て日々

2017年9月


2017年9月30日(土)はれ

先々週の京都、先週の草津と、二週連続で「ご充実」な週末を過ごしたけれど、今週は通常の土曜日に戻って、ろくすっぽ何もせず家でホゲる。午前中はほぼすべて、昨日の「て日々」を書くことに費やした。午後は小澤浩『中山みき --「心直し」から「世直し」を説いた生き神教祖』(山川出版社, 日本史リブレット“人”, 2012年)を読む。今月読んだ本として読書管理ビブリアに登録できたのが、昨日読み終えたフランク・スミスを含めてもたったの3冊で、さすがになさけないから、積ん読してる中から、せめてもう一冊何か薄い本を読もうと思って、これを選んだ。俺が中山みきの伝記を積ん読していたのにも、一応は思考の脈絡があるのだが、なかなか上手に説明ができない。

でもせっかくだから一言だけ。中山みきの開いた天理教の理想とする「陽気ぐらし」は、先日読んだカンパネッラの太陽の都のような隅々まで管理の行き届いたユートピアとはまるで対照的で、いわば下からの、草の根からの理想社会である。東洋と西洋の理想郷イメージをめぐる相違は、[先月28日の日記で紹介した] 巖谷國士『シュルレアリスムとは何か』(ちくま学芸文庫)でも指摘されているとおりだ。だが、昨日引用したフランク・スミスの「自由化された学校のイメージ」は、学びの場を東洋的な鼓腹撃壌の理想社会に近づけようとしているものと、俺には見える。


2017年9月29日(金)はれ

後期の卒業研究はA7くんを加えて4人でローテーション。きょうは10kくんが \(\mathcal{P}(\mathbb{N})\) と \(\mathbb{R}\) と \(\mathbb{N}^{\mathbb{N}}\) が対等であることの証明をし、枝eくんが命題論理のタブローの展開規則の話をした。しばらくはこの調子で隔週で2人ずつ担当してもらうが、ペースが遅くてまずいようならゼミを週2回に増やすぞと脅しを入れた。

やる気のないあひるやる気のないあひるやる気のないあひる

昨晩読み終えるはずだったフランク・スミス『なぜ、学んだものをすぐに忘れるのだろう? --「学び」と「忘れ」の法則』(大学教育出版2012年)を読了。一か月以上前に「ブックオフでなんか掘り出し物を見つけた気がするが詳細は読み終えてから」と言っておきながら、そしてまた、昨日書いたとおり「短かいが実に面白い」本であるにもかかわらず、これだけ時間がかかった点については、まったく自分の怠慢であって弁解の余地はない。ともあれ、俺にとっては、これはこれまでの経験で培った学校観・教育観の再考を迫る、別角度の思考の軸を提供してくれる本だった。

内容を自分なりに要約し紹介しよう。

著者スミスは、学び(Learning)に関するクラシックな観点(Classic View)とオフィシャル理論(Official Theory)とを述べる。クラシックな観点では、人は、身近な人々、同じ《クラブ》に属する人々との交流のなかで、経験を通じて絶え間なく学び、学びによって自分自身を形成していく。この学びは、意識的な努力とは無関係であり、また忘れるということもない。いっぽう、オフィシャルな理論では、学ぶことは作業である。学びは努力の積み重ねで一歩一歩達成されるものであり、努力を怠れば学んだことはたちまち忘れてしまう。

学びのオフィシャル理論が学校教育の場で支配的でありながら、保護者も教師も学びのクラシックな観点を受け入れている。というのも、子供が悪い仲間とつきあわないように気をつけるのは、環境から知らず知らずのうちに習慣を身につけ、その影響が生涯を通じて残るものだと知っているからだ。学びに関するクラシックな観点から言うと、人が《学びのクラブ》の一員として受け入れられたと感じたときに、学ぶ可能性が開ける。たとえば、話し言葉を学ぶことは、生まれ落ちて養育者たちのおしゃべりの《クラブ》に放り込まれたときから始まる。本好きの人々の仲間になれば、自分も本好きになるだろう。逆に、クラブに拒絶されたと感じれば、自分はその活動に向いていないと学んでしまう。たとえば学校で《学びのクラブ》に入り損なった生徒は、学校において「自分はバカだから勉強ができない」というただ一つのことを学ぶことになる。こうした学びを通じて、人は自分を形成する。つまり、忘れようとしても忘れられないのが学びである。これが、学びに関するクラシックな観点である。

たとえば、音楽家たちのプロフィールに「3歳からピアノを学び」などとある。これは、手の小さな幼児にスパルタを施すためではなく、彼女らを《音楽家のクラブ》に迎え入れることを意図しているのだろう。音楽家として考え音楽家として行動することを、実際の演奏技術より先に、先輩の音楽家たちから、彼女らは学ぶのだ。

もう一方の、学びと忘れのオフィシャル理論は、「学びとは作業をすることであり、十分な努力やコントロールが強制されれば、すべてを学ぶことが可能である」(p.6)という理論である。

本書の第3章で詳述されるが、この理論は教育論が「科学」たるべく実験心理学の知見を取り入れようとした時点に始まり、軍事や宇宙開発におけるロジスティックス(物流)管理の手法と融合することで支配権を得たものだ。ノルマンディー上陸作戦やアポロ計画と同様に中央での一元的な管理を前提とした巨大プロジェクトとしての教育政策が最初にあり、教室で行なわれるのはその末端のオペレーションということになる。上意下達式に指示された「作業」をこなすことが教師と生徒に求められ、その「作業」の究極の意味を知る必要はなくて、ただ計画どおりに業績を上げるように求められる。「作業」の過程が監視され、達成の度合いを計測され、評価を受ける。こうした管理の背景にあるのが、学びのオフィシャル理論である。

ここで注目すべきことがある。実験心理学における学習理論は、被験者のもつさまざまな偶然的な条件を排除する(対象をコントロール=統制する)ために、《まったく無意味な文字列を記憶するために要する時間》を客観的に計測することで始まった。その結果得られたのが、名高い「エビングハウスの学習曲線」である。実験事実としては信頼に足るこの「学習曲線」が、すべての学びの理論の基礎として応用されるところからオフィシャル理論が始まった。そのため、これだけの時間の努力をすれば「何でも=まったくのナンセンスでも」記憶できる、という理論が生まれることになった。しかし、エビングハウスの「学習曲線」は、ほぼそのまま天地を逆にした形の「忘却曲線」と対をなす実験結果であったことを無視してはいけない。努力しだいで我々は「何でも」記憶できるが、そうして記憶したものが時間とともに忘れられる運命にあることも、実験的に確かめられている。そのような心理的過程と同一視された結果、学びは、意味のわからない努力を通じて知識をロードする(積み込む)ことだと考えられるようになった。しかし、そんな努力によって覚えた知識は、容易に忘れ去られるものである。つまり「身につかない」

こうして学びと忘れのオフィシャル理論が教育を支配したことにより、破壊的な影響が現に及ぼされている。そのことは、もはや明らかなのだが、学びに関するクラシックな観点を取り戻して学校をよりよいものにしようとする営みも、絶滅したわけではない。人が学び成長する場として学校を作り直すために、教師からでも、保護者からでも、少しずつ世界を変えていこう、とスミスは本書の最後に呼びかけている。スミスが理想とする学校は「良くオーガナイズされたプロフェッショナルな会議」のようなものだ、という。結びの2段落を引用しよう (p.171):

まず、常に多くのことが一度に起こっています。演説をしている人、ディスプレイ、ディスカッション、話の脱線、文化的催しなどです。さらに、抜け出すこと、休憩をとること、考え込むこと、会話すること、読むこと、書くことなどがいつでも起こりうる自由な環境があります。そして、片隅に静かな場所があり、運動のための設備があり、飲食ができる場所やトイレが周りにあり、強制や評価がまったくない自己表現や社会的な表現が存在します。すべての統制はクラシックな観点に任せられており、オフィシャル理論の儀式のことが頭をよぎることすらありません。言い換えれば、それぞれの参加者にとって異なる意味を持っていながらも、皆にとって実りがあって満足感を得ることができる「文明的な経験」といえるかもしれません。

これが、自由化された学校のイメージです。

著者が言っているのは、大規模な学術的会合=カンファレンス、日本で通用しやすい表現としては「学会の大会」のイメージだろう。これを「プロフェッショナルな会議」と訳したのは、正確なのかもしれないが、あまりよい訳ではない。このような学術的会合を、俺も何度か経験したし、開催を手伝ったことも皆無ではない。それともう一つ、先日第10回目を終えた「関西すうがく徒のつどい」などは、小規模なものだが、この自由化された学校のイメージに近いプロフェッショナルな会議の例といえるだろう。俺はいつも、そんな立場で傍から見ているだけだが、どの会合にしても、オーガナイザーの苦労は相当なものである。だから、よいカンファレンスを実現させたオーガナイザーには、物のわかっている出席者はみな、相応の敬意をもって接するものである。このような意味でのオーガナイザーの役割が、クラシックな観点を取り戻した学校における教師の仕事になるだろうと、スミスはいう。

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さて、俺がこの本を読んで思ったことだ。

著者は本書第3章で、(1997年の知識にもとづく見解と断わったうえで)インターネットやCAI=今でいうE-ラーニングに悲観的な見解を述べている。それから20年が過ぎた。オフィシャル理論を背景としたE-ラーニングやビデオ講義なども少しずつ発展してきているが、むしろ、上に述べた「すうがく徒のつどい」のような自発的な活動がネット社会化によって促進されていることに、俺は注目したい。自主ゼミや交流会が、SNSのおかげで、とてもやりやすくなっている。ネットを介して、いままでにない規模で学ぶ人たちの《クラブ》が形成されつつある。若い学生のうちからも、有能なオーガナイザーが次々と出てきている。そこは、希望をもってよいと思う。

まあ、「すうがく徒のつどい」なんてのは放っといても学ぶ層の学生たちの話じゃろ、と言われればそのとおりかもしれない。それでも、現在はまだ一握りの「選ばれた人」の集まりだが、この先、こうした形での《クラブ》が人を集めていくことを、俺は期待している。スミスの本では、学校の枠を外す話まではしていないのだが、学ぶ者たちの自主的な活動が広がり繋っていく過程で、学校の枠は越えられるべきだ。

以下はまあ、本に触発された俺の妄想である。

学ぶとは自分を作ることだ。テストで測られる学力ではなく、これまでの生活で形成された人格の全体が「学んだこと」である。それはそうだろう。

その観点からすれば、学術文化は《われわれ(人類)が何者であるか》をあらわすものである。文明の自己認識として、学術文化には固有の意味があり、人類の自己認識を不断に改め向上させていく努力には、技術的あるいは経済的な有用性を離れた、固有の意義がある。

「学ぶとは自己を形成すること」「学術は文明の自己認識」という二つを認め、文明の自己認識として蓄積された知識のいかに膨大であるかを知れば、そこから自然に「われわれはできるかぎり広く深く学ぶべきである」という結論が導けそうだ。そしてそれが、教養ということだと思う。それは、それでよい。何の役に立つかどうかとは別問題として、文明は学術研究の手を止めるべきでないし、個人は教養を広く身につけるべきだ。

それにしても、このごろの書店には「教養としての〜」みたいな本が増えすぎておりはせんか? それ以外にも、専門知識の切り売りみたいな本が増えすぎておりはせんか? たしかに、教養を広く身につけるべきなのだが、そのことは常に「俺は誰なんや」という探求の一環としてある。だから、知識を授ける側も、自己の立ち位置との関連で知識の置き場所をつねに測り直し、文明の自己認識におけるそのディシプリンの位置づけを問い直し、自己と文明というか自己と世界との関わりにおいて知識を授けるべきだ。「あ、これも教養ですからどうぞ」というのでは、たんなる思考停止である。


2017年9月28日(木)くもり

Amazonに注文したペンローズの本が2冊届いた。『皇帝の新しい心』の原著 “The Emperor's New Mind” (Oxford, 1989) のペーパーバック版 (Oxford Landmark Science, 2016) と、『心は量子で語れるか --21世紀物理の進むべき道をさぐる』(講談社ブルーバックス1999年) だ。あれも読まんならん、これも読まんならん。しかしまあここはひとまず、読みかけで放ったらかしだったフランク・スミス『なぜ、学んだものをすぐに忘れるのだろう?--「学び」と「忘れ」の法則』(大学教育出版2012年) を読み終えたい。この本は短かいが、これまで自分が培ってきた教育観(というより学校観かな)の再考を迫ってくる、実に面白い本なのだ。

仕事部屋の窓から北の空を撮影

夕方、いつもの医者にいって薬を出してもらう。医者からの帰り道、ファミマに寄って缶ビールを買い、店の外の縁台に座って、ツイッターを開いた。よくあることだが、のうこ (@noukoknows) がいろいろ愚痴っていた。

その中でのうこは、《自分には社会性はないが世界性はそこそこある。世界性がなくて社会性だけある人に馬鹿にされると過剰反応してしまう》と言っていた。「社会性に対する世界性」という表現が面白かったので、それはどういう意味か問い質したら、のうこが言うには、社会とうまくやっていけるのが社会性なら、世界とうまくやっていくのが世界性だという。のうこは、おそらく誰か同僚と話が合わないことを愚痴っているので、その相手を見てみないとなんとも言えないところだが、俺には「社会とうまくやっていく」と同様、「世界とうまくやっていく」というのも、よくわからない。そこの説明を求めると「物や概念の集合が世界で、社会とはその世界の上に人間がかけたレイヤーみたいなものだと思っています。」との返事。しかし、人間がレイヤーをかけると言ったとき、人間というのは当然自分をも含むだろうし、自分以外の人だって、かけたくてかけたレイヤーというわけでもないだろう。誰だって、いつのまにか成立していた状況の中に否応なく投げ込まれて自力で泳ぎ切ることを求められているという条件 (いわゆる被投性) は同じことなのだ。あと、物はまだしも、概念がレイヤーの側に属しない理由がわからない。

まさかとは思うが、《社会性があって世界性のない奴らは恣意的・社会的に文節された日常的な関係性でしか物を見ていないが、社会性がなくて世界性がある自分は世界のありのままを見ている…あるいは少なくとも見ようとしている》と のうこが言いたいのだったら、それはちょいとばかり危険な考えだ。もっとも、そう言いたくなる気持ちは俺にもわかる。いや、俺がそんなこと言ったら、多分のうこは「世界のありのままなんて、そんなこと僕が言うわけないじゃないですか。殿下は時々そうやって僕の言ってないことを勝手に読み込んで批判するから困る」と返すだろうけど。

そのあたり、もう少し腰を据えて話したかったが、ファミリーマートの軒下の縁台をあまり長時間独占するわけにもいかない。この縁台は、吸殻入れを設置した喫煙スペースになっているのだが、俺がビールの缶を傍らに置いて縁台に座っているせいで、仕事帰りと思われる若い女性が、そばに寄れずにあっちのゴミ箱のところでタバコを吸っている。こりゃいけない。さっさと退散しよう。

読みかけの本のこともあるから、南江戸のマクドナルドに寄ってもいいな、と思っていたが、前まで行ってみると、カウンターの前にけっこうな人の列ができていたのでやめた。家に帰っていつものとおり妻や倅とぐちゃぐちゃ言いあってるうちに酔いも回ってきて体力も尽きて、風呂にも入らずに寝てしまった。それで、スミス本を読み終えることもできなかった。議論もしたい、本も読みたいというなら、マクドを諦めた時点で帰宅コースを逸れてフジグラン松山のミスドとかタリーズとか3階フードコート、あるいは少し足を延ばして元町珈琲にでも行けばよかったのだ。

念のために言う。俺は徒歩で家路をたどるときもツイッターをよくやる。ただし、まだちょっと命が惜しいから、画面を見るときは、いちいち立ち止まる。歩きスマホは危険だ。

歩数計カウント9,529歩。


2017年9月27日(水)あめ

日中は降ったり止んだり。夜はそこそこの雨降り。

午前中、県立図書館に本を借り換えにいった。9時40分開館なのだが、またしても、いろいろの事情により朝7時半すぎの電車に乗ることになってしまった。それで、いつも月曜日に行く松山市駅ビルのドトールコーヒーで、開館までの2時間ほどをつぶすことにした。

それで、先日借りて半分くらいしか読めていなかったカンパネッラ『太陽の都』(近藤恒一訳, 岩波文庫)を読み終えた。大ざっぱな感想として、これは今ちょうど国際社会を騒がせているあの国の自画像だと思った。しかし、そんなことは誰でも一読すればわかることだし、余計なことを書いて火種になったりミサイルの標的になったりしたくもないから、詳しくは書かない。それより、この理想国家「太陽の都」が太陽系を模した設計の計画都市であり、占星術の知見を総動員して、形而上学者を頂点とする寡頭制によって統治されている、という点が興味ぶかかった。この本が書かれたのは1609年だから、コペルニクス以後、ガリレオ以前である。この時代において占星術はまだまだ「科学」の一部であっただろうから、カンパネッラは《科学と理性による統治》の夢をここで語っているわけだ。先月28日の日記に書いたような理由で、このごろユートピア思想というものがちょっと気になっている。ふむ。《ユートピア思想の系譜と科学史》というのは面白そうなテーマである。

あともう一つ。「太陽の都」においては若者に市民として必要な知識と生活のスキル(読み書き、歴史、法と道徳、軍事教練、などなど)を授ける公教育の必要性はハッキリと認識されており、あわせてあらゆる方面の学問が大変に尊重されているが、前者は生殖と健康を管理する副官「愛」によって、後者は学問を統括する副官「知恵」によって管轄される。つまり公教育と学問は別の問題とされている。そして、そのことについて特段の説明はされない。この線引きは、当時は単なる当たり前のことだったのだろうか。そうだとしたら、公教育と学問研究がシームレスに連なるものと考えられるようになったのは何時のことで、その背景には社会の仕組みのどんな変化があったのだろうか。

とかなんとか言っているうちに図書館の開館時刻をたっぷり30分も過ぎていた。ロジャー・ペンローズ『皇帝の新しい心』(林一訳, みすず書房1994年)が主な目的だが、前回借りたシュペングラー『西洋の没落 I』(村松正俊訳, 中公クラシックス版)が全然読めていなかったので貸出継続、それとグレゴリー・クレイズ『ユートピアの歴史』(巽孝之監訳, 小畑拓也訳, 東洋書林2013年)、ルイス・マンフォード『ユートピアの系譜 ─理想の都市とは何か─』(関裕三郎訳, 新泉社2000年)、ピーター・ディア『知識と経験の革命』(高橋憲一訳, みすず書房2012年)を借りる。貸出し上限5冊なので、少々悩んだ末これだけに絞ったのだが、他にもマンハイム『イデオロギーとユートピア』とか『ホーキングとペンローズが語る時空の本質』とか、納富信留『プラトン 理想国の現在』とか、読むべき本が次々見つかって大変だ。あれも読まんならん、これも読まんならん。

と、こう書くと、ものすごく多読しているみたいに見える。だが実際には、気力体力が続かず貸出し期間中に読みきれないことがとても多い。なんとかせにゃならんのだが、こういうのは精神力でなんとかなるものでもなさそうだ。ううむ。

午後は後期から卒業研究ゼミに配属されるA7くんと面談。就職活動の進め方についての指導(といっても進路指導担当のYG准教授の言葉を伝えただけ)をし、ゼミの日程について話をし、ゼミ生のLINEトークにA7くんを招待する。テキストとしては板井昌典『情報科学のための数理論理学』(「数学のかんどころ」シリーズ所収, 共立出版2017年)を読んでもらうことにした。

歩数計カウント10,849歩。


2017年9月26日(火)くもり

草津での発表に使ったスライドを改訂。図版を1枚だけ追加し、パラパラ漫画効果を削除して、主催のしんじけさんと他の参加者に送る。510くんが三角級数の一意性集合に関するケックリスの論説について質問に来た。

夜、少しは勉強しようと思って元町珈琲に寄ったが、家でなにやらゴタゴタがあったらしく、その当事者Aとメールのやりとりをするのに時間の大半を費してしまった。まあ、そんな日もある。21時過ぎに帰宅したころには騒ぎは収まっていた。うどんを茹でて当事者Bに食わせ、自分も食う。当事者Bはキッチンでうどんの用意をする俺の顔を見ると自分から事情を語り出した。きっかけは、当事者AB間の自発的なコミュニケーションにおいて、話す側と聴く側の呼吸というかタイミングが合わなかったこと。実にくだらない、それはそれは小さなことだ。だがこれは、たとえていえば、知らず知らずのうちにガスが充満した部屋でマッチをすって爆発が起きたという話で、爆発したのはマッチではなく充満していたガスなのだ。読者は何のことかわからんと思うが、何のことかわかられても困るので、この話はこれでおしまい。まあ、家というのは、ありがたくもあり、やっかいでもある。

歩数計カウント10,480歩。


2017年9月25日(月)はれ

せっかく東京に一泊したんだからと、久々に神保町に行った。主な目的はペンローズの『皇帝の新しい心』を入手することだったが、許された短い時間では見つけることができなかった。まあ、大学生協で注文しようかな(…と思ったら、けっこう高価な本なのね)

松山に戻る飛行機の座席は、4歳くらいの男の子を連れたお母さんと隣り合わせだった。「うるさくすると思いますけどすみません」「いやいや、うちの子だってそうでしたからね」「もう眠そうなんですぐ寝ると思いますけどねえ」「あははは。ねえボクどこ行ってきたん?」などと、お母さんと俺が会話しているうちに、男の子はお母さんの見立てどおり離陸を待たずに寝た。

家に帰ってシャワーを浴びて、ほどなくピアノのレッスンの時間だ。なにしろ練習できてなくて冷や汗ものだったが、ともかくこの曲で発表会に出られそうだな、という感触は得られた。レッスン後は例によってドトールコーヒーに行って『皇帝の新しい心』の代わりに入手したちくま学芸文庫版『ペンローズの量子脳理論』を吟味する。そろそろ塾を終えた倅を妻が拾いに来るころだと見当をつけていつもの待ち合わせポイントに行ったら、見覚えのあるプリウスが走り去るところだった。倅がいつもより早く出てきたらしい。仕方がないので、夜の散歩を兼ねて歩いて帰る。フジグラン松山の前を通ったら、宝くじブースの床下で子ネコがめうめう鳴いていた。奥から出てこなかったが、とんがった耳が顔と比較して相対的に大きく見える、まだ小さいネコだ。しかし声はかなり大きい。俺が「めう!」と合いの手を入れるたびに、ひときわ大きな声で「めう!めう!」と返す。あれはきっと「お母さんはそんな声じゃないめう!! お前は誰だめう!!」と言っていたのだろう。姿を写真に撮ることはできなかったが、代わりにめうめうのボイスメモを取って帰って、家人と鑑賞したのだった。


2017年9月24日(日)はれ

数理哲学史夏期セミナー最終日。発表は那須洋介さん、池田真治さん。「宇宙人パねぇ」「リーマン偉い」で始まり、「ラッセルどうなん」「ライプニッツ面白れぇ」で終わる、なかなか多彩で愉快なセミナーであった。普段ここやツイッターで語っていることは、数学者の観点からはゴミみたいなものだが、それでも、数理哲学の研究者にいくぶんかは有益な情報を提供できたし、自分も彼らの議論から刺激を受けた。俺は俺の仕事をしていてよいのだ、むしろ俺の仕事を前進させるべきだ、という気持ちになれたのは、大きな収穫だった。会場も快適だったし。呼んでもらえてよかった。しんじけさんに感謝。

実は、スライドの準備中につぶやいた先日の俺の一連のツイートを見て、仙台の(田中一之先生の弟子)鈴木仁哉くんが急遽飛び入り参加してくれた。逆数学や記述集合論について、山田さんを始めとする哲学系の人たちと有意義な交流ができたようで嬉しい。

風呂上がりに湯畑でビール
バスターミナル前の足湯

湯畑の蕎麦屋で昼食のあと、皆で西の河原大露天風呂というところに行き、湯畑に戻って一休みしてから、バスターミナルで解散。俺はその後50分ほど待ち時間があったのでバスターミナル近くの足湯を使う。少し熱めの足湯で、おかげで身体が温まってよかった。パパとママに連れてこられた小さな女の子が、熱がるパパとママを見て「ちーちゃん熱くないよ、5歳だもん!!」と誇らしげにしていたのが、なんとも可愛いかった。

高速バスで東京へ戻る。長時間の移動であるから、朝のうちにiPhoneにマーラーのシンフォニーをコピーしておいた。バスの車内で第1番を聴き終え、第8番を聴き終え、第5番を聴き終え、そのあと少し目先を変えて清水靖晃『北京の秋』を聴き終え、大貫妙子『ピュア・ドロップス』を聴き終えても、バスはまだ埼玉県内にいた。日曜の夕方に都心へ向う高速バスが定刻に終点に着くとはさすがに俺も思わなかったが、15時半に草津を出たバスが東京駅に着いたのは21時。なんと110分の遅れである。19時半に日本橋口で編集者のSATOさんと待ち合わせていたのだが、心ならずも、ずいぶんお待たせすることになってしまい申しわけなかった。バスで長野原草津口まで行き、そこからは鉄道を利用すべきだったらしい。

近くのビヤホールでSATOさんと話をする。編集作業の進捗について簡単に報告をもらい、その後は、SATOさんが情熱的に語り、俺がコメントするという流れだった。ここでも、俺は俺の仕事をしていてよいのだ、むしろ俺の仕事を前進させるべきだ、という気持ちになれた。ありがたいことだ。

夜23時すぎに宿に到着。さすがにくたびれた。


2017年9月23日(土) 秋分の日くもり

朝、ちょっと早く起きる。外は雨だ。朝風呂を使う。国立大学の共同利用施設というエコノミーな会場ではあるが、風呂だけはさすがに草津温泉だけあって、身体の芯まで温まる。発表を済ませて気持の余裕ができたので、昨日の話に出てきたカントール集合をハルナック集合の上にうつす単位閉区間の自己同相写像のグラフを、9時のセミナー開始までに作図して会場のスクリーンに表示して皆さんに見てもらった。

ある単調増加連続関数のグラフ

数理哲学史夏期セミナー2日目。山田竹志さん、鈴木佑京さん、三宅岳史さん、稲岡大志さん、高橋優太さん。鈴木さんの証明論的意味論(PTS)のテクニカルな発表は数学的で俺にもよくわかったし、「多様体の哲学の系譜をさぐる」と題した三宅さんの発表はいろいろなディスカッションを呼び起こして刺激的だった。話についていけてないのは承知のうえ。門外漢の特権を行使して、俺もけっこう口を挟んだ。なかなか楽しい。

山田さんの発表で示唆されたテーマに関連して俺もペンローズの量子脳理論の本を読みたくなった。

朝から晩までセミナーである。2日目の夜くらいになると、さすがに参加者にも少し疲れが見えはじめる。セミナー終了後、もう一度風呂に入って頭と身体をほぐす。

数年前に京都で似たような企画を自分が主催して、今回の主催のしんじけさんに来てもらったことがある。あのときも「朝から晩まで講義と演習」がモットーだった。


2017年9月22日(金)くもり

朝6時半に家を出てタクシーで空港に行く。9時15分に羽田に着いたが、10時10分に東京駅八重洲南口で高速バスに乗らにゃならんので、間にあうかどうか、少しハラハラした。結局東京駅に着いたのが10時ちょうどくらいで問題なかったのだが、本当ならもう少し余裕のあるスケジュールにすべきだった。

草津温泉だ 草津温泉よ
14時10分ごろ草津温泉に着いた。
初めてだが、いいところっぽい。

今回の旅行の目的はしんじけさん (富山大学の池田先生) の主催する数理哲学史夏期セミナーへの参加である。夏期セミナーとは言うが、すでにお彼岸であり、山の中の草津温泉であり、もう気候はすっかり秋である。草津温泉バスターミナルから会場のセミナーハウスまでは、スマホのナビを頼りに歩いていく。少し迷い、少し寄り道をして、20分ほどで着いた。16時の勉強会開始までにロビーで発表のスライドの準備を続けた。

最初の発表は名古屋の久木田水生さん。予告では「数学はどこまで普遍的か」というタイトルで話をなさるということだったので、ひょっとして数学者たちの素朴実在論が槍玉に上がるのかと思ったら、全然そんなことはなくて、宇宙倫理学という最近の思潮の中で、宇宙人やAIのような人類以外の知性がもしも数学をやったらどんなものになるか、というような話で、大変面白かった。

俺の発表は夕食後の夜のセッション。「ルベーグの積分論の登場とその前後」というタイトルで、数学者がルベーグ積分の講義をするときなどに語る「積分論の沿革」というものは、ルベーグ積分のベネフィットを強調したいばっかりにリーマン以前の積分をディスる内容になってしまっていないか。《黒電話の時代にはLINEができなくてみんな困っていた。そこでスマホの開発が試みられた。》みたいな神話を語っていないか。実際はルベーグの積分論はどういう考えの流れで生まれてきたのだろうか。そういう話をした。書いたスライドを全部使ったら、80分ほどの予定のはずが、結局100分近く喋ってしまったが、それなりに関心をもって聴いてもらえたようなのでまあ結果オーライ。なんだかんだでスライドも間に合ってよかったが、本来はもっと早めに準備に取りかかるべきだ。やっぱりこういう綱渡りはよくない。


2017年9月21日(木)はれ

朝のうちよい天気で、洗濯ものを干してから出かける。戸外の空気が気持ちがいいので、大学まで歩いて行ったが、そしたら少し汗ばんだ。

今回の発表のスライドでは、カントール集合の構成を図で説明したいので、Asymptoteでプログラミング的なことをする。

カントール集合の構成

蛇足ながら解説: 長さ1の線分から出発し、線分の中央部3分の1を取り除く操作を繰り返すと、取り除かれる区間の長さの総和はもとの線分の長さと同じく1になるにもかかわらず、いつまでも取り除かれず残る点がある。そのような点の全体をカントール集合という。こいつは、測度論や位相空間論でいろいろな例を構成するときに重要な役割を果たす。

大学にいる間はスライド作りの合間に、学生さんの質問に答えたり、後期の卒業研究ゼミの段取りをしたり。夜は、明日からの出張に持っていく手土産などを買いに街へ出る。フジグラン松山で愛媛の酒を2瓶 («千代の亀»と«山丹正宗»の720mlを各1瓶) 買って帰宅後も、スライドの準備と旅行の荷造りに追われて、日付が替わって1時まで寝れなかった。


2017年9月20日(水)くもり

お昼にはゲストの先生を囲む昼食会があり、そのあと教室会議がある。ようやくエンジンがかかってきて、発表の準備に注力したいところだが、まあ仕方がない。


2017年9月19日(火)くもり

つどいが終わったので次の週末の出張の心配をする。きょうもツイッターで進捗を実況しながら、積分論の歴史について考えを整理する。リーマン以後ルベーグ以前の50年ほどの間は、リーマンの積分論が整理され拡充されていく期間なのだが、リーマンが正しく言語化している「リーマン積分可能であるための必要十分条件」をめぐって、いまにして思えば《なんでこの人がこんなところで?》と言わねばならないような勘違いがなされた時期でもある。その話も含めて、ルベーグの測度論が形成されるようすを、自分の発表では振り返る。


2017年9月18日(月) 敬老の日はれ

台風一過で好天。帰りの高速バスまで時間が少しあるので、仁和寺まで散歩してきた。かつて立命館大学に通った頃のようにまず妙心寺に行くが、思いたって先祖の墓のある塔頭の大龍院に行ってみる。父は晩年に宗旨がえしたので、ここには納骨されないが、祖父や祖母はここで眠っているのだ。通りすがりとて、線香も花も持ってないが、苔だらけの古い墓石を、せめてタワシで掃除し、水をかけて、手を合わせる。俺はここに参るのはものすごく久しぶりなのだが、お寺の奥様のおっしゃるには、名古屋の叔父がちょくちょく来てくれているらしい。

妙心寺北門から北西へ走る道を進むと、ほどなく仁和寺である。子供のころに遊びに来ているはずなのだが、自分の意思で入るのは初めてかもしれない。御殿と庭がとても見応えがあった。

御室御所の庭

この地域は御室(おむろ)と呼ばれている。仁和寺を建てた宇多天皇が出家し、仁和寺の伽藍のそばに住んだ、その御殿のことを「尊い方のお部屋 = 御室御所(おむろごしょ)」と呼んだためだ。電子デバイスメーカーのオムロンすなわちかつての立石電機は、もともとこの御室を本拠としていた。光孝天皇の皇子だった宇多天皇は一旦は皇籍を離れ源氏として陽成天皇に仕える身だったのが、光孝天皇の後継者選びの政治力学の都合で急遽皇籍に復帰し立太子してすぐ次の日に践祚したとか、即位後は藤原氏の専横を抑えるために菅原道真を重用して天神伝説のきっかけを作ったとか、いろいろエピソードのある方らしい。

学術文化興隆/平成29年/ふじた

観音堂の改修で、屋根を700年ぶりに葺き換えるらしい。売店の前に壇蜜さんとか石原良純さんとかがメッセージを手書きして奉納した瓦が並べてある。壇蜜さんはどういうわけか「全員野球」と書いていた。売店のお姉さんに聞くと、なんでも好きなことを書いていいのだそうだ。俺も1枚奉納させてもらった。若い学者の玉子たちの将来が少しでも明るくなってほしいと願って「学術文化興隆」などと大きなことを書いたが、こう字が下手では、文化もヘチマもあったもんではない。

その後、五重塔と本殿 (国宝の金堂) にお参りして仁和寺を辞し、双ケ丘の麓の小径を通って丸太町まで戻り、実家へ帰った。軽い昼食のあと、西院から阪急に乗って大阪に行き、梅田で高速バスに乗る。揺られること5時間、松山に戻った。途中の吉野川などは、まだ昨晩の増水の名残か、水嵩が高くて濁っていた。


2017年9月17日(日)くもり

つどい2日目。午前中のB枠セッションの座長を引き受ける。あのSteen & Seebach の本 «Counterexamples in Topology» などから位相空間のちょっと変わった例を引き、どういう文脈で提出された例かを解説する。Resolutionという構成法を基調とし、可算鎖条件とかDowkerの定理とかいろいろ登場して話自体は面白いし、発表者がよく勉強しているのはわかるのだが、これがB枠(ベーシック枠)というのはさすがにまずかったように思う。

百万遍のスパイシーがなくなったのは残念。昼食は百万遍のサイゼリヤ。イカスミのスパゲティと鶏肉のチーズ焼きを食い、少しだけワインを飲んだ。

昼食後、酔い醒ましを兼ねて、銀閣寺(東山慈照寺)まで散歩。ここへ来るのは小学生の頃以来だが、京都大学からはとても近いことを改めて確認。

丘の上から見おろした銀閣
東山慈照寺にて

悪天候のためか観音殿(銀閣)の雨戸が閉ざされていたのはちょっと残念であった。それでもたくさんの参拝者がいた。日本語・中国語・韓国語・スペイン語… だけど本堂で手を合わせたのは俺の案内したお客人の《鮭小太鼓さん》と俺だけだった。

つどい終了後、会場の後片づけ。出町柳から京阪電車で祇園四条へ移動。四条通のジュンク堂書店でいろいろ本を見て、一冊だけ購入。

本の表紙
中原幹夫『量子物理学のための線形代数』培風館2016年

四条烏丸から地下鉄に乗り、終着駅から歩いて実家へ。思いがけずよく歩いて歩数計カウント18,704歩。帰り道では、公園の桜の木がどうどうと音を立てて揺れていた。夜もふけてから強い雨。降られる前に帰宅できてよかった。

松山でも大雨が降って大変だったようだ、テレビのニュースで恐ろしいくらい増水した重信川の映像をみてびっくり。妻子となかなか連絡がつかず少々心配した。妻子も家も無事だったのだが、妻がいつもの調子で、川沿いに暮らす友人の相談に乗っていたため連絡がつかなかったのだ。


2017年9月16日(土)くもり

新大阪で高速バスを降り、JR線で京都の実家へ移動。朝食後、京都大学へ向かう。台風のせいであいにくの天気だが、第10回すうがく徒のつどいの1日目だ。準備段階ではほとんど何もできなかったが、当日のスタッフとしてはいままでと比較して多少なりとも運営に協力できたように思う。

京都大学理学部3号館中庭

会場準備と参加者の受付が一段落した頃に、ひとりで天下一品銀閣寺店に昼食にいった。チャンジャご飯セットというのを食った。久々の天一のラーメンが嬉しくてつい替え玉までしてしまったから、すっかり満腹になってしまった。

さてさて、きょうの講演は2室で並行して2つずつ。天一に行っていたため1コマ目の講演は聴けなかったが、2時間目の y. (ワイドット)さんの決定不能命題についての講演を聴いた。チューリング機械による計算モデルと停止問題の決定不能性という型どおりの導入から、いろいろの決定不能命題の紹介に進んだ。とくに、整数係数の正方行列の有限集合から掛け算で零行列を生成できるか、という問題が、3次以上で決定不能、1次では自明に決定可能、そして2次では未解決だという話がたいへん興味深かった。そのほかにもいくつか未解決問題があるという。面白い。

講演終了後は懇親会には参加せず、京都駅に移動し、《鮭小太鼓》さんと ぼんてんぴょん (y_bonten) と銀座ライオンに行って会食。嬉しいことに今回もバイト時代の上司である西原さんにお会いできた。やはりここで飲むエビスビール(とくに一杯目)は絶品である。西原さんオススメのローストビーフに舌鼓をうち、話も弾み、なかなか楽しかった。それに、ぼんてんぴょんからとある数学書の翻訳をするという言質をとった。ふふふふふ。

昨晩からの累計で歩数計カウント15,582歩。だが、このうちどれだけが自分の足で歩いたものかわからない。高速バスが揺れたとか、そういうのをカウントしてそうな気がする。


2017年9月15日(金)くもり

少しだけ文献読みはしたのだが、どうも何もする気になれない。すべては台風18号の接近に伴う気圧の低下のせいだということにして、無理をせずダラダラと過ごす。夜遅く、高速バスに乗って大阪に向かう。


2017年9月14日(木)くもり

毎年恒例の、テニュアトラック教員向けLaTeX講習をやってきた。今回の受講者は4人。そのうち3人までは工学部の情報系の方で、持参されたノートパソコンに、すでにTeXシステムはインストール済み。俺の教えることなんか何もないんちゃうかと思ったが、ここは仕方がない、基本的な作業の流れ、クロスリファレンスのつけ方、画像データの貼り方、Beamerの使い方などなどを、ざっとご説明。

スマリヤンの最後の著書『数理論理学講義』の訳本上巻を版元からご恵贈いただいた。日本評論社の本には珍しい、と言っては失礼だが、いままでにないアーティスティックな装丁に意気込みを感じる。すぐに監訳者の田中一之先生と編集部の飯野さんにお礼のメールを出した。

スマリヤン数理論理学講義|上巻| 日本評論社2017年


2017年9月13日(水)くもり

大学生協の本屋で、教員の薦める本、という企画をやるらしい。俺も何か推薦図書を出せという話だったので、

結城浩「数学文章作法 基礎編/推敲編」(ちくま学芸文庫) 《タイトルは「数学文章作法」ですが、数学に限らずあらゆる文章に通じる内容です。レポート・卒論・修論など、書く前にぜひ一読を。》

菊池誠「不完全性定理」(共立出版) 《「あの定理」について語りたい人は必読。数学と哲学を自在に行き来する著者が徹底解説します。》

齋藤孝「文系のための理系読書術」(集英社文庫) 《とにかくたくさん読みましょう。文理の壁は越えてナンボです。》

てな感じで、4冊を推薦した。すると「POPに先生の写真を入れていいですか。撮影にうかがいたいので都合のよい日時を」云々と言われたので「ツイッターのアイコンで代用とかだめですか?」と言って話をつけた。そうでなくても、このごろは本屋に行くと、表紙やら帯やらPOPやら、とにかく著者の顔写真だらけである。その中へ混ざるのはちょっと勘弁してほしい。

理学部2号館4階から見た夕焼け
大学の建物からみた夕空


2017年9月12日(火)くもり

引き続きルベーグ積分の成立について調べる。午後には学部の会議。学会シーズンで、全国の大学教員が9月にはここを先途と出張するのだ。たとえば日本数学会が山形大学で開催中であり、われわれのキャンパスでも鉱物科学会の集会が開かれていて、他大学の研究者を集めている。学部の会議にはけっこう大事な議題も上っているが、なかなか定足数まで人が集まらなかった。


2017年9月11日(月)くもり

くもり時々あめ。昼間は↓↓↓下に書いたようなことをやっていた。で、時間になったのでピアノのレッスンに行く。例によって歩いて行き、例によって「ご覧のとおりです全然弾けないです」「あ、でも譜読みとかは間違ってないのでその調子で練習してください」(←たぶん「テクニカルな指導を入れる以前の段階」という意味)とかなんとかのやりとりをして、レッスン後はいつものドトールコーヒーには行かずに、ジュンク堂書店に行った。倅の塾が終わる頃に書店を出て、妻にメールで「倅はいつもどおり?」と連絡したら、すでに妻が車で近くまで拾いに来ているという。

妻子に合流しようと松山市駅前の通称《坊っちゃん広場》を歩いていたら、ベンチに男もののポーチの忘れものがある。手を触れずに2〜3分様子を見たが誰も取りに来る様子がない。ふむ。すぐ近くに交番があるので届けに行った。交番には誰もいなくて「お急ぎの場合は管轄署へ電話してください」と書き置きがある。それで松山東警察署に電話すると、市駅前交番のおまわりさんはなにやら「現場」に出かけているらしい。10分ほどで大街道交番から代役が着くので待てるなら待ってくれとのこと。まあ、このあとは家に帰るだけだから時間はある。日記のネタがなくて悩んでいる俺としては、面白い経験ができてまことに結構である。妻たちを先に帰らせて、待つことにする。

拾得物を交番に届けるのは初めてではないが、ポーチやバッグの場合、係員が内容物を確認するのに届け出た人も立ち合わねばならないというのは今回初めて知った。「たとえば、僕が何かチョロマカシたとか、あったら困りますからね」と、おまわりさんは言う。なるほど。複数の人の目がないとまずいわな。

しかし、他人の持ち物をのぞき見るなんてのは、あまり気分のいいものではない。そういうことが好きな人もいるらしいが、その神経がわからん。それはともかく、ポーチの中の雑多なものから住所氏名はわかったから、ほどなく元の持ち主のところに戻ることだろう。拾得物にかかる一切の権利を放棄、礼には及ばぬ、今後の連絡も不要、ということで手続きは終了。

いや、正直な話、ン千万円の札束でも入ってりゃ、がっつりお礼を貰うんだけどさ。

ちょっと気になったから「こういうとき、落し主が《いや自分は確かに百万円入れておいた》とか言い出すこととかあるんですか」と係員さんに聞いてみた。すると、落し主には《こんだけ戻って来ただけでも有難いと思いなさいよ》と言います、という答えだった。それと、これは俺もニュースで聞いたけど、拾得物を届け出たおじさんが落し主の女性にしつこく電話をかけて困らせた事件なんてのがあった。そういうご時世だから、礼金等のやり取りがない以上は「連絡不可」にしておいてください、そうでないと落し主に貴方の連絡先を教えにゃなりませんから、という説明であった。

なんというか、世の中いろいろである。この届出手続きに要したおよそ45分の間に、交番にはあと2件の話が持ち込まれた。ひとつは、高校生くらいの女の子が、街角に停めておいた自転車がないという話。これは盗難と市役所による回収の両方が考えられる。被害届を先に出してしまうと、取り戻したときに警察署に出頭せにゃならんから、まずは市役所に先に問い合わせるといい。もうひとつは、某県立高校の制服姿の女子とその母親で、学校からの帰り道に公園に下半身丸出しのオッサンがいた、という情報。これは、そのオッサンがこっちに向かってきたとかだと事件として捜索することになるが、見掛けたというだけなら、警察署に伝えてくだされば、不審者の注意喚起情報として流されます。と、まあ、テキパキと用件をさばく若いおまわりさんなのであった。

以上、べつだん己の善行を誇るつもりはなくて、望んでできるわけじゃない経験をしたよ、その過程でこういう話を小耳にはさんだよ、という話。しかし交番のおまわりさんも大変だ。いつもご苦労さまです。

もうこのさいだからと久々にGarakta Cafe&Barに寄ってウイスキー2杯飲んで、歩いて帰宅。歩数計カウント14,181歩。

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きょうは、ルベーグ積分のいろいろな教科書を比較しながら、リーマン積分の難点とルベーグ積分によるその克服というストーリーがどのように書かれているかを、ツイッター実況しながら調べた。[→Togetterまとめ:斬られ役リーマン積分] そこでの結論を敷衍しておこう。リーマン積分の難点というのは

  1. 微分可能な関数の導関数が積分できない場合がある. つまり微分積分の基本定理に制限がある
  2. 区間以外を定義域とする関数に対応しにくい
  3. 積分可能な関数の範囲が極限操作のもとで閉じていない

といったもののことだ。このうち(B)と(C)はルベーグの積分論でほぼ完全に克服されたが、(A)はルベーグ積分によっても完全には解決されていない。もちろん応用上は(B)と(C)の解決だけでも大助かりだから、それだけでもルベーグ積分を学ぶ価値は十分にある。いっぽう、ルベーグの原論文では、リーマン積分の問題点としては(A)を挙げているのみで、しかも自分の改良も(導関数が有界関数であるような場合に限った)部分的な解決にすぎないことを明記している。

それでも「ルベーグ積分によってリーマン積分の難点が克服される」という話が各種テキストで強調される。それには、学ぶべき理由を述べることによる読者の動機づけ支援、あるいは、すでにリーマン積分を学んでいるのに重ねてルベーグ積分を学ぶという事情についての弁明、そういった要因があるだろう。10冊ばかりのテキストを調べた結果、そういった「著者や読者の事情」と「歴史の流れ」とを慎重に書き分けているテキストも多かったが、これらをごちゃ混ぜにしてミスリーディングな記述をしているテキストも確かにあった。これでは、読者に「リーマン積分の難点のせいで苦しんでいる人々を救うためにルベーグ積分が颯爽と登場した」という伝説を吹き込んでしまいかねない。

…と、きょう考えたのはここまで。しかしそうなると話はこのあと当然「それではルベーグは実際のところどういう時代背景のもとで、どういう目的で自分の測度と積分の理論を出してきたのか。そしてそれはどう受けとめられたのか」と続くべきなわけで、これから一週間ほどでその話をまとめないといけない。しかし一応、この路線で話をしようという方針は固まった。ありがたいことである。


2017年9月10日(日)はれ

昨日行くはずだった散髪に行く。普段は散髪には土曜日に行き、農協のスーパーで昼飯のおかずを買って帰る流れとなる。だが、日曜日は農協のスーパーはお休みなのだ。昼飯の材料は自宅の近所のスーパーで買うことにした。山芋と、めばちまぐろの短冊を買って、山かけ丼にしたら、子供らが喜んだ。

午後は県立図書館に行った。返却期限は次の日曜日だが、その時は「第10回関西すうがく徒のつどい」に行っていて、松山にいないからね。天気がよくて風があり、気分がいいので、歩いて行くことにした。

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途中、真光寺でひと休み

図書館には、いつになく人が多かった。草津セミナーハウスで話す内容の参考になりそうな数学(史)の本を3冊と、シュペングラー『西洋の没落』(中公クラシックス版)の第I巻と、あと、8月28日の日記に書いたような関心から、カンパネッラの『太陽の都』を借りて退出(モアの『ユートピア』は見つけられなかった)。一昨日に引き続き、フジグラン松山のタリーズコーヒーでソイラテを飲む。タリーズで中根美知代『ε-δ論法とその形成』(共立出版)を読み終えた。そのあとフジグランのデリカ売り場で揚げ物を2種類買い、不二家で妻と子供らにデザートを買って、さらに歩いて帰宅。夕食はイカの竜田揚げと、おろし豚カツ。昼の山芋と夕飯の大根をすりおろす人生だった。歩数計カウント15,424歩。

翌日追記:書き忘れていたが、中根美知代『ε-δ論法とその形成』(共立出版2010年)はいい本だ。これから微積分を学ぶ人 (いままさにε-δ論法に苦しめられている人) にはさすがに苦しいだろうが、教える立場の人、数学を専門的に学ぶ数学者や、その卵たちには、専門分野を問わず、遍く読まれるべきだと思う。もっと言えば、科学の歴史に関心のある人に広く読んでほしいが、多少の知識がないと修正できない誤記が数式などに散見されるので注意が必要だ。正誤表もあるが、十分ではない。


2017年9月9日(土)くもり

妻は研修のファシリテーターとやらでアイテムえひめに行っている。俺はこれまでの反省を踏まえ、予定のない土曜日はゆっくり過ごすことにする。だが夜になってから思うに、散髪に行けばよかった。まあ、明日でもいいが。せんだっての日曜日にフジグランの食品売り場で買ったレトルトの豚テールの煮物を昼食と夕食に出した。やわらかくて結構うまかった。


2017年9月8日(金)はれ

仕事に行くが、ほとんど誰にも会わない。総務係に書類を出しに行ったので、パソコン屋さんが営業チラシを持って来てくれた程度。夜はフジグラン松山に行き、タリーズコーヒーでソイラテを飲みつつ中根本第4章を読んだ。べつだん乳製品アレルギーでも何でもないのだが、先日気まぐれでソイラテを頼んで飲んでみたら悪くなかったので今夜もソイラテにした。夜9時前になって店が仕舞い加減になったころ、歩いて帰宅。歩数計カウント12,321歩。


2017年9月7日(木)くもり

家で本を読んだ。夕食に回鍋肉を作った。


2017年9月6日(水)くもり

娘の学校の運動会。中高一貫校の4年目だから今年はもう行くまいと思っていたのだが、娘と妻が出かけてからキッチンを見ると、《チキンラーメンの景品のヒヨコちゃん箸箱》が忘れてある。妻にメールして聞くと、娘の弁当に付け忘れたということなので、届けてやることにした。昨年までと同様、妻がPTAの飲み物販売の手伝いをしているのでそこへ箸箱を届け、綱引き競技だけ見て脱出。

日記を読み返してみると、去年の娘の学校の運動会にも、俺は自分の意思で行ったというより流れで行くことになったのだった。

改めて、大学へ歩く。途中の店で、新しいリュックサックを買った。十分な容量があり、デザインが堅実で、値段が手頃。

新しい黒いリュックサックが職場のチェアの上にある写真

夏の暑い時期を別にすれば、俺は普段の通勤にリュックサックを使う。これまで愛用した南米風のエスニックな飾りのついた布のリュックサックは、長年の使用で傷んできており、7月6日の大雨のとき水浸しにして以来、使っていなかった。そうでなくても、夏の間はリュックサックで通勤ですると衣服の背中が汗でベタベタになってしまうので、トートバッグで代用するのだ。これから涼しくなるだろうし、今月下旬には京都と草津への出張を控えているので、この時期に新しいのを張り込んだというわけ。

やる気のないあひるやる気のないあひるやる気のないあひる

午後は大学で昨日の続き。気付いたことをどんどんツイートしながら、中根美知代『ε-δ論法とその形成』の記述をコーシー『微分積分学要論』(小堀憲訳, 共立出版)やデジタルアーカイブのコーシーの原著で調べる。それでコーシーの著作での関数概念の定義についてはある程度のことがわかったので、ここまでの話をTogetterでまとめた。[→コーシーによる関数概念の定義について調べてみた回] さしあたりの結論としては、吉田耕作がルベーグ論文の解説文で言っていることを追認する形になった。

歩数計カウント16,129歩。距離に換算すると10kmくらいか。きょうは午前中の運動会オプショナルツアーその他のおかげで、けっこう歩数が伸びた。


2017年9月5日(火)あめ

小雨が降ったり止んだり。まあ、どのみちたいした雨ではない。草津で喋ることの準備をする。あいかわらず昼間はろくに仕事にならず、午後5時ごろにようやくエンジンがかかりだすという困った状態。帰路は元町珈琲に寄る。歩数計カウント10,051歩。

集合論発展史のなかで測度問題が果たした役割を追いかけるのが当面の課題だ。その前史というべき部分で、まずは「任意の関数」という問題設定がどのように浮び上がってきたかを検討。ルベーグの学位論文を邦訳した『積分・長さおよび面積』(共立出版「現代数学の系譜」シリーズ, 訳と解説: 松原稔・吉田耕作)と、中根美知代『ε-δ論法とその形成』(共立出版2010年)をひもとく。吉田と中根がコーシーの同じ言葉を引用しているのだが、翻訳の仕方でずいぶん言っていることが違っているように見えて面白い。


2017年9月4日(月)くもり

きのうまでと違ってどんよりとした曇り空。これから数日は天気が崩れる予報のようだ。

ござを敷き卓袱台を置いた研究室
研究室にござを敷いた

今月下旬の出張の足、羽田までの飛行機と東京から草津温泉までの高速バスの手配をした。ともかくも草津セミナーハウスまで行って帰ってくることはできそうだ。で、あとは何を話すかだけど、こっちの手配というか段取りが、なかなか決まらない。ううむ。いずれにせよ、ルベーグ積分と測度問題に関連した話をすることになるだろうとは思っている。

夕方はピアノのレッスン。発表会の出し物を決めた。ポップス系ではあるが、最近練習していた楽譜とは別の、昨日届いた楽譜集からの曲を採用。しかし、発表会の出し物については、こっぱずかしいので、詳細はいずれ改めて。ブルグミュラー18の練習曲は次回から第10曲をやる。タイトルが「すばやい動き」だなんて、そんなプレッシャーをかけないでほしいところだ。レッスン後は例によってドトールコーヒーに行った。今までになく、ずいぶんすいていた。8時10分ごろまでいて、塾を終えた倅と駅で合流し、電車で帰宅。


2017年9月3日(日)はれ

午後から妻と買い物に外出。子供の制服の洗濯替えとか、妻が取り寄せていた本とか、晩飯の材料とか、そういうコマゴマしたものばかりの買い物と、倅の通学定期の手続きなどなど。フジグラン松山で6尺四方(1.9m×1.9m)のゴザを買った。この夏のうちに研究室にそういうものを置こうと思っていたのだが、いろいろの事情で後回しになっていた。設置は明日。

娘はきのうもきょうも運動会の準備で絵の具まみれになって帰ってきた。クラスの一員として馴染んでいるらしいので安心した。


2017年9月2日(土)はれ

大学まで「ゲーデル全集」の『赤本』が収録されている巻を取りに行った。用があるのは第II巻だったのだが、間違えて第III巻を持って帰ってきてしまった。OUP(オックスフォード大学出版)から出ている「ゲーデル全集」は全5巻で、第I巻第II巻が出版された論文や著作、第III巻が未刊行の試論と講義ノート、第IV巻第V巻が書簡という構成になっている。(もっとも俺は第IV巻と第V巻の実物は見たことがない。ペーパーバック版もあるようなのでそのうち入手せねば。) 第III巻だって哲学や一般相対性理論の研究ノートを収めていて興味深いものではあるのだが、俺が用があったのは『赤本』すなわち1940年の著書 “The Consistency of the Axiom of Choice and of the Generalized Continuum-Hypothesis with the Axioms of Set Theory” と、それに対するRobert M.Solovayの解説文だったのだ。

このところ、毎週土曜日がどうもいけない。土曜日は進捗を諦めて休養に徹しよう。


2017年9月1日(金)はれ

大学には行かず、家でもっぱらフランク・スミス『なぜ、学んだものをすぐに忘れるのだろう?』(大学教育出版2012年)の第二章を、メモをとりながら読んでいた。読まにゃならぬ本が多すぎて、ちょっとした混乱状態である。

このごろすっかり放念していたが、ゲーデルの赤本の翻訳計画ということを2012年1月9日の日記で語っていた。シルピンスキの «L'Hypothése du Continu» についても、ツイッターで何人かの集合論研究者を巻き込んでそういう話をしていた(→2014年6月14日のTwilog)。それに、いつも言っている「あの本」のことも、実行に移すべきだ。これらはどれも「電子レンジでチーン♪」とお手軽にできるものではないのだから、プランというかロードマップというか、計画性をもって実行に移さにゃならん。ふむ。

一日じゅう、かなり涼しかった。夕方からちょっと理由があって外出。齋藤孝『文系のための理系読書術』(集英社文庫2017年)という新しい本を妻が探しているので、ジュンク堂で買い、夜の街を歩いて帰宅。歩数計カウント9,976歩。