て日々

2017年10月


2017年10月31日(火)はれ

読み終えた本を2冊と、買ったけれど読みそうもない本を1冊、あるフォロワーさんにお譲りした。かつてAmazonマーケットプレイスで古本を売っていたころは、冊子小包扱いにしてもらうためにちょっと手間がかかっていたのだが、このごろはLetterPackライトというので簡単に送れるので助かる。

さて、今月はあまり本が読めず、読書管理ビブリアには、今月9日の日記に書いた2冊しか登録できなかった。何も読んでいないわけじゃないのだが、読み終えていないものを登録するわけにはいかない。


2017年10月30日(月)はれ

朝、菊池誠(神戸の)からメール。いつも彼はいろいろと面白い仕事を持ってくる。まだ詳しくは言えないが、なんにせよ、お声がかかっているうちが華である。それに、いろいろ勉強するいい機会でもある。だから、例によって、あまり深く考えずに引き受ける。

夜はピアノのレッスン。今日に限って、音楽教室にちょうどいい時刻に着いたと思ったら、T島先生が所用で遅れるとの連絡が入った。実際には5分も遅れなかったのに、レッスンを10分ほど延長していただいた。それはありがたかったのだけど、ドトールコーヒーで倅の塾が終わるのを待つにはやや中途半端なタイミングとなった。代わりにジュンク堂で本を見る。ただし、お金がないから何も買わない。

発表会まであと1か月を切っているというのに、この一週間はピアノの練習にあまり時間をとれていなかった。いままで朝の起き抜けにヘッドホンをつけてエレビに向っていたのだけど、このごろは朝一番というと、妻に代わって朝食や弁当を作ることが多い。生活の時間割が変化したわけだが、しかしそんなことを練習のできてない言い訳にしても仕方がない。意識して練習時間を確保しよう。


2017年10月29日(日)あめ

夢にビキニ姿の美女が出てきて、こりゃ眼福だなあと思いながら目を覚ます。しばらくは外の雨音を聞いてぼんやりしていたが、不意に、多聞天さまに昨日聞いた問題(ルベーグの密度定理を使う証明をそのとき即答できたのだが)の簡単な別証明を思いつき、飛び起きてノートをとる。

さて、数物セミナー2日目。今日は数学サイドの講演が3件。シャルコフスキーの定理を中心に力学系の理論の紹介をする話。交代順列の数を数えることとベルヌーイ数との関係を解析的整数論の立場で語る話。カントールの集合論の発端となった三角級数の一意性定理とその発展について語る話。

講演の上手下手ということでは解析的整数論の話をしたねげろんに一日の長があったとせねばならんが、三つともそれぞれに興味深かった。院生にも学部生にも、すごい奴がいっぱいいる。俺はもう色々とかなわない。それでも、やりたいことがあるうちは、オッサンもオッサンなりに頑張ろうと思った。

ツイッター実況のまとめ:数物セミナー2017愛媛談話会2日目のセッション

やる気のないあひるやる気のないあひるやる気のないあひる

妻は朝から夕方までなにやら研修に出ていた。俺の作った弁当を持って行ってみたら、講師分の弁当は会場側で用意してくれていたらしい。なんじゃいな。家には娘のお友達が遊びに来て、倅と3人でビデオを見たり協力して昼食を作ったりして楽しんだらしい。夕方には雨が上がって、雲の切れ間から澄み渡った空が見えた。


2017年10月28日(土)あめ

昨晩から雨が降ってるけど、まあ、たいした雨じゃない。「数物セミナー」に顔を出した。今日は物理学シリーズ。衝突回数を数えることで円周率πの近似値が求まる物理実験の話と、非平衡統計力学の話と、分子の構造解析の背後にある数理の話。俺はツイッターで適当に実況中継をしつつ聞いてるだけだったけど、たいへん面白かった。まあしかし、基本的に学生さんのイベントで、俺が顔を出すと、学生さんにとっては幕府が隠密を送り込んだみたいに感じられるかもしれず、ちょっと申しわけないのではある。

セッション終了後にツイッター中継をまとめた(数物セミナー2017愛媛談話会1日目のセッション)。


2017年10月27日(金)はれ

けさも朝食の用意はしたが、弁当づくりはお休み。ちょっと事情があって、自分は朝食を取る間もなく7時台後半の電車で出発。銀天街のドトールコーヒーでモーニングを食いつつ、本を読む。ドトールの店番は小柄なかわいい女の子と背の高い男の子。女の子のほうが、はきはきとすごくいい声で話す。ずっと聞いていたいくらい、いい声だった。

金曜午前は510くんのゼミのはずなのだが、準備ができていないとのことでキャンセル。510くんはとても優秀だが、複素解析のレポートとか、数物セミナーの講演準備とか、いろいろ抱えていて、忙しそうではある。午後は卒業研究ゼミ。10kくんは健康上の理由で当分のあいだ欠席。ところが、そのことがあとの3人に伝わっていなかったらしい。仕方がない。きょうは枝eくんが一人で担当。戸田山和久『論理学をつくる』の第I部を読み終え、早仕舞いした。戸田山本を卒業研究のテーマにするなら、ぜひ第II部の、少なくとも第7章までを読み終えたいところだ。年内は3人態勢に戻ってゼミを進めることになる。もっとも、来週と再来週はどのみち金曜日が休講になるのだった。

明日と明後日に、理学部で「数物セミナー愛媛談話会」が開催される。物理学科の4年生の持国天さまやKくん、数学科のねげろんや510くんも講演する。ずっと《瀬戸内すうがく徒のつどい》みたいなのが実現しないかと思っていた俺としては、これがとても楽しみである。今日はとても気持ちのよい快晴で、明日もこんな天気だといいのだが、台風22号が接近中で、雨の予報。


2017年10月26日(木)はれ

朝早く、家で年末調整のための書類をいろいろ書いていたのだが、子供らの氏名を書く欄に間違って自分の名前を書くということを2回もやってしまった。「愛媛」の「媛」の字のつくりの「爰」のところに「愛」を書いて「女愛」みたいな創作漢字を生みだすという住所の書き損じもやった。寝惚け頭で事務的な書類など書くものではない。おまけに、ダイニングセットの椅子の脚に右足の薬指をぶつけるということもやった。どうも今日は、ろくなもんじゃない。おとなしく過ごすことにしよう。

午後はnCoくんの3回生ゼミ。寺澤順『現代集合論の探検』の第2章を読み終えた。

夕方だいぶ遅くなってから、O下さんが来て「《無限集合が可算無限集合を含むこと》の証明には可算選択公理で十分か」という。即興で証明を考えたら、なかなか面白かった。\(\aleph_0\) が “最小の無限基数” であることを意味するこの命題は、選択公理の助けなしでは証明できないのだが、さりとて、選択公理のフルパワーが必要というわけでもない。

そのときに述べた証明を再現する: 無限集合 \(X\) が与えられたとき、各自然数 \(n=0,1,2,\ldots\) に対して、ちょうど \(n\) 個の要素からなる \(X\) の部分集合全体のなす集合族 \([X]^n\) は空ではない。このことは選択公理を用いなくても \(n\) に関する数学的帰納法で示される。そこで、可算選択公理により、各 \(n\) について \(A_n\in[X]^n\) を選べる。いま、\(n_0=0\) とし、再帰的に \(n_{k+1}=n_k(n_k+1)/2+1\) によって \(n_k\) \((k=0,1,2,\ldots)\) を定めよう。和集合 \(A_{n_0}\cup A_{n_1}\cup \cdots\cup A_{n_k}\) の要素の個数は \(A_0\cup A_1\cup \cdots\cup A_{n_k}\) の要素の個数を越えないから、\(1+2+\cdots+n_k\) 以下で、\(n_{k+1}\) より真に小さい。したがって、\(A_{n_{k+1}}\) はこの和集合より真に多くの要素をもつことになり \[ A_{n_{k+1}}\setminus\big(A_{n_0}\cup A_{n_1}\cup \cdots\cup A_{n_k}\big)\neq\emptyset \] が成立する。ふたたび可算選択公理によって、各 \(k\) について \(a_k\in A_{n_{k+1}}\setminus\big(A_{n_0}\cup A_{n_1}\cup \cdots\cup A_{n_k}\big)\) と選べば、それらは互いに相異なる \(X\) の要素である。したがって \(X\) は可算無限部分集合を含む。

後日追記:あとで見直したら、\(n_k=2^{k-1}\) が可能な最小。そう書いたほうがエレガントではあった。まあしかし、即興でそこまでは思いつかない。(2017年10月28日)


2017年10月25日(水)はれ

朝食を用意し、弁当を作る。妻は早くに仕事に出かけてしまったが、天気がいいので洗濯もする。家事やら子供らの面倒やらいろいろやっていたら、出かけるのが少し遅くなって、学長選の投票締め切り時刻にタッチの差で間に合わなかった。


2017年10月24日(火)はれ

ええかげん、第4クオーターの講義の準備をせにゃならん。年度の始めにシラバスを公開しているとおり、計算可能性理論をやる。最初の部分に何をやるかは決まっている。計算のアルゴリズムというものの例をやり、計算のアルゴリズムをもつ関数の範囲の数学的定義の試みを紹介する。チューリング機械、ラムダ計算、エルブランの方程式系、ゲーデルの再帰的関数を紹介し、それらの同値性を(全部をきっちりやると大変だけど概略だけでも)示す。チャーチ=チューリングの提唱の話をする。万能チューリング機械を定義し、対角線論法によって停止問題の決定不可能性を示す。ここまでは定番コースだ。そのあと残った時間で決定不可能問題のその他の具体例を紹介したい。ペンローズの本で紹介されていた「ペントミノ・タイリング」などは決定不可能性のわかりやすい例だが、こんなものは「お遊び」である。述語論理の恒真式判定問題とかヒルベルトの第10問題とか不完全性定理とか、これらは内容的にはふさわしいが、どのみち全部は盛り込めない。群の語の問題をやりたいが、群論については門外漢だから、ぜんぜん準備ができていない。というわけで、最初に戻って、ええかげん講義の準備をせにゃならん。

「アルゴリズム」の概念は数学的にきちんと定義されたものではない。ひとつひとつの具体的なアルゴリズムを見せてもらえば、なるほどこの手順で計算はできるよね、と納得できるのだろうが、ヒルベルトの第10問題のように「一般的な解法の手順が存在しないこと」を証明せねばならなくなった場合は、なんとしてもこの「一般的な解法の手順」すなわち「アルゴリズム」とは何かということをきちんと定義せねばならない。20世紀はじめの30年間に、数学においてそういうことが求められるようになった経緯というものを、ひととおり把握しておきたい。そういうことを知らなくても、テクニカルな数学の話はできるのだが、背景にあるストーリーというか思想の流れみたいなことを承知した上で数学の話をしたい。とくにロジック(数理論理学)の各分野の場合はなおさらそうだ。とはいえ、数学の先生がみんなそうやっているわけじゃないし、そうしなけりゃならないという決まりもない。単に、俺はそうしたいというだけ。前にも言ったが数学の理論にストーリー性を求めがちなのは、どうも俺の悪い癖なのだろう。ともあれ、こういうときには、とっかかりとして、田中一之編『ゲーデルと20世紀の論理学』全4巻(東京大学出版会)がまことに重宝する。

それより「群の表示」の理論とその背景の勉強をせにゃならんのだけどね。


2017年10月23日(月)はれ

そろそろ朝夕が肌寒いから、ジャケットを着て出かけることにした。朝のうち、三番町ガーデンプレイスカフェに寄る。

夜はピアノのレッスン。ブルグミュラー18の練習曲のうち第10番が済んだ。次の第11番もさらうが、それより、発表会まであと1か月しかないのでちょっと焦る。運指をきちんと決めて左手の和音の流れが滑らかになるようによく練習しておかないといけない。

レッスン後、例によってドトールコーヒーに寄る。斜め前の席で、近くの工業高校の生徒さんだろう、制服姿の女子高生が、ルーズリーフとプリントに数字を埋めていっている。シャーペンを持ったまま、人-中-薬の3本指でちょっと大きめの関数電卓を巧みに扱う手つきに、思わず見惚れてしまった。


2017年10月22日(日)あめ

台風21号のせいで、普段雨の少ない松山でも、一日じゅう結構な雨と風。夕方にはとうとう伊予鉄のバスと電車が止まってしまった。家から出る気にもなれず一日中だらだら。とはいえ、バイトに行く妻の弁当も含めて、家族の食事の用意はした。秋も深まってきたことだし、晩飯は家にある材料を中心に鍋ものにした。

妻のお弁当
妻の弁当を作った
まあ、やっつけ仕事ではある

そんな悪天候の日なのに、先日Amazonで注文した本が郵便で届いた。明日でもよかったのに… 配達員さん、ありがとう。


2017年10月21日(土)あめ

学部の編入学試験のために出勤。午後4時前に業務が終了。

聞くところによると、10月第3土曜日はスウィーテスト・デイとかいう記念日だそうだ。たとえば モンテールスイーツ学園のウェブ記事 によると

オハイオ州クリーブランドにあるキャンディ会社の社員キングストン氏が、いつも気になっていた病気の人や親のいない子どもたちにキャンディを配って歩いたのが始まりといわれ、クリーブランド中でこの運動が行われ、その後、口コミで全米に広がりました

だそうだ。昨日薬を飲み忘れたせいで夜に気分が荒れ気味だったことを反省し、仕事のあと、家族のためのお菓子を買いに行くことにした。そしたら、妻が車で送迎してくれたうえ、明日は台風で大変だからきょうのうちに衆院選の期日前投票をしとくといい、と提案してくれた。フジグラン松山の5階に期日前投票所があるのだ。それで行ってみたら、みんな考えることは同じと見えて、普段の投票日当日の投票所よりずっとにぎやかで、ずいぶんと長い列ができている。最後尾に並んでから衆議院と最高裁判事国民審査と県議補欠選挙の投票がすべて済むまでに25分かかった。いろいろ面白い経験ができてありがたい。投票を済ませて1階のベティークロッカーズでクッキーとチョコフィナンシェを買い、食品売り場で明日に備えて食材をいろいろ買って帰宅。


2017年10月20日(金)くもり

今週は5日続けて俺がムスメの弁当を用意した。まあ、自分の弁当だって同時に作るわけだからな。妻にあれもこれも任せるより、俺が弁当づくりだけでも代わったほうがいろいろ効率がよい。当たり前のことだ。

午前中は510くんの自主ゼミ。ウルトラプロダクトによるコンパクト性定理の証明。タルスキ=ヴォートの判定条件。レーヴェンハイム=スコーレム=タルスキの定理。

午後の卒業研究ゼミの時間に合わせて、数学科自主制作の学生向けパンフレットと、業者の作ってる卒業アルバム、それぞれのゼミの写真撮影をしてもらった。俺はこの大学で教えてもう27年目になるが、初めて卒業アルバムの実物を見せてもらった。ただし、たまたま卒業年度の学生をもっていなかった一昨年度版だったので、俺は載ってない。

卒業研究ゼミでは、必要に迫られて普段よりやや厳しく指導した。というより、普段がゆるすぎるのだが。


2017年10月19日(木)あめ

午後、nCoくんの3年生ゼミ。濃度の演算の性質。和と積は問題なかったが、指数法則の証明のあたりでnCoくんがちょっと混乱しているようである。関数を喰って関数を吐く高階関数を扱うところだから、最初は仕方ない。

倅の13歳の誕生日。晩めしは栗ごはん。そのあとフルーツのタルト。


2017年10月18日(水)あめ

午後、数学科お茶会。ショートトークは土屋教授がロシアのオイレンブルクへ学生を引率していった旅行記。解析専攻M2の増長天さまが修士論文の参考文献のひとつ、ヨストの『ポストモダン解析学』(原書第3版, 小谷元子訳, 丸善出版2009年)を持ってきていた。ポストモダンというから、証明のテクストが戯れたり、摂動により解の同一性が脅かされたり、ロジックのロゴス中心主義が脱構築されたりするのかと思ったら、そういうことは全然なくて、解析学の現代的なツールの数々を要領良よくまとめた教科書という感じである。面白そうなので俺も読んでみようかなと思った。

というわけで夕方から書店に行った。目当てはもちろん『ポストモダン解析学』なのだが、店頭にない。仕方がない。それは延期して、高崎金久『ツイスターの世界』(共立出版2005年)を買った。確かこの本は持っていたはずなのに、研究室を捜索しても見当たらない。きっと誰かに譲ってしまったのだろう。こういうことを時々やってしまう。


2017年10月17日(火)くもり

夕方から妻が子供らの服を買いに行くというのにつきあう。フジグラン松山に行くというので店で落ち合うつもりで歩いたが、本町の交差点まで入ったころに妻からメール。なんちゃらいう特別セールの日なのですごい人で、駐車場に入れもしないという。仕方がないので店を変える。娘は谷町のしまむらに気に入ったものがあったというが閉店まぎわだったので買わずに退散。隣のユニクロで妻が倅に服を買ってやっていた。俺も新しいコートやらジャケットやら、できれば手に入れたいところではあった。だけど、草津の旅費もまだ払ってもらってないし、今月はまだ無理。


2017年10月16日(月)あめ

朝、妻が起きにくそうにしているので、きょうも俺が先に起きて弁当づくりを代わる。

夕方から例によってピアノのレッスン。その前に、銀天街の三浦屋で大学ノートを買う。いろいろな紙やノートを試すが、今回の作業には糸綴じノートがふさわしいように思う。ピアノは可もなく不可もなく。例によって進捗は遅い。

レッスン後、いつものようにドトールコーヒーに寄る。いつになく人が多い。まあ、タイミングだけのことだろうけど。大きいテーブルのあっちの端では、制服姿のJKが、先輩だか先生だかカレシだかお兄ちゃんだかに勉強を教えてもらっている。他の人も、俺を含めてみんな、ノートを広げたりタブレットを置いて勉強だか仕事だかをしている。


2017年10月15日(日)あめ

娘が湯田温泉の中原中也記念館に行きたいというので、4人で出かける。とはいえ、妻は倅を県立山口博物館に連れていく。俺はどちらでもいいのだが、まあ娘と一緒に湯田温泉へ行くことにした。JR山口駅で二手に分かれ、俺と娘は鉄道で湯田温泉へ移動するのだが、たったひと駅、時間にして4分ほどのために、1時間以上も待つことになってしまった。というのも、もともと30分に1本しかない列車を、俺が乗り場を間違えてみすみす1本見送ってしまったからだ。しかし、どこか懐しい感じのするローカル線の駅でのんびりする気分も、まあ悪くはなかった。

JR山口駅3番のりばからの眺め

湯田温泉駅の売店でビニール傘を2本買って、中原中也記念館まで歩く。このあたりも、時代に取り残されたような町並みだ。記念館ではいまアニメ「文豪ストレイドッグス」に関連した催しをしているらしい。娘は大喜びで入館したが、俺は向かいの狐のあしあと(湯田温泉観光回遊拠点施設)のカフェで待つことにする。コーヒーを飲みながら『位相のこころ』を読んでいたが、見れば「やまぐち地酒フェアー」の利き酒セットというのがある、試すことにした。

木の盆に杯が三つ

お猪口に3杯で500円。いろいろな組み合わせがあったが、選んだのは「山口銘酒文学セット」というやつで、写真ではわからないが、左から「獺祭」「月夜の浜辺」「月のふくろう」だそうだ。これを選んだというのも、このうち「獺祭」と「月のふくろう」がそれぞれ正岡子規と種田山頭火にトリビュートされていたからだ。愛媛の松山から来ている俺にとって、他より親近感を覚える。

この「狐のあしあと」には、カフェと展示スペースと足湯があり、コーヒーや地酒や地ビールを飲みつつ足湯を使うというオツなことができる。カフェ店内の窓側に足湯を兼ねている席もある。本を読んでいる間ずっと足を湯につけているのもちょっと辛いかもしれんのと、俺のようなオッサンが毛脛を晒してる姿は絵にならんので店に申しわけないのと、タオルの用意もないのと、別料金(200円)なのと、等々の理由で、俺は今回足湯を遠慮したが、文豪ストレイドッグスめあてにやってきた若い女たちが足湯を使う艶かしい姿が見れて、なかなか眼福だった。

山口市からは、妻実家には時間の都合で立ち寄らず、周防大島の伊保田港へ直行。松山に戻り帰宅したのは夜8時半ごろ。ラーメンを作って4人で食ったあとは、ひとしきり後片付けをして、さっさと寝てしまう。


2017年10月14日(土)くもり

柳井行きの船に乗るため、お昼前に、学校から帰った娘と二人で、三津浜港へ移動。妻と倅は昨日のうちに帰省している。お金のある時期ならラムーの向かいのラーメン屋にでも行くところなのだけれど、給料日前で苦しい時期なので、出がけにコンビニで買ったお弁当をフェリーターミナルの待合室で食って待つ。

船室はとてもすいていた。所要時間は2時間30分。俺は森毅『位相のこころ』や飯田隆「ゲーデルと哲学─不完全性・分析性・機械論」を読み、その合間に少し眠ったりもした。娘は宿題をしたり絵を描いたりしている。

柳井港まで妻と倅が迎えに来ている。車で妻の実家へ行く。手土産として、愛媛の地酒「石鎚」と、義母が「はがき名文コンクール」とやらいうのに入選したというので、ささやかな祝いにと、書店で正岡子規に関する本を2冊選んで持っていった。夕食は焼き肉だった。「石鎚」は口当たりのよい飲みやすい酒だった。時節柄、政局の話などがはずむが、例によって義父と妻の会話になかなかペースが合わせられないのでちょっと困る。


2017年10月13日(金)くもり

朝、妻がなにやらバタバタしているので、俺が弁当づくりを担当した。その後、いつものドトールでレタスドッグを食いながら、昨日もらった愉快なメールの愉快な話について、ひとり作戦会議。なんかすごく大変なことを例によって軽々しく引き受けてしまった気もするが、実現すればそれは有意義なことだから、ひとつ努力してみる。(この件については、今はまだ未確定であれだけど、そのうち必ず、ちゃんと話しますからね。)

午前中は510くんの自主ゼミ。超積の定義とウォシュの定理が中心。午後は卒業研究ゼミ。10kくんは分割合同の定義と例の話。枝eくんは命題論理のタブロー法の話。

先週の金曜日の日記に書いた問題(体の直積の素イデアルは極大イデアルである)は思いのほか簡単に解けたので、よく似た状況として、コンパクトハウスドルフ空間 \(X\)上の実数値連続関数全体の環 \(C(X)\) の素イデアルについて考えてみる。イデアルがノルム位相の閉集合になっていれば、それは\(X\)の空でない閉部分集合に対応するから、素イデアルなら極大である。それにイデアルの閉包はまたイデアルなので、極大イデアルが閉集合であることは明らかだ。だから問題は、\(C(X)\)の素イデアルがノルム位相の閉集合になっているかどうか、と変換される。この話、イデアルのノルム閉包と各点収束位相での閉包が一致するとか、極大イデアル全体の集合にある位相を入れるともとの\(X\)と同相になるとか、いろいろ面白いことがわかるのだが、さて…

明日の午後には妻の実家を訪ねる予定なので、夕方、フジグラン松山へ手土産の日本酒を買いに行った。


2017年10月12日(木)くもり

nCoくんの3年生ゼミ。濃度の定義。\(\mathbb N\)が有限集合でないことの証明。\(\mathbb N\)と\(\mathbb Z\)が対等であること。\(\mathbb R\)と\(\mathbb N\)が対等でないこと。濃度の大小の定義とその整合性。シュレーダー・ベルンシュタインの定理。濃度の和と積の定義とその整合性。と、まあ盛りだくさんだったが、本人としては濃度の無限和まで話したかったらしい。そりゃ無茶である。

夕方、あるお方から愉快なメールを頂戴して愉快であった。


2017年10月11日(水)はれ

ペンローズの所説に触発されて、チューリング機械では実現できない計算、いわゆる hypercomputation (ハイパー計算) の実現可能性というものに関心をそそられているこの頃である。ペンローズは量子重力理論にそうしたハイパー計算の可能性を見ていたのだが、調べてみたところ、一般相対論の応用としてある種のハイパー計算が構想されているらしい。ブラックホールを回転させる技術が必要なようだから、きょうあす実現するということでもないが、面白そうだ。ただ、この路線を追求するには、量子コンピュータとか、いわゆる自然計算(自然界に計算論的な現象を探す試み)についても勉強せねばならん。あれもせんといかん。これもせんといかん。


2017年10月10日(火)はれ

午前中、物理学科の学生さんが位相空間論の質問に来たので「任意の集合の境界はかならず閉集合」ということを3つくらいの観点から説明して差し上げた。物理学徒が位相空間論を何に使うのかと聞いたら、量子力学をやるためのヒルベルト空間論で必要だという。まあ、そりゃそうか。

夜は1年間の海外出張から帰ってきたYP准教授の帰国祝いの飲み会。YPさんの人徳を反映してか、教員も学生もけっこうな出席率であった。こういう席にくると、俺は別段嫌われているわけじゃないということに気づく。みんな、俺がちょいと偏屈だから扱いに困っているだけなのだ。

西堀端の夜の景色

飲み会を終えての帰り道、堀之内公園で心地よい夜風に当たって星空を見上げながら酔いを醒ます。飲み会も嫌いじゃないが、ひとりに返ったこういう静かな時間が俺には幸せである。とはいえそれも、さっきまで気分よく飲めたおかげ。ありがたいことだ。


2017年10月9日(月) 体育の日はれ

木曜日には「きょうのうちに読み終えられるはず」と豪語していいたペンローズ『心は量子で語れるか』を、今朝ようやく最後まで読み終えた。これだけ遅れに遅れたのは、なかなかナサケナイ。

ナサケナイので、せめて何かもう1冊と思って、ファインマンとワインバーグの『素粒子と物理法則』(小林澈郎訳, ちくま学芸文庫)を読んだ。ざっと目を通した、という程度で、門外漢の俺にはまだまだ難しくてよくわからんのだが、二人とも、量子力学に各種の対称性の議論を追加することで素粒子の理論が自然な形で得られる、と言っているらしい。ポール・ディラックが電子の量子力学をローレンツ変換で不変な形に定式化し、そこから陽電子の理論が生まれたという経緯や、エネルギーや運動量がそれぞれ時間方向と空間方向の平行移動に対する状態ベクトルの変化に注目することで自然に定式化できること(他の物理量についても同様)などが、例として挙げられている。

夕食後、少し目先を変えて『ゲーデルと20世紀の論理学(ロジック)』第1巻「ゲーデルの20世紀」所収の飯田隆「ゲーデルと哲学─不完全性・分析性・機械論」を再読。が、ほどなくドロップアウトして就寝。続きは明日。


2017年10月8日(日)はれ

昨日ずっと頑張っていた妻はさすがにクタビレて寝ている。朝と昼の飯を担当。それと洗濯をする。昨晩作りおきしたカボチャの煮物を朝飯に出したら、寝ている妻にと思って残していた分まで倅が食ってしまった。仕方のないやつだ。昼飯に肉じゃがと並行して3度目のカボチャの煮物を作ってようやく妻に出せた。

なかなか本が読めない。家ではどうしようもないと思って夕方本と筆記具を持って(iPhoneは持たずに)散歩に出る。手持ちの現金がほとんどないので、カフェでコーヒーというわけにもいかない。 コンビニで買った缶チューハイを片手に、スーパーマーケットの外に置いたベンチに座って『心は量子で語れるか』の後半を読む。3人の学者(アブナー・シモニー、ナンシー・カートライト、スティーブン・ホーキング)がペンローズの所説に批判的にコメントし、ペンローズが答える、なかなかエキサイティングな場面だ。しかし酒を飲みながら外のベンチで取ったノートを帰宅後に見直したらさすがに字がグチャグチャだった。

パブリックスペースのベンチで、ノートに下手な字で何やらクチャクチャ書き散らかしている酔っ払いの男というのは、いかにも怪しいな。


2017年10月7日(土)くもり

朝、娘を連れて外へ出ると、ちょうど、うちの町内の神輿と、道を隔てた隣町(ミキ学部長の町内)の神輿が、コンビニの駐車場で鉢合わせをするところだった。これを生で見るのはけっこう感激する。

ダイキに行ってボールペンの芯を買った。ずっとゼブラのSurari0.7を使っていたわけだが、今年の3月に卒業したOz8くんとKdくんがJETSTREAMの4色ボールペン+シャーペンというものをくれたので、この夏あたりからそれを使っているのだ。娘は帰りに近くのダイソーで画用紙などを買っていた。

妻は朝の4時から町内の子供らの神輿巡幸の引率。昼過ぎに抜け出してある私立大学へNPOの研修の講師をしに行って、戻ってきたらすぐに祭の行列に戻るという神出鬼没ぶり。昨年同様、夜の10時ごろに戻ってきた。それでまあ食事の用意などは俺が担当。晩飯は豚肉のもやし炒めとカボチャの煮物。カボチャが好評だったので、夕食の片付けをしてから明日に備えてもう一度作る。天気がよくなくて洗濯物が溜まっているのが気がかり。


2017年10月6日(金)あめ

午前中は510くんの自主ゼミ。「ゲーデルと20世紀のロジック」第2巻第II部を読む。今日のお題は§2.1「ウルトラフィルター」で、おおむね標準的な内容だったが、最後に、体の族 \(F_i\) \((i\in I)\) の直積環 \(\prod_{i\in I}F_i\) の極大イデアルと添字集合 \(I\) 上のウルトラフィルターの間に自然な1対1対応がつくという指摘があってちょっと面白かった。というのも、一般の環の極大イデアルの存在証明には選択公理のフルパワーが必要だが、ブール代数のウルトラフィルターの存在はいわゆる素イデアル定理(任意の環に素イデアルが存在する)と同値で、選択公理より真に弱いのだ。体の族の直積として与えられる環の場合は、素イデアル定理で極大イデアルの存在が示せるわけだから、そこには一般の環とは異なる、体の直積の特殊事情のようなものがあるはずだ。無限個の体の直積は単項イデアル環にはならないのだが、一般の環にはない「素イデアルはすべて極大イデアルである」という性質があるのだろう。

午後はITくんとA4くんの卒業研究ゼミ。


2017年10月5日(木)あめ

午後には3年生nCoくんのゼミ。寺澤順『現代集合論の探検』(日本評論社, 2013年)を読んでもらう。初めてにしては要領よく上手に喋ってくれた。板書が少々雑だったのと時間が余ったのは残念だったが、それはこれから場数を踏んで上手になってもらえばよいことだ。集合族の直積の理解が少し怪しかったので、あとで補足した。

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ちくま学芸文庫版『ペンローズの〈量子脳〉理論』(2006年)の文庫版あとがきで、茂木健一郎は《最近のペンローズは、本書にも収められているハメロフとの共著論文にあるような「マイクロチューブルにおける量子重力的効果が意識をもたらす」というような議論は表だってはしなくなった。最近著 The Road to Reality (未邦訳)は、数式を多数用いて宇宙の成り立ちを論じた、一般には難解な物理学の本である。ペンローズの関心の中心は再び数理物理学に戻っていっているらしい。》と書いている。

少し調べてみたところ、意識現象を支える物理的メカニズムに関するペンローズとハメロフのモデルは、L.K.McKemmishらの2009年の研究論文において、既知の実験結果等からみて生物学的に受け入れがたいと指摘されているようだ。またB.J.BaarsとD.B.Edelmanの2012年の記事においても、量子論的なモデルによって意識現象が説明されるには現在のところ至っていないと述べられている。とはいえ、心理現象の物理化学的メカニズムの量子論まで視野に入れた探求は、いまもハメロフを含む人々によって続けられているようだ。

実はPubMedで論文を探すのも俺にとっては初めての経験である。数学者はもっぱらMathSciNetを使うのだ。

それで、意識の物理的基盤の解明に向けたペンローズの構想はひとまずポシャったということになるのかもしれない。とはいえ、俺にとっては、それはあまり問題ではない。俺の知りたい、考えたいのは、そこではないのだ。

『心は量子で語れるか』の第3章までを読んだ限りでは、ペンローズは次の3つのことを主張しているように見える。

  1. 意識という現象には計算可能的でない部分がある。
  2. こうした計算不能性は(量子重力を含む)量子的過程に起因する。
  3. 意識現象の物理的メカニズムは具体的にはマイクロチューブルにおける Orch OR であろう。

このうち(3)が、McKemmishらの研究で否定されたらしい。(1)と(2)についても、その立証にペンローズがどれだけ成功しているかには疑問の余地がある。そもそも鍵となる量子重力理論自体が未完成なのだ。したがってペンローズの理論は意識という現象の説明に成功したとはとてもいえないわけだが、しかし(2)は(1)や(3)の不成功とは一応独立に考えられる話である。そこには、まだ確かめるべきことが残っている。というのも、ペンローズのいう決定論的かつ計算不可能な動作をする物理的なメカニズムあるいは「装置」が実在したら、あるいはその原理的可能性があるというだけでも、アルゴリズムと計算可能性にかんするチャーチ=チューリングの提唱の再検討が必要になるだろうからだ。これはちょっと大変なことである。この場合、その物理的なメカニズムがヒトに内在しているかどうか、ヒトの脳がそうした「装置」の実例であるかどうかは、さしあたり問題にならない。極端な話、この宇宙のどこかにそういうものが実在しうるかが、まず問題なのだ。われわれがその「装置」にアクセスできるかどうかが問題になるのはその次だ。


2017年10月4日(水)はれ

引き続きペンローズ『心は量子で語れるか』(講談社ブルーバックス)を読む。第3章の大事なところなので、ノートに要点をまとめながら読む。ニューロンやシナプス結合の図を自分が研究用ノートに描く日が来るとは思わなかったが、けっこう面白いので、楽しく勉強させてもらっている。

シナプスの模写


2017年10月3日(火)はれ

このシーズンならではの国民行事。というのは大袈裟だが、ご存じ「象の卵クエスト」の文書を、夜22時までかかって書いた。少々杜撰な文書になったかもしれないが、ひとまず形になった分、どうしても書けんかった昨年なんかより、よほど気分がいい。

日曜日に大学の元同級生から久々にメールがあり、今朝は高校の元同級生から思いがけずメールがあった。日曜日と昨日に事故を見たり聞いたりした。仕事部屋の電話は相変らず故障中だ。ラジオのニュースも騒がしい。あ、それはいつものことか。しかし、10月になってからの、この妙な流れ。なんかドラマの最終回直前みたいやなあと思った。


2017年10月2日(月)あめ

先週末から、交換機の故障で仕事部屋の電話が使えない。まあ、故障してなくても俺は外線からかかる電話にはまず出ないけどね。今日はペンローズ『心は量子で語れるか』を第2章までメモを取りつつ読んだ。ランベルトを「ランバート」、主教ジョージ・バークリを「ビショップ・バークレー」、カール・ポパーを「ポッパー」と表記している等々、翻訳にちょっと残念なところがあるが、話はだんだん面白くなってきた。

ピアノのレッスン後、いつものドトールで『心は量子で語れるか』のエントロピーの説明(テーブル上のワイングラスが落ちて割れてワインが床にこぼれ散る例)を読んだ。ミクロな物理法則が時間反転に関して不変であるのにエントロピーが増大する向きにしか現象が推移しないのは、エントロピーの大きい状態に対応する相空間上の領域が、エントロピーの小さい状態に対応する領域とは比較にならないほど広大であるという、たったそれだけの理由だとの説明。そのくだりを感心しながら読んでいたちょうどそのとき、店のカウンターの向こう側で、ガシャン・パリンという音がした。グラスだかカップだかソーサーだかが不可逆変化して、エントロピーが急激に増大したようだ。

話は前後するが、ピアノのレッスンのときに発表会のエントリーをした。料金は給料日まで待って貰わにゃならん。出し物は日本の歌もののピアノアレンジ。恥かしいから曲名は本番が済むまで内緒。

やる気のないあひるやる気のないあひるやる気のないあひる

昨日あんなことを日記に書いたばかりだが、またまた、世の中には「通りすがりの看護師さん」が必要だという事例。今日の夕方、妻が倅を塾に送る途中いつもと違う道を通ったら、クルマと自転車の事故の現場を通りすがったという。実習帰りの専門学校生が自転車に乗って通行中に乗用車にはねられ、骨折だかヒビだか、脚をやられている。救急車は目撃者が呼んでくれたらしいが、被害に遭って茫然自失状態の学生さんを、通りすがりの看護師さんである妻が元気づけ、学校等への連絡を手助けしてやったそうな。

はねた車の運転手もその場にいたというから、それなりの保障はされるのだろう。今回の場合、実習からの帰りなので、学校でそういうケースを想定した保険に入っていてくれればいいのだがと思う。

聞くところによると、今回の事故では、黄昏時、混んだ道路、雨上がりの濡れた路面、黒いスーツ姿と、教習所でも事故に遭いやすいと教わるような条件が揃っている。自分たちだっていつ被害者になるか、あるいは加害者になるかわからない。気をつけた上にも気をつけなくちゃならない。なんといっても安全が第一。


2017年10月1日(日)はれ

夕方4時半ごろ、コミセンの図書館に行っての帰り。松山市駅ビルの下りエスカレータで、前に乗っていた老夫婦の、お爺さんのほうがよろけて転倒、そのままエスカレータの段を転げ落ちていった。お爺さんは頭を打って怪我をしたし、お婆さんは腰を抜かすし、さあ大変である。エスカレータの降り口のところでお爺さんは倒れている、お婆さんは座り込んでいる。何人かの人が駆けよって来た。なにか手助けできることがあるかもしれないからと、俺もしばらく近くにいた。2人の駅員さんがすっ飛んできて、1人がお婆さんに事情を聞き、1人がエスカレータを停めた。通りかかった看護師さんらしい女性がお爺さんに話しかけながら介抱している。お婆さんの受け答えはしっかりしているし、お爺さんも意識はある。大怪我ではないようだ。しかし、頭を打っているから、一度は医者に見せねばなるまい。駅員さんが救急車を呼んだという。そこまで見届けて、俺はその場を離れた。

妻はそのとき例によって某巨大ショッピングモールの医務室詰めのバイトに行っていたわけだが、それはまさに、そのショッピングモールで万一こういうことが起こったときに駆けつけるためなわけだ。そういう人員の備えが、世の中には本当に必要なのだと、改めて思い知らされた事件だった。

話が前後するが、コミセンでは えひめ国体のなぎなたの試合が行われていたそうだ。図書館自体は人がかえって少なかったが、キャメリアホール前のピロティが時ならぬ土産物屋になっていて、道着姿の女たちがいっぱい歩いていた。図書館では池内紀訳の『ファウスト』等々を借りた。