て日


2003年 12月分


2003年12月31日水曜日

あっというまに今年も大晦日だ。なんとか片づけないと歳の神さまが来てくれないじゃないかとかなんとか思いつつも、先ほどから歳の神さまの代わりに「やるきのないあひる」(8月26日の日記参照) が来てぐぁっぐぁっと家の中を歩き回る始末。とりあえず大急ぎで年賀状を書き上げ、郵便局へ。ベスト電器、明屋書店、紀伊国屋、ミスドと寄り道して帰る。

夕食は予定通り(いや、俺は夜食にするつもりだった)年越しそば。かけそばにする予定だったのだけど、お隣から海老天のおすそ分けを頂いたので、天ぷらそばにグレードアップだ。すばらしい。感謝感謝。

そんなこんなで、部屋が片づかないまま新年が来てしまうわけですが、まあなんというか、3人揃って仲良く年が越せるのが何よりです。はい。


2003年12月30日火曜日

いつものだらだらした休日と違って、昼寝もせずに一日あーだこーだと手を動かしていたので、一日がなんとも長かった。

娘はだいぶ快復したが今度は妻がしんどそうだ。仕方がないので買い物も夕食の用意も代わりにやる。雑煮に入れる餅とか、明日の年越し蕎麦の材料とか、歳末ならではのものをいろいろ買って帰り、有り合わせの材料でちゃちゃっと夕食を作る。夕食を3人で食いながら、妻に「一応言っとくけど、明日はまだ大晦日だから雑煮を作っちゃだめよ」と言ったら、妻の返事は「わたしはてなさくさんが今夜いきなり蕎麦を茹でだしたらどうしようかと思ってたところですよ」だった。夫婦ってやっぱり面白い。


2003年12月29日月曜日

家族そろって体調が悪い。片づけが進まないな〜。ゲホ。


2003年12月28日日曜日

今度は娘が39度の熱を出した。妻も熱っぽいので、明後日からの帰省は中止だ。電話で実家に伝えると、孫に会えないと知った母は心なしかしょんぼりしていた。なかなかうまくいかんもんだ。

年末だもんで、家の片づけだ。たまりにたまった段ボール箱を処分するのもなかなか大変だった。毎日の掃除や整理整頓をサボッたツケは、どうしたって回ってくるということね。

家中の段ボールがあらかた片付いた頃に、Amazonに注文していた本がひと箱届いた。段ボールの処分に終わりはない。近衛秀麿のオーケストラ解説本『オーケストラを聴く人へ』(音楽之友社)。25年ほど前、中学生だった頃の俺の愛読書だったものが再版されたので買った。スコアリーディングの手ほどきをしてくれる本は世の中にいくつかあるが、これほど懇切丁寧なのは珍しい。それと、1950年ごろにアルテュール・オネゲルが自分の職業について語った『私は作曲家である』(これも音楽之友社)。作曲という仕事が「職業」としては成立し得ないというミもフタもない見解を、数々の証拠をあげながら力説する。ペシミスティックだがたいへん面白い本だ。オネゲルといえばフランス六人組だが、フランス六人組にはロシア五人組に匹敵するようなひとつの芸術運動にコミットするような側面は希薄だったらしく、その証拠に、オネゲルはこの本ではあきらかに、コクトーあたりの宣伝文句とは裏腹に、サティを貶しドビュッシーを高く買っている。こういうことは読んでみないと分からない。


2003年12月27日土曜日

家族そろってカゼ気味なもので、どうしても気持ちがドヨヨンとしてしまう。まあ大丈夫だろうと練習にいったが全然だめ。ちょっと息の圧力が上がると咳が出そうになるうえ、なにしろ暖房が効き過ぎていてのぼせ気味。楽器に息がちっとも入らない。そこへ持ってきて『レニングラード』の第3楽章だから、力いっぱいソロを吹かないといけない。しまいに酸素不足で手先がしびれてきたので、合奏終了を待たずに早退。忘年会も断念。くやしいな。


2003年12月26日金曜日

半日寝て熱も収まったのでガササゴソソと活動再開。

宴会係のKち山くんが楽団の忘年会の詳細をインターネットの掲示板に書き込んでしまったので、あわてて削除。すでに3人に見られていた。関係者以外に一般公開する筋合いの情報じゃないし、これを見て濫入するやつがおらんとも限らんからね。

そうこうするうちに、他団体から演奏会の告知の書き込みがあった。こういうのはどんどん書き込んでもらっていい。そのための掲示板だし。しかし、他団体から宣伝に来た人の書き込みはいつも第一声が「突然の書き込み失礼します」なんだよね。これ、丁寧なのはいいけど、なんかやっぱり少し変な気がする。なにしろ掲示板なんだから、突然なのは当たり前で、文句もなにもありようがないじゃないですか。あいさつってことなら「こんにちは○○吹奏楽団です」で十分だと思うんだけど。

楽団の掲示板はスレッド別表示で、一つのスレッドが一枚のページに対応する形式にしてある。そのおかげで、まじめな議論とヨタ話と他団体からのお知らせ等々が混乱なく同居できる。その点なかなかうまくできていると思うのだけど、この形式を考えたのは実は俺ではなくて、掲示板を運用し始めた最初のころに使わせてもらっていた田中求之さんのEasyBBSというプログラムがそういう仕様になっていて、あとで俺が自作CGIにその形式を引き継いだのだった。


2003年12月25日木曜日

熱がある。まる一日寝ていた。


2003年12月24日水曜日

昨年に引き続き、今年もちゃんとクリスマスに風邪を引いた。

ちと熱っぽいが、のっぴきならない用事のため松前町北伊予へ。JR北伊予駅あたりの時流に取り残されたような田舎らしい雰囲気は大変好ましい。生協のスーパーマーケットの店員さんの様子 (ある人はピンクのアイラインで色気があったり、ある人は若くてピチピチだったり) をみて、この界隈は見かけによらず意外と生活レベルが高いのかも知れないと思ったぞ。後で聞いたところによると市街化調整区域のため住民の出入りがほとんどないのだという。江戸時代から豪農がすんでた地区でもあるようだし。それで、地域の結束も固い。だとすると生活レベルが落ちないとか、雰囲気が荒れないというのはわかるが、女の子がキレイになる理由はわからない。

夜。娘に「今夜はサンタさんが来るんだよ。でも、いい子にして早く寝ないと、サンタさんは行くのやーめたって言って帰っちゃうよ」と教えると、娘はお風呂も歯磨きもいつになくてきぱきと済ませて、本当にいい子で早く寝てしまった。・・・というわけで、ついさっきサンタクロースが来て枕元にプレゼントを置いていってくれたのだけど、日ごろから散らかり放題のこの家で、娘は枕元のプレゼントに気づくかどうか。妻へのプレゼントは、長尾玲子の絵本『サンタさんありがとう』(福音館書店)だ。


2003年12月23日火曜日/天皇誕生日

昨晩は「明日は祝日だから朝寝するぞぉ〜」と思っていたけど、今朝は妻子ともども7時過ぎに目が覚めてしまった。いや、早起きは三文の得というから、起きられるのはいいことなんだけどね。

高島屋7階のマドンナ郵便局に冊子小包を出しに行ったついでに、ヴァージンレコードでCDを買った、ジャン・フレネ/オランダ放送フィルのオネゲルと、ズービン・メータ/ロサンゼルス・フィルの「惑星+スター・ウォーズ組曲」だ。オネゲルについては、とてもゆっくりしたテンポで物語るように美しく展開していく「典礼風交響曲」の第2楽章が印象的だった。まるでパッサカリア。続く第3楽章もひどくゆっくりだ。んで、メータのディスクは、当時たぶん中学生だったと思うのだけど、レコードを買うお金なんかろくに持っていなかった俺でさえ、LPが発売されたときのことを覚えているくらいの、かなりの大ヒットディスクだった。いま聴くと、「惑星」よりも「スター・ウォーズ組曲」の話題性で評価されたんだろうなということがよくわかる。最後の「王座の間とエンドタイトル」なんかは当時から俺も大好きだし、いま聴いても確かにいい曲だね。

夜にはBOOK・OFFへ本を売りに行った。いまだに「値段がつかない本」の基準がよくわからない。


2003年12月22日月曜日

市民コンサートの機関誌作り。今日が最終作業の日だ。年内に市民コンサート関係で集まるのは今夜がほぼ最後なので、作業終了後ワインで乾杯。


2003年12月21日日曜日

夕方6時すぎには空は真っ暗。明日が冬至だからね。

きょうは妻がお目出度い席に招かれて早朝の電車で徳島へ行った。保険つきの宅配便で自慢の着物を送っておいて、行った先で着付けをしてもらう。宴がお開きになったら宴会場で着替えて着物は帰省に備えて京都へ送る予定だったが、妻は何を思ったかそのまま着物姿で予讃線に乗って帰ってきてしまった。駅へ迎えに行ってみると、ほとんど着崩れもしておらず、半日着ていたとは思えないほど綺麗だった。それはいいのだけど、着物の化粧箱などと一緒に、家の鍵も車の鍵も靴も別便で発送してしまい、明日にならないと戻ってこないという。しかたなく明日は電車で出勤だ (足袋履いていくのか?)。デジカメの予備電池なんかは持って帰ってきたのになあ。そういうことをやってしまうところが、実にわが妻らしい。

ハンドベルはなかなか評判が良かったらしい。


2003年12月20日土曜日

『惑星』コレクターとしては平原綾香の「Jupiter」も無視するわけにいかない。発売日にAmazonで購入。新人らしからぬなかなかの歌いっぷり。すごくテキトーな感じのどうしようもない歌詞がついてはいるけど、いいメロディーだね。同時に須川展也の「sugar」と、ニコライエワが弾いたバッハのインベンションとシンフォニアのCDも購入。

練習終了後、ひさしぶりに皆で焼き肉。


2003年12月19日金曜日

QuickTimeが6.5にバージョンアップして、auのEZムービーで使われる .amc 形式のデータが読み書きできるようになった。ということは、携帯でムービーを撮影してPowerBookで編集するとか、あるいは他所で作ったムービーを携帯に転送して表示するとかが可能になったということだな。なにか面白いことができるかもしれないからためしてみよう。


2003年12月18日木曜日

夜は市民コンサートの機関誌づくりの会合。何にせよ、目に見えるものを作る作業というのは楽しい。


2003年12月17日水曜日

MakeMusic!のWebサイトでの告知によると、FinaleのMacOS X対応版は、今年10月のリリースを予告していたのがちょっと遅れて、年が明けた来年の1月中のリリース予定だそうだ。もうしばらく待つとしよう。しかし依然として、標準MIDIファイルの編集に特化した手ごろなソフトウェアは見当たらない。最近のハイエンドなソフトウェアは、サンプリングなどのオーディオデータを素材として直接扱うことに主眼を置いているらしく、MIDIは多くのコンポーネントの一つとして扱い、しかもその優先度はあまり高くない。俺はもっぱらMIDIを扱いたいのだから、きっと使わないであろう機能ばかりゴテゴテとついたプロ志向のソフトを高い金を出して買う気はしないのだけど、DTMのメインストリームが波形を直接扱う方向へシフトしたのであれば、俺が望んでいるような (MIDIデータの編集に特化したシンプルな) ソフトウェアが今後市販品としてリリースされる可能性は低いと言わざるを得ない。

では、どうするか。

選択肢は二つ。[1]MacOS 9が動く古いMacを調達してきてMIDI専用システムを構築する。旧iMacを中古品で買うとかそういう話だ。そうすれば、使い慣れたOMSとMIDIGraphyとVirtual SoundCanvasですべては丸く収まる。一応USB-MIDIインターフェイスも外付け音源もMIDIキーボード (電子ピアノ) も手元にあるから、けっこうちゃんとしたシステムが作れるはずだ。[2]自力でソフトウェアシステムをでっち上げる。といっても、ソフトウェア音源についてはQuickTimeとかTimidityとかあるから、あとはMIDIファイルの編集をするソフトウェアと、外部のMIDI機器との接続を管理するソフトウェアがあればいい。後者はMacOS X に標準で含まれているはずなので、あとは前者つまりMIDIデータの編集用のソフトだ。...と、いまMIDI規格やSMFファイル形式の勉強をしているのはそういう理由からなのだった。


2003年12月16日火曜日

カイロプラクティックに行った。1シーズンに1度くらいのペースで行っている、いつものところ。施術室のマッサージ機の横に、なんか見覚えのある黒い大きな箱がある。「あれ何です?」聞いてみると、案の定ヤマハのテナーサックスだ。カイロのおっちゃんは営業を終えたあと時々ここで練習するらしい。テナーだったら自分も少しやっていると話すと、ちょっと吹いてみせろと言う。

つねづね、ヤマハのテナーは重くてかなわんと思っていたが、おっちゃんの楽器はそうでもなかったし、古いわりによく鳴った。リードはヴァンドレンの2½でマウスピースはヤマハの4CとセルマーのメタルFだった。メタルは案外吹きやすかったが、リードが俺には柔らか過ぎたので、音の変わり目にキュッというノイズが入りがちになった。

俺は深めにくわえて十分な量の息を入れるようにしているけれども、おっちゃんは浅いアンブシュアで暗いサブトーンを渋く鳴らすのが好きみたいで、それなら柔らかいリードの方が向いているとはいえそうだ。ただ、おっちゃんが「メタルのマウスピースは肺活量が足りなくて鳴らない」と言っているのは、肺活量というより息の入れ方の問題だな。それでも、目指している音色の方向性も違うようだし、手探りの自己流はお互いさまだから、そういうことを云々するのは控えて、楽器を置くときの向きが間違ってるのだけ指摘するに止めた。

セルマーのメタルのマウスピースは初めて見た。いまでも手に入るものならひとつ欲しいかも。


2003年12月15日月曜日

かなり寒い日になった。家族3人そろってちょっと風邪気味だ。

市民コンサート機関誌の原稿を作った。編集というのは削ることだとつくづく思う。小さなものにいろいろ付け足して大きくするより、大きなものを絞り込んで小さくするほうがよほど難しい。

妻の職場の面々がハンドベルを演奏するお目出度い席は次の日曜日だ。楽譜を提供した者としてはぜひ本番前に音を聴いておきたい。明日の夕方早めに仕事を切り上げて練習を見に行こうかと思ったが、妻の言うところによるとあまり歓迎されそうにもないのであきらめる。


2003年12月14日日曜日

どっちを向いても、クリスマスにはなにか特別なことをしなくちゃと準備に余念のない人ばかり。というか、みんながそうだってわけでもないのだろうが、クリスマスを目前に意気込んでる人ばかりが目につく。こうなると、「クリスマスだからって特別なことなんかするもんか!」なんて言ってるヘソマガリの俺のほうがちょっと変わった存在になって、これはこれで「クリスマスになにか特別なことをする奴」に該当しちまうんだろうか。なに?俺がヘソマガリなのはクリスマスに限らずいつものことだから大丈夫だって? まあそれはともかく、自宅の電飾にしても何にしても、最近のクリスマスは手作り志向なのがまだしも救いだね。


2003年12月13日土曜日

引き続いての「惑星」ネタ。

『惑星』のスコアを見ると、ものすごく贅沢な楽器の使い方をしている。四管編成というやつで、木管楽器を使うときに、多くの種類の音色のブレンドに頭を悩ませる代わりに、同種の楽器をたくさん用意して一種類で広い音域をカバーしてサウンドを構築してしまうのだ。そのため、フルートならG管、オーボエならF管のイングリッシュホーンや普通のよりオクターブ低いC管のバスオーボエなんて珍品まで持ち出される。ホルンが6本、ハープが2台、パイプオルガンもある。今の日本でこんな人員の使い方をしていたら、たちまちリストラの嵐が吹き荒れてエライことになりそうだ。

某所で某マエストロが「存在価値が薄い」と言っている「水星」について。この曲、途中でグロッケンが妙ちきりんな3小節単位のリズムを刻むのだけど、これは何か意味のあることをモールス符号でしゃべっているものとばかり、俺は思っていた。総務省北陸総合通信局のページにあるモールス符号表を見ると、このリズムは、

N I S N O N I S N O N I S N O ...

あるいは区切り方を変えれば

N H R M G H R M G H R M G ...

と言っていることになる。どうもあまり意味がある信号とは思えない。(まあ、秘密の愛人のイニシャルだったりしたら当人たち同士にはわからんわけだけど。) 冨田勲は、プロコフィエフの作品を題材にしたアルバム『バーミューダ・トライアングル』で、本当に意味のある文字列をモデムを通した音声信号にして音楽の中に挿入してしまったのだけど、ホルストは、コミュニケーションをつかさどるという水星の占星術的な意味合いを表現するために、意味までは考えずにモールス符号っぽいリズムを入れたということなのだろう。

メンテナンスを頼んでいた着物を受け取りに呉服屋に行ったときに、その前に寄った本屋で買ったC++の教科書を置いてきてしまったらしい。明日取りにいかないと。

吹奏楽の練習後の晩飯。お好み焼きを喰いにいった。もうすぐ嫁に行くボエ吹きのMさんが結婚生活7年のN嶋さんに「ラブラブな時期って長続きしないんですかねぇ」なんて不安そうに聞いている。しかしそういうことに関して世間一般の平均値なんてものは何の意味も持たない。他の誰がどうであれ、二人さえその気なら、一生ラブラブで全然OKなのですよ。

練習から戻ったらAmazonに注文していた本とCDが届いていた。が、2枚頼んだCD(これまたどちらも『惑星』)のうち一枚が、メータではなくカラヤンだった。カラヤンがベルリンフィルを指揮した1981年の演奏だったら、妻がCDを持っている。だが注文履歴を見る限り、どうも俺がたしかにこのCDを注文したことになっている。ありゃりゃ。よく確認していなかったからなあ。俺か先方かどちらが間違えたのかわからないけど、こうなるといったん返送するしかない。んで、メータが振った「惑星」と「スター・ウォーズ組曲」の入ったCDを買い直そう。


2003年12月11日木曜日

久しぶりにCDをひと山買った。ホルスト作曲の組曲『惑星』。レヴァインのとラトルの(2枚)とデュトワのとカラヤンの(1961年版)を買った。あと、メータのが2タイトルと、ハイティンクのとボールトのがあったが、財布と相談して5枚にとどめた。ただ、ラトルのは別録音だろうと思って両方買って、よくみたら同じ音源のカップリングを変えただけのものだった。こりゃ失敗。だけど、CDってものは返品するわけにもいかない。Amazonのマーケットプレイスで転売しようにも、同じ型番のCDがAmazonのカタログに載っていない。ラトルの『惑星』がAmazonで売ってないってわけではないから、EMIは同じ音源を違った型番で少なくとも3回CD化していることになる。う〜む。クラシックのレコード業界ってそういうもの?

実はこのほかにメータのとバーンスタインのはオンライン注文して到着待ち。妻がもってたカラヤンの1981年版と自分が持っていたプレヴィンのもある。それと、もちろん冨田勲もね。すっかり『惑星』コレクターだな。しかし、レコード屋さんによると、『四季』か『惑星』かというくらいに、『惑星』のレコードは多いらしいぞ。

帰りに喫茶店に寄ったら、ラジオからヴィレッジピープルの歌ばかり立て続けに流れてきて、ちょっと辟易した。


2003年12月10日水曜日

ひとまず、MIDIについてもっと詳しく知ろう。『SMFリファレンス・ブック』の著者の新井純さんのサイト B-Sharp.com には、MIDI規格についての詳細な解説がある。これはかなり勉強になる。本当の正式のMIDI規格となると、けっこう高価な仕様書を買わないといけないが、それはこの先どうしても必要になったときにまた考えればいいのだ。『SMFリファレンスブック』とB-Sharp.comのMIDI解説を読めば、HexEditなどのバイナリエディタを使って簡単な標準MIDIファイルをハンドアセンブルで書くことが可能だ。もちろん、ものすごく面倒くさくてややこしくて報われない作業だけど、標準MIDIファイルの仕組みを正しく理解するには、これも必要な演習問題だと思う。


2003年12月9日火曜日

ビッグエンディアンなPowerPCとリトルエンディアンなx86で同じように動くプログラムを書くのは難しいな。

午前中は、フジグラン松山のミスドでコーヒーを飲みながら勉強していた。二つ向こうのテーブル席に着いた二人の老紳士が、インターネットについて熱く語り合っていた。それが、スパイウェアとかグーグルとかウェブボットとか、ディープな専門用語 (あ、「グーグル」は専門用語とは言えないか) を連発する高度な会話だ。まるで「私たちはさえない年寄りですっ」と力強く宣言するかのような人相風体の人たちの口から、最先端なテクニカルタームがスラスラと (実際、かなりの早口だった) 出てくるのには正直言ってびっくりした。いや、ああいう歳の取り方をしたいですね。


2003年12月8日月曜日

パソコンはいろんなことができるけれども、使う人が本当は何をやりたいのかを、パソコンが教えてくれるなんてことはありえない。自分はパソコンで何がしたいのか。それを考えずに、あれもできるこれもできると、選択肢の豊富さに心を奪われていたのでは、結局なにもできずに時間と能力の無駄遣いで終わってしまう。

というわけで初心にかえって冷静に考えてみる。もうずいぶん昔のことだけど、パソコンを持とうと思った理由は何かというと、やはりDTMではなかったかと思う。音楽を作るための補助手段としてコンピュータを利用したかったわけだ。初めてマックを買ったのは漢字TALK6の時代だから、まだまだMIDI音源も高価だったが、ConcertWareなど音楽作りのためのソフトウェアはいろいろとあって、ずいぶん楽しんだものだ。

いまではパソコンも周辺機器も安くなり高性能になって、できることがずいぶんと増えた。ところが、使う人間のほうが、動機づけを見失いそうになっていた。原点に立ち返って、音楽をやるために、道具としてコンピュータを使おう。いまのパソコンなら、楽譜の編集もできる。ハードディスク録音もできる。CDも焼ける。すばらしい。これを利用しない手はない。

記譜ソフトはどうだろうか。FinaleがいまだにMacOS Xに対応していない。Sibelius IIはいい感じだがこれも少々高い。GUIにこだわらないのであればLilypondという選択肢がある。これは試してみる価値がある。

問題は、MacOS X用の手ごろなMIDIシーケンサーがないということだ。MacOS 9まで使っていたMasterTracks ProやMIDIGraphyはClassic環境では微妙に使い物にならない。MacOS X用にはEmagic Logicなどいろいろなソフトがあるとはいえ、これらはみなプロ用で、高価だし機能も多すぎるのだ。


2003年12月7日日曜日

クリスマスのシーズンに窓や戸口を電飾する家が最近ずいぶん増えたね。俺たちの住んでいる賃貸アパートの区画は外の路上から見えないので、窓や戸口を飾る気はしないが、小さい子供もいることなので、室内にクリスマスツリーだけは飾ることにした。

MacOS X Pantherではシステム標準のテキストエディットでMicrosoft Wordの文書を開いて読むことができる。これは大変ありがたい。


2003年12月6日土曜日

今日の練習では大事なところでテナーの3人がそろって落ちて(入り損ねて)しまった。これはつまりトップを吹いている俺の責任だ。ちょっと(というか、ものすごく)反省。

練習後、久々に飲み会。といっても12時過ぎには帰宅していたから、普段の練習後の夕食とそれほど変わらない。さて、明日の午後4時までにチラシを1,000枚刷らないといけない。とあるオーケストラの演奏会のプログラムにチラシを折り込ませてもらうのだ。ざっと計算してみると、チラシ1枚にかかる紙代は2枚で1円くらい。プリンタのトナー代はもっと高く、平均して1枚で2円くらいする、ということは、1,000枚刷ると費用は2,500円。印刷屋に発注するより安く上がるとはいえ、けっこうバカにならない。前売り券は600円だから、この1,000枚を配付した結果として5人以上のお客さんが来るのでないと、この部分の出費だけ考えても赤字ということになる。実際には会場費だの何だのの出費の方が大きいから、もっと厳しい。ケチくさい計算をしているようだが、これもやはり楽団の活動の一環だ。なにしろ聴く人あっての音楽だから、今回はいままでよりも宣伝を強化したいのだが、団費にも限りがあるからね。


2003年12月5日金曜日

北久米町のラーメン屋「麺工房 茜屋」にいった。店内にはジャズが流れてお洒落っぽい。ラーメンは太麺とややこってりしたスープで、大変おいしかった。空腹だったこともあって、夫婦でそれぞれ一杯ずつ、娘にもわけながら食べたあと、大盛り1.5玉を追加し3人でわけて食べた。食後のコーヒーのサービスもあるみたいだし、また来ることにしよう。


2003年12月4日木曜日

MacPeopleの連載「アイ・テー虚言録」の著者、中村勝己さんは自分のWebサイト(http://www.sorekika.com/)を開いている。まる1年以上更新が止まっている気もするが、面白いです。

今日は月に一度の医者に行く日。お医者さまはいつになくハッキリといろいろと指摘してくれた。「一生懸命やって失敗するのが怖くて、一生懸命になれないんでしょ」とか「なにか新しいものを作りたいという夢はあるけど、結局は総論屋(いろいろのことを広く浅く扱い、他人のすごいところは評価できるが、自分ではすごいことをやって見せたりはしない、というような意味か)なのよね」とか、言った相手が悪ければケンカを売られているとしか思えない言葉だが、長いつきあいの先生だから腹も立たないし、さすがに的確だなあと思った。


2003年12月3日水曜日

昨日に引き続きとてもいい天気だ。

大学前の横断歩道のところで財布を拾得。見ると医学部の学生さんのものだ。医学部は遠く離れた重信町にあるが、語学や教養科目の授業のために城北キャンパスに来る必要があるのだろう。学生部で預かってもらった。しかし、俺と同時にたくさんの人がこの横断歩道を通ったのに、みんな落ちてる財布に気づかなかったのかな。それとも、触らぬ神になんとやらで放っておいたのかな。

今回は学生さんの持ち物とわかったから学生部に持ち込んだけど、そうでなかったら公道に落ちていたものだから交番に届けないといけない。城北キャンパスのもよりの交番ってどこだろうと考えてみたが、意外とわからない。木屋町も一番町も遠い。東警察署がいちばん近いくらいだな。愛媛県警察のホームページはhttp://www.police.pref.ehime.jp/だけど、交番マップみたいなのは用意されてないらしい。Googleで検索してみたら、松山市消防局が発行している防災マップに、広域避難場所や消火用ポンプの設置場所に混じって交番が掲載されている。

EGBRIDGE14の文字パレットには手書き入力で文字を検索してくれる機能があるのだけど、昨日から何度ためしても「芦」を認識してくれない。「声」とか「苛」とか「岸」なんかが候補に上がるのだ。いくら俺が悪筆だからって、そりゃないぜトホホ。


2003年12月2日火曜日

昨晩1時半ごろ、娘の泣き声で目が覚めた。火がついたように泣くというのはこういうことかと思った。日に日に言葉が達者になっていくこの時期の娘だが、この時ばかりは「イタイ」と「ママ」しか言わなかった。「どこが痛いの?」と聞いても泣いたりせき込んだりするばかり。こりゃ尋常ではないぞと怖くなって、2時過ぎに急患医療センターに連れていった。急患センターに着く頃には少し落ち着いていて、受付カウンターに置かれたぬいぐるみを見て「ぷーしゃん」と一言。この一言のおかげでずいぶんホッとした。熱がかなり高いが、外見にも内臓音などにも異常が認められないので、お医者さまも、どこか特定のところが痛いわけではないだろうと判断。じっさい、家に帰る頃には機嫌が直っていた。

いまになって思うに、あのとき娘は、夜中に目が覚めて熱が高く体調がおかしかったので、パニックになってしまったのではなかろうか。今朝のかかりつけの診断では、気管支炎だろうとのこと。まる一日たった今夜も、熱は出るが機嫌も悪くなく食欲もあるようだから、まあひと安心。しばらく様子を見よう。


2003年12月1日月曜日

今年も残すところあと一ヶ月。笑って年が越せるようにがんばりましょう。