て日々

2015年11月


2015年11月30日(月)はれ

月曜日は午前にM2ゼミ、午後に卒研ゼミ。どちらもそろそろ「終わりかた」を考えに入れて進まないといけない時期だ。M2ゼミでは修論をどう書くか(何を書くかはこの時期には決まってないと話にならない)を考えるし、卒研ゼミでは発表会で何をしゃべるかを考える。

先週の水曜日に自然演繹での \(\neg\forall x\varphi(x)\rightarrow\exists x\neg\varphi(x)\) の証明がわからんぞとTwitterでボヤいたら鹿児島のQちゃんが助けてくれた。あとでよく見るとテキスト(高崎金久『学んでみよう記号論理』日本評論社 2014年)の巻末に解答があった。Qちゃんに送ってもらったヒントを解読すると、著者が «背理法» を使っているところでQちゃんが «\(\neg\)導入» と «二重否定除去» を使っているという違いだけでほぼ同じ解であった。

先日から目論んでいる「結城本レビューア打ち上げ」だが、このあいだの案は参加者の予定が重なっていて無理があるので日を替えた。日程が決まれば、次はどこで何を食うかだ。帰り道にコンビニのスタンドで「ホットペッパー」と「イーノ」と「ぐーちょき」を入手して検討するなど。


2015年11月29日(日)くもり

昨晩はよく眠った。おかげで体調は回復しつつあるが無理はできない。着ぶくれした状態で寝たり起きたりする。

思うところあってピアノの楽譜を書き始めるが、あまり根を詰めるわけにもいかん。

妻は急な請け負い仕事で一日じゅう出かけている。子供らのために俺が昼食のうどんと夕食の回鍋肉を作ってやる。回鍋肉は、豆豉醤(トウチジャン)を買ってきて豆板醤と味噌と酒と醤油をあわせて自分でソースを調合した。調合自体はうまくいったが、豚肉とキャベツと比較してソースの量が少し足りなかったかもしれない。それと、野菜を炒めるときに水を足しすぎて、キャベツがしんなりしてしまったのはちょっと回鍋肉のイメージとは違ってしまって残念だった。しかし出来合いのを買ってこなくても自分でソースを調合できるとわかったので、また作ってみよう。それに豆豉醤は野菜炒めや麻婆豆腐なんかにも使えるらしいので、いろいろ工夫してみる。

ところで豆豉醤を《豆鼓醤》と表記している例がWebに沢山あるが 豉 と 鼓 は交換可能なのだろうか。漢字辞典で調べてみなければ。


2015年11月28日(土)くもり

散髪したばかり+急な寒さ+職場の飲み会、という組合せはやはり凶と出て、腹を壊した。本当は家でおとなしくしているべきだが、松山ブックマルシェにムスメを連れて行きたいので、整腸剤を飲んでから出かける。ムスメは自称「本の虫」であるから、ブックマルシェのあとはアエル松山のセレンディップ明屋書店にも寄りたがったし、銀天街のはなまるうどんで昼食のあとは、ジュンク堂書店にも寄った。とはいえ、買った本はブックマルシェで見つけた『炎立つ』講談社文庫版全5巻だけだった。ブックマルシェには、澁澤龍彦とか山口昌男とか、俺にとって興味深い本もいくつかはあったのだが、例によって先立つものが不十分であるから、ムスメの買いものを優先してやった。

午後からはムスメは塾に行く。俺は帰って寝る。


2015年11月27日(金)はれ

セーターにコートという冬支度で出かける。昨晩やり終えたセクションII.17を含む原稿を関係者に開示。そのあとは、23日の日記に書いたことに関連したLouveauとSaint Raymondのフランス語の論文に挑戦する。夕方は今春退職なさったMN10先生の最近の研究の話を聴く談話会。テーマは常微分方程式の解析で、門外漢ながらけっこう楽しく聞けた。唯一残念だったのがスライド。LaTeXで組んだスライド原稿をPDF化して投影しているのだが、論文と同様に重要な数式をあとから番号で引用しているため、結局何度も行きつ戻りつしながら表示することになり、パラパラ漫画状態の途中ページが目ざわりだし、うっかり行き過ぎたり戻り過ぎたりもする。

どうやら、スライドと論文原稿では見せるストラテジを変えて作らないといけない。スライドでは数式や定義でも重複を厭わずに何度も同じことを書くほうがいいのかもしれないと思った。極論すれば、完全に台本通りに話す紙芝居的な発表はともかく、アドリブを交えつつ込み入った話をする場合には、Beamerクラスにせよ何にせよ、LaTeXでPDFというのは、結局不適切なんじゃないだろうか。黒板に書きながら話すような自由度は望めないにせよ、重要な定義や鍵になる数式はいつでもさっと呼び出せるようにしておきたいし、証明は必要に応じて見せたり隠したりしたい。それこそ、今月9日の日記で紹介したのらっちゃんの実験のような方法が適しているように思う。となると、さしずめ HTML+CSS+JavaScript ということになるか。それでいいのだが、HTMLのオーサリングが往年のHyperCardのように楽しく見通しよくできればいいのにとは思う。

あ、いや、MN10先生、ダシにしちゃってごめんなさい。

きょうはピアノのレッスンもないので、談話会のあとは二番町の すし徳 で会食にご相伴。しかし、仕事がらみの会食ではどうしていつもこう酔いの回るのが早いのだろう。皆には悪いけど、気分よく酔えたためしがない。ひょっとして現実逃避したいから? よくわからんが、後半はほとんど眠っていたように思う。


2015年11月26日(木)くもり

朝のうちに散髪に行った。その足でコミセンの図書館に行って本を何冊か借りる。郵便局で用を済ませ、一番町のココ壱番屋で早めの昼食をとり、大学へ行く。午後には、昨日流れたM2ゼミをやり、翻訳を進めセクションII.17をひととおり済ませる。夜は家で原稿の読み返しをし、ムスメの数学の勉強を見てやる。

歩数計カウント13,748歩。風も強く、いよいよ冬の訪れを感じさせる寒さであったが、俺は案外このシーズンが嫌いではない。

やる気のないあひるやる気のないあひるやる気のないあひる

数年前に買ったけど使っていないATmega88-20PUというマイクロコントローラが、うちに1個だけある。これはArduinoのコアとして使えるというので、Arduino互換の小さなボード「あちゃんでいいの」ブートローダ・ライタaitendoに発注。死蔵しているよりも、くだらないことにでも使ってみたほうがいい。


2015年11月25日(水)くもり

昨日に引き続き、かなり肌寒い。さすがに冬が近いな。湯たんぽを使いながら仕事する。水曜日だが月曜日のスケジュールで授業である。卒業研究ゼミで自然演繹をやるが、\(\neg\forall x\varphi(x)\rightarrow\exists x\neg\varphi(x)\) の証明がわからなくて困る。否定がからむと自然演繹はとたんに難しくなるなあ。あと、きょうも翻訳を進める…というほどは進んでないけど、まあ今週中にはセクションII.17を済ませる所存。無線ルータとイーサネットのハブが届き、オフィスのLAN環境が改善した。しかし機材が増えたことによって電源まわりの改善がいよいよ急務になってきたのでもある。


2015年11月24日(火)くもり

けっこう肌寒い。地味に仕事をする。翻訳を少し進める。昨日の日記で触れた内容についての基礎文献をプリントアウトする。午後に3年生セミナー。睡眠の不規則のため疲れが出やすい。きょうは酒を飲まぬことにする。


2015年11月23日(月) 勤労感謝の日くもり

結局、問題の薬を飲まずにきょうのピアノ発表会を迎えた。今回はかっこよく弾くとか上手に弾くとかいうことを考えず、自分に伝えたいことがあるかないか、やりたいことがあるかないかを問う演奏をしようと思って本番に臨んだ。会場のスタインウェイはたしかに弾きやすいすばらしい楽器である。しかし、テキはなにしろあのショパンのあの「幻想即興曲」であるから、結果はやっぱり思うに任せなかった。妻とセガレが聴きに来てくれたことと、演奏後何人かの方に声をかけていただいたことが嬉しかった。

しかし、さすがにもうショパンには懲りたよ…

17時半ごろの終演、ウチアゲが19時から。帰宅していては時間が足りないが、街にいると時間が余る。まあ仕方がない。会場から歩いてひとまず松山市駅まで行き、ドトールコーヒーで一息入れる。それから銀天街の明屋書店に行って、高橋書店製の文庫本サイズの来年の日記帳を買う。「て日々」の下書きをこれまでよりきちんとつけたほうがいい気がしているのだ。それで、定刻の15分前くらいに一番町のウチアゲ会場(ローソン2階のベティ・クロッカーズ)に着く。

ウチアゲでは何人かの人と親しく話ができて、これまた嬉しかった。個人レッスンのピアノ教室では横のつながりが作りにくいのだが、発表会があり、ウチアゲがあれば、常連参加者たちはお互いに顔見知りになり親しくもなれる。これはとてもいいことだと思うのだ。

やる気のないあひるやる気のないあひるやる気のないあひる

さてさて帰宅して風呂に入ってひとまず寝てしまったつもりが2時間ほどでまた目がさめたので、仕方がないので数学関係のことをツイッターでごにょごにょつぶやいた。それを少し編集してここに再現する。

Borel hierarchyの理論とJensen hierarchyの理論はひとまず全然別の対象を相手にしていながら互いに相通じるものがあるように感じられる。とはいえ、この「感じ」に正しい論理的筋道をつけるのは容易ではなかろう。

ボレル集合のWadge hierarchyはベール空間 \(\omega^\omega\) のボレル部分集合のつくる集合族のうち連続関数の逆像のもとで閉じているものすべてを、究極の構成要素、いわば原子にまで分解したものになっている。いっぽう、構成可能的宇宙 \(L\) に対するJensen hierarchyによって、\(L\) に属する集合すべての出生の記録とでもいうべきものが明らかになり、Jensen hierarchyの各水準が、ある種の演算のもとで閉じた推移的部分集合(いわば \(L\) の「有限近似」)すべての、これまた究極の構成要素を与えてくれる。その程度には両者は「似ている」のだが、これだけでは他人の空似にすぎないともいえる。

そもそもボレル集合と \(L\) が直接対応するアプリオリな理由は見当らないように思われる。しかしここで、(1)実数全体 \(\mathbb{R}\) の第一近似としての有理数全体 \(\mathbb{Q}\)、(2)集合論の宇宙全体 \(V\) の第一近似としての構成可能的宇宙\(L\)、 (3)ルベーグ可測集合族全体の第一近似としてのボレル集合族、という3つを比較してみよう。いずれも「わけのわからん混沌の世界」に対して「詳細にわけがわかる秩序の世界」からの近似の第一歩となっている点が共通している。

とはいえこの程度のアナロジーで最初の「互いに相通じるものがある」ということの説明が済むわけもない。こんな御託だけからマトモな数学が生まれるはずはないのだ。で、いまのところ何の打つ手もないのだけど、(1)-(3)のいずれも「完備化が呼び寄せた魑魅魍魎の住処」に完備化の前の秩序からどこまで迫れるかが問題で、さらに「秩序の階層の順序数による解析」という共通の方法論があるようにも思う。より緊密なアナロジーの展開が待たれるし、アナロジーでなくロジックでの対応がつくならばそれに越したことはない。さしあたりLouveauやSaint-Raymondのボレル階層の微細構造理論とJensenによる \(L\) の階層の微細構造理論をしっかり勉強しよう。

あと一言だけ。ここにボレル階層と超算術階層の明らかなアナロジーを含めないでは、まったく片手落ちだわ。G.E.Sacksの著書 «Higher Recursion Theory» にあるようなJensen理論の計算論的側面の解明から、あるいはボレル集合族の理論とLの理論の緊密な対応が見い出されるかもしれない。がんばってみよう。


2015年11月22日(日)くもり

明日の発表会の集合時間を確認するために楽器店に行った。ほかのお客さんと商談中だからと制止されたものの3秒間だけ生ピアノを弾き、薬の影響が抜けていることを確認。しかし営業妨害をするわけにもいかないのでさっさと退散しヤマハに行ってみる。2階のピアノ売り場にいくと、お母さんに連れられた小学生の女の子がとても上手に弾いている。おっさんの出る幕ではない。1階の展示品のピアノを10秒だけ弾く。ますます、弾けない気がしなくなった。そのあと、宮西のエディオンの3階で電子ピアノを1分ほど弾く。家でろくに弾けないのは、俺の腕前がボロボロなのもさることながら、楽器がボロボロなのでもあるのだ。発表会会場のスタインウェイはこれまで発表会のたびに弾かせてもらっていて、その弾きやすさ反応のよさはよく知っている。明日は落ち着いて丁寧に音に向かいさえすればなんとかなるといよいよ確信すると同時に、さっさと楽器を買いかえたい気持がますます募るのだった。

家では翻訳をちょっとだけ進めるのと並行して、『天野先生の「青色LEDの世界」』(講談社ブルーバックス)を読んだ。ノーベル賞受賞の学者がLED発光の原理や半導体技術の応用の展望を交えながら青色LED開発の経過を語る本で、まさに実験ひと筋の学者人生が開陳される。立派だなと思うと同時に、こういうピュアな職人気質の学者像だけが理想化されて浸透するのは、天野先生には何の責任もないことだが、ちょっとマズいなとも思う。

というのも、科学研究にはお金がかかるからその調達の苦労は当然あったはずだし、環境への配慮とか、大学ならではの事務仕事とか、ここに描かれていない苦労を天野先生もしているはずで、敢えて語らずに済ませたであろうそうした雑事を支えた人々の尽力にも光が当てられてしかるべきだ。そして、少ない予算をやりくりして機材を調達し黙々と実験を続ける優秀な科学者(失礼を承知で敢えていえば、いわゆる「ラボ畜」)の姿というものが、科学技術の上前をハネたがっている権力者にとっていかに都合のよいものであるかを思うと、もう少し怒ってくれたほうがいいなと期待してしまうのだ。だがもちろん、怒っているのは俺であって天野先生ではない。だから天野先生には何の責任もないと先に断わったとおりだ。

まあそういう愚考はおいといて、LEDに光を当てると両電極間に電圧が発生するという記述を見てさっそく実験してみた。LEDの種類と当てる光の選びかたによっては、なんと1.6ボルトもの電圧が発生した。まあ電力はほとんど取り出せないのだけど、これをセンサーとして利用する道はあるかもしれない。おいおい試してみたいと思う。


2015年11月21日(土)はれ

IchigoJamのLPC1114で制御していたクリスマスツリーの電飾をLPC810を使って作りなおし、小型化した。開発環境の使い方がおぼろげにせよわかってきたので、見よう見まねでプログラムを書いてチップに転送した。きちんと動いてくれて大変うれしい。今月7日の日記に載せた写真と比べてみてほしい。

LPC810で制御した電飾クリスマスツリー


2015年11月20日(金)くもり

ピアノのレッスン日なのだが通常のレッスン日程では休日ということになっている。しかしまあ発表会直前であるし、子供のレッスンがないことも幸いして、じゃあ発表会の予行演習をしようという話になった。俺を含む5人が順に本番さながらに緊張しながら演奏する。俺は昨日の日記にも書いたとおり弾けるものも弾けない状態。だが、大人の生徒さんたちの大部分は思うように弾けないなりにがんばっている人たちだ。条件は似たようなものかもしれない。そう思いながら他の人たちの演奏を聴くうち、いまのままステージに乗ってもいいのかもしれないと思い始めた。

予行演習のあと自分のレッスンの時間をとってもらっている。そこで、昨日医者で話したことを先生に伝え、どうしたものかと相談する。選択肢は三つある。第一に医者の言うとおり、月曜日まで薬を控えて本番に向かう。これは指は動くかもしれないが、精神の安定を保つ薬を控えるのだから、家族は心配するだろうし、どれだけ指の動きが回復するかは未知数だ。第二に、薬を飲んで少々ラリった状態でもステージに乗ってしまう案。これはこれで弾けないのはスリク(バンドマン風の薬の隠語)のせいだと居直れる。第三に、出演自体をキャンセルしてしまう案。安全だが何も生まないこの案が、しかしさっきまで楽器に向かっても溜息と涙しか出なかった自分にとってはいちばん魅力的に見えたのだ。先生が言うには、薬のせいで指が動かないのはたしかに不本意だろうが、弾かなければ後悔はないかというと、そんなわけにもいかないのではないか。聴いていて薬のせいで著しく演奏が崩壊しているという印象は受けない。速く弾くことは考えなくていいからゆっくりでも丁寧に弾いたらどうだろうか、と。

それで、結論として、明日1日を薬なしで過ごして、どうしてもダメなら薬を入れる。それでラリってしまってどうしようもないようなら出演をキャンセルするが、持ち堪えられそうならラリったままステージに乗る。薬なしでもどうということもないようなら、日曜日も薬を控えてコンディションを整えてステージに臨む。つまりは、基本的にはステージに乗る方向で考える。たとえワヤクチャな演奏しかできなかったとしても、それはそれで自分の練習の成果発表だと思うことにする。

前向きな気持ちを取り戻しながら教室を後にし、いつものGarakta Cafeに向かう。バーベキューパーティーの案内が出ている。先日から目論んでいる「結城本レビューア打ち上げ」はこれにしてもいい。チラシの写真を撮って学生代表の ねげろん に連絡する。

先客の知的ムード満点のお兄さんが、なにやら急に携帯電話を取り出して誰かに連絡してると思ったら、店番のお姉さんに「あなたのソウルメイトと思われる男性が知り合いにいる。きっと気が合うはずだと思うからいまから店に来てもらう。自分はこれで退散するがあとはよろしく。」という意味のことを言って本当に退散してしまった。俺ともう一人常連らしい女性と、店番のお姉さんはあっけにとられる。常連の女性も「主人がうるさいから」と先に帰ってしまい、俺と店番姉さんの二人で「なんだこれは」と苦笑するが、俺とて毎週のもう一つのお楽しみであるジュンク堂書店に閉店時間前に行ってしまいたい。それで「来週ぜったい来るから話聞かせてよぉ」と言いつつ立ち去った。ジュンク堂に行ったが買う本があるでもなく30分ほどで退散し、さっきのカフェの前を通ったときには、ソウルメイトの彼どころか店番のお姉さんの姿も見えず、店が無人になっていた。まあ、お客がいなくなったので奥でなにか作業をしていたのだろう。決して、やってきた男性とお姉さんが30分を経ずして意気投合して奥でごにょごにょ…ということではあるまい。そして考えてみれば、来週はピアノのレッスンがなくて、他の飲み会の予定があるから、この店に来られない公算が大きいのだった。


2015年11月19日(木)くもり

仕事に行くときにiPhoneを忘れて出たことに歩きながら気付く。それだけならまあ、よくあることだ。俺の仕事には、さほどの差し障りはない。さらに歩いて大学に着いたころ、財布も忘れてきたことに気付く。これはいけない。きょうは医者に行く日なのだ。小銭入れの500円ちょっとでは間に合わない。仕方がないのでいつもより早めに歩いて帰宅し、財布を確保して妻に車で医者に送ってもらって、医者からの帰りにまた歩く。そんなこんなで歩数計カウント14,044歩。

ところが医者に行くときにもまた忘れものをしていたから、まったく笑えない。これは、どうやら薬のせいなのだ。感情の起伏を抑えて日々を安定させてくれるのはいいが、集中力が奪われているし、忘れものが多くなった。医者によると、ピアノで弾けていたものが弾けなくなったのも薬を最近増やしたことが関係していると思われるらしい。「ショパンみたいな指がヒラヒラ動かないといけない曲は無理でしょ」とは医者の談。なので、23日の発表会まではその薬を控えることになった。さてそれで間に合うだろうか。

自分は車を運転しない。免許は持っているが、「あんたが運転したら怪我人が出る」と妻や親兄弟に止められているのだ。原付くらい乗ろうかと思う時がないでもないが、ついぞ実現しない。この6〜7年ほどは自転車すら妻の実家などでちょっと借りる以外ほとんど乗っていないのだ。妻は普通に車を運転する。おかげで随分助かっているが、自分ひとりの移動のときはたいてい電車か徒歩だ。

数学には、ほんの一握りの世界的リーダーがいて、この人たちは他の誰も思いもよらないようなテーマの研究で新しい結果をどんどん生み出すクリエイティブな天才たちだ。また、世界レベルの大秀才というのがいて、この人たちは天才クリエイターの生み出すアイデアを誰にでもアクセス可能な形にして新しい研究領域を開拓してくれる。俺たちのような「その他おおぜい」はこうして作り出された新しい研究領域に少し遅れてやってきて、新しい思考のツールをためつすがめつ、何か面白いことができないか、何か役に立つことができないか、と思案する。それぞれに意味も価値もあることだが、宇宙ロケットに乗った天才たち(なかにはUFOに乗ってるとしか思えないような人もいる)や飛行機に乗った大秀才たち、自動車に乗った優秀な「その他おおぜい」の研究者たちに比較して、俺はここでも一歩行者にすぎない。

乗り物に乗るのは間違いでもなんでもない。俺が歩行者なのは、歩行者でしかいられない(しかもしばしば電車代をケチったりする)からだが、だからといって卑屈になったりひねくれたりしたくない。

遠いぞ疲れるぞと苦情だらけになるくらいなら家にじっとしていたほうがいい。徒歩で行きながら、行く先のことで頭が一杯では、自動車で行く人にとてもかなわない。歩くことを楽しむと言いながら、歩数を誇る、距離を誇る、そういうことなら、体育会系の部活の若者たちにかなわない。(先ほども松山大学の近くで部活のランニングをする県立北高校の生徒のスピードとヴァイタリティに圧倒されたところだ。)途中を楽しめないなら、電車に乗って好きな本を読むなり何なりしながら、さっさと行ってしまうほうがいい。徒歩で行くということは、途中をたっぷり経験することだ。

いきなり抹香臭い話になるが、『臨済録』に「常に道中にあってしかも家を離れない人と、家を永遠に離れてしかも途中にもいない人、どちらが人々や神々に供養されるに値する仏さまであろうか。」という趣旨の言葉がある。どうせ死ぬまで一歩行者であるなら、できれば、ここに臨済が描き出しているような、そのような歩行者でありたいものだ。

ここで臨済の仕掛けた「どちらが」に捉われてはならない。字面のロジックとしてはそもそも2つの選択肢の両方がそれぞれ矛盾しているのだが、ロジックの矛盾と不可能な二者択一の前に開かれている真実に目を向けないといけない。なにしろ、生死を超えていながら生命の実相のままにあるのが仏さまである。川を渡ってあちら側に行ってしまっていながら、なお今ここにいて教えを説き、俺たちを渡らせてくださるのが仏さまである。


2015年11月18日(水)あめ

大学院の講義。自然数の乗法のいろいろな性質をざっと証明し、次に大小関係の性質をやる。講義の終わりごろ、大小関係が全順序になることの証明で、板書を間違えて、あれれと思ってノートを見直したのだが、その時に「ノートに間違いが書いてある」と思って「すんません、証明が違うみたいなんで、出直してきます。今日はここまで」と、10分くらい残して授業を終えてしまった。あとで落ち着いて考えると、板書は間違っているがノートに書いた筋道は正しかった。なんてこった。「自分しか読まないものでも、わかりやすく書くのは大事」「困ったときこそ落ち着こう」という教訓を得た。

それにしてもよく降るね。夕方には雨の中を妻の車で天山のアプライドに行き、中古のWindowsパソコンを購入。近頃は、いろいろの事情で妻や俺のノートパソコンの他に共有のパソコンが必要なのだ。買ったのは富士通のFMV-D5390というもので、役所かどこかの払い下げ品らしく、「スマートカードスロット」なる業務用ならではのデバイスがついていたりする。税込22,800円で買ったにしては高性能なマシンだが、置き場所の関係で無線LANの入りが悪く、いろいろのソフトのインストールが難しい。なにか対策が必要だ。歩数計カウント10,898歩。


2015年11月17日(火)あめ

夜、雨のなかを歩いて帰る。外からみるとスタバにいつになく空席が目立つ。こんな日だからなあ。中央通りのスタバはミキ教授のお気に入りの店なので、俺は遠慮し、スタバがすいているならこちらも静かに違いないと思い、すぐ近くの元町珈琲に立ち寄る。

帰宅すると、歩数計カウントがいい数字だった。なんだかサンプル表示みたい。

歩数計カウント12345


2015年11月16日(月)はれ

クラビノーバがやばい。発表会が近いのにちっとも上手く弾けない、という意味でもあるが、それより楽器自体がそろそろいけない。この春修繕したときにも、いつものサービスマンさんに「耐用年数過ぎてますからねえ、次なにかあったら買い換えですよぉ」と言われていたのだ。ところがその後、発表会の曲でいちばん大事な中音域のG♯の鍵が壊れて、弾くたびにガチャガチャいうようになってしまった……

発表会で弾く楽譜の一部

ド♯-ソ♯(がちゃ)-ド♯-ミ-ド♯-ソ♯(がちゃ)-ミ-ソ♯(がちゃ)-ド♯-ミ-ド♯-ソ♯(がちゃ)-ド♯-ソ♯(がちゃ)-ド♯-ミ-ド♯-ソ♯(がちゃ)-ミ-ソ♯(がちゃ)-ド♯-ミ-ド♯-ソ♯(がちゃ)…

ってな具合で、マラカス内蔵クラビになって困っていたところ、今度はとうとう、「2回に1回はペダルが効かない」という状態になってきた。ペダルが効かないでは練習にならぬ。《コンクール直前に楽器を壊す吹奏楽部の中学生》とか《センター試験当日に熱を出す高校3年生》みたいだと自分でも思うが、ほんとーに困ってる。古い「て日」によると、このクラビノーバは2006年8月22日に届いたことになっている。それから9年ちょっとである。うーむ。もうちょっともってほしいところだが、このさい買い換えたい気持ちはある。ないのはお金のほう。お金がないのはおっかねぇ。なんつって。

2015年11月18日補記: この上の段落が日本語としておかしかったので編集しなおした。

やる気のないあひるやる気のないあひるやる気のないあひる

結城浩さんの最新作『数学ガールの秘密ノート ベクトルの真実』(ソフトバンククリエイティブ)が届いた。


2015年11月15日(日)くもり

一日を家で過ごす。これといった進捗はない。

これまでに手をつけたいろいろのことが重荷に感じられてやりきれない。俺は根がズボラなくせに功を焦る気持ちが強すぎる。やりたくて始めたことを重荷に感じるのは、動きたいのに動けていないから。マメさと粘りの両方を身につける、というと納豆みたいだが、余計な心配や余計な期待をせずに、その時々にやるべきことを無心にやるようにしなければ、とてもダメだ。

昨日の日記に写真を載せたLPC1114というマイクロコントローラ、10個も持っている(すでにIchigoJam2台PanCake1台あるからそれを加えると13個ある)のに、ろくに使っていないのはもったいない。UARTでホストPCと交信させたり、I2Cバスで周辺機器とやりとりさせたり、そういう本格的な使い方を覚えれば、一挙に世界が広がるはずだ。これも余計な気負いを捨てて謙虚にイチから勉強しよう。さいわい、教材(と開発環境)は手元にあるし周辺の部品は通販で買える。電子工作も、楽器の練習や習字や数学の勉強と同じで、いきなりすごい結果を出すことなど望まずに、自分のヘタさとちゃんと向きあって、それでもやめずに続けるほかに道はないのだ、きっと。

教材は「トランジスタ技術」「インターフェース」の記事の再編集版だと思われるCQ出版社のムック(具体的には、昨日の写真にも写ってる『ARM32ビット・マイコン 電子工作キット』)で、Windowsパソコンでの作業が前提になっているが、IchigoJam開発者の福野さんのようにMacBookでの開発の事例はちゃんとあるので大丈夫だろう。


2015年11月14日(土)あめ

毎年学生祭の土曜日は校友会のホームカミングデーで、それに合わせて理学部公開講座という講演会をやる。今年の講師はI准教授。ところが同じく学生祭の土曜日には県教委の主催で「おもしろ科学コンテスト」が理学部構内で開催されており、何人もの高校の先生方と、たくさんの高校生が出入りしている。また南加記念ホールでは学生祭の講演会も公開講座と重なる時間帯に開催されていて、そちらの今年の講演者はスケートの鈴木明子さんだ。公開講座はどうにも分が悪いが、そこそこの数のお客さんに来ていただき、いたって無事に終了したので、担当者の俺は肩の荷を降ろした。それに「おもしろ科学コンテスト」のおかげで、いまでは県教委のえらい人になっている卒業生の好漢T山先生に再会できたのもよかった。

いろいろ重なる日はいろいろ重なるもので、午前中はセガレの小学校で恒例の音楽発表会だった。俺は公開講座の段取りがあるから小学校には行けなかったが、妻のレポートによると5年生はなかなか上手な歌と演奏だったらしい。セガレと妻はその後大学の学生祭に来て、これまた恒例の「科学・体験フェスティバル」を見て楽しんだあと、俺と合流して帰宅。

あと、きょうは翻訳のセクションII.16を済ませ、レビューアに開示した。歩数計カウント15,547歩。

LPC1114FN28とATtiny2303-20PU
11月14日なのでLPC1114の写真
お供はAtmelのATtiny2303というAVRマイコン
どちらも本文とは関係ありません


2015年11月13日(金)あめ

朝から長時間の会議。昼食を挟んで午後3時まで。疲れたが気分は悪くない。夕方からピアノのレッスン。本番が近いので焦りが出てきてよくない。一度ちょっと巻き直しをしないといけない。給料日前とてバーには寄らずに帰宅。歩数計カウント12,369歩。


2015年11月12日(木)はれ

一日じゅう家にいて、おもに翻訳を進める。進捗は良いのだが、しかしどうも気乗りしない。


2015年11月11日(水)はれ

大学院の講義では、今回とあと数回、ペアノの公理と函数の再帰的定義法を用いた自然数の算術をやる。きょうは自然数の足し算とかけ算の基本性質。なんだか小学校の算数みたいだが、小学校の算数では事実として帰納的に納得し、また抽象的な代数学では構造のみたすべき条件として要請された算術の基本法則が、ここでは集合論的な原理と定義からの論理的な帰結として導出されるのだ。抽象的な代数学の用語を借りれば「1個の生成元をもつ自由モノイド」ということで自然数全体の構造はほぼ言い尽されてしまうことになるが、では集合論の独自性はないのか、というと決してそんなことはなく、ここでいわば1元生成自由モノイドの存在証明をやっていることになる。

それにしても「自然数3の定義により」なんて板書される講義は、日本中探しても他にないんじゃないだろうか。

歩数計カウント12,458歩。


2015年11月10日(火)くもり

先日購入したマルツエレックのMPL2303SAを利用した自作LPC810ライターができた。ホストPCとしてはMacBook Proを使い、ターミナルからLPC21ISPで書き込みする。

自作LPC810ライターの写真
村田全先生、本を下敷にしてごめんなさい


2015年11月9日(月)くもり

ウェブはハイパーテキストである。しかし現在の使われかたを見ると、数学の学術情報に関する限り、単なるテキストであるPDFの単なる置き場になっている。これではFTPと大差ない。大変残念だ。

と思っていたら、のらんぶる が「伸縮する数学書」というアイデアを展開しはじめた。テストページが公開されている:«伸縮する数学書の実験» これは面白い。すてきだ。

のらんぶるの実験に触発されていろいろ考えてみた。

数学者の間に TeX が普及しだした平成元年ごろ、ある教授が「TeXの一行あたりの文字数はいくつですか?」と尋ねて笑われてたけど、我々はそのうち「その論文のページ数はどれくらい?」と尋いて笑われるようになる。というか、早いとこなってほしい。本格的には、査読論文の数ばかりが業績とされる学者のエコシステムが変わり、さらにはピアレビューの形態が変化しないことには、どうしようもないのかもしれないけれど、学術情報は、もっともっとハイパーテキストになっていいのだ。

そもそも、「知識」「学殖」といったもの自体がハイパーテキストでありリゾームだ。いっぽう、言語は線的・1次元的に展開する。論文のテキストは必ずしも1次元に縛られているわけではないが、オンラインで入手できる論文だって、ページという2次元には縛られている。すでにページそのものを流動的なものにしたEPUBという電子書籍のフォーマットが開発されているから、数式の表示の対応が進めばこれを数理諸科学における学術コミュニケーションのメディアとして採用することも不可能ではないはずだ。文系の論文だって注がハイパーテキスト的に展開するほうがいいだろう。表示を必要に応じて段階的に詳細化する技術を発展させれば、表現はページの2次元からも解放されることになる。


2015年11月8日(日)くもり

昨晩の作業の続きを朝のうちに終わらせ、ブレッドボードで仮組みっぽいとはいえ、自作電飾のクリスマスツリーができあがった。

早めの昼食に、公民館分館のイベントで焼きそばを食う。午後は散歩がてらハードオフとその近所のドラッグストアに小さな買い物に行った。昨日に引き続き暖かく、けっこう汗をかいた。

マルツの通販で注文したもう一つのUSB-シリアル変換アダプタ(MPL2303SA)が届いたのでさっそくMacBook Proに接続するが、いきなり認識しない。そりゃあドライバが必要だろうと思ってチップのメーカー(Prolific)のサイトからダウンロードしインストール。それでも認識しない。なにか見落していると思って説明書を読む。それで、基板上の一箇所をハンダでショートさせてから使うのだと知った。さっそくハンダゴテで作業。まだ認識しない。テスタで計測する限り、電源はちゃんと届いているのだが。なんだこりゃ。不良品を掴まされたかと思ったが、そうではなかった。試しに、セガレのゲーム用のNexusの充電に供しているUSBケーブルを使ったらきちんと認識した。

USBケーブルとUSBでない充電専用ケーブル

先ほど接続を試みて失敗したケーブルは、上の写真の向かって右側のもの。左側のコネクタにある、おなじみUSBのロゴが、右側のコネクタには記されていない。これは電話のACアダプタかモバイルバッテリーに付属していた充電専用ケーブルのようだ。念のため、予備のUSBケーブルをハードオフで調達してから、充電専用ケーブルを切断して芯の様子をみる。ご覧のとおり、3芯しかない。

充電専用ケーブルの中身

USBケーブルは電源線の2本(プラス極に相当する+5Vの線とマイナス極に相当するグラウンド線)、それにデータを運ぶ信号線2本で構成される。シリアル接続なのに信号線が2本あるのは、同じ信号をプラスとマイナスを反対にして送ることで、冗長性をもたせ、ノイズの検出と修復を容易にしようという考えからだ。ノイズがたまたまちょうどプラスマイナスの逆相で2つの信号線に乗っかる確率はさすがにすごく低いだろうからね。

さきほどの充電ケーブルがなぜ2芯でなく3芯なのかはわからないが(翌日追記: テスターで調べてみたら、白い芯線は外囲いの四角い電極に接続されてる。ケーブル両端の機器のアースを電気的に導通させるためだろう。)、4芯なければ(さらにそれらをアースに接続された編み線で包む形になっていなければ)USBの規格に準拠した正しいケーブルとはいえず、USBロゴを使うことは許されない。注意深く見ればこれがUSBの通信ケーブルではないことはロゴの有無で判断できたはずだ。そういえば先日もこのケーブルを使ってハードディスクを接続して、認識されずイライラしたのだった。時間をムダにしたが、勉強にはなった。

マルツエレックのMPL2303SA

ともあれ、正しいUSBケーブルを使えばUSB-シリアル変換アダプタMPL2303SAを使って難なくIchigoJamとMacBook Proを接続することもでき、正常動作の確認が取れた。このアダプタは、ゆくゆくはマイクロコントローラのプログラム書き込み装置に利用するつもりだ。


2015年11月7日(土)くもり

コミセンの図書館へ本を返しにいくが、何も借りない。行きは電車だが帰りは歩きブックオフに寄ったりもしたが、なにも買わない。なんだか妙に暖い日で、厚着をしていたもので汗だくになった。

夜には懸案のクリスマス電飾の工作。LEDをつないだ電線を、ダイソーで買ったツリーに巻きつけて表示部を作り、ブレッドボードに電源部を組んでテスターで計測。次に同じブレッドボードにIchigoJam化したLCP1114を乗せて制御部を組んだ。USB-シリアル変換アダプタをつなぐと、—— これまでは変換アダプタからIchigoJamに電源を供給しない限り通信がうまくいっていなかったのだが —— 今度はちゃんとIchigoJam BASICインタプリタが返事をしてくれたので、電飾の制御コード(というほどのものでもないたった8行のプログラムだが)を入力し保存。あとはトランジスタでLEDをスイッチングする駆動部を組んで表示部と接続すればいいのだが、ハンダゴテはともかくヘヤドライヤーを夜更けに使う気がしないので、トランジスタと抵抗を配置した時点で作業中断して店じまい。

ブレッドボードでの工作といえども、ケーブルをブレッドボードに接続するためには電極を取り付けるハンダゴテ作業が必要だ。そして、クリスマスの電飾にヘヤドライヤーが何の関係があるのかというと、ケーブルの接続部分を覆う「熱収縮チューブ」を温めるためだ。まあ、肝心のLEDはどのみち電極むき出しなのだが。

工作中の電飾、電源部と制御部
IchigoJamは自分でファームウェア書き込みした
バージョン1.0.1b2を使用

駆動部のトランジスタ
LEDを力強く駆動してくださる
頼もしいトランジスタの皆さんの勇姿


2015年11月6日(金)くもり

書き上げた論文をある査読つき論文誌へ投稿。ダメで元々ではあるが、投稿してしまうと受理されてほしいという気持ちになる。

夕方から図書室の作業。それからピアノのレッスン。レッスンではいよいよ本番に向けて表現の作戦を指導していただいた。いわば「馬子にも衣裳」作戦である。発表会で自分と同じ曲を演奏する人がいると聞いてプレッシャーを感じる。例によって Garakta Cafe に行き一杯だけ飲んだ。俺が行ったときに先客が2人もいたのは、初めてのことだが、これからそういうことは増えるだろう。


2015年11月4日(木)くもり

世間で言われていることと逆になるが、俺の場合は、外界への興味関心を持ち続けることが自分を救う鍵になる。否応なしに耳目に飛び込んでくる物事に反応しているだけでなく、いろいろな物事に積極的な関心を持つこと。人と関わること。聖アウグスティヌスとは逆に、お宝は自分の外にある。

…とかなんとか思いつつも、自分を落ち着かせるためにボールペン習字の真似事をしていたところに、研究室の電話が鳴り、とある用で本部に呼び出された。つまり、「否応なしに耳目に飛び込んでくる物事」に対応せねばならぬ事態となったわけだ。まあ、何の用で呼び出されたかは、ここに詳細を書くわけにもいかぬ。

歩数計カウント14,395歩。

昨日の日記に写真まで載せた基板だが組み上げてみるとうまく動作しない。点滅するはずのLEDが点灯しっぱなしだし、USB-シリアル変換アダプタでLPC1114と通信することもできない。どこかで結線を間違えているのだが、つきとめられなかった。これはいけない。いちど仕切り直してブレッドボードで試しながら組むことにする。


2015年11月4日(水)はれ

昨日に引き続きとても爽やかな晴天。昨日ひととおり書き上げた論文で、怪しいかもしれないと思った部分を修正した。授業の準備に自信がなかったが、まあどうにか普通に講義を済ませた。夕方から会議に出て、またまた自分の頭の(というより生きる姿勢の)悪さを実感。歩数計カウント14,343歩。帰宅してからクリスマスに向けて電飾の工作を始める。まあ時間があるからゆっくりやるけど。

クリスマス電飾・制御部の基板


2015年11月3日(火) 文化の日はれ

とても気持ちのよい晴天で、すてきな休日になった。妻は某巨大ショッピングモールの医務室詰めのバイトに行き、ムスメは友人宅でのパーティーに行き、セガレは児童館に行った。自分だけ家でのほほんとしていたが、昨年思いついてちょっと考えていた数学の問題を考え直してみて進展があったので、短かい論文を1本書くことにした。


2015年11月2日(月)くもり

昨晩はけっこうな雨だったが朝には止んでおり、天気はゆっくりと回復。月曜日はゼミ2連発のはずだが、K27くんが体調崩して熱が出たとのことで、午後の卒業研究ゼミはキャンセル。予定を前倒しして翻訳を進める。夕方には青空が見えだした。歩数計カウント9,910歩。


2015年11月1日(日)くもり

朝、曇り空ながら、静かな薄日が差して、おだやかに、11月の始まりだ。

昼ごろ、どうやら天気は下り坂のようだ。うちにあるCDをあらかたブックオフに売却。ただし、桂枝雀、スペクトラム、マーク・ゴールデンバーグ、冨田勲など、別格な奴ら2割ほどは救済。先月分のガスと電気と電話の払いの心配がなくなる分くらいの対価を得た。それとダンボール2箱分のスペースの余裕が生まれた。

午後は工作。IchigoJamの応用でクリスマスの電飾を作ることにした。すでに電気回路部分のプロトタイプはできているが、電源まわりの関係で、現状ではひとつしかない公式IchigoJamを制御系に使わねばならない。というのも、電源をスマホなどのUSB-ACアダプタやモバイルバッテリーからとってLEDをドライブするので5Vで駆動することになる一方、制御系は3.3V動作のLPC1114だからだ。IC自体はたくさん持っているのだが、5Vと3.3Vの電源を別に用意するのは大層すぎる。そこで、5V→3.3Vのコンバータを内蔵している公式IchigoJamの出番となるわけだ。言ってみれば、公式版でなければならない理由はその部分だけなので、電圧可変レギュレータLM317Tを買ってきて生のLPC1114にIchigoJamのファームを焼いて解決することにした。というわけでこの話は次回に続く。