て日々

2012年9月


2012年9月30日(日)くもり

松山に関する限り台風17号は大きな被害を残さなかった。静かな日曜日である。昼食のパパラーメンを作り、久々に子供らにWiiで少しゲームをさせ、娘と散歩がてら近所のサークルKへ出かけてぷよぷよグミなるものを購入。俺は食わないが。

ぷよぷよグミのパッケージ画像

夕食に妻の作ってくれた鳥の唐揚げがとてもうまかった。写真奥にあるもやし炒めはラーメンの具の残りを俺がアレンジしたもの。

鶏の唐揚げが大皿に山盛り

Facebookで何人かの旧知の人と連絡がとれた。ヨケイとかS山とか数セミの大賀編集長とか。ありがたいことだ。


2012年9月29日(土)あめ

小学校の運動会だが台風が接近中で天気が思わしくない。早朝に電話連絡。プログラムを変更して午前中だけ実施とのこと。妻はPTAの写真係として出向く。俺は家に一人でいてもつまらんので一緒に出向く。【娘】は五年生だから運営のお手伝いをする。低学年の競走では、【娘】はゴール係。つまり順位ごとに決まった場所に座らせる係。6番のゼッケンをした「6位係」が【娘】である。低学年の児童がわーっと走ってきてゴールする瞬間に順位を見極めて捕まえるのだから、気が抜けないしけっこう走り回らねばならない。案外大変そう。ただし、6人または5人の競走なので、6位係は、しばしば「お役目なし」である。

ダンスや綱引きなどの呼び物種目を中心に小雨の中2時間くらい続いたが、11時頃には雨も本降りになったので、運動会の華、赤白対抗リレーも中止して閉会。あとで【娘】に聞いたところでは、続きは平日の学校行事としてやるらしい。妻は、なんだか子供っぽい柄の雨合羽を着てカメラを持って、競技の間じゅう競技場内を走り回っていた。おつかれさま。

さて話はころっと変わって、PTAの会計のこと。うちには子供が二人いるので月々PTA会費を2,000円収めている。学校全体で年間300万円強の会費収入になるはずだ。「そんなに使い道あるんかいな」と言ったら、妻が今年度の総会の資料を見せてくれた。累積黒字が100万円近くあるのにも驚いたがそれはまあいい。それより、昨年度の決算と今年度の予算の対照表をみて、予算の積算根拠がまるで不明朗であることに不審感を覚えた。昨年度の実績が4千円弱の項目に今年度は5万円の予算が組んであったり逆に昨年度56万円使った項目に今年度48万円しか計上してなかったり。こんな大胆な予算を組むからには、それ相応に大胆な活動内容の変更が計画されていると判断せねばならない。とすれば、単なる決算報告書と予算書だけでなく、それぞれの活動内容について提案書を書き、それに基づいて議論をするべきだ。本当にそんな大幅な変更があるんだろうか。まあ、今年度の予算は総会で承認されちゃったんだからいいが、予算の組み方は見なおすべきだろう。改善の余地がありそうだ。きちんと計算しないと何とも言えないが、うまくすれば、予備費という名で溜まっていっている累積黒字を減らすことなく、会費を値下げできるかもしれないじゃないか。

ただ、こういう話をするとき俺はしばしば(俺が本を買うのを我慢してまで納めた会費を、おまいらどういう緩い使い方しとるんじゃあ、とかなんとかいう)怒りの感情を露わにしながらしゃべるので、妻が「そんな言い方じゃあ、通る話も通らない」という。そりゃそうだ。間違ったことをしていないからといって、大上段から頭ごなしに言っては反感を買うばかりである。機会を見つけて、きちんとしたデータに基づいて冷静に話をし、関係各位を根気よく説得する必要があるし、それ以前に、PTAの活動にきちんと協力し、率先して力を貸して、PTA自体に敵意を持っていないこと、活動を妨害する意志のないことを、すべての関係者に非言語的にわかってもらう必要もある。

あえてそこから試みるというのは、これまで政治音痴、社会参加音痴で生きてきた俺にとって、生き方を根本からひっくり返す大改革である。それこそPTAの財政改革どころではない大改革になるかもしれないが、こういうことでもなければ俺はこのまま非社会的に親不知的に人生を終わってしまうだろうから、ひとついい機会かもしれない。


2012年9月28日(金)はれ

夕方から小川先生の談話会に出席(遅れてごめんなさい。)Og2さんを捕まえて、ジャスティン・ムーアの論文を読むセミナーを開く相談をする。来週の金曜日から週一回。3回くらいで終わるだろう。

ジャスティン・ムーアのこのプレプリント (Justin Tatch Moore, “Nonassociative Ramsey Theory and the amenability of Thompson's group,” submitted, ArXiv:1209.2063) は、どうも頻繁に更新されている。昨日、やれやれひととおり読み終えたが、ひょっとしてまた更新されているかもしれんと思ってサイトにアクセスしてみたら、まさにそのとおり。しかも本丸の§4がわりかし大きく書き換えられている。セミナーではバージョンを固定しないと面倒なことになるが、そのときにわざと古いバージョンを使う理由はない。だが、俺が読んでノートを作ったのはまさにその古いバージョンなので、新しいバージョンに合わせて準備しなおさないといけない。やっかいだが、新しい発見をフォローするためには、まあ仕方のないことだ。

夜はピアノのレッスン。発表会の申し込みを済ませた。今年の出し物はドビュッシー「夢」だ。


2012年9月27日(木)はれ

毎週火曜日発行の結城浩さんのメールマガジンに感想を送る。このメルマガでは、「数学ガール」シリーズの作者である結城さんが、いろいろな話題に触れながら「コミュニケーションの心がけ」について語る。とくに現在執筆中の『数学文章作法』の話題では、実際の原稿の一部をPDF化したものを読ませてくれる。

だいたいが、文章作法というテーマの本が俺はあまり好きでない。ものの性質上どうしても「俺が正しいスタイルを教えてやるよ」という話になりがちで、読んでいて息苦しくなってくるのだ。「正しいスタイル」にはその背景にかならずや確立された権威があり、文章作法を教えるというのは、権威が己を貫徹させる営みにほかならないからだ。ところが結城さんが数学について書くときは、学会や学校などの権威とは無縁の場所から、読者を生徒や弟子の位置に置かずに、ただ真実を共有するために書く。だから、結城さんにかかると、数学の文章を書くという営みも、人と人のコミュニケーションという観点から語られることになる。だから、結城さんの書く『数学文章作法』には、押し付けがましさがない。風通しがよい。読んでいて息苦しくならない。

これは公刊が待ち遠しい。出版されたらすぐにでもわが数学科の学生さんたちに熟読するように勧めよう。ただし、俺が学生さんたちに勧めるということは、まさしく権威が己を貫徹させる営みの一翼を担うことになる。そこにジレンマがある。

こうしたジレンマを「押し付けをしない」方向で解決しようと、俺はこれまで努めてきたが、そんなふうに試みたところで、俺が教師でなくなるわけではない。教師が教室で教師らしく振舞わなかったら、学校に集う誰も幸せにならんのではないかと、このごろは考えるようになった。俺ひとりが中途半端に良心的なつもりでいても、何にもならない。作戦を変えよう。学生をきちんと指導することを通じて既存の権威を貫徹させつつ、その上でさらに、権威というものの成り立つ仕組み・からくりについて考え続け、また学生にもそのことに考えを向けるように誘う、そういうことは可能なのではないか、と。

この話題については昨年5月9日の日記旧「て日」2003年5月7日の段同2004年12月8日の段なども参照してください。

やるきのないあひる

夕方には医者に行く。歩いて行き、歩いて帰った。帰り道に書店に寄る。たくさんの本がある。俺のような変わり者にとってすら魅力的な本が数々ある。お金はない。面白そうな本を片っ端から買うお金なんて、これから先も当分ない。それでも本はある。すでにしてたくさんあるうえに、さらに次々と出る。あーもう。困ったもんだ。


2012年9月26日(水)はれ

昨年秋の100,000,000さんの歓迎会のときにミキ学科長と約束したとおり、来年度に向けて久々に科研費の出願をしようと思うので、午後には科研費申請&適正使用についての説明会に参加。実際のところ、俺はそれほど研究費を必要としているわけではないのだが、組織全体の財源戦略の一翼を担うためにグラントの申請をするのも、大学教員の大事な仕事のうちである。となると、申請書をどう書けば審査を通りやすいかというところにまで情熱的に好奇心を発揮するのが研究熱心な科学者としての正しい態度というものなのかもしれない。だいたい、俺は何にせよ情熱がなさすぎる。

マンガになった湯呑み
もっと意識を高めて
目覚めた湯呑みになるべきなのかもしれない
(iPhoneアプリ《漫画カメラ》使用)

トンプソン群のアメナビリティの証明をどうにか読み終える。まだ細部に不安があるし、そもそも途中に出てくる概念の定義を読み間違えている疑いが出てきたので、もうちょっと詰めるべきところはあるが、だいたい理解した。同僚の幾何学徒Og2さんは幾何学的群論を研究中とあって、この結果に興味津々という様子だから、彼をつかまえて近いうちにアドホックなセミナーを開くことにしよう。


2012年9月25日(火)はれ

一日くたばって過ごした。


2012年9月24日(月)はれ

東北大の小川先生を交えた昼食会。それから教室会議。それとは別に、家計の再編が急務である。まあ人生いろいろあるわ。


2012年9月23日(日)はれ

合宿二日目。4時前に目覚めてムーア論文を眺める。トンプソン群のアメナビリティの証明が完結するところまでは目を通すが、ベッドに寝転がっていては細かい計算を追うことはできない。

いままでThompson's groupのことを「トムソン群」と書いていたし、昨日Og2さんやP山さん相手に /m/ と /p/ は口の動きが同じだからどーたらと講釈までしてしまったが、あとで考えてみると、塀の上に座って落っこちるあいつのことは「ハムティ・ダムティ」とは言わず「ハンプティ・ダンプティ」と言うし、このごろのオネーチャンたちがカツカツ五月蝿い音を立てて歩くあの履物のことは「パムス」ではなく「パンプス」と言う。「週刊少年ジャム」を読んだり「記念スタム」を押したりはしない。強情をはらずに今後は「トンプソン」で行きます。ごめんなさい。

早朝は交流の家の規定通り、朝のつどい、掃除、それから朝食。そのあと考察の結果を発表してもらう。先生たちがうれしそうである。というのも、数学科の教員は常日頃から、学生さんたちと数学の議論がしたくてしたくてたまらないのである。一方的に教えるのではなく自分にとっても学ぶ機会になるようなディスカッションがしたいといつも思っている。

夜はSkypeのチャットで「つどい」の運営会議。遠隔地在住+ヘタレの俺はあいかわらず、実際の運営にはあまりタッチできないが、「つどい」の歩みには気長に付き合っていこうとは思っている。会議終了後、ツイ禁中の のうこ (@noukoknows) を捕まえ、急にアカウントを抹消してしまった共通の友人の消息を伝える。


2012年9月22日(土) 秋分の日くもりあめ

昨年同様、大洲青少年交流の家に合宿に行く。数学科の3年生以上の学生22名プラス教員8名で、思いのほか盛況。例によって、学生を5つのグループに分けて、ちょっと骨のある問題に協同して取り組んでもらい、明日の午前中にその報告をしてもらう。夕食のバーベキューの他には、これといってお楽しみの時間は設けられていない。(いや、実際には夜には皆で酒を飲んでいたりするのだが。)うっかりiPhoneを忘れて出てしまったので、久しぶりにまる一日電話もインターネットもない環境に投げ込まれた。それで、学生さんたちが研修している間、時々助言を与えたり茶々を入れたりしながらも、もっぱらジャスティン・ムーアの論文の解読に時間を使う。

夕食はあいにくの雨の中であったが、みなで焼肉を食い酒を飲みおしゃべりをして楽しかった。風呂に入った後は、数学の考察に戻る人たち、酒盛りをする人たち、自分たちの研究についてのセミナーを始める教員たち、それぞれに有意義な時間を過ごしているようだったが、俺はひとりで早めに寝室に引っ込んで、雨の音を聞きながらすこし考えごとをし、さっさと寝てしまった。


2012年9月21日(金)はれ

月曜と土曜が祝日なので、今週はピアノ教室がお休み。Twitterのタイムライン上でこの数日の間に起きた異変に関連して何人かの人にメールを送るなど。そうした異変とは関係ないけど、結城浩さんのメルマガの感想メールが、送っても送っても先方のメールボックスに届かず、何度も確認をしてもらって結城さんを手間取らせてしまった。もうしわけない。

Facebookもぼちぼち利用しているが、PC版の画面でいうと右側に並ぶ広告が不愉快だ。生年月日と性別から中年のおっさんと判断するのは妥当(というより当たり前)ではあるけど、だからといって「48歳のあなたに足りないなんちゃら」とかいう言葉とともに美女の写真を載せた思わせぶりな広告(確認する気にもならんが、おそらくなんらかの強精剤とかサプリとかの広告)を載せられても困る。どうせなら、こちらがそういう手口に引っかかる48歳かどうかまでリサーチを尽くしてくれたらいいのに。目障りで鬱陶しいので、RebelliousというSafariの機能拡張を入れて余計な広告をカットすることにした。


2012年9月20日(木)はれ

季節の替わりめとて、風邪をひいたりとか、体調を崩している人が多いようだ。俺は昨日もフラフラになっていたくらいで決して好調ではないが、寝込まにゃならんような状態ではない。懐具合と精神状態はひどいもんだけどな。

iPhoneのオペレーティングシステムがiOS6にアップデートされた。ただしiPad初期モデルはアップデート対象外。購入後2年ちょっとですでに「過去の遺物」あつかいだ。パソコンのMac OS Xも10.8.2になった。MacBook ProのEvernoteアプリも久々に起動したのでアップデートされた。アップアップの日々。

Evernoteを久々に起動したのは、増えつづけるノート類をどう整理したものか考えているからだ。

コピーしたりプリントアウトしたりしたものの数年間キャビネットにしまい込んだままで読まずじまいになっている学術論文を、昨晩ひと山始末したのだが、そのときに過去に自分が勉強した膨大なノート類も出てきた。京都で実家から大学に通っていた頃のものはともかく、大学院時代以降に書いたノートは極力捨てずに残してあるのだ。目に見える形で業績として実を結んだものはほんのわずかしかないけれど、それ以外にいろいろなことを、それなりに熱心に調べたり考えたりして書いている。時々は、なかなか気の効いたことが書いてあったりもする… 懐の寒さに象徴されるこのごろの自分の腑甲斐なさに、昨日はすっかり落胆していたのだが、いまと同じくらい腑甲斐なかったのかもしれないが研究する熱意だけはないわけでもなかった昔の自分を振り返って、すこし元気が出た。将来の見通しももちろん大事だが、こと俺に関するかぎり、記録を残しておくことが大事なようだ。

ところがこのごろはどうも貧乏性が進行してきた。上等の紙だと身構えてしまって、それでなくとも乏しいアイディアがなおのこと湧かなくなる。計算なども裏紙にぐちゃぐちゃっと、しかも形式を整えずに乱雑にやっつけてしまうようになった。計算を雑に書くようになったのは、紙を節約したいこと以外に、自分が書いた式を見ながら続きを考えないと思考が途切れるからというのもある。パソコンで文字を打つようになって、無限に修正可能なテキストエディタ上の文章入力にすっかり慣れてしまっていることと、ペンを持つ時間が減って字が下手になったことも関係しているに違いない。

しかし、数学をやるには手を動かさないとなあ。

思ったことや感じたことは、こうして「て日々」に残っていく。だが、数学の「わかる」は、「思う」でも「感じる」でもない。せっせと手を動かし計算して「わかる」あるいは「つかむ」ことが必要だ。そして記録を残す。となると、俺にはやはり紙媒体のほうが合っているのかな。いっぽう、他所からダウンロードしてきたデジタルデータはMacBook ProやiPadに記録してあって必要に応じてさっと引き出してこれる。とても便利だ。そういう時代に、それでは、自分の生みだすものにはどういう形態をとらせるべきなのか。

まあ、急いで結論を出すこともあるまい。いろいろ試しながら考えていこう。


2012年9月19日(水)はれ

自分の甲斐性のなさというか家計の苦しさにめまいを覚えるなど。その後、気をとりなおして、写真をたくさん貼り込んだ文書をMicrosoft Wordで作るという作業に一時間ほど根を詰めていたら、本当にめまいがした。しかも仕上りが全然面白くない。Wordはやめて、使い慣れたOpenOffice.orgのDrawを使うことにしよう。

あんまり使わなくなったPocket wifiを解約。iPadを持ち歩くことが減ったというより、外出することが減った。たとえば、このごろは子供らを学校に連れていかなくなったので「いつものカフェ」にも足を運んでいない。となると、あまり多くもない機会のために月々6,000円近い料金を払いつづけるのはもったいない。外出時の通信はiPhoneだけで済ませるようにしよう。

やるきのないあひる

先週の水曜日に書いたことが怪しくなって、位相ベクトル空間のテキストなどを確認。\(\beta S\) が \(\mathrm{Pr}(S)\) の端点全体の集合に一致するというのは正しいようだ。局所凸ハウスドルフ位相ベクトル空間のコンパクト集合 \(K\) の閉凸包 \(\overline{\mathrm{conv}}(K)\) がコンパクトであれば、このコンパクト凸集合の端点はすべて \(K\) に含まれる (cf: Kelley&Namiokaの本の定理15.2)。とすると、\(\beta S\) の閉凸包が \(\mathrm{Pr}(S)\) である以上 \(\mathrm{Pr}(S)\) の端点はすべて \(\beta S\) に含まれる。逆に \(\beta S\) の要素が \(\mathrm{Pr}(S)\) の端点であることはすぐにわかる。いっぽう、どこかで以前に読んだことがあると思っていた《コンパクト凸集合の端点全体の集合はコンパクトである》という命題の真偽は確かめられなかった。

アメナブル群についても文献を少し調べる。変換群の不変測度に関するタルスキの定理によれば、群がアメナブルであるためには自分自身の左からの作用にかんして逆説的有限分割をもたないことが必要十分であるようだ。これで、可算アメナブル群のクラスはめでたく \(\mathbf{\Pi}^1_1\) となった。次はこれが真の \(\mathbf{\Pi}^1_1\) であるかどうか、つまり、ボレルとか \(\mathbf{\Sigma}^1_1\) とかでないかどうかが問題となる。


2012年9月18日(火)くもり

たびたび言っているとおり、先日からジャスティン・ムーア (Justin Tatch Moore) のプレプリントを読んでいる。18ページある論文の8ページめあたりでもたもたしているところへヨリオカくんからの連絡。プレプリントが更新された。開いてみると、今度は21ページになっている。なんだか「アキレスとカメ」の話を思い出す。しかもすでに読んだ部分も少なからず書き替えられているようす。わはははは。


2012年9月17日(月) 敬老の日くもり

天気は悪くないが風が強い。例によって妻は某巨大ショッピングモールの医務室詰めのバイト。俺と子供らは家にいる。こういう日には数学のことを考えるのは早々に諦める。近所のスーパーでサーモンとびんちょうまぐろの刺身用の短冊が安かったので、ぼっかけにして子供らの昼飯に食わせる。


2012年9月16日(日)あめ

俺がゼミ生にメシ酒を奢るなどと言うものだから雨が降るどころか台風が来る。しかし松山は大した降りにもならず。9月24日にめでたく卒業となったH(K)くんは、臨時職員とはいえ就職口もみつかったそうでひと安心。

送別会の会場は花園町の「庄や」で、まあ特にどうということもない店だが料理もサービスも悪くはなかった。二次会につきあうお金と体力はないので9時半の電車で帰宅。

だけどゼミ生諸君、待ち合わせの時間場所指定のメールを受け取ったら、「うけとりました」の一言くらい返事してくれよ。心配じゃないか。


2012年9月15日(土)くもり

数学ネタの続き。

前にも書いたが、可算無限集合上に点を零化しすべての部分集合に対して値の定まる有限加法的確率測度が乗っているとしたら、そいつはカントール空間 \(2^{\mathbb{N}}\) 上の函数としてベールの性質をもたない。したがって、そのようなものの存在は選択公理の使用を認めないかぎり証明されないし、具体的に構成することはまず不可能だ。

群がアメナブル(amenable)であるというのは、全ての部分集合に対して値の定まる左作用で不変な有限加法的確率測度が存在することである。そのような測度は、だから選択公理を用いないでは存在を示すことができない。与えられた可算無限群がアメナブルであると主張する論理式は、定義を素直に書き下せば、\(\mathbb{N}\) 上3階の対象の存在を主張する \(\mathbf{\Sigma}^2_1\) 式ということになる。この3階の対象の「存在」を具体的な「構成」に書き換えることでもっと単純な特徴づけへと還元するという戦略には、上に述べた理由で、内在的な困難がある。

いっぽう、可算群の群としての構造は、可算集合上の2変数関数をひとつ指定すれば定まるから、与えられた2階の対象の性質だ。二階算術の範囲で群としての構造が完全に決まることを思うと、群の性質としてのアメナブルが本当に3階の性質なのかどうかは疑わしい。定義がベールの性質をもたない函数の存在に関わっていたとしても、もとの定義と(選択公理のもとで)同値な、二階算術の範囲で表現できる特徴づけというものがあってしかるべきだ。たとえば、\(\mathbb{N}\) 上の構造として与えられた可算群について、それが「逆説的有限分割をもたない」と主張する論理式は \(\mathbf{\Pi}^1_1\) 式に過ぎない。

アメナブルな可算群のクラスを記述集合論的な階層に位置づけること: それは射影集合だろうか?

もちろん、アメナブルな可算群のクラスが射影集合でないとかいうことになれば、自然な数学的概念を表現する“実数の集合”でありながら射影集合ですらないものが存在することになるわけで、これは一大事だ。あるいはジェネリック拡大に関して絶対的でないという程度の結果でも集合論的には十分に興味深い。まあ実際には \(\mathbf{\Pi}^1_1\) とか \(\mathbf{\Sigma}^1_2\) のあたりに落ち着くのではないかと踏んではいるのだけど。


2012年9月14日(金)くもり

昼すぎからカリキュラム改訂のための会議。いままでよりも専門に近い新設の授業をひとつ担当することになりそう。しかし単に授業を担当するコマ数ばかり講師並みというのではなく、いいかげん、本当の講師にでも准教授にでもなって、それなりのギャラをいただける身にならねばならない。がんばりましょう。

給料日の規定が変更になっていて慌てた。何にいちばん慌てたといって、明後日にはゼミのH(K)くんの送別会を開く段取りになっていることだ。H(K)くんの送別会であり0-1くんの大学院合格祝いであるから、この二人からは会費を取らない。それに、910くんが一年前に大学院に合格したときには何もしなかったので、910くんからも会費は取れない。つまり俺が4人分払う。本日給与が振り込まれるものとばかり思っていたが、どうやら18日まで待たねばならんらしい。いろいろの払いが遅れていてカードも止められている。仕方がないので妻に泣き付いて飲み代を工面してもらった。


2012年9月13日(木)くもり

建物の改装があるので、来年にはオフィスの引越しを往復二回せにゃならん。私物の本でいっぱいの棚はいまから少しずつ整理しておくに越したことはない。それで、ひとまずダンボール箱一杯ぶんくらいの本を手放すことにする。

手放す予定の本
[その1]

手放す予定の本
[その2]

手放す予定の本
[その3]

写真はそれぞれフルサイズの画像へリンクしている。なんでそういう本の写真を公開するかというと、ブックオフやらどこやらへ持って行く前に、知り合いの「すうがく徒」で必要だという人があればさしあげてもいいなと思っているから。積極的に募集はしないけど、連絡方法のわかる人はこっそり相談してくださいな。月末にはブックオフ行きになっちゃいます。

2012年9月18日火曜日: 1枚めの写真にある『プログラミングのための線形代数』は,0-1くんに貰われることになりました。

夜、数学での関数記号の導入について、せなまめ ( @senamame ) とぼんてんぴょん ( @y_bonten ) が面白げな話をしていたので嘴をはさみ、あとで Togetter でまとめた。→http://togetter.com/li/372956


2012年9月12日(水)はれ

昨日のトムソン群の作用とは打って変わって、きょうは抽象理論の確認。集合 \(S\) を離散位相空間とみなしたときのストーン=チェックのコンパクト化 \(\beta S\) と、\(S\) 上の有界函数のバナッハ空間 \(\ell^\infty(S)\) との関係を考える。\(\beta S\) の要素は \(S\) 上の超フィルターと一対一に対応するし、\(S\) の冪集合 \(\mathcal{P}(S)\) を定義域とする有限加法的確率測度とみなすことができる。いっぽう、\(\mathcal{P}(S)\) を定義域とする有限加法的測度は \(\ell^\infty(S)\) の正値線形汎関数を定めるから、双対空間 \((\ell^\infty(S))^*\) の要素と同一視することができる、この意味で、\(\beta S\subset(\ell^\infty(S))^*\) と考えることができるのだが、実は \(\beta S\) のストーン=チェックの位相は \((\ell^\infty(S))^*\) の弱*位相と一致する。つまり、\(\beta S\) は位相空間として \((\ell^\infty(S))^*\) に埋め込まれているわけだ。

さらに、\(S\) の冪集合を定義域とする確率測度の全体 \(\mathrm{Pr}(S)\) は \((\ell^\infty(S))^*\) の凸集合であり、弱*位相のもとでコンパクト集合でもある。\(\beta S\) はこのコンパクト凸集合の端点集合と一致し、したがって、\(\mathrm{Pr}(S)\) は \(\beta S\) の閉凸包ということになる。\(\mathrm{Pr}(S)\) の要素を \(\beta S\) の要素の凸結合の極限としてあらわす操作を介して、\(\mathrm{Pr}(S)\) は \(\beta S\) 上のベール確率測度(連続函数をすべて可測にする\(\sigma\)-加法的確率測度)の集合に埋め込まれる。大変抽象的で大仰なことをやっているようだが、これはこれでたいそう「自然な」話でもある。

有界函数のバナッハ空間 \(\ell^\infty(S)\) と \(S\) 上の有限加法的確率測度の関係については2009年3月24日の日記に書いたような事情で当時それなりにつっこんで考えたのではあるが、その時はそもそもが選択公理を否定する話(数列空間 \(\ell^1\) の回帰性が選択公理を弱めた \(ZF+AC_{\aleph_0}\) 集合論と矛盾しないことの証明)をしていたこともあり、\(\beta S\) との関係は視野に入っていなかった。

たとえ \(S\) が具体的な可算集合、たとえば \(\mathbb{N}\) であっても、\(\beta S\) を \((\ell^\infty(S))^*\) へ埋め込むとか \(\mathrm{Pr}(S)\) を \(\beta S\) 上の測度の空間へ埋め込むとかの高階の対象を巻き込んだ大掛かりな操作には、選択公理が不可欠だ。そういう議論が可算無限個の要素からなるトムソン群という具体的な群の構造に関連してくるというのは、なかなか面白いものである。とはいえ実際にどのように関連してくるのかは、俺としてはこれからまだムーアの論文を解読しないとわからないのだけど。

ムーアのこの論文では、副産物としてヒンドマン(Hindman)のラムゼイ型定理の非結合代数バージョンという組合せ論的な命題を証明している。もともとのヒンドマンの定理は \(\mathbb{N}\) の要素の色分けに関する定理であり、無限集合に関わるとはいえ手にとって扱えるような対象の議論だ。実際ヒンドマンの定理は \(\Pi^1_2\)-ステートメントであるから、\(ZFC\) で証明できれば \(ZF\) で証明できる。いっぽう、ヒンドマンの定理を \(\beta\mathbb{N}\) 上の代数系の問題に帰着させることができる。\(\beta \mathbb{N}\) を使うということは、とりもなおさず選択公理を使うということである。選択公理が不要なはずの定理でも、より簡明だったりなにか新しい視野を確保できたりする「よい」証明が選択公理を用いて得られる可能性はある。その一方で、選択公理が不要なはずの定理に対して本当に選択公理を用いず構成的な証明を与えようという試みにも、それなりに意味がある。要は、何が真であるか知ることと、その検証の過程からできるだけ豊かな知見を引き出すこと。

ヒンドマンの定理とは次の命題だ:\(C\) をなにか空でない有限集合とし、\(f:\mathbb{N}\to C\) を任意の写像とするとき、無限集合 \(X\subset \mathbb{N}\) を抜き出して、\(X\) から任意に抜き出した相異なる有限個の要素の和について函数 \(f\) が一定値をとるようにできる。つまり、\(f\) が集合 \[\Big\{\,x_1+\cdots+x_n\;:\;x_1<\cdots< x_n,\;x_1,\ldots,x_n\in X,\;(n=1,2,\ldots)\,\Big\}\] 上で一定値をとるように無限集合 \(X\) を選ぶことができる。


2012年9月11日(火)はれ

朝、いつもの市内電車にいつになくインテリ臭い男どもがたくさん乗っていると思ったら、きょうから我が愛媛大学で応用物理学会の会合があるらしい。

きょうは「一元生成自由非結合亜群」と「トムソン群」の理解のために、いろいろと図を描いたり計算したり。なかなか楽しかった。論文になるとほんの数行でさらりと書かれることも、感覚的につかめたと言えるまでにはせっせと手を動かさないといけない。論文の字面を睨んで「なんとなく、こうかな?」だけではわかるもんもわからん。

二分木とその変換
有限二分木を書き換えるトムソン群の作用を調べる
これもいわば「計算」である

ほんとうに、昨日のヨリオカくんからの便りに救われた感じだ。この数日、俺の周囲の世界が止まったみたいで苦しかった。どうにか抑鬱状態を脱すると、次には決まって軽い躁状態がやってくる。このサイクルは止めようもないので、気分の上下に自分が振り回されないように、また周囲を巻き込まないようにしたい。抑鬱状態に先立つ情緒不安定がいちばん害が大きくて、自分も苦しいし家族にも迷惑をかける。ここをなんとか軽く済ませたい。それには特に、下がり調子のときに早めに自覚して「アレもせないかん、コレもせないかん」という気持ちにブレーキをかけることが大事なんだろうなと思った。あとは躁状態のときに風呂敷を広げすぎないようにせにゃあならん。広げた風呂敷を畳むこと、つまり仕事を片付けることも、抑鬱状態ではできないことだ。「広げること」だけでなく「収拾する」ことにも、動けるうちにもっとバランスよくエネルギーを注いでいれば、ここまで混乱せずに済むのかもしれん。


2012年9月10日(月)はれ

いまフィールズ研究所を訪問しているヨリオカくんからひさしぶりのメール。ジャスティン・ムーア (Justin Tatch Moore) の新しいプレプリントのことを知らせてくれた。それとともに、シェラ (Saharon Shelah) がとうとう \(\mathfrak{p}=\mathfrak{t}\) を証明したという知らせ。ムーアの論文はトムソン群(Richard Thompson's group)の認容性(amenability)という内容で、組合せ論的な論法で話が展開している。これならフジタが読めばわかるだろうとヨリオカくんが見込んで知らせてくれたわけで、そのように思い込まれているうちが華なので読んでみる。もういっぽうの \(\mathfrak{p}=\mathfrak{t}\) は俺の手に負えるとも思えないが、これはこれで集合論界ではビッグニュースである。

トムソン群とは可算無限個の元 \(x_n\) に対して,\(i<n\) のとき \(x_ix_nx_i^{-1}=x_{n{+}1}\) という関係を入れて生成される群だそうだ.二元生成の自由群 \(\mathbb{F}_2\) を含まない可算無限非可換群なので,これがamenableでないことを示してvon Neumann-Day問題を否定的に解決してやろうという試みが数々あったらしい.逆にamenableであることを示す論文が出たこともあるがそれは深刻な間違いを含んでいて,今回のムーアの論文で最終的に解決されるという.このムーアの論文は一元生成の非結合的亜群(non-associative groupoid)についてのある種のラムゼイ型の定理を示すことを通じてトムソン群のamenabilityを示す方針.いま読んでいる最中なのでこれ以上はまた改めて.


2012年9月9日(日)くもり

妻はNPOの仕事で外出。疲れぎみの俺を気遣って、子供らを児童館に遊びにやってくれた。それで、きょうは本当に、一日じゅうほとんど何もせずボーッとしていた。やったことは洗濯とトイレ掃除と風呂掃除くらい。


2012年9月8日(土)はれ

週末なんてキライだ。だが癇癪は高くつく。このまま、バカのまま死にたくはない。


2012年9月7日(金)くもり

昨日の日記を張り切って書いていたら半日がかりだった。こういう図形の問題を作図しながら解いていくと、その途上で派生的にクイズ的な問題を考えついたりして楽しいものだ。Asymptoteで思いどおりの図を描かせるには、プログラミングの工夫も必要で、これもなかなか楽しい。だが、そんなことばかりで日々を過ごしていられるわけもなく、同僚からの電話が入り、後期のある授業の計画を急いで立てて書類を作らねばならない。水曜日の日記に恥ずかしい思い違いがあるから訂正を入れないといけない。そういうときに限ってパソコンが不調になる。データ消失の不安を覚えつつ再起動をかける。Mac OS 特有の「ビーチボール」が10分も周りつづけて起動しない。一度電源を落とし、二度目の再起動で無事にログインできたので、念のために大事なデータのバックアップをとる。そうこうするうちにピアノのレッスンの時間が迫ってくる。バックアップは終わっていないし、書類も完成していない。仕方がないので、パソコンを起動したままレッスンに向かう。電車のプリペイドカードにはほとんど残額がない。おまけに空腹である。レッスンには10分遅刻。5分延長してもらったが、その25分のうち前半は、これはもう演奏というものではなかった。仕方のないことだ。O野先生いつもすみません。レッスン後、歩いて大学へ戻る。バックアップは無事に済んでいた。書類を完成させ同僚に送る。すったもんだしたが、なんとか片付いた。日記の訂正はもういいや。歩いて帰宅し、適当に食って適当に寝る。


2012年9月6日(木)はれ

seren arbazardさん(@serenarbazard)と結城浩さん(@hyuki)から,幾何の面白い問題を聞いた.

【問題】 下図(1)のように正方形3つを並べて対角線をとったとき\(\angle x+\angle y+\angle z=90^\circ\)となることを証明しなさい.

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図(1)

しばらく考えて次のような解を得た.各頂点に図(2)のとおり名前をつけたとしよう.\(\angle OPX=45^\circ=\angle x\) と \(\angle ZPZ'=\angle z\) がわかるので,あとは \(\angle XPZ = \angle y\) を示せば \[ \angle x + \angle y + \angle z = \angle OPX + \angle XPZ + \angle ZPZ' = \angle OPZ' = 90^\circ \] となって話が済む.そこで,図(2)で太線で示した三角形\(XPZ\)に注目しよう.

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図(2)

三角形\(XPZ\)の外心\(Q\)は辺\(XZ\)の垂直二等分線と辺\(XP\)の垂直二等分線の交点にほかならない(図(3).) 点\(Q\)は線分\(YY'\)を点\(Y\)から\(Y'\)へ二倍に延長した位置にあり,三角形\(OYQ\)は\(Y\)に直角をおく直角二等辺三角形である.この\(Q\)が

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図(3)

三角形\(XPZ\)の外心\(Q\)がわかったので,\(Q\)を中心として点 \(Z\),\(X\),\(P\)を通る外接円の円弧を描くことができる(図(4).)

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図(4)

さて,そこで,目的の角\(\angle XPZ\) は弦\(XZ\)に対する外接円の円周角だ.同じ弦に対する中心角は円周角の2倍だから \(\angle XQZ=2\angle XPZ\) であるが,三角形\(YQX\)と\(YQZ\)はいずれも三角形\(OYP\)に合同だから\(\angle XQZ=2\angle y\)でもある.したがって\(\angle XPZ=\angle y\)である.そしてこれが証明したかったことであった.

作図のステップごとに図を付したら思いのほか長くなってしまった.この問題はわりかしよく知られたものらしく,日大の志村さんは姉上の高校入試の問題だったことを覚えているという.そのとき模範解答とされていたのは次の図のものだそうだ.俺のヘボな解答よりよほど簡潔だが,これ,普通の高校受験生に答えられるんだろうか.いや,志村さんのお姉さまがどちらの高校に通っておられたかは存じあげないのだけど.

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図(5)

図(5)のとおり,もとの図形の上に,同じサイズの正方形をさらに3つ並べて配置し,中央上側の正方形の北東の頂点\(Q\)に注目する.三角形\(PQZ\)は\(Q\)に直角をおく直角二等辺三角形である.したがって\(\angle QPZ=45^\circ\)だが,\(\angle X'PQ=\angle y\),\(\angle X'PZ=\angle z\)であるから,\(\angle y+\angle z=45^\circ\),したがって \(\angle x+\angle y+\angle z=90^\circ\) となる.そしてこれが証明したかったことであった.

さらに,@tutetuti さんの出した二通りの解がとりわけエレガントだった: 【第一の解】【第二の解】

やるきのないあひる

大学院入試の合格発表。0-1くんはちゃんと報告&挨拶にきたので、今後は意識して作文の練習をするように、また、パソコンにTeXをインストールしていまから慣れておくように指示。0-1くんの合格祝いにH(K)くんの卒業祝いを兼ねて、近々飲みに行かねばなるまい。

午後は熊本の千木良先生の談話会。散在有限単純群のひとつRudvalis群の構造解明へのアプローチという話だった。


2012年9月5日(水)くもり

日記にするほどのネタもないので,数学の話を続ける.

Hyperarithmetical encodabilityに関連してC.Jockusch Jr.とR.I.Soareが証明した次の結果を勉強した.1973年の論文だから,俺が9歳の時の話だ.

“hyperarithmetical”というのは妙に長いし,かといって「超算術的」というのは日本語として据わりがよくないし,以下ではHAと略記する.

次の条件をみたす函数 \(g:\omega\to\omega\) が存在する.函数 \(f:\omega\to\omega\) がすべての \(n\in\omega\) で \(g(n)\leq f(n)\) をみたすならば, \(\mathcal{O}\leq_h f\) である.ここで \(\mathcal{O}\) はいわゆるKleeneのO,すなわち構成的順序数の記法全体の集合である.JockuschとSoareはこのことを使って,Tuguéのオブジェクト \(\mathbf{E}_1\) から計算可能な自然数の集合がいずれもHA-encodableであることを証明した.なかなか明快な証明で面白かったのだが,《連続体仮説のモデルには,基数 \(\aleph_1\) を潰さないかぎりdominating realを付け加えることはできない》という,明らかに間違った命題が,この論法の応用で証明できるように見える.どこか見えないところに落とし穴があるわけだ.この話からは,計算論的な結果の相対化は必ずしも単純明快とは限らないという教訓が得られる.面白いじゃないか.

Tuguéのオブジェクト \(\mathbf{E}_1\) とは,ラムダ記法で書けば \(\lambda\alpha.(\forall \beta)(\exists n)[\alpha(\beta\upharpoonright n)=0]\) だ.記述集合論で大事な働きをするω上の整礎木全体の集合 \(WF\) を計算論的な型2のオブジェクト(一個の函数変数についての述語定項)としてとらえなおしたものであり,見方をかえれば解析集合の定義に出てくるススリン演算を述語化したものでもある.そしてTuguéというのはもちろん柘植利之先生のことだ.

このJockuschとSoareの結果はencodabilityの結果とはぴったり同じでなくて,その意味でも興味ぶかい.HA-encodableな集合の範囲を(JockuschとSoareの結果が最善であることを示すことにより)決定したSolovayの結果と比較して,次のことを考えてみよう.ある函数 \(a:\omega\to\omega\) と \(f:\omega\to\omega\) に対して,\(f\) をdominateする任意の函数に \(a\) がHA-帰着可能 \[ (\forall g)\Big[\;(\forall n)[\,f(n)\leq g(n)\,]\implies a\leq_h g\;\Big] \] であるとするならば,函数 \(a\) は \(\mathbf{E}_1\) から計算可能だろうか.

後日追記:実はこの問いはまったくナンセンスだ。というのも、このような \(a\) は必ずHA-encodableであるからだ。無限集合 \(X\subset\omega\) の部分集合 \(Y\) を、その昇順の数え上げが \(f\) をdominateするように十分に薄くとれば、\(a\) が \(Y\) にHA-帰着可能になる。これこそ、ほかならぬJockuschとSoareが用いた議論である。問うべきだったのはこの逆で、HA-encodableな \(a\) に対してそういう \(f\) が必ず見つかるか、ということのほうだが、それとて、Solovayの結果で解決ずみだ。(2012年9月9日日曜日)

さらに,recursively encodable = HA と HA-encodable = recursive in \(\mathbf{E}_1\) というSolovayの2つの結果を比較し,これに HA = recursive in Kleene's \(\mathbf{E}\) という事実を加味すると,\(\mathbf{E}_1\)-recursively encodable が何か\(\mathbf{E}_1\)より強い型2の対象から計算可能な集合の全体に一致することが期待される.おっと,クリーネの \(\mathbf{E}\) とは \(\lambda\alpha.(\exists n)[\alpha(n)=0]\) で,自然変数の量化 \(\exists\) を型2の対象(函数変数の述語)として表現したものである.そして,自明な述語としての空集合 \(\emptyset\) とクリーネの \(\mathbf{E}\) と柘植の \(\mathbf{E}_1\) が順に“superjump”になっていることも注目に値する.\(\mathbf{E}_1\)-recursively encodableな集合の全体は \(\mathbf{E}_1\) のsuperjump \(\mathbf{E}_2\) (仮称) から計算可能な集合に一致するだろうか.


2012年9月4日(火)くもり

午後はカリキュラム改訂の会議で3時間以上ああだこうだと議論した.

やるきのないあひる

大学院生だった頃にhyperdegreeについて気になっていた問題がいくつかあるが,minimal coverの問題もその一つだ.

半順序集合 \((P,\leq)\) において要素 \(c\in P\) がminimal coverであるとは、ある要素 \(a\in P\) について (1) \(a<c\) であるが, (2) いかなる要素 \(b\in P\) についても \(a<b<c\) は成立しない,という2条件をみたすときにいう.\(c\) は \(a\) の上にある(coverしている)要素のうちで極小(minimal)だというわけ.ただし,半順序の話だから,\(a\) の上にある要素で \(c\) と比較不可能なものがあってもかまわない.それが極小と最小(minimum)の違い.

Turing degreeの半順序 \((\mathcal{D},\leq)\) の場合,Kleeneの \(\mathcal{O}\) のdegreeより上にある要素はすべてminimal coverになっている.Hyperdegreeの半順序の場合にどうなっているかについては,S.G.Simpsonが1970年代に研究して,次の結果を出した:

【定理1】 集合論の宇宙 \(V\) が構成可能的集合のクラス \(L\) の(集合サイズの半順序による)ジェネリック拡大である場合には,どんなhyperdegreeの上にも,minimal coverでないhyperdegreeが存在する.この意味では,Turing degreeと類比的な結果は成立しない.
【定理2】 \(\omega\) 上のすべての \(\Pi^1_1\) ゲームが決定性をみたすならば,ある要素の上にあるhyperdegreeはすべてminimal coverである.この意味では,Turing degreeと類比的な結果は成立する.

Simpsonのこの結果のあとほどなくして,《\(\omega\) 上のすべての \(\Pi^1_1\) ゲームが決定性をみたす》という仮説が《\(0^\sharp\) の存在》という仮説と同値であることがL.Harringtonによって証明されたが,ゲームの決定性を仮定して \(0^\sharp\) の存在を導くHarringtonの証明も,実はTuring degreeの半順序の構造についての議論になっている.Harringtonはその論文の最後のremarkで,「hyperdegreeに置き換えてしまうと,この論法はもはや成立しない」と述べているが,そのことのきちんとした証明は,現在まで出版されずじまいである.

そんなこんなで,hyperdegreeの半順序の構造は,Turing degreeの理論との比較において研究され始めたものではあるが,集合論のいろいろな仮説とも関連していて,そこのあたりが俺には興味津々なのだった.で,Simpsonの論文を読んだ俺は,上に述べたSimpsonの定理2を少しだけ精密化してセミナーで発表した:

【改良版定理2】 \(0^\sharp\leq_h X\subset\omega\) のとき,\(X\) のhyperdegreeはminimal coverである.

定理1と定理2とを合わせ考えたとき,ある \(A\subset\omega\) と同じかそれより高いhyperdegreeはすべてminimal coverであるという定理2の結論から,逆に \(0^\sharp\) の存在が導かれないだろうか,という疑問が当然起こってくる.定理1は定理2の逆にかなり近いので,残るギャップが埋められると期待するのは自然なことである.上で言ったHarringtonのremarkはそれが不可能であると主張しているようにも見えるが,本当にそうか疑わしいし,そもそもそのremarkで述べられた主張自体の証明がどこにも書いてない.このあたりは(古い話だからとっくに片付いている可能性もあるけど,そのことも含めて)詳しく調べてみる価値がありそうだ.

昨日hyperdegreeの論文を読み始めたと言ったのは,ひとつはこのSimpsonの論文のことで,読み返そうと思った理由はもちろん,上に書いたような話を思い出したからだ.俺はなにしろ途中で放り出した問題が多すぎていかん.


2012年9月3日(月)くもり

うちの子供らの小学校も研究室の隣の中学校も、きょうから新学期。自宅は静かになるが、反対に研究室の周りは少々うるさくなる。まあ仕方がない。始業式を終えて帰ってきた子供らと一緒に昼食をとり、それから大学へ出向く。思うところあって、hyperdegree についての古い論文をいくつか探し出してきて読み始める。

夕方、雷が鳴ってひどく雨が降って、こりゃあうちで留守番している子供らが心細かろうと思って、仕事を切りあげて帰った。帰ってみると、なんのことはない。こちらでは雨なんぞ降っていない。大学近辺ではえらい土砂降りだったが、歩いて30〜40分ほどの距離の家の周辺では地面が乾いている。にわか雨なんてこんなものである。それに親の心配なんてのもこんなものである。

妻が仕事の相談のために母校に行っているので、子供をつれてスーパーに行き、適当におかずと飲み物を買って夕食にする。


2012年9月2日(日)はれ

またまた不機嫌になって、妻を困らせてしまった。ごめん。夕食に今秋初めての秋刀魚。大根おろしとすだちを添える。それと味噌汁。具は白菜と葱と蟹缶。蟹缶は開けたら使い切りたいのでまる一個使う。冷蔵庫に残った白菜のそこそこの量があったので、味噌汁を多めに10人前くらい作って、残ったら明日の朝に回すことにする。


2012年9月1日(土)はれ

というわけで、9月になった。ムスメはすっかり油断しているが、夏休みは昨日までで、今日は普通の土曜日である。昼食にラーメンを作る。夕食は、定番の挽肉みそ炒め。豆板醤をひとさじだけ加えて少し辛くしたら好評。それとあともやしの和えものと、ままかりの味醂干し。