て日々

2018年8月


2018年8月22日(水)くもり

すみませんが、しばらく更新休ませてもらいます。


2018年8月21日(月)はれ

午後、病院へ経過を見てもらいに行き、包帯を替えてもらった。傷あとがしっかりくっつくまで、3週間ほどかかるだろうとのこと。


2018年8月20日(月)くもり

オリンピックのボランティアについて明治大学が方針を示したことがツイッターで話題に登っていた。オリンピックの開催が定期試験の時期に重なるから、大学のボランティアセンターに登録した学生ボランティアについては、再試験が受けられるようにする、というものであった。ボランティア活動については肯定も否定もせず、ただ「ボランティア活動により授業や試験を欠席することは当然の権利ではありません。」とは明記している。その意味で一応は価値中立である。

参考:東京オリンピック・パラリンピック開催に伴う 2020年度学年暦【春学期】の変更について(お知らせ)【明治大学公式サイト】

いろいろの意見を考慮して議論の末、このような決定になったのだろうとは思う。今後、いろいろな大学が大同小異の方針を出してくることが予想される。しかし俺としては、どうもこの程度で話が済んでくれないような、悪い予感がしている。今後、各大学が学生たちにどんなことを言い、その結果として学生たちがどんな選択をするか、注視しておかねばならん。

すでにツイッター世界では「ボランティアに登録することにしました」という意味のことをサクラっぽい複数のアカウントが一字一句同じ言葉でつぶやいているし、「オリンピックのボランティアって非日常的で楽しそうだし、批判する奴のほうが頭おかしい」と主張しているアカウントもある。いっぽう、批判的な発言も、もちろん大変多い。いろいろな意見が入り乱れている。ここで、俺はボランティアをしようという人を貶すつもりはない。オリンピックの組織委員会が最初からボランティア頼みで労働の対価を支払うことに消極的なのを問題にしているのだ。そして、ボランティアの名のもとに無償労働の事実上の強制が横行することになるのではないか、と危惧している。

(2018年8月21日)文意が変わらない範囲で、上のパラグラフの文章を少し整えた。また「無賃労働」と書いていたのを「無償労働」に改めた。

というのも、大学の教職員なら誰でも知っていることだが、文部科学省の担当者は決して大学に命令を下さない。大学の自主運営に委ねているからだ。しかしそれにもかかわらず、ある年に一斉にほとんどすべての国立大学が「AO入試」を始め、また別の年にはこれまた一斉にほとんどすべての国立大学が「クォーター制の学年暦」を導入したのである。これらすべては、「各大学がみずからの裁量で」「自分たちの大学改革の自主的なビジョンに基いて」文部科学省に「やらせてください」と申し出たために、文科省が「あなたたちがそう言うなら」と認可したのだ。もちろん、仕組みは明らかだ。大学は運営費交付金や助成金で文部科学省にコントロールされている。「これは命令ではなく、あくまで提案である。これを含め、いろいろの事情を検討したうえで、あらためて計画を提出されたい。なお、貴学の運営費交付金に関するすべての決定権は当局にあることを申し添える。」という、事実上の強制があるわけだ。この手の「当局の考え」を忖度し、たとえばうちの学部でも、ミキ学部長はじめ真面目で優秀な教授たちが、日々対策に奔走している。そうした教授たちの努力の結果について、お役人は何も命令していないわけだから、当然、何の責任も取らない。末端が、すべての責任を引き受けることになるのだ。はっきり言って、教授たちの努力は見ててひたすら痛い。だが、それもこれも学生たちの学びの場を守るためなのだ、と言われれば、俺には返す言葉がない。すでに、国立大学というのは、そういう所なのだ。いわば、俺たちはすでに敗北しているわけだ。

だから、こんな悪い予感は外れてくれることを祈るばかりなのだが、国立大学の学生たちが、ある日突然「みずからの意志で」「自分たちの良心、自分たちの将来設計に関する自主的なビジョンに基いて」オリンピック組織委員会に「無償でいいので働かせてください!!」と申し出たとしても、何の不思議もない。

だが俺はイヤだ。

俺は地方の一国立大学の下っ端教員で、何の権限もないが、ここで宣言する。名目がボランティアであろうと残業であろうと何であろうと、無償労働の強制は許さない。そして、頭がよくて地位の高い人たちが大好きな《これは強制ではない》というあの手この手の言い抜けも許さない。今後、オリンピックの学生ボランティアに関連して、お上の顔色を窺って大学が何か学生に働きかけること —— いちばんありそうなのは、ボランティア活動と引き換えに、いろいろもっともらしい理由をつけたワケのワカラン新設の専門科目の単位を出すこと —— があっても(もちろんその決定の手前でできる限り反対の声を挙げるつもりだが)、俺は学生に「イヤなもんなら行かんでええんやぞ」「せめて学生のうちは、ホンマにやりたいことだけをやれ」と言い続ける。

やる気のないあひるやる気のないあひるやる気のないあひる

夕方になったので、ピアノのレッスンに行く。怪我のことをテシマ先生に相談した。出し物がたとえば「幻想即興曲」なんかだったら、左手第五指なしで弾けっこないから、潔く出演をキャンセルするしかないのだが、この楽譜ならなんとかなりそうだ。諦めるというカードは最後に切るものだし、仮にキャンセルするにしても、その連絡は当日の朝にすりゃ十分なはず。だから、さしあたり、出る方向で最後まで悪あがきすることにした。その上で、運指の変更について先生の指導をもらう。

レッスン後はいつものドトールコーヒーで、数セミ10月号の連載記事のゲラを読み、修正点をまとめて編集部に知らせる。閉店間際までいて、21時の電車に乗る。さほど混んでいない電車のシートに座ってふと横を見ると、数ヶ月前まで教務の理学部担当チームにいたAz3さんが座っている。なんたる偶然。いまの部署について少し話を聞く。噂どおり、いろいろ難しいところらしく、「風通しって、こういうことだったんですね」と理学部を恋しがっておられた。俺としては「さしあたり、何もできませんけど、見えないところで旗ふって応援してます!!」と伝えるのが関の山。


2018年8月19日(日)はれ

朝、妻の運転する車で日曜診療をしている病院へ。怪我の様子を見てもらう。今週は包帯が取れないだろうとのこと。消毒と包帯の処置をしてもらい、化膿止めの抗生物質だけ処方してもらう。次は火曜日に消毒に行く。今週中に包帯が取れないとなると、残念だがピアノの本番はキャンセルせねばならんか。

薬を受け取ったら、妻の迎えを待たず、電車でフジグラン松山へ移動。ボールペンの替芯(ビクーニャ4色ボールペンの赤色芯)を買うつもりで行ったのだが在庫がない。まあ仕方がないな。2階で半額になったリュックサックを買った。1階のタリーズコーヒーでしばし本を読み、デリカで昼のおかずを買って、いったん帰宅。娘は、すでに友達と遊びに出かけている。妻と倅も午後は外出する。えひめグリークラブの演奏会の招待券をもらっているのだ。しかし妻が言うには、招待券は3枚あるからてっきり俺も一緒に来ると思っていたとのこと。ありゃりゃ。そうか。まあいいや。

そこで薮から棒に話題は本の紹介に変わる。病院の待合ロビーで読み、電車での移動中に読み、タリーズコーヒーで読んでいたのは、吉田尚記『コミュ障で損しない方法38』(日本文芸社) という本。このタイトルだけで、ちょっと引いてしまいそうになるが、いろいろためになる本である。

まず、「コミュ障」を《とりとめのない日常会話が苦手で悩んでる人》と定義。やや断定的だが明快だ。しかも「悩んでる人」という自覚の問題と捉えている点は注目に値する。「悩んでる」のはコミュニケーションの価値を信じているからであり、かつ、やりとりが上手でないと自覚する繊細さがあるからである。つまりそれだけ見所があるという意味で、けっして人格に問題があるわけではない。コミュ障は、恥ではない。そういうメッセージが、最初に打ち出されている。

次に、この「とりとめのない日常会話」というものを《その場にいる人々の共通の敵である「気まずさ」をやっつけるための協力ゲーム》と位置づける。ドッジボールやトランプの大富豪と同じなのだ。つまり、まず会話の巧拙を、人格の問題から切り離し、ゲームと割り切ってしまう。この見方の転換の意味は、けだし、たいへん大きい。

そのように「コミュ障」「会話」「コミュニケーション」を位置づけたうえで、ではこのゲームに参加する上でのスキルを向上させるにはどうするか、という各論に入る。その内容も、たとえば「キャラ」を《あなたの言動についての周囲の予測のこと》と再定義したうえで「自分では選べない」けれども「特徴ある行動を繰り返すことで作ることはできる」「キャラが確立していれば会話はずっとやりやすくなる」と論じるなど、たいへん有意義で、かつ、面白い。なので、コミュ障に悩む人は読んでみてほしい。

さて、なぜこの『コミュ障で損しない方法38』の話をいまここで急に持ち出したかというと、そこに、《友達ってのはよくわからない。友達になる方法なんてわからない。》だからこそ《友達を作ろうと思わず単なる知り合いを増やすように努めよう》とあったからだ。友情というのは決してトリヴィアルでないと、今月9日の日記に書いたが、そこでも「そもそも友情とは何かということについては、あとで考えるとして」とお茶を濁しているとおり、友情というのは、よくわからない。恋人よりもっとわかりにくい。友達ってどうすればできるんだろう、と思い悩むくらいなら、単なる知り合いをたくさんもつように心がけたほうがいい。そうすれば、友達になれる相手とは、いつのまにか友達になっている。

寄り道が長くなったが、ようやく話は元に戻る。友達といえるほどに親しくはない相手ではあれども、招待券をくれる知り合いが、まさか俺に敵意を持っているはずがない。そういう知り合いがいることが、ちょっとでも大切だと思うなら、とくに予定のない日曜日に演奏会に出かけるくらいのことに、いちいち吝かになっていてはいけない。

驚いたことに、会場は松山市民会館大ホールである。行ってみると、さらに驚いたことに、けっこう客席が埋まっている。すばらしい。途中に女声合唱団《ザ・シーブリーズ》のステージや合同演奏による混声合唱もあって、普段より多彩なステージ構成であったことも集客と関係しているのだろう。出演者も客層もけっこう年齢層が上のほうなので、前半の歌謡曲メドレーの選曲も、俺くらいの世代には嬉しいものだった。女声合唱にヴァイオリンのオブリガートが入ったポーランドの労働運動のうた《うたはどこで覚えた?》はすばらしかった。グリーも女性合唱もそれぞれに味があるけど、俺としては混声合唱がいちばん好きだな。あまり期待せずに行ったし、時々居眠りしてしまったりもしたが、時々泣きそうになるところもあり、音楽的にぐいぐい引っぱられるところもあって、全体に、思いのほか楽しかった。いや、ありきたりな感想ですまないが、歌は本当にいいものだ。そして、音楽は生で聴くのがいちばんいい。

終演後、妻の希望で県立図書館に寄る。読みたい本というか、関心の向く先は、無数にある。とはいえ現在すでにリミットまで借りているので俺は今日はここでは何も借りない。妻が、自分の仕事に関連した本と、倅の夏休みの宿題に関連した数学の歴史の本を借りたようだ。

そして帰宅。妻はその後、北条の某所へ荷物を届けにいくという。ファミリーホームを新しく開所する人がいて、そこへうちで不要になった育児用品をいくつか差し入れすることで話がついているそうなのだ。ゲームがしたいという倅には留守番をしてもらい、俺はついていく。とりたてて用事があるわけではないが、さっきと同じ理屈だ。インフルエンザに罹っている時ならいざしらず、いま人に会う機会を避ける理由はない。

北条の鹿島に沈む夕日
夕暮れ時の北条鹿島

伊予灘の夕日
松山市柳原付近の海岸からみる夕日
《青春のバカヤロー!》とか叫べますよ

用事が済んで海沿いの道を家へ戻る。ちょうど日没前。海岸で夕日の写真と撮りたいと提案。遠い所に住む知人たちに伊予灘の夕日の写真を見せて、ぜひ愛媛に遊びに来てくれと宣伝してみたくなったのだ。

それから、内宮のマックスバリュで食材を買い、ダイキでボールペンの芯を買って帰宅。夕食後ピアノに向かう。左手の小指なしでこの曲は弾けるだろうか。楽譜では左手でつかむ和音はせいぜい3音、オクターブはあるが1-4で届くし、たまにそれに5度が入る程度。押さえられないことはない。急速な動きもない。なんとかなる気がしてきた。諦めるのは最後でいいのだから、明日のレッスンで、テシマ先生に相談しよう。


2018年8月18日(土)はれ

よい天気だが若干涼しく、いくぶん過ごしやすい日になった。

なんだかんだ言って、睡眠と食事が不規則で疲れも溜まっていたのだろう。昼食を用意しようと茄子を切ってるときに、手元が狂って左手の小指の先を怪我した。決して大きな怪我ではないが、小指を曲げると傷が開くから、ガーゼ替わりの紙を巻いて曲がらないように支えている。傷口が塞がるまでは左手がろくに使えない。いまこうやって文字をタイピングするのでも、けっこう不便である。なにしろSKKという日本語入力メソッドはSHIFTキーとCTRLキーを滅多やたらと多用するから、左の小指が使えないのは大変困るのだ。

怪我をしたこと自体より、お昼前にそのことを大声で(というのは言葉のアヤだけど)いくぶん詳細にツイートして、なんの罪もないフォロワーに「飯が不味くなる呪い」をかけてしまった自分の浅はかさがイヤで、午後はずっとしょんぼりして過ごした。小さなことでも油断すると怪我をするし、失敗したときこそ、気をしっかり持たないと、余計な言動で失敗の上塗りをしてしまう。慚愧慚愧。

先日の演奏の動画を旧友キンヤさんが送ってくれた。やっぱり俺はヘタで恥かしい。恥かしいが、「俺はダメだから」と引っ込むつもりも実はない。反省材料にさせてもらって、精進しよう。さしあたり次の本番は、24日金曜日。楽器店主催の小さなイベントでピアノを弾く予定なのだが、指の快復の状態によっては、最悪キャンセルもありうる。それ以前に月曜日のレッスンもどうなることやら。日曜診療をしている外科医院を妻が見つけてくれたので、明日の朝さっそく受診して相談する。


2018年8月17日(金)はれ

午前中は追加の洗濯とキッチンの掃除とテストの採点。昼食のための休憩を挟んで、結局15時前に採点が終わった。答案を持って大学へ行って、小テストの点数を含めて集計して最終的な評点を決め、大学のグループウェアを介して成績を報告する。どうにか締め切りの1時間前に作業完了した。これでようやく週末は、少しのんびりできそうだ。数セミの連載記事のゲラが届いているのでプリントアウトする。土日のどこかで時間をみつけて目を通さねばならない。

夕方、日曜日からの「て日々」を書き始める。書くことがいっぱいある濃厚な一週間だったから、本当ならその日の夜なり翌日なり、印象の鮮烈なうちに書いておきたいのだが、悠長にそんな時間を取っていられないからこその濃厚な一週間だったわけで、あとになって、メモ程度に書き残したものや、ツイッターの過去ログなどを手掛かりに書くことになる。書いている途中で大学から退出して、ジュンク堂書店に行き、電車で帰宅。実家から戻ってきた妻が夕食を作って待っていてくれる。ゴーヤと豚肉と赤ピーマンの炒めものに、素麺。

夕食後は、皿洗いを担当し、それから風呂に入る。それから「て日々」を再開。14日の同窓会ライブの話を書くだけで、合計3時間ほど費した。1円にもならないウェブ日記に、けっこう膨大な時間と労力をつぎ込んでいる。まあ要するに、これもひとつの道楽なのだ。やっと当日すなわち17日金曜日の日記を書くころには、日付は替わって18日土曜日の1時である。さすがに疲れているので、『アイデンティティと暴力』や『カンディード』や、なんやかやの話は、またおあずけとなる。どうも申しわけない。


2018年8月16日(木)くもり

昼食の冷やしうどんを作る。乾麺をゆで、大根おろしと刻み葱を乗せ、昨日山口市内の道の駅で買ったカボスを絞り、「創味のつゆ」と醤油を調合して作ったつゆをかけて食う。果汁がカボスでなくすだちであれば、つゆは醤油だけにするところだ。他に、白菜と油揚げの煮びたしも作る。これには塩昆布を少量加えて炊き、これも、出汁の代わりに創味のつゆを使う。香りづけに柚子の皮を使いたいところだが、この時期に柚子などあるはずもないので、刻んだカボスの皮で代用する。さいわい、うどんも煮浸しも好評であった。

俺と娘は、午後のフェリーで柳井から松山へ戻る。船もそれほど混んでいない。久々に自宅に戻り、旅の荷物を片づける。明日の17時が前期の成績の提出期限なのに、数理論理学の期末テストの採点が半分しか終っていないから、できれば今日のうちに、あるいは遅くとも明日の午前中には採点を済ませねばならない。普段だと、こういう場合は研究室で夜なべすることになるが、家にいるのが娘が一人だけという状況では、そうもいかないので、多少の危険は承知のうえで、大学へ行って、採点中の答案を自宅へ持ち帰ることにする。しかし洗濯やら夕食の用意やらしているうちに出かけるのが遅くなり、そのぶん帰るのも遅くなって、採点に手をつけないうちに寝落ちしてしまった。


2018年8月15日(水)くもり

昨晩寝たのは1時30分ごろだったと思うが、けさは5時に起きる。5時台のJR京都線の電車で新大阪へ移動し、7時15分の下りの「さくら545号」に乗るのだ。幸い30分以上時間がある。売店でパンと飲みものを買って待合室で朝食。それから、山口の妻の実家に持っていくお土産を買う。いつもなら京漬物、とくに水茄子の漬物と、伏見の酒。漬物は昨日のうちに母がいろいろ買っておいてくれたから、酒が買えないかと思ったが、新大阪駅構内にいくつもある土産物屋では日本酒は入手困難なようだ。まあ仕方がない。頭の中に王妃マリーアントワネットが登場して「お酒がないならケーキをお食べになればよろしいんじゃなくて?」と言うものだから、酒の代わりにケーニヒスクローネのスイーツを買うことにする。

広島で下車し「こだま」に乗り換えて徳山まで行き、そこで、昨晩のうちに実家に移動していた妻と合流。車で山口市へ向かう。娘が湯田温泉の中原中也記念館に行きたがっているからだ。昼食は中也記念館近くの「長州屋」の瓦そば。その後は、娘は中也記念館に行き、妻と倅は山口県立図書館に行くという。俺は、遊び回るお金もないので、パブリックな足湯を使いながら、本を読むことにする。12日の日曜日に京都の丸善でヴォルテール『カンディード』の光文社古典新訳文庫版を買ったのだ。

湯田温泉の足湯

湯田温泉の足湯

光文社古典新訳文庫版『カンディード』

足湯はリラックスできて気持ちがいいし、少しばかり風があって暑さも感じないし、意外と人がいないので落ち着いて本が読める。10分〜15分が適当とされているのだが、足を浸したり上げたりしながら、40分以上もねばって『カンディード』を読んでいたので、しまいには足首から先が真っ赤になった。本は3分の2ほど読めた。別行動は1時間と約束してある。娘が中也記念館から出てくるまで、少し散歩でもしよう。裏通りに中也の詩碑があった。『童謡』という詩だ。

しののめの よるのうみにて 汽笛は鳴る。
こころよ 起きよ 眼を醒ませ。
しののめの よるのうみにて 汽笛鳴る。
象の目玉の 汽笛鳴る。

妻と倅が戻るのを中也記念館の駐車場で待ち、それから、山陽道を通って妻の実家に移動。夕食前に『カンディード』を読了。夕食には岳父が和牛の牛刺とチリ産のワインを用意してくれている。

夕食の席で夏休みの宿題の定番「読書感想文」の話になった。倅がいま四苦八苦しているところなのだが、その話の途中で、娘が持論を語りだした。

「本の感想だから自分のことを書いちゃいけないと思って何も書けない人が多いけど、そうじゃなくて、自分のことを書かなくちゃ」

「本のストーリーに重ねて、これまでの自分がいかにダメだったか、これからどうしたいかを書けばいいんだよ」

読書感想文の理念とか教育効果云々とかは脇に置いといて、ノルマとしての読書感想文を、ある程度の品質を保証しつつ上手に(あるいは、ずるく)仕上げるコツをうまく言いあてている。わが娘ながら大したものである。見直した。

昨日のことを日記に書きたかったし、『カンディード』についても語りたかったが、夕食後は、ワインの酔いと旅行の疲れと睡眠不足でばたんきゅー。


2018年8月14日(火)くもり

俺は今夜も外食だし、明日の朝早くに京都を立つことになるので、母と子供らを三条河原町の『むさし』に連れていき、寿司を食わせる。そのあと娘を鳩居堂に連れていくと、娘は友達へのお土産に和紙のメモ帳を買っていた。

地下鉄で実家に戻り、シャワーを浴びて一息入れると、ほどなくまた出かけなければならない。夜には木屋町のレストランで、三度目の同窓会ライブがあるのだ。さっきまで三条河原町にいて、いちど帰宅して戻ってくるのもアホらしいが、楽器やら着替えやら一式もって寿司を食いに行く気はしなかったのだ。会場は木屋町通り、三条を上ったところのビルの5階にある Restaurant&Wine Bar XLV だ。このXLVはローマ数字ではなく《ザヴィエエルヴィトン》の略だそうだ。昨年までの気軽な形式から一転して、ことしはこのハイソな雰囲気の会場で、高校時代の同窓生、ジャズボーカリスト松並順子のディナーショーという形式をとる。演奏を務めるのはピアノ樋上千聡、ギター中山隆志、ベース堤下功一という手練のプレーヤーたち。ここまではいい。ここまではいいのだが、なぜかこれに、ゲストプレーヤーとして、素人の俺がフルートとサックスで加わる。もちろん不安だらけなわけだが、もともと俺の出たがりが昂じこうなったわけで、ここまで来たら逃げ隠れはできない。戦々兢々としてリハーサルに臨むが、お手合わせしてもらっているうちに、だんだん楽しくなってきた。プロの演奏家と一緒に大勢の人の前で演奏するなんて機会は、普通に暮していたらなかなか得られないのだから、ここはありがたく懐を借りることにする。リハーサル後、ものすごく久し振りに三条の十字屋に行って、譜面立てとリードケースを買う。(本当を言うとテナーとアルトのリードケースも必要なのだが、それは松山に戻ってから一色楽器で買うことにしよう。)

写真(リハーサル風景)
リハーサルのヒトコマ

今回の幹事をつとめる米田さんは、たしか3年生のときの同級生だ。何だったか、イタリアの高級ブランド衣料品の輸入代理店を営んでいる人で、皇居の外周のランニングを欠かさず、フルマラソンなら3時間40分で完走する。その鍛え上げられたボディと服飾センスで、白い半ズボンに白いジャケットという難しい服装を完璧に着こなしている。夏らしい白い着流し姿で登場したながたさんは寺町の古美術商で、気品と知性を感じさせる長身の美男子である。どうも、貧乏学者(《貧乏学》という分野の研究者ではなく、貧乏な研究者)の俺とは住む世界が違う人ばかり集まっている気がする。俺はガキのまま歳をとった感じだが、50代もそろそろ半ばというと、みんな立派になっているものだ。

さて、ライブの前にディナーである。出演者のひのさんと松並さんは食事はしないが、俺はゲストプレーヤーなので、正規の会費を払って料理を頂戴する。こちとら貧乏なもので、普段はこういうレストランには来ないのだが、XLVの料理はフランス風でもありイタリア風でもあり、そこへもってきて、パスタに壬生菜を加えるなど、和食の素材も上手に使われていて、さすがに美味しかった。酒だって美味しいに決まっているはずで、おまけにフリードリンクだったのだが、演奏前なので、さすがにあまり飲めない。ただまあ、乾杯のスパークリングワインだけは飲んだ。

乾杯の前に、斜め向いに座った女性に「ねえ、わたしのこと覚えてます?」と声をかけられた。「ええっ覚えてないの?ひどいなあ。同じクラスにもなったのに。」と言われ、驚いて相手を見る。目鼻の筋の整った、とんでもなく綺麗な人だ。まるで覚えがない。というより、俺は基本的に、あまりクラスメートの顔を覚えていない。ひのさんとはよく話をした間柄だし、松並さんは俺のいわゆるオトコマエ女子で、高校生の頃から独特の存在感のある人だったし、米田さんは眼科医の指示で当時から色付きの眼鏡をしていたのが印象的で覚えていた。しかしなにせ俺は授業中に幽体離脱して魂だけ先に部活に行くような人間だったし、誰とでも気軽に交流するということに、当時はまったく価値を見い出していなかった。だから、たいていのクラスメートのことは、すっかり忘れているのだ。当時の高校生はお洒落など全然しなかったこともあり、卒業後にびっくりするほど美しく変身する人もいるはずだ。さてそれにしても、こんな人、クラスにいたかなあと、乏しい記憶の糸をたぐる。しかし思い出せるわけもない。まあ、そのうち手掛かりがあれば思い出すだろうと思って適当に皆と会話していたら、しばらくしてその美人さまが

美「まだ考えてるんですか?」
俺「いやこんな綺麗な人クラスにおったかなあ。思い出せんわ。」
美「ごめんなさい。わたし、ながたの家内です(笑)」
俺「えっ、そしたら同じクラスていうのは…」
美「嘘です(笑)」

彼女(K子さん)は、あの着流しの美男子、古美術商のながたさんの奥さん。静岡出身だそうだが、結婚して京都に長く住んでいるうちに、ながたご亭主の出身高校、われらが嵯峨野高校の同窓生の数名とずいぶん親しくなった。それで、夫に伴われて今夜の同窓会にゲスト参加した。せっかくの機会だから、是非とも誰かに《覚えてますかアタック》をかけてやろうと、最初から企んでいたという。ところが、幹事の米田さんと石浦さんが、あらかじめ気を利かせて、知り合いばかりを集めて席順を決めていた。その配慮のおかげで、K子さんの《覚えてますかアタック》はあえなく不発に終わるところだったのだが、偶然にもここへ別の事情が絡んでくる。そのテーブルは、俺がサックスとフルートと楽譜を準備しているステージのすぐ脇にあった。いちばんステージ寄りの席につけば、楽器に手が届く。楽器のコンディションが心配だった俺は、リハーサルのあと米田さんにお願いして、席を変更してもらったのだ。こうして、K子さんの悪ふざけの標的は俺に決定し、俺は思わせぶりな笑みを浮べた美女を見つめながら頭上に《?》を飛び出させることになり、事情を知る同じテーブルのあと4人(ながたご亭主、山田さん、はっちゃん、田中アキラさん)は、驚く俺のアホ顔を見てしばし楽しんだ、というわけだ。K子さんは美貌の持ち主というだけでなく、カメラのレンズを向けると瞬時に口元を引き締め表情を整えるフォトジェニックである。知らぬ人と相席になって気まずくなってはいけないだろうという米田さんと石浦さんの気配りはすばらしいが、思うに、このK子さんに限って、その心配は無用だったんではなかろうか。

K子さんも、同じテーブルのもう一人の美女はっちゃんも、俺の隣に座った山田さん(神戸のあの通販業者にお勤め)も田中アキラさん(この人もK子さん同様、同窓生ではなく、山田さんとはっちゃんの中学校時代の友達—昭和50年代まで、京都の府立高校は小学校区ごとに進む高校が実質的に決まっていた—で、いまは陶器を修理する金継ぎという技術を伝える職人さん)も、気さくな人ばかりで、同じクラスになったこともなく実質的に初対面みたいなもんなのに、ずいぶん話が弾んだ。朴念仁で通した高校時代を40年後にやり直している感じがした。なんともありがたいことだ。

さて、ディナーが一段落して、演奏が始まる。ピアノ+ギター+ベースの3人が弾く短かいイントロのあと、松並さんが登場し、«A Hard Day's Night» «My Favorite Things» «The Song is You» «Smile» と5曲歌う。My Favorite ThingsSmile の、ひのさんのピアノソロの入りがとても鮮烈。これには痺れた。すでに会場はすっかりジャズクラブである。次に、松並さんが休み、代わりに俺がステージに上がって、ソプラノサックスで «Recado Bossa Nova» を演奏。素人の俺の拙いソロを、バックの3人がサポートしてくれる。とても嬉しく心強い。ふたたび松並さんが加わり、俺がフルートに持ち替え、5人で «Fly Me to the Moon» をフォービートで演奏。案の定、フルートではどうもアドリブが利かず、どうもいけない。ただ、一昨日の吹奏楽の練習のおかげで、少しは音が出る。

で、俺は一旦引っ込む。松並さんのボーカルと堤下さんのベースだけで聴かせる «SummerTime» はシブくて素敵。この組合せはぜひ今後も続けてほしい。次に、ギターの中山さんがウクレレに持ち替えて歌う軽快な «It's Only a Paper Moon» は、ところどころに入る松並+中山+堤下の三重唱が爽快で、夏の夜にピッタリ。

俺は次の《ひまわり》で再登場。この曲は、ひのさんと松並さんと俺の3人で、屋部くんを偲びつつ演奏する。間奏のフルートのソロは、アドリブをせず、メロディをほぼそのまま、丁寧に吹く。ここは、ちょっと情を入れすぎた。反省しつつ、ボーカルのバックに回って、極力静かにオブリガートを入れる。ようやく、少し感覚が戻ってきたかな。と思ったら、次の «L.O.V.E» が最後の曲である。ふたたびソプラノサックスに持ち替えて、これも間奏でソロを取る。そしてアンコールは(またフルートに持ち替えて) «Day By Day» のボサノヴァ風(というかサンバ風)。計11曲。なんとも盛り沢山なライブだった。松並さん、ひのさん、中山さん、堤下さん、お疲れさま。米田さん、石浦さん、ありがとう。

そのあと、同じフロアの、鴨川を見おろすエグゼクティブ・テラスに場所を移して、二次会。今度は心置きなく飲める。演奏は冷や汗ものだったが、聴いていたみんなは、もう人生経験豊富な大人だから、俺の演奏のことも笑顔で褒めてくれる。単純な俺はそれで喜び安心する。昼間はあんなにビビって緊張していたのに、現金なもので、もう「こんなに楽しいなら、もっとやりたいなあ」なんて勝手なことを考えている。すでに夜は更けて、テラスには涼しい風が吹き、昼間のひどい暑さをすっかり忘れさせてくれる。なんとも幸せな、贅沢な夜である。皆で何度もグラスを合わせ、何人かの人と連絡先を交換して、終電に間に合うように、皆より一足早く店を後にしたつもりが、ほんの2分ほどのことで終電を逃してしまった。(あとで考えたら、この時点で店に戻ればよかったのかもな。) 貧乏学者の悲しさ。会費が少々嵩んだ関係で、タクシーを使う余裕がない。仕方がないから楽器を抱えて1時間ほど汗だくになって歩いて実家に戻った。昨晩のヒキガエルが今夜も路地で待っていた。


2018年8月13日(月)はれ

午前中、子供らを散歩に連れ出す。まず妙心寺へ行って先祖の墓に詣で、仁和寺に参詣して御殿を見て、双ケ岡のふもとを歩いて法金剛院に至るコース。きょうも無茶苦茶に暑いのだが、仁和寺の庭の美しさに、しばし暑さを忘れる。いっぽう、法金剛院の庭はすっかり蓮畑になっていた。

午後、激しい夕立。ゲリラ豪雨というやつだ。ひっきりなしの雷鳴と電光。しまいに実家は2分ほど停電した。20分ほど激しく降って、それから、思いのほかあっさりと止んだ。

ひどい雨降り。実家の庭

なんだかベートーヴェンの第6交響曲の第4楽章そっくりな夕立だった。この大雨のおかげで涼しくなった。

雨が止んで涼しくなった頃、一人で大阪へ出発。JR天満駅に行く。この駅は6年前の2月に、オフ会でのうこ山形さん山元の3人に初めて会った場所だ。ずいぶん長いこと交流していると思ったが、まだ6年半。いや、じゅうぶん長いか。ともあれ、きょうは山形さんと寄席(天満天神繁昌亭)に行くのだ。

6年前の日記に俺は山形さん(当時はツイッターユーザ名で \(\Gamma_0\) さんと呼んでいた)のことをバリバリの営業マンと書いたが、これは大間違いで、なにか政府の機関かそれに近いところのエージェントとして、環境問題と法律に関連した仕事をしておられるらしい。仕事では有能、趣味の数学(証明論)では勉強熱心、しかも人柄がよく、ダメ押しに気品のある超美男子で、もうどこを取っても、とても敵わない。

待ち合わせまで、一人で天神橋筋商店街を気ままに歩く。昔ながらの喫茶店や昔ながらの古本屋がたくさんあって感涙を禁じ得ない。お金がなくて、買い物はほとんどできないが、文庫版の中原中也全詩集があったので、娘のために買ってやる。

写真(繁昌亭の緞帳)

天満天神繁昌亭の夜席は怪談特集。『七度狐』『へっついの幽霊』『幽霊ラプソディー』などの出し物で、怪談なのだが、5席のうち4席が落語(あと1席は講談)だから、笑いが主体ではある。さすが寄席に来ると、テレビでは言えないような、時の権力者を笑いものにする話もマクラに出る。幽霊に扮した芸人がお客を脅かして回るライブならではの演出もある。そういったこと含めて、大いに笑い、話術・話芸の楽しさを満喫させてもらった。母や子供たちも誘おうと思っていたのだけど、母が明朝早くにせにゃならぬ仕事があるというので諦めたのだ。今度はぜひ大人数で聴きに来たいものだ。「つどい」のオプショナルツアーに企画したらどうだろうか。

終演後、天満のガード下の「立呑処新多聞」で和歌山の酒「特選世界一統」を飲みつつ山形さんと語りあう。

天満駅で電車を待ちながら、どういう会話の流れだったか、共通の知り合いである春さんを褒め称える話になった。山形さんは、5年ほど前にSNSで交流があった、当時高校生の《ありんこ》こと有栖ちゃんに通じるものを、春さんに感じるという。その見立ては、俺にはちょっと意外に思われた。しかし、知性と、ユーモアのセンスと、それらを支えるひたむきな情熱と真摯な努力、そのバランスの絶妙さ、ということを思うと、それほど的外れではない。

夜23時ごろ、実家に帰りつくと、門から玄関までの路地に大きなヒキガエルがいた。

写真(ガマガエル)
500円玉と比較してみてほしい


2018年8月12日(日)はれ

午前中、ひとりで丸善京都店に行った。数年前に再オープンして以来、初めてだ。ルーズリーフ五線紙と消しゴムと、本を2冊買う。

午後、高校の部活同期生と「和食さと」で飲み食い。参加者はクゼ、シラハラ、オカモト、タイコはんと俺。クゼとオカモトと俺は18時からOBバンドの練習に参加する。それまでの空き時間を、実家の座敷で過ごしてもらうことにした。子供らのお土産に、ライフでアップルパイとアイスクリームを買って行く。ライフの焼きたてアップルパイはなかなか美味しい。熱いアップルパイに、レディーボーデンのバニラアイスを添えると、なお美味しい。

売り場を訪れたとき、ちょうど焼いたばかりのアップルパイが出てきたのはラッキーだった。自分の時計(電波時計だからそこそこ正確なはずだが)を見ると、15時58分ごろだった。包装フィルムに《午後4時以降に作りました》とシールが貼られていたのは、まあ御愛嬌だ。

18時から21時半までは、高校の吹奏楽部OBバンドの練習。まだ次の演奏会の予定はないが、演奏会の有無にかかわらず練習を定期的に入れておくのはいいアイデアだと思う。そうすれば、来れる人は来る。その中には、俺のようにお盆のこの時期くらいしか来れない人もあるし、きょう初めてお会いしたナカムラさんのように、お友達に誘われて来て、部活の引退以来ちょうど40年ぶりに楽器に息を入れるという人もある。いろんな人が出たり入ったりするうちに、旧友に再会したり、年齢の離れた元部員どうしが新たに知己を得たりして、そこからコミュニティが広がる。オッサンになって、俺もそういうことの大切さが多少はわかるようになった。

ナカムラさんは俺より少し年上の、上品で朗らかな婦人だ。フルートを40年ぶりに出してきたそうだが、俺の隣で合奏にちゃんと参加していた。これからは、ちょくちょく練習に顔を出してくれるという。ありがたい、嬉しいことだ。まあ、そういう俺はたいてい、年1回しか来ないのだが。

練習のお題はヘスの『イーストコーストの風景』。管楽器の透明感のある音色を活かした、吹奏楽ならではの綺麗な曲である。もっとも、きょうの練習には総勢15人ほどしか来ていないから、当然音は揃わない。しかし大したもので、全然音が揃わないなりに、演奏は止まらずに最後まで進行する。休符を数えながら楽譜を追いかけるスキルがたいていの人に身についている。これだって、月1回程度の練習をめげずに繰り返していればこそである。


2018年8月11日(土)はれ

午前中は実家でのんびり過ごす。昼食の蕎麦を用意。

午後は来週火曜日の同窓会ライブの打ち合わせのため、ムラマツリサイタルホール新大阪を訪ねる。小さいけど、響きの豊かないいホールだった。ひのさん(ジャズピアニスト樋上千聡)のピアノと俺のサックス+フルートで出し物の相談をする。

今年で3度目となる同窓会ライブ。今回はレストランで松並順子のディナーショーという形をとり、バックにひのさんのバンド(ピアノ樋上千聡・ギター中山隆志・ベース堤下功一)が入る。そこへ俺が「ゲストプレーヤー」として加わる。一昨年(2016/08/12)昨年(2017/08/14)は、小さなジャズバーでの気軽なセッションという形だったから、まだご愛嬌で参加できたけど、今年の企画は、もうどう考えても「玄人衆の戦場にド素人の俺が投げ込まれる図」である。蜂の巣になる覚悟がいる。

途中に「松並のボーカル、樋上のピアノ、藤田のフルートでしっとりと聴かせる歌」なんてのが用意されている。なんだこれは。もう《人間、恥では死なない》というサイバラの格言を信じて腹をくくってやるしかない。きょうは松並は来ていないが、フルートとピアノを合わせて「なんかこういう感じ」と樋上の指示を楽譜にメモする。俺「うわあ、こんなん俺、客席で聴きたいわ」樋上「俺も俺も」などと言い合う。

(しかし、この3人だけで演奏するのは、かつて4人で演奏した屋部くんへの供養という意味もあるのだ。だから、いかに俺が役者不足であろうと、この3人でなければならない。屋部くんが「客席」で聴いてくれることだろう。)

実際のところ、音を出してみて、サックスのほうはまあどうにかなりそうだが、フルートは心配だ。音がろくに出ないし、フレーズが続かない。あと3日しかないのに、どこかで練習できるんかいな。サックスにしても、フルート向けのin Cの楽譜では心許ないので、あらかじめin B♭に移調した楽譜を用意しておくに越したことはない。あと、衣装を揃えるそうで、急遽ワイシャツを買わないといけない。それでまあ、帰りはJRではなく阪急で河原町に乗り込もうと思って御堂筋線で梅田へ移動。河原町行きの特急に揺られるうち「ワイシャツやったら、実家の近所のライフで買うのが手頃やし、たぶん五線紙も買えるやろ」と考えが変わって、桂で準急に乗り換えて西院で下車。30分ほど、夕方ではあるがまだ暑さが残る街を歩き、少しくらくらしはじめた頃にライフに着いた。シャツは問題なく買えたが、五線紙がない。俺たちがガキの頃だったら、中学校の音楽の授業で五線ノートを使っていたのだが、そういうものすらない。シャツは当日間に合えばいいが、五線紙は事前に必要なんだから、やはり河原町に行くべきだったか。あるいは梅田で買い物を済ませてから帰るべきだったか。まあ、明日なんとかしましょ。

実家に戻ると、兄夫婦と弟一家が揃っている。うちの妻が来れなかったのが残念だが、まあしゃあない。普段は老母が一人で過ごしている実家で、今夜ばかりは総勢十名で、にぎやかに夕食。夜は、兄弟たちが帰り子供らが寝静まった寝室でPCを開き、ある方とチャットで、都内のある所で今夜開かれたあるイベントで生じた、ある案件について、深更に及ぶまで長々と論じあった。


2018年8月10日(金)くもり

お休みをもらって鳴門の大塚国際美術館に来た。

大塚国際美術館正面

紀伊水道の海岸の砂を原料とするタイルで、西洋美術の名品の精巧な原寸大のレプリカを作り、一堂に集めたという異色の美術館である。もちろん、どの作品も本物にはかなわないのだろうけど、しかしこれだけの量を作って収蔵するというのは並大抵のことではない。建物のスケールも、国内の公立の美術館の比ではないだろう。世の中のお金持ちには、こういうお金の使い方こそしてほしい。

俺は絵を見るのももちろん好きだが、美術館という空間がことさらに好きである。(そしてなによりお洒落して展覧会につどう女たちが好きなのだが、それは秘密だ。)展示品は写真撮影OKとのことなので、スマホでいろいろ撮影しては、おかしなコメントをつけてツイッターに投げる。

ミケランジェロ「アダムの創造」
神「アダムくん、み〜っけ!」
ア「もうっ!どこに隠れてもすぐ見つけちゃうんだから
もう神さまとかくれんぼしない!」

レンブラント「夜警」、ベラスケス「女官たち」、レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナリザ」、クリムト「接吻」、ピカソ「ゲルニカ」…。なにしろ見ごたえがありすぎて、しまいにくたびれる。15時ちょっと前に、松山へ戻る妻とは分かれて、子供らと3人で高速バスに乗り神戸に着く。JR神戸駅から新快速に乗って京都へ。こそからさらに山陰線に乗り換えて実家についた。いや、楽しかったけど、疲れたわ。


2018年8月9日(木)はれ

昨日からきょうにかけて、暑いとはいえ、ずいぶんしのぎやすい気温だった。期末テストの採点、何が大変といって、真理値表を書いてトートロジーかどうか判定せよ、というやつ。命題変数への真理値割当てをみんな同じ順番で書いてくれればいいのだが、いろんな思いがけないバリエーションで書いてくるもんだから、間違いのないようにきちんとチェックすると、ずいぶん時間がかかる。それよりは、命題変数 \(X\) と \(Y\) の論理式 \(A\) と \(B\) と \(C\) を、二つずつは充足できるが三つ同時に充足することはできないように定めよ、みたいな問題のほうが、よほど楽に採点ができる。というわけで、真理値表の採点に伸べ丸一日かかり、きょうの夕方まででようやく8問中4問が採点された段階で、お盆休みに突入して子連れの旅行に行ってしまうのだった。残り半分はここまで手間どることはなかろうから、お盆明けになんとかする。

夜の高速を東へ走り、坂出市国分のホテルジェンティールというところに投宿。このごろは、家族で外泊するとなると、娘と倅にシングルを1室ずつ。夫婦でツインかダブルを1室ということに、どうしてもなる。そこで、高松の手前のこのあたりで、宿代を安く抑えつつ早めに休息をとって、明日の朝はそのぶん早めに出発して大塚国際美術館の会館前に鳴門入りしようという作戦なのだ。というわけでスーパーで晩飯を買って、めいめいの部屋で食う。

部屋の内装、大きなダブルベッド
決してラブホではない
が、まあ、この内装からお察しである

いやしかし普段からこんな広々とした寝室で寝起きしてみたいものである。とかなんとか言いつつ、話は変わる。

やる気のないあひるやる気のないあひるやる気のないあひる

以前に一度この題材で日記を書いたことがあるはず(→2005年7月26日の日記)だが、けさ「男女の友情」についてのツイートを見かけたので、改めて自分の見解を確かめたい。きっかけとなったのは、らめーん(@shouwayoroyoro)さんこちらのツイート:

「男女の友情はない」ことはないが、「男女の友情はない」と言っている人との間に男女の友情は成立しないと思っている。この類の人は、異性とのやりとりを全て色恋文脈に変換するので、ある意味、触った物が全て黄金になる王様のような体質をお持ちなのである。

俺の考えは、もちろんベースは13年前と同じだけど、今回らめーんさんのこのツイートを読んで目を開かされた観点もあるし、13年前の日記に言いつくせなかった論点もあるし、13年経って少し考えが変わった点もある。もう一度考えを整理して書いてみよう。

男女の友情は難しい。しかし、よく考えてみると、同性間の友情だって、簡単ではない。

そもそも友情とは何かということについては、あとで考えるとして、それが何であれ、ひとまず「同じ土俵に立つ」という対等さの感じが共有されていないところでは、友情は成立しえない、とは言っていいだろう。これには、相手が同性か異性かは関係ない。そして、世の中は対等でない関係であふれ返っている。多くの人が、若いうちに、学校というところで友情を育むのは、もともと学校というものが、少なくともその理念において、対等な人間関係を作るためにこそ存在しているという側面があるからだ。まあ現実には学校にもさまざまな不平等や競争が持ち込まれ、友情はますます難しくなっているし、学校で同級生とか同じ部活の同期になれば自動的に友情が生まれるなんて話でもない。「男女の友情があるかないか」以前に、そもそも友情それ自体が難しい。同性間であれ異性間であれ、友情はけっしてトリヴィアルなものではないのだ。

友情には対等さが不可欠。しかし、男女の関係が対等であることは、これまで、とりわけ難しかった。なぜなら、両ジェンダーに異なった役割を求めることが当然視されていたからだ。

思うに、らめーんさんのいわゆる「異性とのやりとりを全て色恋文脈に変換する人」は、男女の関係が対等でないことを、自然かつ宿命的なものと信じていることだろう。男女の関係が対等でありうるとは思ってもいないことだろう。そこで、「男女の友情はない」と言っている人、あるいは「異性とのやりとりを全て色恋文脈に変換」して「男女の友情はない」を実践してしまっている人は、男性に多いのではなかろうかと、俺は勝手に推測している。対等の関係を築きたいと思う人はむしろ「男女に友情があってほしい」と願うはずだから。

もしも俺のこの勝手な推測が正しいのであれば「男女の友情」は、あるか・ないか、どころの話ではなく、むしろこれを成立させねば俺たちに未来はないというくらい、重大な話にならないか。

男女の区別に限らず、人間の集団にはさまざまな区別の線が引かれている。立場の違いが、ものを見る視点の違いを生み、行動の違いを生み、意見の対立を生む。そういう例を、俺たちは毎日イヤになるほど目にしている。人と人の間に引かれた線を絶対視してしまえば、この対立は宿命的なもの、回避不可能なものと見え、ちょうど『ロミオとジュリエット』のように、悲劇めかしているが実は笑えない喜劇にすぎない愚行を生むだろう。線を超え、溝を埋める何かを、俺たちは持たねばならない。つまり、立場を超えた友情を成立させねばならない。立場の違いを超えた「対等」を知らねばならない。思うに、「対等」とは「区別がない」という意味ではない。区別の線を絶対化せず、必要とあれば線を乗り越えて行き来できることだと思う。(この、人との間に線を引く、という行為については、けっこう前からしつこく考えている。それはまた、いま読んでいるアマルティア・セン『アイデンティティと暴力』で詳しく展開されている論点と大きく重なる。センのこの本については、いずれ必ず書く。決して、線とセンの駄洒落を言っているわけではない。)

以上のような考察を踏まえてらめーんさんのツイートを俺なりに読めば、こうなる。「男女の友情はない」ことはない。「あるかないか」と問う代わりに「男女の友情」を成立させる気が自分にあるかどうかを問うべきだ。「男女の友情はない」と言う人は、男女の友情を成立させる気がない。友情はトリヴィアルなものではない。立場の違いを超えた友情には、成立させようという意志が必要だ。いっぽう、色恋という「傾向」に流れるに任せれば、その意志も努力も必要ない。

恋は己の満足のために相手を求め、愛は何よりも相手の幸せを願う。そう考えると、恋愛より友情のほうが、よほど高級な愛ではないか。夫婦の場合など、きっかけは色恋でもいいから、二人の強い意志で、愛を友情まで高めるべきだ。こう言うと、妻や、友人たち(のうちオトコマエな奴ら)はわかってくれるが、言葉尻だけを見て、俺が詭弁を弄していると見る人も多いだろう。多くの人々の理解を得るには、どうやら、もっと長い説明が必要だ。さらに探求は続く。


2018年8月8日(水)はれ

そろそろ期末テストの採点をせねばならぬ。午後、nCoくんの追加ゼミ。ccc(可算鎖条件)位相空間の直積についての補題(任意有限個の因子の直積がcccであれば全体の直積がccc)の証明。それと、第I章の演習問題に関連して、選択関数の存在を仮定して整列順序づけの存在を示す証明。先月うやむやになっていたゼミ室の掃除もした。そして、夕方から2時間半にわたって教室会議。採点はなかなかはかどらない。きょう一日で、進捗は全体の3分の1弱。


2018年8月7日(火)はれ

新刊書籍を2点ご恵贈いただいた。山田俊行『はじめての数理論理学』(森北出版)と、Chris Heunen/川辺治之訳『圏論による量子計算のモデルと論理』(共立出版)。ありがとうございます。読みます。

2冊の書影

さて今日はオープンキャンパス当日。60分のミニ講義を13:15〜14:15と14:35〜15:35の2セットやる。俺がミニ講義をしている裏番組で、O下さんが模擬演習をやるというのが、理学部体験の数学分野の出し物だ。

ミニ講義の題材は、今年1月の合宿で出題した三角数が平方数でもあるケースの話。高校生向けに、三角数 \(T(n)=1+2+\cdots+n\) が \(n(n+1)/2\) となることの通常の証明から始め、ペル方程式 \(a^2-2b^2=\pm1\) の解から \(T(x)=y^2\) の解がシステマティックに得られることを説明。それからペル方程式の解が \[ \left\{\begin{aligned} a_1&=1\\b_1&=1\end{aligned}\right.\quad \left\{\begin{aligned} a_{n+1}&=a_n+2b_n\\b_{n+1}&=a_n+b_n\end{aligned}\right. \] によって無数に与えられることを示す。計算過程はそれなりに丁寧にたどったが、説明の都合上、ペル方程式がいわゆる「天下り」式に出てくるので「あんた、なんでこんなこと思いつくのよ」と思われても仕方がない。講義が済んで「以上です。ご質問とかご意見ありますか?って、手を挙げて発言とか、やりにくいでしょうから、これで終りますんで、何かあったら、なんでも言いに来てください」と言って終わる。

そうしたら、終了後、花の女子高生さまが質問に来た。上記の漸化式について「これはどこから出てきたんですか?」と、天下り式の説明の弱点を突く本質的な質問だった。実際、今回の講義では途中に「なんでここで急にこれ?」と言いたくなる処理が多発したのだ。ただ弁解しておけば、そういうことは数学ではよくあって、たとえば数学的帰納法による証明(質問者さまは、数学的帰納法のことはすでに習っているとのこと)などでは、証明すべき式が与えられるが、どうやってその式を見つけたかの説明はなされない。《本当は \((1\pm\sqrt2)^n=a_n\pm b_n\sqrt2\) という関係から出発して講義で説明したのと逆の順番でこの漸化式に到達したんだけど、時間の都合上、いろいろ省略したうえ、順序が変わったので、たしかに式が出てくる動機づけは不明瞭になりましたね》と答える。

次に、花の女子高生さまは「ペル方程式はこれで全部なんですか?」と質問。俺はこの質問を「ペル方程式と呼ばれる方程式がこの他にもあるのか」という趣旨に受けとって「\(a^2-3b^2=\pm1\) とか \(a^2-5b^2=\pm1\) もあって \(\sqrt{D}\) の形の無理数の性質と密接に関連していて詳しく調べられてます」などと答えた。そのあと、自室に戻ってから気づいて飛び上がったんだが、しかしあの文脈で、そんな趣旨の質問が出るはずがない。あれはきっと「この漸化式で与えられるのがペル方程式の解のすべてなのか」という質問だったに違いない。なんてこった。あの花の女子高生さま、なかなかすばらしいセンスの持ち主じゃないか。間に合うものなら、質問者を追いかけていって訂正したかったので、会場へ舞い戻ってみたが、時すでに遅し。すでに参加者は皆キャンパスを去り、会場は撤収作業中だった。

そんなわけで、どなたかは存じませんが、きょう質問に残ってくれた女子高生さま。ご質問から、あなたが優れた数学者的センスの持ち主であるとお見受けしました。ぜひどこかで(べつだん愛媛大学でなくてもいいので)数学科に進学なさるよう、お勧めします。

まあ、ここにこんなこと書いても、読んでもらえる可能性はほぼゼロである。これは、本人に直接伝えたかった。自分のニブさが恨めしい。

で、夜はゼミ生A7くんとnCoくんとのゼミ飲み会。だが、オープンキャンパスの担当で奮闘したO下さんも誘う。ひとまず花園町の「や台ずし」で飲み食いしつつ話す。ここに詳しくは書くわけにいかないが、A7くんからとある共通の知り合いの消息についてのビックリ仰天情報を聞くなど。それから久しぶりにGarakta Cafe&Barへ行き、グレンフィディックを飲む。ただし、俺は21時の電車で帰るべく、早めに席を立った。歩数計カウント12,638歩。17日ぶりの飲酒でけっこう酔っぱらった。


2018年8月6日(月)はれ

このごろ少々睡眠不足である。ひどく生産性が下がるから気をつけないといけないのだけど、生産性が下がっているときに「じゃあ作業打ち切って休みます」といって寝てしまうのは、これもけっこう勇気がいる。それでつい夜なべしてしまって、余計に睡眠不足になる悪循環。おかげで、睡眠不足の妖精ネブソくんが頭の周りをぶんぶん飛び回ることになる。夜の時間をもったいながるのもほどほどにして、今夜くらいは極力早く寝ることにしよう。

夕方、ピアノのレッスン。弱い柔らかい音から強い大きな音へと盛り上げていく部分では、俺はイラチなもので、ついつい気持ちのほうが先走ってしまい、すぐにデカい硬い音になってしまうが、表現としてはこれは失格だ。うんと静かに始めて、すぐには強さを変えず、ぎりぎりまで自制することが肝心。テシマ先生の指導を受けながら、もちろん表現の話なんだけど、なんだか普段の生活態度のことを言われてるような気がした。考えてみれば、人にものを言うときだってそうだ。強い口調でものを言ったからといって、必ずしも言ったことが相手に深く刺さるわけではない。言葉は押しピンではないし、相手は板壁ではない。こちらのエモーションを発露させるだけでは単なる発散であって、伝えるための表現にならない。

レッスン後は松山市駅ビルのドトールコーヒー。いつものコースなのだけど、そのわりに、4週間ぶりである。アップル&シークヮーサージュースというのを飲み、アマルティア・セン『アイデンティティと暴力』を、ところどころ抜き書きしながら読む。21時の電車で帰宅。就寝は23時半だから、前2日よりずっと早いが、普通の人間の生活サイクルとしては決して早くない。


2018年8月5日(日)はれ

きょうも暑い。あまり外出せずぐだぐだと過ごす。昼食には半田そうめん。夕食は鶏の唐揚げ。

昨日の日記に自分は女たちのことが好きだと書いた。きょうはこれといった事件がなかったので、まあ、そのことについて少し書こう。

これまではあまりそんなことを書かなかったが、それには、常識的な慎みという当然の理由以外に俺なりの別の理由がある。ずっと俺は自分の女たちに対する感情というか女性観が、愛憎とり混ぜたアンビヴァレントなものだと思っていた。女たちがとても魅力的に見えることもあれば、鬱陶しくて仕方がないこともあるからだ。それで、好きなのか嫌いなのかハッキリ言えなかったわけだ。こんなふうにアンビヴァレントな気持をもつのは、ひとえに自分の情緒不安定のせいだと思っていた。今はそれがしかし、どうも違うんじゃないかという気がしてきている。

先月21日の日記に書いたとおり、俺はオトコマエな女が好きだ。そして、オトコマエな女とはどういうものか考えるきっかけを与えてくれたのが、先日の東京医科大事件をめぐる一連の議論だ。

あるベテランの女医さんがツイッターで「医学部の女性差別なんて、昔からあった。騒ぐほどのもんじゃあない。あたしのように、現状を受け入れて生き抜くしたたかさとしなやかさを持て。」というような意味のことを言って、周囲の男どもから喝采を浴びていた。(これ、代議士の杉田なんちゃら先生が伊藤詩織さんについて語った言葉にそっくりなのが気になるが、それはひとまずおく。)また、東京医科大前へ抗議デモに行く人々のことを「ヒマなんですね」と冷笑した東大教授もいたと聞く。こういうのを「生存者バイアス」という。試練に耐えて生き残った連中が「これが普通だ。これが正しい。」と主張する。そうすれば経験者、しかも成功者の談だから、一定の説得力をもつのだ。だが、われわれは、生存者、成功者の体験談の背後に、排除され敗残した者たちの声をも聴かねばならない。昔からあること、普通のことが、正義にもとる可能性はいくらでもある。

某女医さんが「したたかさとしなやかさ」の美文で言っていることは、つまり「若いころに辛酸をなめたからこそ、今の自分がある」という、偉いさんの思い出話。そこから引き出される結論は、ひとえに現状追認だ。昔からある差別なら、それがなぜいま報道されてバズり、抗議行動が起こるのか、そういう時代感覚は、そこにはない。

男が作ったルールを内面化して歩んでいこうとする女は、若い人の中にもいる。彼女らも、男以上にがんばって男性社会の中で認めてもらうか、あるいは、男に媚び男を手なづけ、男をビークル(乗り物)にして、うまく世の中をわたって行こうとする。どちらも、自分の節を曲げて男に近寄ろうとすることだ。これまで社会に出ようとする女たちは (A)男勝りコース/(B)男操縦コースの二者択一を迫られていた。それが「したたかさとしなやかさ」の内実だった。(もとより、男にはこのような選択肢は提示されない。男の道には、はなから選択の余地はなかったのだ。)

いっぽう、俺がオトコマエな女と呼んだ人たちは、男性中心の規範の内面化を拒否する。だから「男性並み」を目指しもしないし、まして、男をビークルにして上手に世の中を渡っていこうなどとも考えない。自分たちで判断し、自分たちの声を上げて、イヤなものはイヤ、間違っているものは間違っていると主張する。したがって、男と敵対するように見える。実際、男に対してかなり辛辣な人がいるかもしれない。しかしその一方で、実は、この新しい動きは、男女が同じ土俵に立つということを模索しているのでもある。その観点から言えば、必ずしも男たちと敵対しているのではなく、硬直した古い社会規範と敵対しているのであり、その古い社会規範が、たまたま男中心で構成されていたというだけの話なのだ。社会が変わるべきだ。そう考える人が増えつつある。そういう人を、あたりまえの存在として、世界が受け入れつつある。先ほど俺が時代感覚と呼んだのは、こうした変化のことだ。先日俺がオトコマエと呼んだのはそういう新しい風に向かってキリっとした顔を上げた人のことだ。

だから、オトコマエは女についてだけ言われる言葉ではなく(って表現だけ取り出すと実にクレージーだな)この時代感覚を手に入れた人のことだから、男にもあてはまりうる。それならば、俺はもっともっと、オトコマエでありたい。

ここまで書いてくれば、もう俺の女に対するアンビヴァレントな感情の説明もすっかりつく。つまり、俺は男女がお互いを道具やコンテンツのように扱うことに飽き果てていたのだ。2種類あったのは、俺の感情よりはむしろ、女たちの(ということはつまり人間の)生きる道のほうだった。というわけで、俺は女たちが好きだ。

と、カッチョエエことばかり言って終わってもいいのだけど、蛇足ながらこれから考えるべきことをいくつかメモしよう。東京医科大事件に関連して言われた「結婚や出産による離職の可能性があるから女医が増えると困ると連中は言うが、女性が主力の看護師の業界でなぜ同じことが言われないのか」という指摘。これもいろいろなことが考えられるが、ひとつ大切なのは、がり医ん (@g_dr_gary) さんの次のツイート

「女が多いと仕事が回らないというが看護師は回っているではないか」という指摘は目の付け所が大変よろしい。実は、看護師には労働環境を改善するため戦ってきた歴史があるのだ。今こそ医師も戦うべきなのだ。

この時代には、男女差別の問題は、労働の問題に直結している。そして、われわれをとりまく労働環境の破壊は著しい。女だけに闘わせているわけにはいかない。

女性が男性並みに働く男女共同参画社会は、名目上は女性の地位向上のために構想されたのだが、実現したのは、女性にも男性並みに働いてもらって経済を回し会社を太らせ税金を納めさせ、その一方で、女性が仕事につくことによって当然出てくる育児や教育の問題などなどには、会社の内部保留金も税金も使われず、子育ては家庭の責任であるとして放置される、そういう社会だった。女性解放運動という止むに止まれぬ、表立っては誰にも文句のつけられない大義名分が、なぜこのように、資本と国家権力の強化に利用される結果を生んだのか。既存の社会勢力を再編成、整流、編集し、自らのうちに取り込んで成長する、アメーバのような、有機体としての権力というもののありさまについて考える必要がありそうだ。


2018年8月4日(土)はれ

コミセンの図書館(松山市立中央図書館)の本の返却期限。案の定ろくすっぽ読なかったのだが、返す前に海老坂武『サルトル』(岩波新書2005年)だけは読んでやろうと思って、午前中暇をみつけては読んでいたが半分しか読めなかった。集中が途切れがちでいかん。

昼食のカレーをつくる。いつもと違う鍋を使ったせいか、水加減をしくじってコクがない。はっきり言って、美味しくない。気をとりなおして、冷蔵庫にあった豚肉をポークジンジャーにして夕食に出すべく、生姜をおろして漬け込む。

午後、借りた本9冊を持ってコミセンへ行く。替わりに何か借りようという気にならなかったので、空になったバッグを提げて、銀天街を抜け、井手神社に向かう。

井手神社

参拝して神籤を引くと、先月と同じ第二番大吉だ。橘の神さまには、きっと何かよほど強く俺にお諭しになりたいことがおありのようだ。はてさて。

さて井手神社から最寄りのいよてつの駅は石手川公園なのだけど、無人駅でICい〜カードのチャージができない。松山市駅まで戻ろう。もう少ししのぎやすい気候なら散歩を兼ねて歩いて帰るところなんだけどね。土曜夜市最終日の人波に加わって銀天街を松山市駅前まで歩く。ちょっといよてつ高島屋の7階、東急ハンズと紀伊国屋書店に寄っていこう。

そのあと、きょうはちょっと普段と趣向を変えて、6階のタイムレスコンフォートカフェというところに寄ってみた。

シチリアレモンのオーガニックソーダ・氷がいっぱいのグラス・お冷やのタンブラー

これまた普段と趣向を変えて、レモンのオーガニックソーダというのを飲んでみた。甘すぎなくて飲みごたえがあって満足。吹き抜けから5階の洋服売り場を見下ろす席について、紀伊国屋で買った白洲次郎『プリンシプルのない日本』(新潮文庫)を読む。それはもちろん、先日元町珈琲で見かけた若い男女の会話に触発されてのことである。前から思っていたが、この白洲次郎というキャラクターは、山口の義父と少し重なる気がする。

それから電車で帰宅。短い散策の間に、銀天街の夜市をそぞろ歩く女たち、デパートで商品を見てまわる女たち、駅のホームで電車を待つ女たちを見て、ああやっぱり俺は女たちのことが好きなんだと、改めて思った。帰宅して夕食の用意。ポークジンジャーとスイートコーンと生野菜。昼から漬け込んでおいたポークジンジャーは、いざ焼いてみるとだいぶ味が濃かった。


2018年8月3日(金)はれ

いや、能天気というのは難かしいもんだな。「能天気でありたいと意欲する」とか「能天気めざして努力する」とか、とたんに能天気の定義に矛盾する。いやいやいやいや。なにもそんな論理の遊びの話がしたいわけじゃない。昨日は、東京医科大学入試点数操作のニュースに関連してツイッターで意見を言ったり他の人の発言をリツイートしたりしているうちに、「能天気が持ち味」なんて話は、どっかに飛んで行ってしまった。性差別については特に何か言える立場でもないが、若い人々の労働環境の破壊とか、子育てをめぐる社会インフラの崩壊とか、大学という制度の行く末とか、常日頃からもやもやしているところへ、こうも典型的な事例が飛び出してきては、あえて馬耳東風を決めこむことはできませんでしたわ。

とかなんとか言いながら、午後には「数理論理学」の期末テスト。50名が受けた。8問あるから、採点が大変だ。

park M's coffeeの席からガラス越しに堀之内公園をみる。中折帽とリュックサック

夕方は県立図書館へ。アマルティア・セン『アイデンティティと暴力』(勁草書房)、フーコー『監獄の誕生』(新潮社)など、合わせて5冊を借りる。図書館を出て、初めて県美術館のカフェ(The park M's coffee)に入り、アイスカフェモカを飲みながらいろいろのことを考える。このごろ機会あるごとに(ただし少々あいまいに)考えて続けているテーマに、センの『アイデンティティと暴力』が示唆を与えてくれそうだ。しかしまあ、語るのは読んでからにする。


2018年8月2日(木)はれ

ようやく「この時期特有の学内業務」が済んだ。さて、次は来週のオープンキャンパスの出し物を考えねばならん。

いやしかし、ツイッターは東京医科大学の話題で持ち切りだった。俺もついつい、いつになくいろいろ喋ってしまった。東京医科大学の話題というのは、2011年度以降の入試で、女子の合格率を3割程度に抑さえるため、女子だけ一律減点していた、というスクープだ。ニュースの信憑性を含め、いくつもの論点が提示されたけど、まずなにより、それが許し難い不正であることはハッキリしている。そして「関係者」がそれを「女医の結婚・出産にともなう離職による付属病院の医師不足を防ぐための必要悪」と認識していたこと。さらに同大が、入試時に黙って女子を差別する一方で「女性研究者研究活動支援事業」の助成金を3年間にわたって8000万円も受けとっていた事実。もう、なんというか、かんというか。

昔から「結婚・出産にともなう離職があるから女性の採用に消極的」という事業所は数多くある。そこにはハッキリと社会的な課題がある。だが、なんらの説明なしにこっそりと女子の合格率を下げる、という形でこの課題に対応することは正当化されない。あたりまえのことだ。組織的な悪事なんてどのみち「必要」に迫られてやってるに違いないわけで、そのことで悪事が正当化できないのは、空腹が盗み食いを正当化しないのと同じである。この件については事実関係を明らかにして厳しく処罰するほかない。さらにこのさい「そんなこと医学科ならどこでもやっている」という噂にも、検証の目を向けるべきだ。

そのうえで敢えていうけど「結婚・出産にともなう離職がある」という社会的な課題を放置している限り、禍根は絶てない。「それが社会的現実だ」などという言葉に惑わされてはいけない。かつて、人は空を飛ぶことはできず、月面に立つことはできず、江戸と上方を往来するには何日もかけて徒歩で行くしかなく、結核になれば死を覚悟するほかない、という「現実」があった。そういう「現実」はテクノロジーやら何やらで克服するいっぽうで、「女性は結婚・出産にともなって離職するから使えない」ということばかりは、それが社会的現実だから受けいれろというのは、つまりは本気でその問題を克服する気がないという話じゃないか。それを「所与の現実」としてしまったうえで展開される「合理的な判断」に惑わされてはいけない。(もちろん、女性がみんな結婚したり出産したり離職したりするわけではない。だが、ここでそれを持ち出しては、無駄に議論を混乱させる。それはいまは論じない。なにせ相手はそういうことお構いなしに一律に女子の点数を割り引いているわけだし。)

だいたいにおいて、「合理性」「正しさ」が問題になるときには、その背後で沈黙させられている者に目を向けるべきなのだが、それはべつだん、排除され沈黙させられた側に正義とか真実があるからではない。排除された者にも排除されなかった者にも、それぞれの嘘もあれば真実もある。権力をもつ者たちが人と人の間に線を引く。いったん線が引かれてしまうと、その片側に立って反対側と戦うことは、まったく線を引く者たちの思うツボであって、それでは権力との闘いにはならない。どこに/なぜ/いかにして、線が引かれているのか、それを明らかにし、引かれた線を乗り越え、掘られた溝を埋めなければならない。

いやまあ、抽象的なことは置いとこう。「必要悪」と称して女子を不当に差別した連中を厳しく追求する一方で、その「悪」を「必要」とさせる仕組み自体を変えることを、俺たちは目指さねばならない。本当に医者が足りなくて困っているなら、結婚・出産による離職の心配がないという理由で男たちを選別して酷使することではなく、医者自体を増やすことを考えたらいい。本当に人手不足なら、海外からの研修生を違法すれすれの待遇で酷使していないで、必要なだけの人員を好待遇で雇用すればいい。だが誰もそれをしない。オリンピックにも災害復興にも人件費を投入せずボランティア頼み。不作になれば野菜の小売価格は上がるのに、託児所が足りなくて待機児童が増えても保育士の待遇は向上しない。社会全体が子供たちを受けいれる気がないから、子供を学校に囲いこむためのブラック部活が必要になる。俺たちの社会はほんとうに人に金をかけるのを嫌がる社会なんだなあと思う。

しかし、そこを直さんと、もう未来はないと思うぞ。


2018年8月1日(水)はれ

というわけでいろいろグダって過ごした7月が終わり、8月になった。本当は昨日が〆切だったのだが連載原稿を編集さんにメールで送った。先日からの「この時期特有の学内業務」もそろそろ終わりが見えてきた。心を占領していた気がかりなことが、ひとつひとつ片付いていく。ありがたいことだ。そして、我慢がなく結論を急ぎすぎな自分を振り返り、ようやく少し反省する心持ちになる。

夜、スコップを買おうと帰り道に本町フジのダイソーに寄ったら、A4セクションペーパー(プランニングパッド)が再入荷していたので、大喜びで出ているだけ(6冊全部)買う。それから元町珈琲に行く。一昨日・昨日と読めていなかった辰馬本を開き、メモをとりながら読み進むのだが、思うほど進めなかった。というのも…

隣のテーブルで、若い男女が語りあっている。男は半袖Yシャツのクールビススタイル。知人の保険営業マン上甲さんを若くスポーティにした感じの(と言って通じる読者もあまりいるまいけど)、なかなかのイケメンだ。女子は普通の女の子だが、長身で姿勢がよく、ショートの髪と短パン。たぶんスポーツ女子だ。始めのうち、二人はダイエットとか筋トレとかについて話していた。

このイケメンくん、話を聞くのが惚れ惚れするほど上手い。相手の顔を見て、つねに柔和な表情で、うんうんと頻繁に相槌をうち、相手の活動を合間合間で褒め、必要なら質問を返して補足を求め、共通の知識に話が及べば事例をつけ加えて理解を確かめ、相手が説明に困ればその言葉を敷衍して誘導する。こちらとしてはガン見するわけにもいかず、耳だけ向けて、すごいなあと感心するばかり。上手に人の話を聞くこういうスキル、少しは俺も欲しい。

イケメンくんの只者ではない会話力に、ひょっとして玄人のやり手セールスマンが言葉巧みに何かの契約を女の子にもちかけているのかと疑ったが、どうやらそうではない。共通の知人らしき名前が、話にどんどん出てくる。どうやら二人は高校か大学の同窓生だ。恋人どうしではない。イケメンくんの相手の話を聞く態度で、それはすぐにわかった。どういう経緯でここに座ってお茶しているのかわからないが、いつも顔を合わせているという関係でもなさそうだ。推測だが、松山で学び県外に就職したイケメンくんが、たまたま仕事で松山に来て、仕事を終えたあと旧友とお茶している、と思えば、どうにか納得はいく。

攻守交代してイケメンくんが話す。いまの仕事はどうか、これからどうするかという話から「教育を変えたい」「世の中をよくしたい」「白洲次郎が好き」「究極的には日本をプリンシプルのある国にしたいという夢がある」といった言葉が出てきた。イケメンでスポーティで聞き上手なので、もしやと思っていたが、やはり意識が高い。急に話が難しくなって少し困った様子を見せるスポーツ女子に、しばらくは言葉を補い補い説明を試みるイケメンくんだったが、そのうち方針を替えて「となると、やっぱりお金も必要だし、まずお金持ちにもなりたいんだよね」と、わかりやすい目標を出してきた。そこで、スポーツ女子は安心したように「うんうん!」と同意。

この時点で、俺は、目と手ではひき続き辰馬本を読みメモを取っているが、耳と頭は二人の会話に完全にロックオンしている。

共通の知人の消息などなどを経て、話は恋愛観に移った。まず、二人はお互いが恋愛対象ではないことを確認。イケメンくんの意中の人の話なども出る。そして、親兄弟の意見や周囲の目を気にして恋愛に臆病になっているらしいスポーツ女子にイケメンくんが、それなら恋人じゃなくて普通にお茶を飲んで話ができる異性の友達をつくってみたら、と、適切なアドバイス。「セックスなんかしなくても、こうやってコーヒー飲んで話をしてたらわかりあえることがある。それもいいもんだよ」と。無責任に《もっと積極的になりなよ》みたいなことを言わないのがいい。それでこそイケメン。いっぽうのスポーツ女子はある意味普通の恋愛観の持ち主らしく「ええっ、そうかなあ…」とか返している。イケメンくん、「男だって別に、女の子とやりたいとばっかり思ってるわけじゃないよ。あ、いや。他の男のことはわかんないけど、俺は別に、やることに重きは置いてない。」だが、スポーツ女子は「でもやっぱり男のひと怖いから」と、これもまた、どうしようもなく正しい。

最後に面白かったのが、スポーツ女子の思い出話。

「昔あたしがファミレスでバイトしてたとき、みんなが店に来てくれたよねえ。あれ嬉しかったけど、みんなが恋バナしてたときに、君が急にあたしのほう見て《俺じゃダメかなあ…》って言ったんよ」
「えっ!! どういう流れでそんなこと言ったの?」
「いや、覚えてないけど、なんか急に」

この攻撃は効いたらしい。

「そんなこと言った? 本当に?」
「あんまり土足で踏みにじるわけにいかないから、あたしスルーしたけど…」
「わわわわわ…」

どうやら、この女子も只者ではない。しかしこのイケメンくんは、いったい何者だろう。この爽やかな容姿、この物腰、この会話力、この意識の高さ。いやいやいやいや。仮にも「白洲次郎が好きだ」と語る男は、これくらいでないといけないだろう。俺とはどうも住む世界が違うが、面白そうな奴だ。

俺が来てから、かれこれ1時間ほどして、二人は店をあとにした。最後の劇的どんでん返しを含めて、二人とも最後までとても楽しそうだった。会話が弾むというのは、それだけで素敵なことなのだ。そして、こういう友達関係は、実にすばらしい。二人のほうを見ないように、辰馬本のメモをとる手を休めずに、俺は心の中だけで、立ち去る二人に拍手喝采した。

俺はしばしば「世の中いろんな奴がいるよねぇ」と口にする。それはたいていの場合「困った奴もいたもんだ」という意味である。このイケメンくんとスポーツ女子のように、いい意味で「いろんな奴がいるねえ」と言える機会はなかなかない。ありがたいこと、嬉しいことだ。

先週火曜日の日記に、文化の湧出点としてのカフェの夢を書いた。きょうここで、イケメン男子とスポーツ女子に《あきらめるな。希望はある。》と教わった気がする。ありがとう。あんまり勉強は進まなかったが、このタイミングで元町珈琲に来てよかった。