て日


2005年 3月分


2005年3月31日木曜日

この一週間山口県に帰省していた妻子が帰ってきた。夕食は茜屋。楽団の連中のこの店の評価は芳しくなかったようだが、それはまあ好きずきということで・・・とかなんとか言っているうちに3月も終わり。明日から新年度。新生活を始める人も旧生活(?)を続ける人も、体を大切にしてがんばりましょう。


2005年3月30日水曜日

いや、本当に春らしくなってきた。花粉もそれほど気にならなくなったが、どうしたものか、鼻水だけはなかなか止まらない。

月曜日に引き続き、ガリクソンにつきあって小一時間ほどサックスの練習。だが、夕食前の空腹時で、しかも風呂上がりだったから、ちょっとキツかった。

2台目のプレステ1の電源基板を予定通り修理した。ちゃんと動くようになった。さて、捨てられているのがもったいないという気持ちと、ハードウェアの中の様子を見てみたいという好奇心から拾ってきたのだが、俺はそもそもあまりゲームをしないから、直ったところで使うつもりがない。子供も小さいから家にあっても誰も使わない。それにそもそも同じものが二つあっても仕方がない。誰かもらってくれないかな。

うーむ。パソコンだったら、ソフトを入れ替えて好きなように使えると思っただけでなんか刺激的で、何台でも欲しくなってしまうところなんだけれど、他の人が作ったゲームソフトをただ買ってきてただ遊ぶだけの使い方しかできないゲーム専用機というのは、そこにどんな高度なテクノロジーが投入されていようと、発展性が感じられないから、俺にはつまらないな。ゲームボーイアドバンスだけは、ある方法で自分でソフトが作れるというので、身銭を切って実機を買ったけど、これも全然ゲームはしていないし・・・。


2005年3月29日火曜日

例のゴミ置き場に行ったら、不法投棄がパワーアップしていた。もう、冷蔵庫やらベッドやら、置き放題。まるで《プチ夢の島》だ。またガソリン代が大幅に値上がりするというニュースも聞かれるこの時期に、こんな資源の無駄遣いしとってええんかいな。またしても、日本の将来がちょっと心配になる。粗大ゴミに覆い隠されて、お宝を掘り出すこともままならなかったけれども、少なくともプレステ1をもう一台と、ドリキャスのコントローラ (小さい液晶画面付きのリモコン状のやつ) と、プレステのソフト数枚を救出。それから、バッファロー製の外付けSCSIハードディスクユニットだが、これは自宅でかつて使っていたのと同じタイプ。中のディスク装置がATA接続で、取り出せばパソコンの内蔵ハードディスクとして再利用できる。6GBという手頃なサイズなので、もらってきた。案の定、中のデータはそのまま残っていた。すぐ消したけど。

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で、懸案のプレステ2だが、少なくともプレステ1のソフトは問題なく読む。しかしプレステ2専用のソフトはメディアがDVDのはずで、このDVD読み取りの機能が故障しやすいらしいので、近々、ソフト持っている人に頼んで試させてもらうことにする。木曜日に拾ったもうひとつのプレステ1は、機能に全然支障なく動くようだ。そして、今日拾ったほうは、例によって分解して掃除してみたところ、電源ユニットの基板が割れている。だからうっかり通電すると壊れる可能性、極端に言えば火を噴く可能性もある。たいへん危険だ。もっとも、元の持ち主が落として割れたんなら、その持ち主が動作確認のために通電しているはずだから、すでに壊れていて手遅れの可能性もある。まあいずれにせよ、割れた部分を補修しジャンパー線で導通を保証すれば一応の修理は可能なはずなので、明日にでも試してみることにする。何も手を加えずに完全動作するよりは、こっちのほうが面白いわな。


2005年3月28日月曜日

PS2二題。

とりあえず起動しそう

24日に書いたとおり、捨てられて雨に濡れていたプレステ2だったが、乾いたようなのでいったん分解して掃除することにした。それにしても、えらい汚れようだ。黄色い埃が放熱用の通風口からいっぱいに入り込んでいる。換気用のファンにもいっぱいについているところをみると、捨てられてからついたものではなさそうだ。ひょっとして黄砂かと一瞬思ったが、まさかプレステ2を室外で使うはずはないし、いったいどんな奴がどんな部屋で使っていたのやら。内部をきれいに掃除して組み立て直し、テレビに接続して通電。初期画面が表示された。電気的にイカレてはいないようだ。だが、それ以上テストしようにも、いま手元にはソフトがないし、コントローラもない。いや、コントローラは一緒に拾ったのだが、うっかり仕事場に置いてきてしまったようだ。不覚だ。プレステ2はディスクドライブが故障しやすいと、ものの本には書いてあったが、こいつはどうだろうか。近いうちに知り合いに (おーい、読んでる?) ソフトを借りてテストしてみよう。

やっとできたアダプタ

25日に書いたとおり、PS/2仕様からAT仕様へのキーボードの変換アダプタを自作しようとして悔しい思いをしたので、今日もういちど笹田無線へ。DIN5ピンプラグとminiDIN6ピン中継レセプタクルを買ってきて、再挑戦。慎重に (かつ、明るい場所で) 作業して、今度こそ、人に見せても大丈夫そうなアダプタを作ることができたので、いちびって写真を公開。しかし、ハンダ付け作業は奥が深い。いきなり応用問題に取り組んだりせずに、もう少し謙虚に、簡単な一石ラジオとかの基本的な工作からやりなおそう。そうすれば、少なくともキーボードは壊さずに済む。

同じPS2といっても、二つの話に互換性はないのだった・・・とかなんとか意味不明のことを言いつつ、話は変わる。夕方、例によって特売の食パンを買って1階の喫茶店に届けに行ったら、ガリクソンがいた。彼はちょくちょく仕事帰りにここでフルートの練習をしていくのだ。誘われるままにサックスを持っていって練習につきあう。天井が低いので残響が多い。ちょっとした演奏会にも使えそうな、いい感じの響きだ。しかし、練習にはどうかな。普段の吹奏楽の練習場とあまりにも響きが違いすぎて、俺は少し戸惑ったのだけど。いや、それはともかく、こういう具合に自分の音と向き合う練習を、俺ももう少しすべきだと思う。なので、ガリクソンがここで練習するときには、ぜひ俺にも一声かけてもらうことにしよう。


2005年3月26日土曜日

昨晩、細かい作業で目を酷使したものだから、今朝起きてまぶたが腫れ上がっていたときには驚いた。もちろん、昨晩の作業のせいとは限らない。一昨日・昨日と薬で押さえていた花粉アレルギーが一気に出たとか、まあ、いろいろな要因があるのだろう。しかし、こりゃひどい。すっかりオバケ顔だ。鏡をのぞいて「誰だこいつ。」

吹奏楽の練習。「ノヴェナ」をちょっとやって、「ラフーン」をたっぷりやって、そのあと俺はちょっとトイレに立ったので、「叙情的祭」の途中までを、はじめて合奏体の外から聴いた。中間部なんか、案外いい音で鳴っている。(俺が入ってないからだったりして。)「古城」のシロクマ・・・じゃなくてシロタマが俺にとって最大の気がかりなので、アップの時間にそこを重点的に練習していたのだけど、今日の合奏では「展覧会の絵」はやらなかった。まあ「ラフーン」に似たような雰囲気の所が何カ所かあるので、練習していたことは無駄にはならなかった。

練習後の夕食は、衣山のマール・デ・ナポリ。ピッツア・マルゲリータと地鶏のディアボラを食った。地鶏のディアボラの味つけはずいぶん辛かった。


2005年3月25日金曜日

ジャンクPC3号のために PS/2→AT キーボード変換アダプタをなんとか自作した、という話。

DIN5ピンプラグと mini DIN 6ピンコネクタ、それからケーブルが必要だ。先日笹田無線のオヤジさんから得た情報を元に、保免のトミタ電子に行ってみた。家から自転車で15分というところか。JRの線路をまたぐ陸橋の向こう岸にあるので、心臓破りの坂を登ってまた降りて、自転車で行くには大変ではあるが、近くて品揃えが豊富という点はたいへん便利。笹田無線になかったシュリンクD-Sub15ピンのコネクタもあったので、ついでに購入。

部品は簡単に手に入ったが、実作が大変だった。PS/2 用のコネクタ (mini DIN 6ピン) がなにしろ小さくて、ハンダ付け作業がとても難しい。細かい作業が長時間に及び、しまいには目がかすんできた。配線を間違えたりハンダ付けがまずかったりで、何度もやりなおしているうちに、結局コネクタをパーにしてしまった。それどころか、配線を間違えていたのに、無謀にも最初からキーボードを接続してテストしたせいで、キーボードに逆電圧をかけてしまった。おかげでテスト用 PS/2 キーボードはあえなく昇天。仕方がないので、先日ダメになったUSB変換アダプタから PS/2 コネクタを取り出して流用することで、なんとか目的どおりのアダプタを完成させた。最初からこうしときゃよかった。

なんだかんだで3時間かかった。こんなつまらないもの一個作るにしちゃ、かかった時間と払った犠牲が大きすぎる。甘く見ているとエラい目に遭うな。しかしこの程度でくじけてしまうわけにはいかない。がんばって腕を磨かなくちゃ。


2005年3月24日木曜日

最近すっかり《ジャンク屋日記》と化しているな。

なにせ引っ越しの季節である。ということは必然的に、粗大ゴミの季節、不法投棄の季節である。就職が決まったか何かで引っ越すことになり、古い情報関連機器を処分したいが、パソコンの処分はお金もかかるし面倒だし、HARD・OFFに持っていくというアイディアも出ないけど、どこぞのゴミ集積場にこっそり置き去りにすればよかろうという悪知恵だけは働く、という人がわりかしいるわけだ。それで、本日午後、ある事業所のゴミ置き場でノートパソコン1台とゲーム機2台を拾得。折からの小雨に濡れていたが、通電していない状態で雨に濡れた程度なら、自然乾燥させて掃除すれば元どおり動くようになる可能性が高い。持ち帰って、ひとまずノートパソコンを吟味。DynaBook Satellite 2510。1999年モデルだ。開いてみると、やはり内部はほとんど濡れていない。分解して水気を拭き取り、組み立てなおして、自宅の DynaBook Satellite 350 用の AC アダプタを接続して起動。CD-ROMやフロッピーのドライブにゴミが回っていることを心配していたが、ACアダプタとのコネクタの接触が悪い他には、これといって動作に問題なし。CPU:MMX266MHz/RAM:64MB/HDD4:GBだ。最新機種には及ばないが、使い道はいくらでもあるし、思いつかないなら中古品として売ることだってできる。捨てるなんてもったいないと思うんだがなあ。パソコンをゴミ置き場に捨てるような人が、ハードディスクを消去しておくなどという面倒な作業をするはずもなく、本人はもとより彼氏 (持ち主は女の子だったのだ) の名前まで判明してしまったが、それ以上他人の素性を詮索する気もないからさっさとハードディスクを消去して再利用。Linuxマシンとして使うことにしよう。

いっぽう、ゲーム機はプレステ1と2。こちらについては後日あらためてレポート。

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この写真は、ジャンクPC3号に接続するため無理矢理 AT仕様に改造された IBM製キーボード。ATキーボードは DIN 5ピンコネクタで、どこのご家庭にもある(?) MIDI のコネクタと同じだ。通常の PS/2 キーボードのケーブルの先端のプラグを切り落とし、MIDI ケーブルをしかるべき順序で結線して接ぎ木すれば、《なんちゃってATキーボード》の一丁上がりだ。ただし、もともとATキーボードとはピン配列が違う MIDI ケーブルのことだから、キーボードの信号がシールドを流れるというちょっと気持ち悪い状態になっている。とりあえずこれはテスト用にでっち上げたもので、試した結果、コネクタさえ変えれば PS/2 キーボードを流用できることがわかったので、任意の PS/2 キーボードを接続できるように変換アダプタを作ることにしよう。


2005年3月23日水曜日

PS/2→USB変換アダプタ (センチュリーのPS2W-USB) は、購入後3日目で早くも昇天。KVM 切り替え器とつないで Mac OS X で使うなどという無茶をやっているので、保証も効かない。しかたなく、ジャンクPC1号 (エンヤくん) をひとまず休眠させて、モニタを G3 くん専用に戻した。


2005年3月22日火曜日

きょう、ちょっと用があって、喜与町の笹田無線にいった。そしたら、昨年末に市駅前の松山無線が店をたたんだ理由がわかった。大阪のニノミヤが今年1月に倒産して、家電部門はすぐに立ち直ったが、パーツの外商部門の立て直しが遅れていて、笹田無線も仕入れができない状態になっているのだが、松山無線はどうも仕入れ先のニノミヤの雲行きが怪しいことを前もって知っていたのではないかと、笹田のオヤジさんは言うのだ。

ひとしきり、笹田のオヤジさんの持論を聞いた。必要なものを自分の手で作る、ものつくりの精神が、いまの日本では死に絶えているとオヤジさんは嘆くのだ。たしかにそうかもしれない。必要以上にあふれかえった工業製品に囲まれていると、もはや自分でなにか工夫しようにも、先に誰かが似たようなことを考えて商品化しているような気がしてしまうものだ。そうやって自分の手を使ってものを作らずに、買って済ませてばかりいると、自分の中の人間的に貴重な部分がどんどんダメになっていくように、俺にも感じられる。

オヤジさんは、資源を持たない日本だからこそ価値のあるものを作る科学技術で国を建てて行かないといけないのに、そういうことに見識のない文系人間ばかりが国の中枢で舵取りをしているのがマズいのだという。俺はそういう大きな視点からものを考えるのが苦手だが、小さな視点から言っても、たどり着く結論は同じだ。いわゆる「文系」の知性も感性も、究極的には言葉を操る能力だけで測られるけれども、「もの」の手応えを感じながら手を動かして何かを作ることも、知性や感性の重要なファクターには違いない。ボケ防止に手仕事がいいとか、指先の運動が子供の脳の発達を促すとかいうのもそれだ。言葉を操る能力、言葉から言葉を生み出す能力ばかりに価値をおいていると、早晩、その後生大事な「言葉」自体が、価値のない内容空疎なものになるように、俺には思われる。

最近、日本の子供たちの学力の低下が、もはや国際的にも隠しようのない事実として認定されてしまったために、文部科学省もようやく「ゆとり重視」路線を見直し「確かな学力」路線へ転換しようとしている。もはや手遅れかもしれないけれど、ものづくりの精神がふたたびこの国に根付いてくれればいいなと思う。

笹田のオヤジさんは、息子さんの中学校時代の技術の教科書を大切に手元においている。昭和55年頃だというから、俺の中学校時代とほぼ重なる。だが、見せてもらった教科書の内容は、俺の学んだものよりもはるかに内容が豊富だった。車のエンジンのメンテナンスの手順。トランジスタを使ったプッシュプル増幅器の実作など、いまでも基本の部分は変わらず通用する。いまの日本の中学校の技術・家庭科の時間にはこれほど内容豊富な授業は期待できないが、「克日」をいわば国是とする韓国では、この古い優れた教科書とほぼ同じ技術科の教科書を、現在も使っているという。そしてその韓国に、日本は技術力の面でそろそろ追い抜かれようとしているわけだ。このすばらしい教科書を、ふたたび学校の教科書として使うことはできないまでも、多くの人の目に触れるように、復刻して安価で出版できないものだろうか。

ものづくりの火を消してはならないぞ〜、と力説しつつ、話は変わる。

Pretty Little BabyAT〜♪

ジャンクPCその3。BabyAT 仕様のマザーボード、GIGABYTE製GA-586S2に、CPU (Pentium-MMX 166MHz)、CD-ROMドライブ2基(NEC PC-CD60D + HITACHI CDR-8335)、HDD (Western Digital WDAC32500, 2559.8MB)、それから2MBのDIMMがついて、宮西の HARD・OFF で315円だ。いや、これを担いで歩いて家に帰るのは大変だった。ATキーボードがない、HDD用のIDEケーブルがない、FDDを固定するステイがない、などの問題はあるが、こんなこともあろうかと (?) 先日パソコン工房で買っておいた ATI 3D Rage Pro 搭載の PCI 版ビデオカードを挿して起動チェックしたら、ちゃんと起動した。すばらしい。さっそく、足りない部品を補おう。


2005年3月21日月曜日/春分の日

目がかゆく、異物感がある。気になってしょうがない。しかも、決まって右目だけ。明らかに花粉アレルギーなのだが、それほど重症ではない。おかげで、かえって思い切った対策がとれないで、毎年この時期は、うだうだしているうちに春本番となる。疲れがたまっているので今夜も早めに寝ることにしよう。

昨日「他日を期すことにする」と書いた、MacのPS/2接続JISキーボードへの対応の話題は、Mac mini 発売をきっかけに注目されているネタでもあるらしい。ちょっと調べてみたら、Windows用USBキーボードをMacで使うというページを公開している(なんか匿名っぽい)人がいた。なんか、Ukeleleというソフトを使うらしい。公開されたXML形式のキーレイアウトをさっそく試させてもらったが、ことえりへの日本語入力ではANSI配列のままだという点と、俺が常用していたPFU製PD-210W/P (Happy Hacking Keyboard Lite 2 --- 以下HHKB) では、窓キーの扱いが特殊 (Fnキーと併用しなければならないせいで他のFn併用キーとバッティングする) という点が、ちと使いにくい。もっとも、後者は HHKB 側の事情だから、上記匿名っぽいmac_scripterさんが悪いわけではない。俺は採用しなかったが、実際にこれで助かる人も多かろう。だが俺はもうしばらくANSI配列(注)で使ってみることにする。慣れの問題もあるしな。

しかし、アップルが Mac mini 発売にあたって BYODKM (Bring your own Display, Keyboard and Mouse) と嘯いたからには、《*多くの標準的なUSBマウス、USBキーボードに対応しています。Windows用のJIS配列キーボードを使用する際、英語(ANSI)配列のキーボードと認識される場合があります。》(アップル日本語Webサイトの Mac mini ページから引用) なんてカマシてないで、早いとこまともな対応策を発表してほしいものだ。

あ、昨日書き忘れたので追加。センチュリーのPS/2→USB変換アダプタ PS2W-USB に、最近よくあるPS/2変換アダプタ付きUSBマウスを接続しても、少なくとも Blue& White G3 Mac では認識されなかった。使うなら PS/2 直結のマウスを使おう。俺の場合、サンワサプライの MA-MBHDVDY というマウスを使っている。

それと、Mac OS X 起動時のデスクトップ画像の設定が、接続しているキーボードに依存して違ってしまうのはなぜ?

(注) US配列とかASCII配列ともいうが、前者のUSは国名コードのひとつだし、後者のASCIIは文字の電信コード体系の名前で、どちらもキー配列とは直接関係にはない。日本のJISに対応する米国の規格はANSで、ANSIは規格の管理組織の名称だから、むしろANS配列というのが適切なように思う。


2005年3月20日日曜日

娘が熱を出した。昨日が幼稚園の終業式だったので、会場で風邪をもらってきたのかもしれない。妻もちょっと熱っぽいと言うし、俺も普段よりは少し体温が高い。みんな疲れ気味だが、そうも言っていられないので、とりあえず昼飯を用意しなくちゃと、昨晩のご飯の残りをおにぎりにしていたところへ、地震が来た。松山では震度2程度だったと思う。だが、震源に近く震度6を記録した博多に義弟をはじめ何人かの知人がいる。幸いみんな無事だったのはなによりのことだ。

15日に書いたとおり、CPU切り替え器 (サンワサプライのSW-KVM2CP) なるものを買ってきた。それと、キーボードとマウスを一括してひとつのUSBボートに接続するアダプタ (センチュリーのPS2W-USB) を組み合わせて、PC/AT互換機エンヤくんとBlue&White G3とを一組のマウスとキーボードとモニタで操れるようにした。切り替えて使う使用感は快適だ。PCで、スクリーンセイバーのない FreeDOS を走らせていても、モニタを Mac OS X 側に切り替えておけばCRTが焼きつく心配もない。 だが、マックにPC用のJIS配列キーボードをつないでもANSI配列でしか動作してくれない(適切なドライバがない)ので、仕方なしにANSI配列のキーボードを接続して使っている。俺は ある理由から MacintoshではANSI配列のキーボードを使わないことにしていたので、日本語入力その他、慣れないとちょっと扱いにくい。PCキーボードの窓キーとAltキーがそれぞれAppleキーボードの林檎キーとoptionキーに対応するのだが、これの位置関係が逆なもので、なおさら扱いにくい。CTRLキーの位置のことなどもあり、本当はAppleキーボードをPCで使いたいくらいだ。まあしかし、パソコン周りがすっきりするのはいいことなので、当分の間この構成で使い、JISキーボード化は他日を期すことにする。


2005年3月19日土曜日

吹奏楽の練習に行ったら、バッグに譜面台が入っていなかった。はて、忘れてきたかのかなどと考えていても仕方がないので、打楽器パートの余っているのを借りに行ったら、楽器庫に俺の譜面台があった。なんじゃ? ・・・って、先週忘れて帰ったに違いない。なにしろ先週は気力も体力もなかったからな。今週はどうかというと、気力も体力も十分ではなかったが、少なくとも暖房の効き過ぎもなく、リードも当たりだったので、苦しくはなかった。練習後のは晩飯は吉藤の「からし屋」・・・と思ったら、「マリカリクリカ」と名前を変えて山越に移転していた。メニューは以前と変わらないが、なんか店のムードがビルの地下の小ぎれいな隠れ家風になっていた。水曜日にはジャズのライブもやるらしい。ほほう。


2005年3月18日金曜日

久しぶりになか卯の牛丼を昼メシに食った(つゆダクにしてもらえばよかった。)

オライリーの『Cデスクトップリファレンス』と『Perl 5 デスクトップリファレンス』は大変重宝していて手放せない。けど、Perl のリファレンスはそろそろ改訂したほうがよいのではないか?


2005年3月16日水曜日

一昨日、吹奏楽団の掲示板にマルチ商法の勧誘と思われる書き込みがあったので速攻削除・・・と思ったら今日また来た。いちおう別人の名前で書き込んでいるが、文面が同じで、マルチ商法ならではの「紹介者ID」が同じだから、同一人物のしわざのようだ。しょうがないから、掲示板スクリプト version 2.0 を書いたときにこっそり実装しておいていままで使っていなかった「ブラックリスト機能」を使うことにする。なにしろ「マルチ商法の勧誘」は「個人攻撃」「違法行為」「カルト宗教の勧誘」と並んで「利用上の注意」ではっきり禁止しているんだからな。

楽団の掲示板といえば、先月もっと変なのが来ていた。どこの誰かは知らないが、自分は上原多香子と結婚することになっていると信じこんでいて、その計画に協力するようにあちこちの掲示板に頼み込んで回っているのだ。そりゃもちろん上原多香子と結婚したいと思うのは勝手だし、自分が上原多香子にとって何でもないのが残念だというのもわからないでもないが、その現実を受け入れないで願望にあわせて現実を曲げようとするのは、はた迷惑なことにしかならないから、やめてほしい。上原多香子くらいになると、こんなふうに妄想を膨らませる男が、この書き込みの主に限らず多いんだろう。だが、この場合はなんといっても相手はメディアの彼方の存在で、作られたイメージにイカレた奴らが勝手に空回りしているだけだから、はた迷惑ではあっても、まだしも罪は浅いのかもしれない。現実の世界で出会う生身の相手に、同じような態度で接すると、もっととんでもなく迷惑なことになる。本当に、人の心というものは難しい。


2005年3月15日火曜日

なんで今日に限って、帰宅してから目がかゆくなるのだろう・・・(謎)

いま現在この部屋には、G3くん(Mac OS X)とエンヤくん(FreeDOS) という2台のデスクトップパソコンが並んでいる。だから、ディスプレーもキーボードも2つずつ並んでいる。しかし、操作するのは俺一人で、目も手も一対ずつしかない。つまり同時に操作できるのは片方だけなのだから、実はディスプレーとキーボードとマウスが一台ずつあれば、それを切り替えながら使うことで用が足りそうだ。エンヤくんのBIOSはUSB未対応で、FreeDOSにもUSBのHIDドライバは(いまのところ)ないから、エンヤくんのキーボードはPS/2でないといけない。いっぽう、G3くんのキーボードはUSBまたはADBだ。だが、DOS/Vマシン用のUSBキーボードをつないで使えないこともないし、PS/2キーボードをUSBに変換するアダプタも持ってはいるから、VGAとPS/2の切り替えボックスを用意すればいい。なにかそういう機材を利用して、パソコン周りをもうすこしすっきりさせたいものだ。


2005年3月14日月曜日

娘のきょうの夕食のお祈り。「天にいらっしゃいます神さま、きょうは・・・(間)・・・コケた。このお祈りをイエス様の御名によって御捧げいたしますアーメン。」キリスト教系の幼稚園なものだから、「天にいらっしゃいます神様」と「このお祈りを・・・」は定型文で、間にその日のうれしかったことや気がかりなことが挟まるのだけど、ただ一言「コケた」では、神様も苦笑いしているだろうな。


2005年3月13日日曜日

ダイエー南松山店にライオン登場
やってきたライオンちゃん
無表情だが愛想は意外といい

風船を配るライオン
働くライオンちゃん
のけぞる愛娘

経営不振の評判が高いダイエーの、近々撤退するらしい南松山店に行った。しかし、そういう景気の悪い評価などどこ吹く風、若くて元気な魅力的お姉ちゃんがコカコーラの新製品「はじめ」の試飲販売をしていたし、ライオン製品の販促アトラクションで着ぐるみのライオンちゃんが風船を配っていたし、OMCカードユーザのためのガラポン抽選会もやっていた。この店には「もうすぐ撤退」を感じさせない前向きな姿勢がいつでもあふれている。俺も見習うべきだなあ。そして、娘は例によって、風船をもらえたのはうれしいが着ぐるみには恐れをなしたのだった。

シュウマイ

夕食には、妻はまたまたがんばって「蒸し焼売とキャベツのお花畑サラダ」を作った。これも、保育所の人気メニュー本 (→昨年12月3日の日記) に載っていた献立だ。育児休業中でもあり、最近は妻ががんばっておいしいものを作ってくれるので、大変うれしい。

このさいだから、この、妻の料理の虎の巻を紹介。《おかわりちょうだい--保育園の人気メニュー》(ちいさいなかま編集部/草土文化) と、その続編《続 おかわりちょうだい》だ。おすすめ。


2005年3月12日土曜日

土曜日には珍しく朝から夕方まで仕事だったので疲れていたし、自転車のタイヤがヘタレていて空気が入らないし、もー今週は吹奏楽の練習を休んだろかと思ったが、迷う余地のあるうちは行くべきだという経験の教えに従って、電車に乗って行くことにした。ホルンが5本も揃っていたとか、ナカレマソのソロの音が風邪気味だったとか、例によって俺はヘボかったとか、いろいろあるが、今回の特筆すべき事項はなんといっても、前樂長がホノカちゃんを連れて訪ねてきたことだろう。

俺は体力も気力もなかったので、練習後の夕食は欠礼してまっすぐ帰宅。家でメシ喰ってさっさと寝た。


2005年3月10日木曜日

この数日でずいぶん暖かくなった。同僚のワニさんが室蘭への出張から帰ってきた。なんかあちらとこちらで気温が20度違ったそうだ。


2005年3月9日水曜日

OAシステムプラザがPCデポと名前を変えて新装開店した。散歩のついでに行ってみたら、陳列棚が以前より高密度になっていて、なんかスーパーマーケットみたいな感じ。品揃えは以前よりよくなったが、なにしろ飾り気がない。素っ気なすぎて面白みが薄いが、置いてあるオリジナルブランドの OZZIO シリーズや中古コーナーの商品にはなかなか面白いのがあった。いや、なにも買わなかったけど。


2005年3月8日火曜日

『トランジスタ技術』4月号に、R8C/15という小さなマイコン基板と開発ツール評価版が付録としてついてきた。これで、なにか面白いことができないかな。いやしかし、昨年の5月号から『トラ技』と『インターフェイス』定期購読していたけど、はっきりいって俺には敷居が高すぎたわ。十数年前にはもう少し俺にもわかるような話題を扱っていたように思うが、いまではどちらもすっかり組み込みマイコン技術の専門誌になってしまっている。俺はもうちょっと初歩的なレベルから出発しないとなあ。


2005年3月7日月曜日

昨日に引き続きすばらしい天気。西堀端を歩くと、堀の水にカメの浮かんでいるのが見える。春になったので冬眠からさめたのだろう。だけど、まだまだ寒い日が続きそうだ。爬虫類には過ごしにくいだろうな。実際、堀を泳ぐカメは普段にもましてノロノロとゆっくり動いていて、まだ調子の出ない様子だった。

どうも風邪気味のようだ。って、カメじゃなくて、俺が。鼻をズルズル言わせながら、話は変わる。

昔の MS-DOS には dump コマンドといって、ファイルの内容を16進表示してくれるプログラムがあったはずだが、FreeDOS にはなぜか用意されていないので、自分で作ることにした。基本的な部分はできたので、これまた近いうちに公開。


2005年3月6日日曜日

先週実行できなかった「どこか景色のいいところにお出かけしよう計画」を実行に移す。妻の運転で双海町 (もうすぐ伊予市に併合するけど) へドライブ。この時期ちょっと金欠気味なので、ラメールで昼飯を食って、土手の菜の花畑で写真を撮って、潮風ふれあい公園という町営の公園で娘を遊ばせただけなのだけど、すばらしい天気に恵まれ大変楽しかった。もうちょっと暖かくなったらまた来よう。菜の花畑で撮った妻子の写真は近日中に「成長記録」に掲載。


2005年3月5日土曜日

吹奏楽の練習に自転車で行ったら、練習場についたところで楽器ケースのストラップの金具が折れた。「不吉な・・・」なんて言っている場合ではない。楽器を落としてしまうなんて、とんでもないことだ。まあ、楽器にこれといった損傷がなかったのが不幸中の幸いだ。道を走っている途中で車道に落としたりしたりした日にゃあ、おおごとになるところだった。そんなわけで、きょうの練習は、楽器のせいではないだろうけど、ちょっと調子が出なかった。

練習終了後は、皆で「茜屋」にラーメンを食いに行った。


2005年3月4日金曜日

昨日の昼休み、市民コンサート事務局から電話。「パソコンが画面の黒いうちに止まって起動せんのんよ」とのこと。どうせフロッピーディスクがささったままとか、そういうことだろうと言ったら、ディスクは何もささっていないという。仕方がないので、きょうの昼すぎに見に行ってやった。パソコンの後ろに回ってよく見たら、電源を入れるまでもなく原因がわかった。キーボードのケーブルが抜けている。これでは Windows は起動しない。画面のエラーメッセージを読む気があれば、そして少し英語がわかれば、誰でも原因がわかるはずだが、事務局のママさんたちの場合は、たとえ原因がわかっても自分でキーボードの接続ができないにちがいない。みょ〜ん。

今度は自分の家のパソコンの話。HARD・OFF宮西店のジャンクコーナーで仕入れた部品を中心に組み立てたパソコンのうち、Pentium-MMX 233 MHz の《アカネヤくん》は、現在 Windows 98 SE を入れて、妻の常用マシンになっている。最近、残った部品をかき集めて、もう一台の《エンヤくん》を組み立てた。これは無印 Pentium 166MHz で、メモリが 64MB。BIOS が古くて CD から起動せず、USBもない。ビデオアクセラレータも ISA 接続の GA-DR2/ISA だ。これで Windows というのはちょっと荷が重かろう。DynaBook 同様 FreeBSD とか、あるいは Linux という選択肢もあるが、こいつには FreeDOS を入れて使うことにする。昔とった杵柄で Turbo Pascal や Turbo C (これらはいまでは開発元のボーランドの Webサイトで無償配布されている) や NASM でプログラムを書きつつ、蒲地輝尚『はじめて読む486』 (ASCII) などで i386のプロテクトモードの扱い方とか、PCI バスのデバイスとのインターフェイスとかを勉強する、というのが目的だ。

ところで、この《エンヤくん》の他にないユニークな特徴といえば、なんといっても、「Bドライブがある」ということだろうな。


2005年3月3日木曜日

ひなまつりだというので、妻ががんばって夕食を「おひなさま寿司」にしていた。なぜか顔が妻に似ているようだが気のせいだろう。

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2005年3月2日水曜日

少々熱っぽく、頭がくらくらする。葛根湯を飲んでさっさと寝る。


2005年3月1日火曜日

市民コンサート事務局の引っ越し作業。今度の事務所は、それなりに通りに面した一階の店舗用区画12坪だ。しかし裏道だから人通りはそれほど多くなく、古びた落ち着いた雰囲気。それはいいのだが、引っ越し作業の手伝いがなかなか大変だった。机や棚をどこに置くか、ご婦人たちが大声で相談していると思ったら、実はそれぞれ自分の考えを主張するばかりで、結論を出そうとしていない。意見が衝突しているのでもなく、すれ違ってばかりで、相談になっていないのだ。誰かの言うことを聞いて作業を始めると、途中で別の人が来て別のことを言い出すので、俺は途中であほらしくなってしまったのだった。