て日


2005年 2月分


2005年2月28日月曜日

いい天気だ。月末だけに、銀行の ATM に長蛇の列。


2005年2月27日日曜日

早朝、息子が発熱。あわててみろりが急患センターつれていったが、着いた時にはすでに熱が下がっていたそうな。そういえば、医者へ連れ出そうと着替えさせた時点で機嫌が直っていたような・・・。赤ん坊に厚着させたので体温調整ができなかっただけかも。

その騒ぎのおかげで、火曜日に思っていた「景色の良いところへ出かける計画」はポシャった。昨晩遅くまでパソコンいじりをしていて疲れていたし、遊びに行くお金もないしで、結局、一日じゅう家にこもっていた。中田章「早春賦」のピアノ譜を作ってみた。この歌はこのシーズンだけが旬だからね。よく、秋にはロマンチックというかセンチメンタルになるものだというけど、早春のこの時期のほうがよほどセンチメンタルな気持ちになると、俺は思う。

名曲でもあり、著作権の保護期間が過ぎていることもあって、「早春賦」のMIDIファイルを公開しているサイトは何ヶ所もある。なかでも、 Reinmusik というサイトの作品が (映像も含めて) きれいだと思う。


2005年2月26日土曜日

四月には、娘が幼稚園のプレ保育から正規のクラスに進むので、きょうは入園説明会があった。妻子が幼稚園で話を聞いている間、俺は久しぶりに三番町ガーデンプレイスカフェでコーヒーを飲んで待っていた。

コナミの「キーボードマニア」コントローラをいじりたくて、いま、USBについての技術解説本 (鈴木・五十嵐『最新技術解説 入門USB』) を図書館から借りて読んでいるのだけど、書いてあることがなかなか頭に入ってこない。なんでだろう、俺の頭が悪いのかな、と思っていたが、待ち時間に落ち着いて読んでみて気がついた。要するに、文章がものすごく下手なのだ。だがそう割り切って読めば、わからないことはない。メカニズムにまで立ち入ってシロート向けに書いてくれている手頃な本がなかなか見当たらないので、いくら情報が古くて文章がヘタクソでも、この本はなかなか貴重だ。


2005年2月25日金曜日

1月20日の日記に書いたとおり、職場では PowerMac G4 (QuickSilver) にエプソンの PM-A900 をつないで共同のパソコンルームに置き、プリントサーバにしている。実際には、俺のフロアで自分の机にプリンタを持っていなかったのは俺だけだったので、Mac OS X 以外のクライアントで印刷できるように設定する必要に迫られることもなかったのだけど、今日ようやく、Windowsマシンからのプリントのしかたがわかった。そこで、同じ手順で、自宅の Blue&White G3 につないだ PIXUS 6500i でのプリントの設定をしてみた。LAN 上の Mac OS X マシンに接続したプリンタであればどれも同じ要領で Windows マシンからプリントできるはずだ。

☆ Mac OS X マシン (プリントサーバ) 側の作業 (管理者権限が必要)

(1) まず /etc/cups/cupsd.conf ファイルを編集して LAN からのアクセスを許可する

(2) CUPS を再起動するため、ターミナルのコマンドラインから
 sudo /System/Library/StartupItems/PrintingServices/PrintingServices restart
と入力する (またはマシンを再起動する)

☆ Windowsマシン (クライアント) 側の作業 (Mac OS X の Windows 共有 に接続できる環境が必要)

(3) Adobe のホームページから、PostScript プリンタドライバ (なるべく新しいやつ) をダウンロードする

(4) ダウンロードしたプリンタドライバのセットアップウィザードで、ネットワークプリンタとしてMac OS X のプリンタを選択する

これで、Windows マシンから Mac OS X のプリントシステムにプリントジョブを送信できるようになる。ただし、このデフォルトの設定では、Generic PostScript Printer というプリンタ設定になるため、モノクロかグレースケールしか印刷できない。そこで、

☆カラーで印刷するための手順

(5) Adobe の Windows 向け PPD ファイルのページ へ行って、「Adobe 製プリンタ用 PPD ファイル」を (ファイル名は adobe.exe) ダウンロードし、適当な場所へ解凍する

(6) 解凍されたファイルのひとつ、 ADISTILL.PPD (Adobe Distiller用の PPD ファイル) を見つけ、C:\Windows\System へコピーする

(7) さきほどの ステップ (4) のところへ戻り、デフォルトの PPD ファイルの代わりに ADISTILL.PPD を使うように設定する。

これで一応はカラー印刷ができるようになる。

以上の手順は 職場の Windows XP マシンと自宅の Windows 98 で試した。ただし、カラー化の部分は時間の都合で自宅だけしか確認していない。 Windows XP に含まれる PPD ファイルのバージョンによっては、デフォルトでカラー印刷可能かもしれない。それはまた週明けに確認。また、Windows 98 でも、カラーPostScript プリンタ用の標準的な PPD ファイルがあれば、そちらを使うほうがもちろんいいのだけど。今日のところはひとまず実験終了。

これだけのことをするのに、マイケル・スウィートの CUPS 解説本 を片手に、あっちの部屋とこっちの部屋を何往復もしたり、/etc/cups/cupsd.conf や関連ファイルを Vi エディタでごちゃごちゃひねくり回したり、 /usr/sbin/cupsd を何度も再起動したり、ルータがハングして慌てたり、午後いっぱいかかって、かなりがんばった。なにしろ、スウィート本にも Mac OS X のヘルプにも Windows のヘルプにも 「Windows には PostScript プリンタとして登録すべし」という最重要ポイントが書いてなかった。いや、書いてあるのかもしれないが、とにかく見つけられず、自力で発見するのに半日かかったというわけだ。最近では、Windows と Mac の混在 LAN 環境についてのマニュアル本がいくつも出ているから、そういうのを最初に調べるべきだったのかも。


2005年2月23日水曜日

Quadra 650 の NetBSD を使うにしても、GNU bash も Perl も入っていない。Xserver が 白黒二値で VGA サイズなのもウィンドウマネージャが twm だけなのも Emacs がないのも我慢できるけど (ってか Emacsは入れればいいのだけど)、 シェルは bash でないとやってられない。というわけで、bash-3.0 の tarボールをダウンロードしてインストール。しかしなにせ 68040/33MHz だから、コンパイルにどえらい時間がかかる。 それが済んだら、次には Perl のインストールが待っている。こちらは bash の比ではなく時間がかかるはずだ。しかし、それよりなにより、いちばん問題なのは、マシンの設置場所だな・・・

夜、帰宅したあと、ちょっとだけ目がかゆかった。いよいよ花粉のシーズンかな。


2005年2月22日火曜日

このところ見るものといえば、パソコンの画面か本の紙面ばかり。ずいぶんと目には酷なことをしている。そう思って、帰り道は努めて遠くの景色を見るようにした。次の週末あたり、どこかへのんびりと景色を見にいこうかな。それから、当分のあいだ禁酒することにした。もともと強くないのに最近酒量が増えていたから、ちょっと肝臓を休ませないと。

昨日あのようなことを書いたら、今日またパソコンが一台届いた。PowerBook G3/233MHz、いわゆる Wallstreet だ。昨年めでたく嫁に行ったネットな友人Kから譲り受けたもの。プリインストールのOSは 8.5 だが、9.2.2 のインストールもできるし、ということは少なくとも Jaguar (Mac OS X 10.2) での起動もできる (Drive 10 の CD-ROMで確認済み)。しかしなにせ G3/233MHz では MacOS X で使う気にはならない。iMac 以前のモデルらしく、取り外し可能 ZIPドライブとか IrDA とか SCSI とか ADB とか RS-422A とか、レガシーインターフェイス満載。そういう機材をほとんど処分してしまったのが悔やまれる。たとえばの話、USB インターフェイスの PC カードで、MacOS 9で使えるものが世の中にあればいいのだけど。だが、ありがたいことに WLI-PCM-L11 での無線 LAN 接続はできた (ドライバは どこかで 手に入るから、ORINOCO, 802.11b, MacOS などをキーワードに Google 検索してみてください。)。これで、ただちにお蔵入りという最悪の事態は避けられる。


2005年2月21日月曜日

ときおり雪のちらつく寒い日。体調もすぐれない。困ったもんだ。

うちには、兄夫婦から譲り受けた Macintosh Quadra 650 がある。いま、これに NetBSD をインストールしているところ。何度かデフォルトのままで実行して失敗したが、その理由は、インストール用システムに、インストール先のファイルシステムが正しくマウントされないことにあるようだった。いろいろ試行錯誤のすえ、正しい(と思われる)インストール方法を見つけた。パーティションとディスクラベルの設定をしたあと、シェルを起動し、 newfs コマンドを実行してインストール先ファイルシステムを構築、さらにそのファイルシステムを /targetroot に手動でマウントしてから、インストールを再実行すると、どうやらうまくいくようだ。・・・要するにインストーラのバグなのね。

気がついてみると、うちにはずいぶんたくさんのパソコンがある。PowerBook G4、DynaBook、VAIOノート、Mebiusノート、Quadra 650、Aptiva、PowerMac G3、iMac DV Special Edition、マオウくん (元ジャンクPC)。以上 9台に、あとこれまた元ジャンクで組み立てれば稼働するはずのエンヤくんと、パソコンとは言えないかもしれない Mobile Gear がある。このうち、新品で買ったのはたったの3台 (PowerMac G3, VAIOノート, PowerBook G4) で、あとは他所で廃棄処分になったものをもらったり中古を安く買ってきたりしたものだ。PCリサイクルというか、むしろPCの墓場だね、うちは。


2005年2月20日日曜日

明日が発表会の代休で幼稚園がお休みなので、妻は昨晩から明日にかけて子供たちを連れて帰省するつもりでいた。それで、船に乗っている間の娘の気晴らしにと、ポータブルDVDプレーヤを買った。結局、息子の熱で帰省は延期になったし、DVDプレーヤは今朝になってようやく届いた。郵便局へ行く用事があったので朝のうちに出かけたついでに、紀伊国屋の5階に寄り、ディズニーの『眠れる森の美女』のDVDを、娘に買ってやった。

昼食前、妻と娘がDVDを観ている間に、一人で散歩に出てみた。澄み渡ったいい天気だったが、風が強く、寒い。


2005年2月19日土曜日

それで、息子の医者と娘の発表会をどうしたかと言うと、4人で幼稚園に行き、娘 (+みろり) の出番が終わるまで、俺と息子は別室で待たせてもらった。それで、出番の終わったみろりが息子を連れて医者に行ったあと、俺が娘に付き添った。娘は、自分の出番が終わるともう会場には用がなくなった様子で、「ももぐみさん」の部屋で数人の友達と遊んでいた。両親ともがそういう、よく言えばマイペースだが悪く言えば協調性のない奴なので、まあそれは仕方がない。ただ、発表会後に配られたペロペロキャンディーを、「お祈り」の済まないうちに娘だけがさっさと舐めはじめて、お友達にたしなめられていたのが、お母さんたちの見守る中でのことだったこともあって、ちょっと恥ずかしかった。


2005年2月18日金曜日

明日は娘が幼稚園で初めての発表会に出ようという記念すべき時なのに、けさ、息子が熱を出した。子供というのは敏感なものだ。明日の朝、みろりは娘と一緒にステージで「あひるの行列よちよちよち♪」をやるので、俺が息子を医者に連れて行かなくちゃならん。しかし、病気の息子が母乳なしで半日はもたないから、医者が終わったらすぐに俺とみろりが交代して、俺が幼稚園に行き、みろりが息子を連れて家に帰る、と、とりあえずの作戦を練った。さてどうなることやら。

iMac がどうしても安定しないので、それなりに安定して動いている PC (通称マオウくん) をみろり常用のパソコンとして提供し、iMac を俺が引き取ることにした。この iMac は、出荷時にインストールされていたバージョンのOS以外ではテコでも動いてやるもんか、という態度のようだ。仕方がないので、ハードウェア構成を元に戻し、リカバリCDで Mac OS 9.0.4 に戻し、MIDIGraphy と Virtual Sound Canvas 3.0 と OMS という懐かしいソフトウェアを入れて、MIDI専用機として使うことにした。PC/AT 互換機をみろりに譲ってしまって、俺の Windows の (ハッキングの) 練習や「てなさく世界」の EZweb対応はどうなるのか、というと、大丈夫。実は、これも HARD・OFF の 500円ジャンクだった通称エンヤくん (昨年5月23日前後の日記参照) をはじめ、 PC/AT 互換機は他にも何台かあるのだった。


2005年2月17日木曜日

Mac OS X と違って Windows系OS には開発環境は無料ではついてこないが、世の中を見回せば、

☆ActiveBasic
☆Borland C++ Compiler 5.5
☆Cygwin
☆NASM+ALINK
☆SharpDevelop

などなど、Windowsアプリケーションを構築できるフリーの開発環境がいくつかある。そんなわけで、Win32API の勉強もしてみる価値があるわけだ。CQ出版社から『Win32API 完璧マスタ』という本が出ているし、WinHelp形式のAPIリファレンスも (たとえばこのリンク先から) 無料で手に入る。

で、この『Win32API完璧マスタ』というタイトルなんだけど、

技術畑の人たちには、カタカナ言葉の最後の長音記号を略す習慣がある。「コンピューター → コンピュータ」とか「メモリー → メモリ」とかね。だからといって、「熟達する」という意味の「マスター」を「マスタ」と言うのはちょっと変な感じがする。本当にこれで《オッケ》なのだろうか。とすると、珈琲は「コーヒ」、猿は「モンキ」、路上ライブで若者が弾くのは「ギタ」、野球をするときも「ピッチャ」「キャッチャ」「バッタ」というほうが《ベタ》なのかしらん?


2005年2月16日水曜日

『論理哲学論考』の頃のウィトゲンシュタインは、案外、『純粋理性批判』のカントに近い所に立っていたのかもしれないな。もっとも、俺は両方ともまだちゃんとは読んでいないので、これはあくまで漠然とした考えにすぎない。いや、ちゃんと読まないとなあ。

仕事帰りに高島屋の前を通ったら、椿神社からの臨時バスが市駅前バスターミナルに着くところだった。去年も書いたけど、椿まつりのころは本当に暖かくなる。ただし、しばらくすると必ず、また寒さがいったん戻ってくる。いずれにしても、春はもう近い。


2005年2月15日火曜日

酒は毎晩忘れずに飲むのに、なんで薬は忘れるんだろうね。バカにつける薬を昨晩飲み忘れたせいか、きょうは一日体調がすぐれなかった。椅子から立ち上がるだけで頭がクラクラする。去年くらいまでは薬を飲み忘れても二日くらいはもったのに、最近は翌日がもうだめだ。おまけに雨で、膝が痛む。いやあ、今日は一日ほんとうにしんどかった。

医者にいって薬をもらったあと、市民コンサート事務局へ。機関誌の仕事なのだが、このところどうにも気持ちがそちらに向かず、自分の担当部分にまったく手をつけていない。どうにか表紙だけはでっち上げてきたけどね。明後日の仕上げ作業には間に合わせなくちゃ。


2005年2月14日月曜日

バレンタインデーだ。以前からのこのページの読者なら、こういう日に俺が言いそうなことくらい見当がついているもんね、と思っているかもしれないけど、俺としては、女性から何かもらえるとしたら、チョコでも何でも大変ウレシイ。お酒とか食事の誘いならもっとうれしい。とかなんとか言っても、たいていは、何ももらえない。今年は、妻がけっこう高級そうな粒チョコレートを一粒くれた。ありがとう。あとでパッケージを見たら、四粒入りみたいだった。残り三粒は妻と娘の口に入ったに違いない。以上、この話題はオシマイ。

FreeBSD が稼働している DynaBook のUSBポートに、同じ日に買って来た ジャンク扱いの コナミ「キーボードマニア」のコントローラを接続すると、ヒューマンインターフェイスデバイス /dev/uhid0 と認識されて読み出し可能な状態になり、コントローラのキー操作がどういうデータ出力を引き起こしているか、その動作が丸見えになった。FreeBSDの 汎用USBドライバを介して見ているので、これだけで即断はできないが、たいへんわかりやすい形式のデータを吐き出しているようなので、Windows用ドライバの開発も夢ではないと思われた。もう少し解析が進んだらどこかでレポートを公開しよう。


2005年2月13日日曜日

朝、天気がよかったので、久々に四人で散歩に行けたらいいなと思った。そういうつもりで「いま美術館ってどんなことやってるんかなあ」と妻に話しかけた。妻は「あ〜【娘】ちゃんの靴下を買い足さないと」と、買い物に行きたい様子。それなら銀天街かフジグランあたりが距離的にも散歩に適しているし、車でいくならダイエーでもいい。いつもならそのへんで丸く収まる話なのだが、ダイエーにいこうと車に乗り込んだところで、ドライブ衝動をリリースしてしまった妻が「いっそのこと無意味に遠い所まで買い物に行こう」と提案。俺は「それじゃあ大洲のアクトピア、いや、南極の昭和基地まで」と言ったのだが(嘘)、妻が今治に評判のケーキ屋さんがあるのを思い出した。

それで、海沿いの旧国道を今治へ向かってドライブとなった。途中、粟井の《クラブハウス》で昼食。海を見渡す窓側の席で気分よく食事してから、高坂は閉店したけどここは生き残ってほしいねえなどと語り合いつつドライブを続けるうちに今治に着いたが、さて、目標のケーキ屋さんはどこなんだ。

店の名前は《アーリーブルーメール》だかなんだかで、カナさんによるといつもお客さんがいっぱいなんだという評判で、楽天市場のサイトのなんちゃらいうページに載っている、というのが、妻の持っている情報のすべてだ。「楽天市場のここを見たらわかる」という記憶のしかたは、たとえば仕事の情報を一時的に頭に入れておくならそれで十分だが、ドライブのときには役に立たない。「オレンジのシフォンケーキの懸賞に応募したけど、ハズレた」というデータも意味がない。なにより、名前がうろ覚えだったので、カーナビの登録情報を検索することもできない。さあ困った。仕方がないので、明屋書店今治本店に乗り付け、俺が店内のタウン情報ムックを確認。店の名前は《cafe Early Bloomer》(カフェ・アーリーブルーメル) だった。電話番号もわかったのでカーナビのデータを検索したが、登録されていない。新しい店らしい。結局、お店に電話して場所を確認したのだった。

ケーキを持ってシュンヤくんの家に遊びに行き、シュンヤくんのパパの働くお店に洗車をしてもらいに行き、充実した休日を過ごしたのだけど、靴下は買わなかった。谷町のユニクロの前を往復二回も通ったのにねえ。

まるきり話は変わるけど、DynaBook Satellite 300CDS に FreeBSD を入れて X Window System を使うために誂えた Xmodmap ファイルをここへ置いておきます


2005年2月12日土曜日

先日 HARD・OFF で買ったジャンク扱いの Dynabook Satellite 300CDS には、ひとまず FreeBSD (5.3-Release) を入れて使ってみることにした。俺が昨晩インストールしたときには、 X11 の設定ファイルがなぜかまるきり生成されなかった。しかし多少の試行錯誤と文献あさりの結果、必要最小限の設定はできた。似たような目に遭っているひとの参考に、設定ファイル (xorg.conf) のコピーをここへ置いとくけど、案外俺がインストールのときにヘマをして X の設定ができてなかっただけのことかも。ウィンドウマネージャとしては twm しか入れていなかったので、Oroborus をコンパイルしようとしたら、Autoconf や Automake が必要なので、Libtool と三点セットでインストールすることにした。ところがこいつら、コンパイルはすぐに終わるのに、 make check でセルフテストを起動すると、それがやたら時間をくう。今晩中に Oroborus のコンパイルにかかれるかどうか・・・

朝のうち、市民コンサートの「創立50周年を祝う会」実行委員会。午後は少し昼寝をして少しピアノを弾いた。夜は吹奏楽の練習。紅茶マンが遊びに来てくれたが、なにせ連休の中日だもので、人がたいへん少なかった。とくに、ユーフォニアムが一本もなかったので、テナサクとしてはちょっとやりにくかったが、いい練習にはなった。


2005年2月11日金曜日/建国記念日

ばうの eMac にメモリを増設しに行った。先日某所でジャンク扱いの 128MB PC100 DIMM を二枚買ったら見事に正常動作したので使うことにしたが、どうしても一枚余る。そこで、Windows PC から PC133 DIMM を抜いてその代わりにこれを挿し、PC133 のほうをメモリ不足で苦しんでいるばうの eMac に回してやることにしたのだ。増設したといっても合計 256MB だから焼け石に水かとも思ったけど、それなりに効果があったようで、よかったよかった。

それはよかったのだけど、帰宅してから、つまらないミスで大事な機材をひとつオシャカにしてしまった。ここに詳細は書けないが、定格19ボルトのところへ30ボルトかけたら、そりゃ壊れるわ。一転してブルーな一日の終わりとなった。


2005年2月10日木曜日

市民コンサート運営委員会。聞くところによると、いま事務局が入居しているビルは、大正時代に建てられた、松山で一番古いビルディングなのだそうだ。俺はこういう古びた雰囲気がわりかし好きなのだが、さすがに老朽化も著しく、このたび取り壊されることになった。そこで、二百メートルくらい西に行ったあたりの建物の一階の、もと八百屋だったという区画を借りて移転することが決まった。三月の初めに事務所開きだ。いまよりかなり広くなるので、ぜひ来るのが楽しくなるような事務所にして、会員同士の交流ができるような場にしたいものだ。

Windows 98 あるいは Me のスクリーンセーバーとして、「3D飛行物体(OpenGL)」というのがシステム標準で用意されている。こいつの設定パネルで「テクスチャフラグ」というのを選ぶと、任意の BMP イメージを旗のようにはためかせて飛ばすことができる。それで、今現在、うちの PC のスクリーンセーバーは下の図のようになっている。

やる気のないスクリーンセーバー

以前に紹介した、あの「やるきのないあひる」だ。これが PC のモニターにヒラヒラと漂っていると、いかにも「だらだらしてま〜す♪」というムードで、スクリーンセーバーにはぴったりだと思うんだが。


2005年2月9日水曜日

今月3日に書いた話の続き。

まだほんのちょっと試しただけだが、 NASM と ALINK を Mac OS X 上でコンパイルし、 ALINK と同じサイトで公開されている win32.lib と組み合わせて使うと、Windows 上で実行可能なプログラムを作ることができそうだ。ただし、ALINK のコードにはほんの少し手直しが必要だ。足りない関数を補い、Makefile をつけ加えたソースファイルを ここへ置いておく から、興味のある人は試してみてくださいな。いっぽう、NASM は 変更なしで ./configure && make all でビルドできる。

とは言うものの、俺にはまだ本格的な Win32 プログラミングはできないので、今回試したのは次のような Hello world プログラムだけだ。もっと大規模なプログラムでは予期せぬ不具合が出るかもしれない。

; --- hellowin.asm (A Win32 version of "Hello world") ---
; To build, 
; 1) nasm -f obj -o hellowin.obj hellowin.asm
; 2) alink win32.lib hellowin.obj -oPE -o hellowin.exe
; You need win32.lib (cf: http://alink.sourceforge.net/download.html)
; ----------------
extern MessageBoxA
bits 32
; ----------------
section.code
..start:
       xor   eax, eax
       push  eax
       mov   eax, TITLE
       push  eax
       mov   eax, GREETINGS
       push  eax
       xor   eax, eax
       push  eax
       call  MessageBoxA
       ret
; ----------------
section.data
TITLE     db "My Program", 0
GREETINGS db "Hello world!", 0x0D, 0x0A, 0

このプログラムを Mac OS X (PowerBook G4) 上でビルドし、生成されたプログラムをWindows パソコンにコピーしてダブルクリックで起動。結果は次のようになった。一応、ちゃんと動いている。

実行結果 (PNGイメージ)

たったこれだけのことではあるが、なにせ Mac OS X 上で Windows のプログラムが書けるというのは面白いものだ。俺は長年 Mac を使っているくせにに MC68000 や PowerPC の機械語についてはまったく知らず、その一方で、インテル 8086 の機械語 (というかニモニック) は、若い頃に PC-9801 シリーズをいじり倒したおかげで、いまだに覚えている。i386以降に導入された32ビットレジスタとかプロテクトモードのことはよくわからないが、それでも PowerPC の RISC アーキテクチャをイチから勉強するよりはハードルが低そうだ。


2005年2月8日火曜日

最近、きまって夕方の4時頃になると眠気が襲ってくる。そうなるとまったく仕事にならない。子供が寝静まってから本領発揮でパソコンいじりをする夜更かしの生活が祟っている。そういうのは、自分ではいくらがんばっているつもりでも、どうせ長続きはしない。もう若くはないし、無理の効く身体ではないのだから、本当にやりたいことがあるなら、きちんと生活に組み込んで健康的なサイクルを維持しながら継続できるようにしなくては・・・


2005年2月7日月曜日

外付け FireWire ドライブから起動するようにしてからは、iMac はそれなりに安定して動いている。先日までどうしようもなく不安定だった理由を推測するに、ひとつしかない IDE バスに ATA ハードディスクドライブと ATAPI DVD-ROM ドライブを積んでいるせいなのではないだろうか。普通の PC や Macintosh には IDE バスが二つある。プライマリ(第1) IDE バスに ATA のハードディスクドライブ、セカンダリ (第2) IDE バスに ATAPI のリムーバブルディスクドライブを接続するというのが標準的な構成になっている。ひとつの IDE バスにハードディスクと CD-ROM ドライブを接続するというのは、やってできないことはないが、システムを不安定にするからできれば避けるように、と言われているやり方だ。iMac の不調の真相がそういうことだったのなら、外付けドライブをこれからも使うことにして、場所ふさぎでトラブルの元になる内蔵ハードディスクはさっさと取り外してしまおう。内蔵ドライブを取り出して FireWire 接続の外付けドライブ用ケースをかぶせ、 iMac 専用の起動ディスクを作ればよさそうだ。


2005年2月6日日曜日

お昼前にダイエーへ行った。 ダイニングに置いたカラーボックスの天板が割れているので買い替える、というのが最大の目的。俺は朝飯を抜いてしまったので、ひとまず一階の軽食コーナーへ直行。かもとり権兵衛のAセットを食う。買ったものは、麦茶をわかすヤカン、ドア付きカラーボックス、セラミックの包丁、カッティングボード (って何だよ。「まな板」と言えマナイタと。)京セラ製の包丁は、見た目はおもちゃみたいだが、よく切れる。

午後。妻と娘が蒸しパンを作った。ガリクソンが《ミート》を借りて練習するというので、蒸しパンの差し入れにいく。

冷蔵庫横の素敵なスキマ

夜になってから、ドア付きカラーボックスの組み立てと食器棚の配置換え。食器の使用頻度を考えて整理すると、ごちゃごちゃだった食器棚がすっきり。古いカラーボックスを撤去した後に発生した冷蔵庫横のスキマ (写真参照) をみて、娘はさっそくお気に入りのミニテーブルと折りたたみイスと鏡とおもちゃ入りバケツをもって「お引っ越し」してきた。普段のんびりしているのに、こういうときは素早いのね。食器の整理なんて、娘がおもしろがって手を出そうとしていかんので、俺たちが作業している間、娘にはビデオでも見ていてもらうことにした。本人のリクエストにより『千と千尋の神隠し』なのだが、やっぱり途中で怖くなったらしい。 (→2004年11月3日/2004年12月12日) 今回は、千尋が傷ついたハクを助けるために湯婆々の部屋へ上ろうとするあたりまで見た。きっと次には最後まで見れるだろう。


2005年2月5日土曜日

このところ睡眠不足気味だな。

午後、市民コンサート総会。

吹奏楽の練習。『ラフーン』の途中で音が出なくなる場面が何度も発生。暖房が効きすぎるので唇が乾いたせいか、いや、薄いオーケストレーションのピアニッシモで静かに入るということを意識しすぎて固くなっていたせいだろう。神経質になったからといって、それで普段より上手に演奏できるわけではないのだから、いまの時点ではもっと大きく構えていたほうがいいのだろうな。

練習の後、久米の《晴れ曇》でしゃぶしゃぶを食う。参加者は、ガリ・マゲー・むむりく・へにょ・バッスィー・肉Z・ヒゲ。楽しかったのだが、なにせ睡眠不足だったので、俺は話の途中で眠ってしまっていた。


2005年2月4日金曜日

先日 (1月31日) に HARD・OFF で「キーボードマニア」のコントローラを買ったと言ったけど、実は同時にもう一個掘り出し物があった。ジャンク扱いの東芝 DynaBook Satellite 300CDS/2.1 が 2,100円だ。ジャンクとはいってもなかなかの美品だった。しかし、システムリカバリ用のCD-ROMやACアダプタがない。それに、いまどき Pentium MMX166MHz のパソコンは使い物にならんという理由で、ジャンク扱いになったのだろう。目的によっては使えるはずだと思って買ってきたが、AC アダプタだけは別に調達しないといけない。妻に頼んでヤフオクで探してもらった。これは送料とあわせて 3,950円した。 あわせて 6,050円だ。まあそんなもんでしょ。

DynaBook Satellite 300CDS

それで、きょうACアダプタが届いた。起動してみる。ハードディスク (2GB) はもちろんきれいに消去されている。何かインストールしようとなったときに、CD-ROM ドライブも フロッピードライブもあるから、妻の VAIO くんや先日非業の最期を遂げた VersaPro よりもそのへんは扱いやすい。拡張メモリスロットやハードディスクベイにアクセスしやすく、メンテナンス性もよい。液晶画面だけは、すこしくたびれて映りが悪くなっている。RAM は 64MB あった。拡張メモリスロットに入っていた 32MB を外し、余っていた (廃棄した古い iBook から取り出した) SO-DIMM 128MB を挿したが認識しない。そりゃまあ、仕様では 64MB挿して 96MB が最大だというからな。メーカーのWebサイトでいろいろ情報を収集し、BIOSもアップデートした。さて、何に使おうか。Gentoo Linux LiveCDはだめだったが KNOPPIX 3.3 では起動したから、Linux を入れるという手もあるが・・・。


2005年2月3日木曜日

Amazon.co.jpマーケットプレイスに、昨晩久々に27冊の古本を出品した。そしたら、一夜にして4冊が売れた。ありがたいことだ。

節分にちなんで、ダイエー南松山店ではきょう10メートルもある長ーい太巻きを巻く実演販売をしていたそうだ。丸かぶり不可能。

x86 CPU向けのアセンブラである NASM は Mac OS X 上で変更なしでコンパイルでき、PC/AT 互換機向けのバイナリファイルを吐くクロスアセンブラとして機能する。そのことは昨年のうちにきちんと検証してあった。じゃあついでに ALINK も Mac 上で使えないかと、バカなことを考えた。一応コンパイルは通るのだが、Mac OS X の Developer Tools とともにインストールされる標準 C ライブラリには、stricmp とか strupr という関数が定義されていないので、リンクの段階でエラーとなる。 stricmp は 大文字小文字の区別を無視した上で文字列を比較する関数、 strupr は文字列中の英字をすべて大文字に変換する関数であるらしい。その他に _strdup という未定義関数があるが、これは strdup としか思えない。そいつらを別に用意すれば、ALINK がビルドできるということになる。Mac上で動く DOS/Windows 用のリンカ ができるかもしれない。まあ、できてどーするってなものではあるが、ひとつやってみましょう。


2005年2月2日水曜日

息子はBCGの接種を受けたので風呂に入れない。みろりが娘と一緒に風呂に入っている間、俺が息子を抱っこしながら、Macに向かって、Amazonマーケットプレイスへの出品処理などをしていた。ところが息子がずいぶんと勢いよく泣くので、これはおむつが濡れてるのかな、と思いチェックしてみた。確かに少し湿っているが、普段はこれくらいで大泣きすることはない。妙だなと思いながら、服を直しにかかったら、上着の股のところのスナップの位置が合わない。みろりが着せたとき、一個ずらしてとめていたのだった。それを直してやったら、息子はケロリと泣き止んだ。

風呂から上がってきたみろりにその話をして、「首元が窮屈だと言って泣いていたと解釈するのが妥当かもしれないけど、俺としては、スナップ留め違えてるから直してくれーと息子が訴えていた、という解釈をとりたい」「あたしも賛成!」などと、息子が話ができないのをいいことに勝手なことを語り合った。ところが、しばらくして、着替えをさせようとしたみろりが、「あれ、てなぴょー、スナップ直ってないよー」という。そんなはずはないぞと思いながらよく見ると、上着は俺が直したが、下のコットンのベビー服のスナップもずれていた。それには気づかなかった。ひょっとして、さっきの泣きは「ふぇ〜ん情けないよ〜」って意味か?

カラープリンタが修理から戻ってきた。今度からは目詰まりしないように、ちゃんと使ってやるからな。それと、ひさしぶりに、自分用ブックマーク集を更新したぞ・・・って、あくまで自分用だから、ここに書くことないんだけど。

最近非常に気になっていること。ソフトウェア設計論とか人工知能論とかにおいて、アリストテレス以来の形而上学的伝統をもつ用語が多用されている。たとえば、クラス(類)、エンティティ(実体)、オブジェクト(対象)、エレメント(要素)、プロパティ(属性)、など。これは単に、何であれ多少なりとも抽象的なことを考えるにはこうした用語を避けて通れないというだけのことなのだろうか。それとも、コンピュータのソフトウエアについて考えることと、アリストテレスの言う《第一存在》について考えることの間に、何か共通するものがあるということなのだろうか。そういえば、「オントロジー工学」とか「フォーマル・オントロジー」とか、存在論的な発想をソフトウェア工学に応用しようという試みがあるようだ。コンピュータのプログラムについて考察するということは、「考えるということについて考えること」という側面をどうしても持つだろうから、ソフトウェア設計論と形而上学は、常識的には正反対のようだが、案外と近親関係にあるのかもしれない。


2005年2月1日火曜日

昨晩は木枯らしが唸り、みぞれが降っていた。そのせいで今朝はあたりが氷だらけ。しかも、日中もちらちらと雪が舞い、松山にしては珍しいくらいの寒さだった。昼間も氷柱を下げたまま走っている車を見かけたし、夜7時過ぎに歩道橋を渡ったら、階段に氷が張っていた。一日じゅう氷が溶けなかったらしい。いつもなら仕事帰りの人や飲みに出かける人でにぎわいを見せる宵の口の大街道も、寒さのせいか人が少なかった。