て日々

2010年8月


2010年8月31日(火)はれ

今日でミュージックギフトカードが失効するらしい。1,500円ぶんあったので、朝のうちに「まるいレコード」に行ってみた。【息子】のお気に入りの『ウィリアム・テル序曲』の入ったCDを買うことにした。いくつかあったが、マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団のロッシーニ序曲集というのにした。最後のスイス軍が到着するところ、いつもYouTubeで聴いているやつ より少しテンポが遅いが、これくらいのほうが音の粒がはっきりして俺には好ましい。この曲のほかに 『カルメン前奏曲』 とか 『威風堂々第1番』 とかのポピュラーで景気のいいオーケストラ曲を自分の iTunes ライブラリから選んで車載用音楽CDを作った。

音楽にかんしては、【息子】にはちょっと見所がある。いつだったか、俺がYouTubeで プロコルハルムのライブの動画 を観ながら、【息子】に「このきょくは『あおいかげ』っていうんだよ」と教えたらしい。このあいだ久しぶりに iPad でそのビデオをかけたら、【息子】がすかさず「あおいかげっ!」と言った。こちらは、自分が教えたなんてことはすっかり忘れているから、どこで覚えたんだそんなこと、と驚いた。【息子】はそんなふうに、音楽には反応が良いし、好き嫌いがはっきりしていて、気に入った曲は何度でも繰り返して聴きたがる。ところが妻の車でいちばんよくかけるCDが「ぷよぷよ15th Anniversary」のサウンドトラックというアリサマで、もちろん英才教育なんか特段にする気はないけど、それにしても他にかけるCDはないもんかいな、と思っていたところへ、ミュージックギフトカードの使用期限が来た話が入ったので、じゃあ『ウィリアム・テル序曲』のCDを買おうか、となった次第。

この話の流れでいうと、もう一枚別の車載用CDを作って、『青い影』とか『黒い炎』とか『25 or 6 to 4』とかの曲をてんこ盛りにしてみたい。だけど、車の主である妻みろりがロックを好まない。この場合、運転手の拒否権は絶対だからなあ。『青い影』とか『愛がすべて』(あ、これはロックとは言わないか)はいいけど、まあ『黒い炎』は通らないだろうなあ。

こういう話題で書くといつも思うのだけど、世の中にはいい歌が一生かかっても歌い尽せないくらいたくさんある。ほんとうにもうどうしよう。


2010年8月30日(月)はれ

やっと普通の仕事のペースに戻る。しかしぜんぜん調子が出ない。後期に備えてトポロジーの授業の準備をせにゃならんのだが。


2010年8月29日(日)くもり

【娘】の夏休みの宿題は、残すところあと読書感想文のみ。だがこれが厄介だ。俺も妻も読書は好きだが読書感想文が苦手。【娘】もその筋を引いたのか引いてないのか、とっくに読んでしまった本の感想文をなかなか書かず、早くやれという母親と感情的に衝突したりしている。先ほど、ようやく書き上げたというものを読ませてもらったが、まるで本の紹介であって感想文と呼べるものではなかった。

しかし俺にしても読書感想文はできれば書きたくない。何を書けと言われているのかがわからないのだ。例えば『舞姫』を読んで「それはないでせう豊太郎ぎみ」と書いたり、『坊っちゃん』を読んで「赤シヤツといふ奴は何といけ好かない、こすい奴なのだらう」とか(そういう常識的な反応を自分なりにアレンジして)書けばいいということなんだろうか。それって、なんだかアホらしくないか? そういう疑いをカケラも持たずに『舞姫』を読んで「愛を否定していったい何が残るというのだろう!」なんて書き出しの感想文を書いて入選しちゃうような人は畢竟俺とは水と油なわけで、あの時にそれに気づいていたら俺だってその人をみすみす傷つけたりは… いや、昔の話だ。

ちゃんと読んで書くのであれば、「要約」でも「文献学的解題」でも「時代設定の考証」でも「作者の表記傾向の統計学的分析」でも、何でもいいじゃないかと俺は思うのだが、よりによって「感想」を求められる。しかもその感想の表現に先生の評価が下される。このあたり、子供の頃からどうも納得が行かなかったが、当時は自分の見解を明確化して教師と論争する才覚もなく(あ、それは今もないけど)、ただ漠然と苦手意識だけがあった。それで、高校時代などは、他の宿題もさることながら読書感想文は結局一度も提出しなかった。まあ、非常識で独りよがりな俺のこと、無理に感想を書いてもトンチンカンなものが出来上がったに違いない。で、それを提出して順当に否定的な評価を受けたとして、それで非常識や独りよがりは治っただろうか。医者が診断だけして処置しなければ病気が治るはずもないのと同じく、「こいつバカ」と評価されることだけではバカは治りはしなかっただろう。しかし、「これも決まりだから」と嫌々にでも書いて提出していたとしたら、その努力が何かしら成長のきっかけになる可能性はあった。その意味で、俺がしていたことは、要するに成長の拒否でしかなかった。

その時は、書けんもんはしゃあないと居直っていたが、こうして人の親になってみると、子供に同じ轍を踏ませるわけにいかないと思うようになるから不思議なものだ。ヒトたるもの、読書せにゃならぬ。感想なぞなくても、たくさん読まにゃならぬ。そして、自分の気持ちや考えを他の多くの人に伝えること、しかも友達でも親兄弟でもない他人に伝わるように表現すること。その技術は、自分が生徒さんだった時には思いもしなかったけれど、実にそれこそ学校で学ぶべき最も大切なことだ。読書感想文はそのための訓練にはなり得るだろう。ただ、学校の指定した本の感想を題材にせにゃならんという点が気に食わないだけだ。


2010年8月28日(土)はれ

久々に家族4人揃って家でだらだら。午後、障碍者就業支援の NPO法人ユニバーサルクリエート の人たちが三番町の居酒屋で野菜と鮮魚を売るというので見に行く。それからベスト電器に扇風機を買いに行った。家にあった扇風機は長年の酷使に耐えかねてとうとう首のところからポキンと折れてしまったのだ。シーズンも終わりだから、店には扇風機らしい扇風機はもうなかったが、エアコンと併用するサーキュレーターと、二階で使うための小さな卓上扇風機を買った。マイナスイオンなんちゃらとかクラスターなんちゃらがずいぶん多彩に展開しているのに驚いた。手のりサイズのパーソナル用とか車載用とか、なんだかホメオパシーな感じ。


2010年8月27日(金)はれ

名古屋4日めにして最終日。朝7時前に宿をチェックアウトし、名鉄名古屋駅のコインロッカーに荷物を入れ、電車に乗って熱田神宮に行く。参道を本殿に向っていると、お参りを済ませて帰る人たちが、三之鳥居と二之鳥居のところで振り向いて一礼するのを何度も見かけた。どうやらこれが正しい作法らしい。境内を悠々と雄鶏が闊歩している。

熱田神宮境内の鶏
樹齢1000年以上の、熱田神宮の楠

地下鉄神宮西から名城線に乗り、新瑞橋をまわって8時半ごろ名古屋大学へ。サマースクールの最後のレクチャーは安本先生。超準解析の代数への応用と計算量理論への応用を、さすがに手際よくわかりやすく解説してくれる。さらに、今月上旬に世界を駆けめぐったDeolalikarさんの P≠NP 論文の消息についても特に時間を割いて語ってくれた。面白くてためになる話だったのに、ところどころで「こういう方向の研究はもうだいたい終っています」とか「超準解析を代数学や計算量理論に応用したいのですが、結局代数学や計算量理論の大定理に乗っかってその超準的な解釈を考えて…みたいな話になっちゃってます」とかいう安本先生らしい冷めたコメントが入って、全体に「この方向で勉強しても仕方がないかもしれません」みたいなニュアンスになってしまったのは残念だった。

今回の数学基礎論サマースクールでは、新しい知見を得たというよりもいろいろ考えさせられたという面で勉強になった。というのも、超準解析が、集合論的無限観と真っ向から対立する数学的無限の見方を提唱しうるものでありながら、どうもその可能性が十分に認知されるに至っておらず、その結果として、集合論が数学の形而上学の最終的なヨリドコロという神さまの位置によくも悪くも祀り上げられているのに比較して、超準解析は証明のツールという従属的な立場に貶められているように思われたからだ。超準解析から「集合論くささ」を抜きとって、最初から超準解析的無限観で数学を構築しなおしたら、いったいどういうことになるだろうか。それができるためには、数学的無限について、集合論という足場からいったん地面に降りて、あらためて考えなおす必要があるように思う。ただしこの「地面に降りてあらためて考える」ということは、現場の数学者の感覚で見直すということと、必ずしも同じではない。

味仙の台湾ラーメン
味仙中部国際空港店で台湾ラーメンと生ビール

サマースクール終了後は、横山くんカダくんと3人で、名古屋駅前の大名古屋ビルヂングの地下で味噌カツを食った。最終日になってようやく名古屋らしい食いものだ。解散後、17時50分の飛行機までまだまだ時間があったが中部国際空港へ。お土産を買い、風呂に入った。4年ちょっと前にも来たと思うその風呂屋は健在だったが、「宮の湯」から「風の湯(ふーのゆ)」と名を改め、入湯料金も100円アップしていた。まあいいや。風呂で体を洗い汗を洗い流す。展望デッキに出て寝椅子に体を伸ばし、人体の普段あまり日の目を見ない部分を存分に陽光と海風に当てた。なんとも解放的な気分である。風呂からあがってようやく午後3時。おやつ代わりに味仙で台湾ラーメンを食い生ビールを飲む。家族へのお土産は鈴波の味醂粕漬というやつと、半生のきしめん。早く妻に会いたい。帰りの飛行機では、そればっかり考えていた。


2010年8月26日(木)はれ

昨晩あれだけ食ったのに朝にはちゃんと腹が減っているありがたさ。すこし早めに出発して笹島のマクドナルドで朝食。しかしセッションが始まるまでの一時間半をどう過ごすか。ここは長居するには適した場所とはいえない。栄まで歩いて名城線のループでわざわざ大曽根か新瑞橋まで遠回りして名古屋大学まで行くことも考えたが、日泰寺に行くことにした。門前町の店はまだ開いてなかろうが、さすがに寺に詣でることはできるだろう。

日泰寺境内
覚王山

覚王山日泰寺は特定の宗派の寺院ではない。インド・ネパール国境近くの遺跡で1898年に発見された仏舎利(お釈迦さまの遺骨)の一部が、1900年に、時のタイ国王から日本に親善の証として分与されたのを記念して建立された、比較的新しい寺だ。山号の「覚王」とはもちろん悟りの王すなわちお釈迦さまのこと。米粒ほどの大きさとはいえ本物の仏舎利を納めた奉安塔がある。国内の19宗派が協力して運営にあたり、3年ごとに交替で住職を勤めている。なんだかいい話じゃないか。

門前町には知る人ぞ知る紅茶の店「えいこく屋」がある。作家の堀田あけみさんのエッセイにここの紅茶が登場するらしい。妻が小原玲+堀田あけみコンビのファンで、前々から覚王山は妻の憧れの地なのだ。

えいこく屋

店の写真を妻に送ったが、ご覧のとおり、わりと地味な構えである。

昭和塾堂(1) 昭和塾堂(3)
昭和塾堂(2)

こちらは城山八幡宮の境内に建つ昭和塾堂
現在は愛知学院大学大学院の建物
古ぼけて傷んでこそあれ、立派で美しい建築物だ

姫池通りのカフェ「ラ・リューシュ」も20年まえと同じ場所に健在だった。そのうちきっとまた来よう。

さてさて、サマースクール3日め。午前、山下さん。午後、知澤さん。どちらもレクチャーというよりセミナートークだった。サマースクールの会場はセミナー室ではなく教室で、講演者は教師、聴衆は学生なのだ。オリジナルな研究結果がそれ自体としていかに有意義でも、ここはそれを発表する場所ではない。カダくんやウスバくんのように昨日の講演を聴いていない、しかも超準解析が専門でない人には、きょうのレクチャーはサマースクールらしくないと思われたに違いない。そりゃあ、昨日の横山くんや釜江先生の講演も、それぞれオリジナルな業績を含んでいた。しかし、横山くんの場合は後半の自分の研究報告の部分の難しさは初歩的な内容を丁寧に講じた前半部分のおかげで十分に補償されていたし、釜江先生の場合は業績自体がちゃんと適切な教材になっていたぞ。

昼飯はシャンボール山手の焼肉屋でチゲうどん。晩飯は同じくシャンボール山手の中華の香蘭楼での懇親会。


2010年8月25日(水)くもり

朝は5時半に目が覚めた。シャワーを浴び、ホテルがサービスで出してくれるフルーツの盛りあわせと昨晩用意したおにぎりを食って朝食を済ませる。そのあと6時から7時の間くらいまたウトウトして、7時半に宿を出発するころはまだ少し眠たかったけれど、本山のスオミでコーヒーを飲んでスッキリした。

昨日の昼に引き続き今朝も本山で下車した。昨日も書いたのだが、かつて本山に住んでいた俺は、名古屋大学に行くのに地下鉄東山線の本山で名城線に乗り換えるということにどうも抵抗がある。ところが、帰路を逆順にたどるときにはまったく抵抗を感じず、名城線名古屋大学駅で地下鉄に乗って本山で東山線に乗り換えるのが平気どころか、むしろ「便利になったものよのう」という感想をもつのだから、まあ勝手なものである。

サマースクール2日め。午前中の講師は東北大の横山くん。その前半であらためて超準解析の初歩を講義する形になった。可算飽和な超準モデルへの初等埋め込みというセッティングで、関数の連続性、位相空間のコンパクト性、距離空間の完備性といった解析学の基本概念の超準解析的表現を求め、閉区間上の連続関数の最大値の存在とかアスコリの補題とかの超準的手法による証明を紹介してくれた。このあたりの話は、俺としては昔とった杵柄でよくわかる。コンパクト性や完備性の特徴づけには超準解析の言葉はまさにうってつけだ。しかし、ラムゼイの定理の超準的証明については、標準的証明と比較してそれほど大きく違うとは思えない。途中の休憩のときに横山くんにそのように言うと、横山くんは答えて、それはそうだけど、証明の論理的な複雑さが確かに下がっていて、二階算術の命題としてのラムゼイの定理の強さを証明論的に解析するにあたってそのことがすごく有り難いんですよ、と説明してくれた。なるほど。で、午前中の講義の後半はまさにその、二階算術の命題の強さを測るさいに超準解析を応用するためのセッティングの解説。横山くんのいわば「おすすめメニュー」である。

この話については、ある程度は昨年9月に大阪大学で聞いている(→2009年9月26日の日記)。そのときは、この研究について《制限された体系内で解析学の諸定理を証明する強力なツールになる》という風に受けとったにすぎないけど、二階算術の超準解析に適した言語と公理系をきちんと定式化し、高階の標準的な算術においてそれらと同等な公理系を求めるという方向へ進んでいるようだ。とすると、このセッティングは、二階算術の定理の証明のためのツールとして有効というだけにとどまらず、超準解析という手法自体の強さを正確に測れることになる。

横山くんの講義は、説明がとても明快で、声がよく通り、早口になったときも俺のように舌がもつれたりしない。彼はいい教師である。俺もあんないい教師になりたい。

午後の講師は釜江哲朗先生。前半では超冪の構成をたどりなおす。というと、昨日の村上さんの話と重複するようだが、釜江先生は formal logic とそのモデルという文脈に議論を落し込むということを決してせず、超準的な対象が標準的な対象の超積であるという舞台裏に光をあてながら丁寧に話をしてくれた。おかげで、強烈に formal logic を意識しながら敢えてそのことへの言及を避けたため曖昧模糊隔靴掻痒五里霧中春眠不覚暁白髪三千丈になってしまった村上さんの話と較べると、釜江先生のスタイルのほうが、俺にははるかに分かりやすかった。講義の後半はローブ測度の説明とそのエルゴード理論への応用の話で、これが大変面白かった。

講義の最後に釜江先生が「エルゴード定理は足し算の結合法則のようなもので、こうして超準的手法で証明することによって、それがハッキリする。そこにこの証明の意義がある」と言ったのが印象的だった。ふつう、数学者が「エルゴード性は足し算の結合法則のようなもの」というようなこと、大学院レベルの高度な数学のコレは中学高校レベルの初等的な数学のアレのようなものだ、というようなことを言うのは、定理の証明を辿った手応えが言わせる《アナロジー》である。ところが、超準解析は高度に抽象的な数学を初等的な有限の数学に還元する精密で論理的な通路を与えてくれる。だから、超準的手法による証明が成功したときには、同じことを《アナロジー》でなく《ロジック》として言えるのだ。

セッション終了後は、一人で栄の丸善まで行って少し本をみた。釜江先生の『超準的手法による確率解析入門』(朝倉書店)があったら今日の話が載っているかちょっと立ち読みして帰ろうと思っていたのだが、残念ながらこの本は丸善には見当たらなかった。とはいえすでにこの本は入手して仕事場で積ん読状態になっているし、いま現在は読む本がなくて困っている状態でもないので、何も買わない。夕食は太閤通の餃子の王将で こってりラーメンとレバニラと生ビール。


2010年8月24日(火)はれ

名古屋にやってきた。中部国際空港から名鉄名古屋駅に着いたのが11時50分ごろ。そのまま地下鉄東山線に乗るが、本山で乗り換えて名古屋大学に直行すると昼飯を食う機会を逸しそうだったので、本山で外へ出てココ壱番屋でカレーを食った。本山から名古屋大学までの1分ほどのために4〜5分も待って地下鉄に乗るのもアホくさいと思ったので、本山から名大までは歩くことに。しかも、四谷通りではなく、稲舟通りを歩いた。かれこれ20年ぶりだ。町の景色はだいぶ変ったが、絵葉書屋のカードギャラリー アジェが健在だったのは、なんともうれしい驚きだった。

さて、13時開始と聞いていたので、急ぎ足で歩いた。8月も下旬とはいえ、真昼の"でゃあときゃあ"名古屋はなかなか暑い。汗だくになってなんとか13時ちょうどに会場に着いた。ところが、13時開始はたしかに13時開始だったのだが、13時からの1時間は受付のための空き時間で、なんとセッションは14時からだった。ううむ。暑かったのと疲れたのと拍子抜けしたのとで、しばし放心してしまい、せっかく松原さんに会ったのに、こちらの大学院生になっている昨年のゼミ生 Iくんの消息をたずねることさえ忘れていた。

さて今回の用件は数学基礎論サマースクールで、テーマは超準解析。今日の講師は村上雅彦さんで、超冪モデルの構成などの導入的な内容。なのだけど、よくも悪くも村上さんの癖のようなものが強く出ていて、俺としてはいろいろ不満であった。超準解析はどのみち《理論構築のための数学的テクニック》という色が強いから、哲学的な教訓は応用の後にしか来ないと思うのだ。だから、導入的なレクチャーとしては、コンセプチュアルなところから入るより、広大化とかコンパクト性とかの技術が無限小解析を合理化したとか、そういう御利益の面から入ってほしかった。まあ、人それぞれ考えがあってやっているのだから、俺の意見を押しつけるわけにはいかないが。

今日のレクチャーの中では、テクニカルな事実で一つだけおやっと思うことがあった。村上さんは今日はそのへんのディテールに踏み込んだ話をしなかったので、夕食時に一人で考えて再構成を試みたが、どうもうまく確認できなかった。ちなみに宿は中村区役所近くで、夕食はデニーズ。


2010年8月23日(月)はれ

かがみさんがTwitterで薮から棒に \(|X|<2^{|X|}\) の証明は対角線論法だよね とつぶやくものだから、そらそうでっしゃろと返事したついでに「そうでない証明があったら是非読んでみたい」とつぶやいたら、やたべさんがインドのコンピュータ科学者ラージャさんの論文を紹介してくれた。

(2010年8月30日追記) 最初の式の不等号が逆だったので訂正

N. Raja: "Yet Another Proof of Cantor’s Theorem," Dimensions of Logical Concepts, Coleção CLE, Vol. 54, Campinas (2009) 209--217. (PDF)

カントールの元々の証明のほかに二種類の別証明が与えられていて、それがどちらも面白いのでコメントを加えつつ紹介する。

別証明その1: 写像 \(f:X\to P(X)\) が全射でありえないことを示す. \(F(x)\ni y\) のとき \(xRy\) と書くことにして, この二項関係 \(R\) にかんする無限連鎖 \(xRy_0Ry_1Ry_2R\cdots\) の出発点となりえないような要素 \(x\in X\) 全体の集合を \(N\) とする. もしも \(N=F(n)\) となる \(n\in X\) があれば, \(nRx\) のとき \(x\in F(n)=N\) となり \(x\) を出発点とする無限連鎖がない. とすると, \(n\) を出発点とする無限連鎖もないわけで, \(n\in N=F(n)\) である. ところが \(n\in F(n)\) だとすると, \(nRnRnRnR\cdots\) という無限連鎖があることになり, 矛盾が生じる. (証明終)

これは原著者によると、ヤブロのパラドックスの応用だそうだ。「嘘つきのパラドックス」の変形で、鬼1、鬼2、鬼3、以下可算無限人の鬼が一列に並んでいて、それぞれが「オレより後に並んでいる鬼は全員嘘つきだぜ」と言っているとすると、どの鬼のその発言も真とも偽ともいえない、というのが、ヤブロのパラドックスだ。エピメニデスの嘘つきのパラドックスは「俺はいま嘘をついてるぜ」という発言は真とも偽ともいえない、というものだったが、このパラドックスの自己参照を真っ正直に無限に《展開》したのがヤブロのパラドックスだと言えそうだ。 別証明1のどのへんがヤブロのパラドックスなのかというと、ヤブロのパラドックスが「嘘つきのパラドックス」の自己参照を無限に先送りしてできるのと同じく、カントールの対角線論法の対角線の否定という自己参照を無際限に先送りして得られるのがこの証明ということ。だから、アイディアの源泉になったと言われたらなんとなくそうかなとは思うけど、直接の応用というわけではない。

別証明その2: 単射 \(g:P(X)\to X\) が存在したとすると, 超限再帰的に \(f(\alpha)=g(\{\,f(\beta)|\beta<\alpha\,\})\) と定義される写像 \(f:ORD\to X\) が単射となって, \(X\) は集合でありえない. (証明終)

じつはこの最後の、順序数の全体からの単射が存在するようなクラスは集合でありえない、というところに大がかりな議論が必要なのだけど、それはどのみち、超限再帰と一緒に公理的集合論の最初の方で勉強することである。そこのところへうまく仕掛けを隠してしまったおかげで、この別証明2はひどく簡潔でエレガントに見える。この論法、なにか別のことに使えないかなあ。


2010年8月22日(日)はれ

妻子のいない日曜日の朝6時なんかに起きると、一日が長い。暑い日に一人で家にいると、なんだか無性に太陽の当たる戸外に出たくなる。

一人分では凝った料理をする気になれないので朝と昼は冷やしうどんで簡単に済ませたが、夕方には妻子が帰るのでそれなりに夕食を用意せにゃなるまい。最寄りのスーパーは日曜定休なのでサニーマートへ行く。ここでも青菜が品薄で、ほうれん草一把198円、小松菜一把158円となっている。こりゃいかん。もうすこし涼しくなるまで我慢しよう。青菜はあきらめて、スルメイカを二杯(と数えたんでよろしいか?)と豆腐を二丁。もやしとベーコン。あと、缶ビールと缶チューハイ。日の高いうちにイカの墨煮とワタヤキを用意して、それが一段落する頃に妻子が帰宅。午後5時ごろの気分だが、まだ3時すぎだ。妻と娘のいろいろの報告を聴きつつ、料理を続ける。もやしとベーコンの和え物、オクラの煮びたし、冷奴。昨日作ったきんぴらごぼうとかみなりこんにゃくも加えて、お惣菜八種の、貧乏くさいようでなかなか豊かな夕食になった。こういうお惣菜は、うちに限って「おふくろの味」ではなく「おやじの味」である。子供ら、特に普段から食べ残すことの多い【息子】が完食してくれて、うれしかった。(俺はかに座の生まれなのだ)


2010年8月21日(土)はれ

午前中のうちに遅れていた査読レポートを送る。午後は県立図書館へ本を返しに行く。堀之内公園のベンチで少しうとうとしてから、ジュンク堂書店をざっと見て帰る。

連日の暑さのせいかどうか、近所の農協系のスーパーでは青菜らしいものが一切見られなかった。ゴボウとコンニャクを買ってきて、きんぴらごぼうとかみなりコンニャクを少し多めに作った。夕食に少し食って、残りは明日に回す。明日の夕方に帰ってくる妻の料理の手間が少しでも省ければいいなと思って。しかし、唐辛子入りのコンニャクを使ったし、全体に醤油を多めに使ったしで、ずいぶんと辛くなった。こりゃ、子供の口には合わないかもしれない。明日の昼のうちにもう一品作っておこうか。あっさりと豆腐か何か使って。


2010年8月20日(金)くもり

昼飯を作り、午後の船でひとり松山へ戻る。妻子は明後日まで妻の実家に残る。

船の中でも電車でも、移動中は『ニコマコス倫理学』と『憂鬱と官能を教えた学校』を交互に少しずつ読み続けた。両者には直接の関係はまったくないが、どちらもとても面白い。夕方はピアノのレッスン。今回は、なかなか中身の濃いレッスンだった。感謝。夕食はフジグラン松山の「山小屋」でラーメン。


2010年8月19日(木)はれ

午後の新幹線で岩国へ。昼食は新幹線車内でのお弁当。鯖鮨など魅力的だが、子供たちにとっては初めての駅弁体験なので、ここはやはり王道の幕の内だ。錦帯橋周辺をプチ観光してから妻の実家へ。それにしても暑い。

錦帯橋を見上げる 錦帯橋の上から


2010年8月18日(水)はれ

実家に【娘】と【息子】が来たのを受けて、姪のリコちゃんと甥のアッくんも泊りにやってきて、家の中が大騒ぎ。常にリコちゃんがリードし【娘】が乗り、アッくんが付いていくというペースで、走り回り跳び回る。【息子】はこの騒ぎには加わらず、マイペースで遊ぶが、それでも要所要所では周囲に注目してもらいたいようだ。

父母が子供たちを見てくれるというので御言葉に甘えて妻と外出。理由あって京都アスニー(生涯学習総合センター)へ出向き、四条の大丸やジュンク堂書店を見て、地下鉄で帰宅。


2010年8月17日(火)くもり

新岩国から新幹線で京都へ。今度は俺の実家に来る。一応、これが予定どおりの行動だったのだが、伯父の急逝の知らせを受けたにもかかわらずほとんど何もしなかったことが、やはり気にかかる。実家でそのように母に言ったが、あまり気にやむ必要はないとのことだった。俺が結婚するときにお祝いに来てくれた伯父が亡くなったのだから、お悔やみにいくべきなのだろうと、俺は例によって世間知らずの粗雑な頭で思ったのだけど、伯父の実の妹である母がそう言うなら、それはそうなのかもしれない。で、この話はこれで終り。

夕食は妻が仕事関連のSNSで知りあった男性保健師と保育士という若い夫婦との会食。俺は子供たちを抑える役に回らざるを得なかったが、若いお二人が控えめなところへ妻がしゃべりまくるもので、なんというか、横で見ててイタかった。


2010年8月16日(月)くもり

妻の実家ではしばしば食事係を担当。今日は昼食にパパ冷やし中華。夕食は妻と協力して肉じゃがほか一汁三菜を用意。中華麺は松山で気に入って使っているものを買ってあった。肉じゃがには牛すじ肉を利用。昼食の麺を茹でる途中に派手に吹きこぼれさせてしまい、そのせいかどうかIHストーブのマイコンが(一時的に)アホになった。しかたがなくカセットコンロ一口であとの料理をしたので、夕食の準備に2時間もかかってしまった。


2010年8月15日(日)はれ

油谷の大浜海水浴場は魚といっしょに泳ぐ感じが楽しい。だが、ぼちぼちクラゲも出始めた。

油谷の青い海

午前中に油谷の本家を辞するはずが、なんだかんだで午後4時ごろになった。途中国道の渋滞に巻き込まれたりしつつ、妻の実家に戻ったのは午後8時半ごろ。夕食は近所のジョイフルで済ませる。


2010年8月14日(土)はれ

妻の生家の家系は、長門の油谷に代々続く牛飼いの家である。義弟のヨースケくんが久々に墓参りをするというので、義父母も妻も子供達も俺も一斉に「里帰り」をすることになった。否も応もない。

本家の主 (モーじいちゃん) は義父の兄。跡取りのユースケさんは、だから妻の従兄ということになる。時々「て日々」にも登場する美男ケンちゃんと美女カナちゃんは跡取り息子のすぐ上の姉のところの子供だ。同じく里帰り中の美男美女もやってくる。ケンちゃんカナちゃんの弟リョウくんはケンちゃんそっくりのイケメン高校生。ユースケさんちの子供が3人。末っ子のミーちゃんは【娘】と1か月違いの4年生で、二人の女の子は会うなりさっそく意気投合。普段の遊び相手が男の子ばかりなので大変ワンパクであると評判のミーちゃんであったが、夏祭り会場への行き帰りには【娘】と二人で「恋バナ」などしていたというから、女の子らしい面もしっかりあるのだ。ケンちゃんカナちゃん兄弟の末弟シュウくんは、ミーちゃんと並んでずっと一家の最年少だったのだが、うちの【息子】がやってきたもので大喜び。しかし年下の子供をかわいがる心が育つのも、自分が周囲に大事にされる経験があってのことだろう。

夕食のあと、明朝早く牛の世話をする実直なモーじいちゃん夫婦はすぐに就寝したが、残った人たちは当然酒盛りとなり、義父とその甥姪たちとのにぎやかなおしゃべりが未明の2時ごろまで続いた。妻の家系はこのように、絵に描いたような《正しい日本の大家族》である。


2010年8月13日(金)くもり

ピアノのレッスンはお休み。船で山口に渡り、妻の実家に行く。予定を変更して京都に行くべきだったんではないかと自問するが、結論は出ないまま、こうして前からの予定を優先してしまっている。

スーザン・ブラックモア『一冊でわかる 意識』(信原幸弘,筒井晴香,西堤優 訳, 岩波書店2010年)を読み終えた。たいへん面白く、また、所々とんでもなく難しかった。皮肉な言いかたになるが、意識について確実にわかる唯一のことは、意識について確実にわかったことは何一つない、ということのようだ。どれほど実証的たろうとしても、意識について研究するかぎり、哲学的な議論を避けて通れないことがわかる。いっぽう、哲学的に思弁的に議論するだけでも十分ではなく、実証研究のデータの蓄積を踏まえないと、なにも言えない。厄介な話だが、そこが面白いのでもありそうだ。


2010年8月12日(木)くもり

朝のうちに、京都の実家から電話連絡。《母方のナガヒデ伯父さんが亡くなった。お前は慌てて帰ってこなくていい。弔電だけ打て。詳細は追って知らせる。》とだけ。それから続報が来ない。ひょっとして「弔電を打て」とは前に教えてある伯父さんの自宅へ送れという意味だったのだろうか、とか、兄や弟はとにかくも京都にいるからさっそく手伝いに行っているかもしれないが、俺も京都へすっ飛んで行くべきなのだろうか、とか、ずいぶんいろいろ考えた。兄弟への連絡もなかなか通じず、親戚の住所を控えた紙も見付からずで困った。夕方になって妻が義妹に電話してきいてくれたところでは、俺のところに限らず、弟のところにも、父からの朝の連絡の他には、その時点では情報が全然伝わってきていないようだった。結局、葬式場やなんやかやの詳細が伝わってきたのは夜の10時すぎ。父はいつもこの調子だ。日付が替わるころにようやく弔電を打った。


2010年8月11日(水)はれ

昨夜のボーリングの報いの腕の痛みは16時間後にやってきた。オッサンの宿命として30時間後を覚悟していたので、早めに来てくれたのは嬉しいことだ。


2010年8月10日(火)くもり

『ニコマコス倫理学』(岩波文庫版上巻) は見つかった。俺が一昨日の朝にどこか床の上にポイと置いたものを、妻が掃除のときにそこらへんの空き箱にポイと放り込んだらしい。アリストテレスさまごめんなさい。

午後、大学のミュージアムで昆虫展をやってるので子供らを連れて行った。120万点を擁する昆虫の標本庫が圧巻だったが、他の展示も、とにかく同僚たち(と言っても数学科以外)が地道な研究を積み重ねて達成した成果が大切に展示されている。いろいろ考えさせられる。展示の番をしている大学院生たちもずいぶん丁寧に(子供を含む)一般の観覧者に応対していたし、全体に事実に対する謙虚な姿勢を感じた。見習わねばならん。斜に構えるのはやめて事実と向きあわねば。

夜、ゼミの飲み会。まず伊予鉄会館の屋上ビヤガーデンに行って、二次会はFASTでボーリング。64, 77, 159という乱調スコアだが、どうにかアベレージ100。まあなにせほとんど15年ぶりのボーリングだった。ゼミ生たちは若いだけあってパワフルだが、やはり乱調ぎみ。1ゲーム目のスコアを見て「なんか期末テストの点数みたいやけど、なんとか全員合格やな」と言ったら、Tk橋くんが「先生、ボーリングは300点満点ですよ。」わはは。全員不合格。


2010年8月9日(月)はれ

日中、なにもする気が起きずひたすら気持ちが塞ぐ。

アリストテレス『ニコマコス倫理学』の岩波文庫版。石版に書かれた書物であるからか、また他の理由があるのか知らないが、本文の1巻がいまどきの本の1章に相当する。毎晩寝る前に一巻づつ読んでいけばいいかなと思っているのだけど、昨日の午後から上巻が行方不明。昨日俺が《「ニコマコス倫理学」では、事項 (この場合は《善いもの》) の系列の最大要素は明示的に (《幸福》として) 与えられている。「形而上学」や「自然学」ではそうではないらしい。アリストテレスのそういう“ツォルンの補題的”な発想を、実際の著作に当たって見てみたい。》なんてことを言ったせいで、アリスちゃんかテレスくん、あるいはニコちゃんかマコちゃんの機嫌を損ねたのかもしれん。


2010年8月8日(日)はれ

午後、コミセンの図書館に行った。キャメリアホールで「俳句甲子園」の決勝大会というのをやっていたので、熱血青春学園ドラマの大好きな妻がそっちへ行ってしまい、一時間ばかり俺が子供をみる。だがひところと較べると、子供らも聞き分けができるようになって楽になった。【息子】もそれなりに本好きになったようで、ありがたいことだ。娘にせがまれてコミセンこども館に行くと、8月8日は«まつやま子供の日»だそうで、ポップコーンとかき氷とわたあめの出店が出ていて、なにか工作の教室のブースもあった。午前中にゲームのイベントもあったようだ。3月3日プラス5月5日イコール8月8日という発想なのだろう。どうせなら間をとって4月4日にしておけば、男女両性お互いに歩み寄っている感じがでてより良いのに、と言ったら、妻が「そんな日は、年度替ったばっかりで、イベントがでけんのよ、きっと」だと。仕方がないな。

で、俳句甲子園については、妻がそのうちどこかで何か言うと思う。


2010年8月7日(土)はれ

午前中、勤め先のオープンキャンパスの「研究室紹介」で高校生向けのショートトークをする。無限を扱う数学といっても超限集合論というわけにはいくまいから、数列の極限を扱う話題でちょっと意外性のあるものを選んだ。

\sqrt{2+\sqrt{2+\sqrt{2+\sqrt{2+\cdots}}}}

とか

\sqrt{2}^{\displaystyle\sqrt{2}^{\displaystyle\sqrt{2}^{\displaystyle\sqrt{2}^{{\displaystyle\cdot}^{{\displaystyle\cdot}^{\displaystyle\cdot}}}}}}

とかの式の、特定の数列の極限値としての意味づけを明確にしつつ、値を計算する、という話。「本当はきちんと計算しないといけないんだけど」と言いながらグラフを描いてごまかした箇所はあるが、そのさいにはグラフを表示させたiPadを回覧しつつ、それに用いたQuick Graphなるソフトウェアを「iPhoneユーザの人はぜひ」と推薦するということをした。iPhoneという言葉を聞いたとたん顔が輝いた男の子がいた。その子はきっと今ごろダウンロードして楽しんでいることだろう。

夜、うちで「ニコマコス倫理学」を読んでいたら、次のような文があった。くどくどとコメントはすまい。反省せねばならぬ。

ただ、最高善を解してそれは所有にあるとするのとその使用にあるとするのとの差異、状態と解するのとその活動と解するのとの差異は、思うに僅少ではない。というのは、卓越性«アレテー»という「状態」はそれが存在していながら少しも善を結果しないことも可能であるが---たとえば眠っている場合とかその他何らかの仕方でひとがそれを働かせなかった場合のごとき---、活動はこれに反してそういったふうではありえないものだからである。〔中略〕オリュムピアにおいて勝利の冠を戴くのは最も体格の見事なひとびととか最も力の強いひとびとではなくして、そこで実際に競技を行なうひとびと(そのうちの或るひとが勝つのだから)であるのと同じように、人生におけるうるわしき善の達成者となるのはその能力をただしい仕方で働かせるところのひとびとなのである。〔岩波文庫版上巻37ページ〕

2010年8月6日(金)くもり

数学の授業ではしばしば同値関係などを表す記号として「〜」を使う。たいていの先生はこの記号を「ティルダ」と読む。俺はこれまで一貫して「ちょろん」と読んでいたのだが、実は日本の編集・出版業の慣例としては、この記号は「にょろ」と読むものらしい。板谷成雄の『エディトリアル技術教本』(オーム社, 2008年)の141頁には、「〜」は「波形・波ダッシュ・にょろ」と称し、「数・時間・年月日の範囲,場所の始終点のつなぎ」に用いる、とある。ティルダというのはポルトガル語などにあるñとかõとかの波形アクセントのことで、二項関係を意味するにはふさわしくない。「AティルダB」といえば「ÃB」であって「A〜B」ではない。かがみさんは「にょろ」と読むことを知っていたようだが、知らずに「某大学の某先生が〜をニョロと読んで学生に悪影響を及ぼしている」とTwitterでボヤく人もいた。もちろん俺も知らなかったのだが、これからは「ちょろん」を廃して「にょろ」と読むことにする。

(2010年8月11日) 上の段落、記号が文字化けしていたうえに、意味が取りにくい部分があったので少し書き換えた。論旨は変えていない。

夕方はいつものピアノのレッスン。左手が硬くなりがちな傾向は意識してゆっくり直していくしかないのだけど、ハノンを弾くときに左の小指が巻いてしまうことについては「直らないかもしれませんねえ」と先生に宣告されてしまった。発表会の曲を弾くときには小指が巻いたりはしていないから、なにか特別な条件のもとでだけ出る癖なのだろう。ううむ。 今夜はいつになく音楽教室に人が多かった。レッスン終了後、ジュンク堂で岩波文庫版『ニコマコス倫理学』上下巻を買って帰宅。


2010年8月5日(木)くもり

一昨日の日記に書いた自宅のPC(愛称Vistaくん)の不調の原因は、どうやらディスプレイらしい。なら話は早い。使っていない15インチのLCDがあるから、しばらくはそれでしのごう。

稲垣良典『トマス・アクィナス「神学大全」』(講談社選書メチエ)を読み終えた。クリスチャンでもないのに神学がらみの本を読んでどうなるものでもなかろうと言われればソレマデだが、トマスの考察は、神をキーワードとしながらも主に人間に向けられており、倫理学や政治思想に積極的にコミットしているので、そういう面でいろいろ考えさせられた。


2010年8月4日(水)はれ

フランス語の数学書は辞書をこまめに引いてがんばれば読める。学部の4年生のころの自分の英語力がこれくらいだったかもしれない。数学の専門書(ゼミのテキストはアルティンの«Geometric Algebra»だった)を読むのでも辞書がないと不安で進めなかった記憶がある。

先月27日の日記でもちょっと触れた、ボレル(Emile Borel)の『函数論講義』 (Leçons sur la théorie des fonctions)の序文を、高校時代の英語の勉強みたく、一文ずつ書き写しながら読んでいたら、問題への理解を深める手がかりを原論文に求める読者には、かならず収穫があるという言葉があった。まさにこれから原論文を読もうとしている俺にはうれしい言葉だ。もっとも、俺がこれから読もうとしている原論文はボレルのこの本ではなくて、ルベーグ(Henri Lebesgue)の『解析的に表示できる函数について』 (Sur les fonctions représentables analytiquements)なのだけど。

この序文でボレルは、この本は集合論の解説本だけど、後半部分の函数論への応用が主目的だということを忘れないために、あえて『函数論講義』と名付けたんだよ、と言っている。つまり、集合論が解析学に応用できるという、いまでは完全にアタリマエの認識が、この当時(1898年)まだまだ新鮮だったのだ。しかしこの新鮮な認識は、当時の数学者の目にどのように映ったのだろう。思いを馳せるのも楽しいが、とにかくがんばって読んでいこう。


2010年8月3日(火)はれ

暑い暑い。いつものパナマ帽を昨日職場に置いてきてしまったので、帽子なしで外へ出たが、途中で身の危険を感じてスーパーの二階で布の帽子を購入。徒歩通勤では大量に汗をかく。水分補給が欠かせない。

夜は久米のすけろくで冷麺セットを食い、久米の癒で風呂に入って帰宅。

自宅のPCの画面出力がおかしい。10秒ほどで真っ暗になってしまう。また熱暴走かと思って電源を切って休ませて夜中の涼しくなった頃に試したがやっぱりダメ。BIOS設定画面やOS起動画面までは到達しているようなので、CPUやRAMの不調ではない。GPUかモニタそのものがおかしいようだ。モニタの不調ならまだいいが、オンボードのGPUがぶっ壊れたとするとやっかいだ。データが無事なのは間違いないのでその点は安心だが、さてどうしたものか。SATAハードディスクのUSBインターフェイスなるものを用意してデータを吸い出してしまうのが早道かと思う。俺も妻もノートパソコンを持っているわけだし。


2010年8月2日(月)はれ

きょうは妻が大学院の研究活動の一環としてフィールド (というのは病院の待合だったり役場のカウンターだったり) に出掛けている。【息子】は幼稚園にお預け。俺は家で【娘】の宿題を見たり洗濯をしたり玄関の掃除をしたり。夜は市民コンサート機関誌の作業。


2010年8月1日(日)はれ

三年生のコンパにご相伴。最初は教師の立場というものを意識しておとなしく飲み食いしていたのだが、まだ飲み会自体が新鮮な二十歳そこそこの若者たちのエネルギーに連られて、ついついサービス精神を鼓舞され飲みすぎてしまった。請われるまま飲み競べをしたり、バランスを崩して転んだ拍子に襖を倒して宴会場の隣室 (幸いにして空室) へ転がり込んだり。二次会の終わるころにはなぜかある女子学生の恋愛相談みたいなことをしていたり。「こんなブッコワレタやつとは思わなんだ」と言う声が聴こえてきそうだ。

だが、それを言うなら、こっちだって、今年の三年生がこんなにエネルギーに溢れて陽気に振舞っているのを見るのは初めてである。不思議なもので、どの学年もかならず、良くも悪くもその学年の色とか味わいがあって、それが入学直後から卒業まで変らなかったりするのだが、今年の三年生については、教師の間では心配する声が早いうちから出ていたように思う。これをきっかけにお互いの認識が好転して関係を改善できるよい循環を作れればよいのだが。

ところで、ちょっとしたハンディキャップをもった学生がこの学年にいて、大学側としては授業を受けやすくするための多少のケアは用意しているのだけど、学生どうしの関係としては孤立しているんじゃないだろうかと、授業中などの様子を見て、常々心配していた。とはいえ、こういうのは、なかなか教師の側からタッチしにくい微妙な問題だ。さいわい、学年として初めての今回のコンパにはその子も出席してくれて、そうすると他の学生たちからも歩み寄ろうという動きが見えだした。なんというか、希望が持てる光景だ。周りの同級生たちとしても、気になっていたが歩み寄るきっかけがなかったということなのだろう。

二次会ではミキ学科長とも懇ろに (それなりに真面目な仕事の) 話ができた。そうしたいろいろの意味で、あまり期待していなかったわりに、有意義な時間だった。