夢の中で、大学の古い建物の実験施設の中で道に迷ったり。前にも書いたような気がするが、集合住宅かホテルのような建物の中をうろうろする夢をよく見るのだ。そんなふうに同じテーマの夢を繰り返し見るからには、心の奥にある固有のテーマみたいなものなのだろう。


2015年4月12日(日)くもり

ムスメの14歳の誕生日。Facebookでムスメの描いたイラストを掲載して「誕生日なのでなんぞ言うてやってください」と告知したら、多くの人たちからメッセージが届いた。ありがたいことだ。

スケッチブックがほしいというムスメの慎ましいリクエストに答えるべく、午後の散歩を兼ねてフジグラン松山へ歩く。1階で「京都の物産フェア」みたいなのをやっていたが、八つ橋などのお菓子が京都のものだった以外は「それべつに京都やのぉたかてよろしおますやん」と言わねばならないものばかりだ。かかっていた音楽も、歌詞だけは京都のことを歌っているが明らかに江戸風だったり。このごろは、和風でちょっと華やかだったら「京都風」で通ってしまうのだ、きっと。


2015年4月11日(土)くもり

久々に昼食はパパラーメン。昼食後、長々と昼寝をしてしまい、一日ムダにした気分。


2015年4月10日(金)あめ

そんなわけで最初の授業。昨日の日記に書いたような話をするが、 最初ということもあって、どうも調子がでない。しかし、授業が始まってしまえば、 具体的イメージが描けるぶん、準備期間中のような不安はなくなる。 これからちょっとずつでも調子を上げていきましょう。

夕方、ピアノのレッスン。後半、 サウンドについて語る先生の言葉がどうしても理解できなかったので、「わかんないです」 とちょっとしつこいめに食い下がった。 先生は言葉での説明のほかに実際にいろいろ弾いて聞かせてくださったが、 やっぱりよくわからなかった。感覚が共有できていないと思うと、とても残念な気持ちになる。 出来のわるい生徒でごめんなさい。

巨大基数公理botの定型文、100個を越えたあたりから苦しくなってきた。 俺もまだまだ修行が足りない。Jech本Schindler本で勉強しなくては。あと、集合論と直接は関係ないけど、この本も読んでみたい。


2015年4月9日(木)くもり

きょうから平成27年度の授業が始まる。もっとも、木曜日には俺の担当する授業はない。明日の「集合と位相」の講義の準備をする。明日は「同値関係」というものの定義と例をやる予定。

人間である以上、他者との関係について思い悩むことは避けられない。ましてや、受講生は大学2年生、たいていは19歳20歳の多感な若者たちだから、なおさら「関係」という俗世の手垢にまみれた言葉につきまとういろいろな含意に引きずられてしまいかねない。しかし、数学においては、関係とは対ごとに成立・不成立が定まるナニモノカ、それ以外の意味はない。明日の講義でも、下手に「関係とはなんぞや」などと言わず、「関係とは、考えている対象のペアごとに成立・不成立が決まるということです。たとえば実数の大小の比較はその意味での関係の一種です。整数が他の整数で割り切れるか余りが出るかというのも、同様に関係の一種です。」ってな具合であっさりと数学の話に入っていくことにしたい。実数の大小、整数の整除、ジャンケンの勝敗、そうしたものが数学的な意味での「関係」の例である。

というわけで、関係についての人間臭いイメージを喚起する講義は自粛することにしたのだが、俺が【関係についての人間臭いイメージを喚起する講義】をしたらどうなるか、ということのほうに興味がある人もいるだろう。たとえばこんな感じになる:

……人間というものはどうしても関係というものに悩まされるのです。 たとえばここに二人の人間がいたとして、 この二人の間にいかなる関係が成立するべきかということだけに限っても、考えるべきことは限りなく あるわけです。この世の中にいる人間が、仮にわたくしとあなた(←誰かを適当に指さす)だけだったと しても、問題はきわめて複雑です。

……ところが、数学においては 「関係」というものを「対象のペアごとに成立・不成立が決まるナニモノカ」と、 実にあっさりと割りきって考えます。さきほどの、わたくしとあなたとの関係でしたら、 もっぱら「わたくしからあなたに対してソレが成立しているか」と 「あなたからわたくしに対してソレが成立しているか」の二つの要因だけを考えます。 ですから数学においては、二人の人間の間には、 この二つのことの成立・不成立という2×2=4とおりの関係だけしか、 本質的には存在しないのです。ただし、厳密に言えば、 わたくしとあなたがそれぞれ自分自身に対してソレを成立させるかどうかという要因による4つの 場合分けを考えに入れて、全部で4×4=16とおりの「関係」が考えられることになります。 だとしても、たったの16とおりです。なんとも大雑把な話であります。

……では、そのように実に大雑把に理解された意味での関係としては、 いったいどのようなものがあるでしょうか。たとえば、実数の大小関係がそうです。不等号 \(\leqq\) であらわされる関係ですね。これは1から2に対しては成立し、2から1に対しては成立しない、という ように、\(\leqq\) の左右にそれぞれどんな数がくるかによって、成立・不成立が客観的に決まります。 人間どうしの力関係のように同じペアの間でも昨日ときょうで勝敗が逆転するとか、 そういう可能性は考えないわけです。他の例としては、整数の整除関係ですね、整数\(a\)で整数\(b\)を 割ったときに割りきれるか余りがでるか、というやつです。云々。

ふむ。最初の御託を省けばこれでもいいような気がしてきたぞ。

巨大基数公理botのプロフィールページ(一部)のキャプチャ

さてさて、ツイッターで集合論のいろんな蘊蓄をつぶやく【巨大基数公理bot】というものを作ってみた。IDは @ineffable_bot だ。まだ定型文が少ないので面白くないが、興味のある人はフォローよろしく。あと、できればネタのサジェッションもください。


2015年4月8日(水)くもり

なんだか真冬なみに寒い。おまけに地震も(小さかったけど)来たりして。午後、妻といっしょに大学内に設置された期日前投票所に入って県議選の投票をしてきた。その後、同じ建物にあるミュージアムカフェで一息。

仕事を済ませて、夜の帰りがけ。いつもの2番の電車を逃がしたのを機に、反対向きの1番の電車に乗って松山市駅へ回り、ホームに最近できたという小さなセブンイレブンを見にいった。要するにキヨスクみたいなものだね。いやそれにしても、ホームで電車を待つあいだも凍えそうだった。

夕食後、クラビノーバにヘッドフォンをつけて、はりきってピアノの練習をしていたのだけど、思わず知らず1時間もぶっとおしで弾いていたせいで、立ち上がると、めまいがした。焦ったからって早く仕上がるものでもないのにねえ。


2015年4月7日(火)くもり

ムスメが中学生、セガレももう小学5年生になり、 小学校へ子どもを連れていくことがなくなったせいで、 この5年ほど毎朝のように足を運んでいた三番町ガーデンプレイスカフェに行く機会が、 このごろはほとんどなくなった。 その代わり、このごろは中央通のロッテリアの隣にある 元町珈琲によく行く。

元町コーヒーのカップとソーサー

朝7時半から夜23時までやっている。 場所的に仕事の帰りに寄りやすい。 無料のWiFi接続サービスがある。 BGMに心地よいジャズがかかっている。 さらに、すぐ近くにスタバがあって、若くて元気な(そしてウルサイ)人たちは、 みなそちらへ行ってくれる。そういういろいろ好都合な事情があって、この場所がかなり気に入っている。 コーヒー代がバカにならんから毎日は行けないけどね。


2015年4月6日(月)あめ

朝と昼の飯を担当し、昼食後、大学に行く支度をしに2階に上がったが、ちょっと気がゆるんで 夕方まで爆睡。家族はみな俺が普段と違う靴をはいて大学に行っているものと思ったらしい。いや、 仕事にはいていく靴なんて他にありませんから。疲れが出たのか、なんだかんだで一日寝て過ごしてしまった。 こりゃいかん。


2015年4月5日(日)くもり

朝、寝床でiPhoneをいじっていて見つけたのだけど、昨晩トリイロ (@tri_iro) こと木原貴行くんが再帰的到達不能順序数 (recursively inaccessible ordinals) とスーパージャンプ階層 (Superjump Hierarchy) についてツイッターで書いていた。最後に「続きは、次の人がつぶやいてくれるということで丸投げ」というようなことを書いていたので、僭越ながら続きを書いた。さらにそのあとを、その夜に池上くん (@DaiskeIkegami) が引き継いでくれた。この三者のリレー講義は、某T大のIHくんが Togetter にまとめてくれているのでよかったら読んでね:Lebesgue可測な集合の階層を巡る探求

午後3時ごろに、妻と息子も戻ってきた。三食とおやつを俺が担当する。夕食は塩サバの焙ったやつに醤油と大根おろし。つけあわせはもやしの胡麻和えと、肉じゃが。汁ものの代わりに、昼に茹でた蕎麦の残りを4人で分けあう。


2015年4月4日(土)くもり

三津浜港

俺が日記を中断している間に、わが娘は中学生になって、もうすぐ2年生である。 学校の春休みの宿題がたくさん残っているのに、妻の実家が人の出入りの多くなるシーズンにさしかかり、 勉強どころでなくなったというので、予定より1日早く、娘だけ先に帰省先から戻ってきた。自宅から港までは歩いて1時間。散歩を兼ねて迎えに行き、電車で帰宅。蕎麦を茹でて昼食にする。

肉そば
ひるめし

夕食はイワシの煮付け、ほうれん草の白和え、かみなりこんにゃく。

いわしの煮付けと白和えとかみなりこんにゃく
ばんめし

これしきの料理でも、自分ひとりのためにする気にはならない。一緒に食ってくれる人がいるのは幸せなことだ。


2015年4月3日(金)あめ

温かいが朝から小雨がぱらつく。午後には雷も聞こえ、一時激しい雨となった。

「て日々」がスマホで読みやすいように、スタイルシートとviewportを調整した。ただし、過去の日記のスタイルシートはそのままにしておく。

午前中には新2回生ガイダンス。理学部の学生のうち46人が正式に数学科の所属となり専門科目を勉強する。他の教員たちに交じって、自己紹介を兼ねて挨拶をしてきた。今年度の新入生のうち12人を「学生生活担当教員」(学担:クラス担任に近いが実際の役割はもう少しゆるやか)として受け持つことになっている。きょうは新入生ガイダンスが行われているので、こちらでもほんのひと言だが自己紹介をする。毎年この時期ついついダラケてしまって自己嫌悪スパイラルなのだが、そろそろ新学期にむけてエンジンをかけなくては。

夕方はピアノのレッスン。今月からT先生にご指導いただく。練習していて疑問に思ったことに、実に明快かつプラクティカルにアドバイスをいただけて、とてもありがたい。


2015年4月2日(木)はれ

今年に入って3月末までに読み終えた本は、記録と記憶にある限り、 あらゆるもの含めて17冊。妻は「けっこう多い」と言うが、今年は年間100冊以上を目標としているので、 これではまったく少ない。

もっとがんばらないとと思って、コミセンの図書館に行ってきた。途中に見る桜はどれも満開。 春爛漫。

今後は、読み終えた本についてはここに書くことにする。日記そのものは、そう連日 長文を書いている場合でもないので、普段はこれくらいサラっとした内容にして、むしろ更新が途切れない ように心がける。

図書館に関連して、「マガジン航」というサイトにきょう付けで掲載された伊達文さんの「貧困から図書館について考える」という文章を、ぜひ読んでみてほしい。


2015年4月1日(水)くもり

Web日記の更新をやめた後、アメブロというサービスを使って「ゼルプスト殿下の事情」 というブログを始めた。それで結局は「書きたいときに好きなことを書く」というスタンスでは、 俺は継続できないこともわかった。「て日々」が続いた理由の一つは、 すべての日付のエントリを欠かさず書かねばならないという縛りがあったことだった。

だが、公開の日記では、なにからなにまで洗いざらい書くというわけにもいかない。 人前に出せないような事情でいっぱいいっぱいになっていることだってある。「て日々」はそれでも更新 せねばならない。それで、ついつい上っつらなキレイゴトを書いてしまう。 それが積もりつもっていくと、だんだんと自分にも周囲にもウソをついている感じになってしまい、 苦しくなってくる。何度か日記を中断してしまっている背景にはそういう感情があった。だがなにしろ、 誰しもいろいろな状況でいろいろにふるまうものであり、そういう裏表というのも、 ある程度は仕方がないことだ。むしろこうやって日記で多少なりとも内部事情を晒しているほうが、 内と外の分裂を自分で意識しやすいだけのことなのだろう。表向きと裏側の乖離は誰にでもあることであり、 少々難しい状況になったからとて、それを気に病んで日記を中断したのは俺の弱さである。そして、 公開日記を中断せねばならぬような困難な状況に、自らを追いこまないように気をつけるのは、 日記を公開していようがいまいが、どのみち必要なことだ。

非公開の日記なら自分にだけはウソをつかなくていいだろう、 ブログのネタのメモにもなるしと思って、昨年10月から今年2月くらいまでは Day One というアプリを使って日記をつけていた。だが、俺にはそれはかえって毒だった。 非公開日記なんて妄想の温床である。時間とエネルギーを妄想を書き連らねることに注ぐくらいなら、 まだしも公開のWeb日記のほうがマシだ。それで、Day Oneの日記は放棄し、データも消去した。

そんなふうに、思うところあって、1年3か月間止めていたWeb日記を今月から再開する。