て日々

2019年10月

目次へ

講義はフォーマルな自然数論における割り算と剰余と合同関係、それと最大公約数。次回は中国剰余定理とベータ式をやる。このあたりから面白くなってくるはず。講義のあと、図書室で調べものをして部屋に戻ると、学部長からメールが入っていて、急遽、ある非公式のワーキンググループの会議の招集。そのあと、昨日の大学院ゼミで質問に答えられなかったところを考えたり。JavaScriptでコンピュータグラフィックスのプログラムを組んだり。

昨晩飲み会だったので、きょう振替の休肝日。明日から11月なのでそろそろ冬服の支度をしなくちゃ。

大学院ゼミは \(\mathbf{V}=\mathbf{L}\) からの \(\diamondsuit^+\) の証明なのだが、少々長めの証明の途中までで時間切れになってしまった。ゼミのあと、スウェーデンのウプサラ大学のヘルシェント先生が大学の紹介をする講演を聴いた。うちの大学の理工学研究科とウプサラ大学の数学科が交換留学の協定を結び、ちょうど今日、調印式があったのだ。そのあとさらにTGSAセミナー。イタリアのウディネ大学のディクラニアン先生の講演は群上の写像のエントロピーの話。アミティエでの懇親会は魚料理中心で美味しかったが、例によってワインに酔ってしまった俺は早めに退散。

午後、3年生ゼミ。ヒルベルト幾何学基礎論のとっかかりの部分。絵的には当たり前のことを、無定義語と公理で再現する試み。初めて触れる人には、何をやっているのかわからないところだ。あせらずゆっくり進みましょう。あと、連載原稿の直しについて編集さんとやりとりをするが、土日の疲れのせいか、本調子でない。

夕方、日曜日に大阪のジュンク堂で買った我妻幸長『Pythonで動かして学ぶ!あたらしい数学の教科書』(翔泳社2019年)という本を開き、Jupyter Notebookというものを触ってみる。Pythonを勉強するにあたって、ターミナル上でpython3コマンドのインタラクティブモードを使うよりは、よほど気が利いている。

この我妻さんの本の内容は機械学習の基礎にある数学だから、例によって線形代数・微積分・統計だ。これらは理系全般の基礎科目で、必ずしも機械学習を専門にしない普通の学生さんにとっても必須知識である。だから当然これらの内容自体は昔から、それこそいまではベテラン教師の域に入る俺たちが学生だった頃のそのまた先生が学生だった頃からずっと教えられ学ばれているのだけれども、そういう基礎科目の学習にPythonをからめ、インタラクティブな計算ツールを手元に置いて学ぶ、それがある程度万人に開かれたフリーなツールでできる、このあたりは新しい。前にも書いたが、頭のよい奴らにいいように使い捨てにされてオシマイにならないためにも、これからの時代の学生さんたちには、こういう学び方の心得が必要になると俺は思っている。

またその一方で、あるいはその次のステップで、それこそヒルベルト幾何学基礎論のように、直観的な理解内容を言語のロジックでなぞる論理の訓練や、その逆に言葉で言われている内容をイメージする訓練なども必要だ。

計算機のリソースが万人に開かれたツールになったのは、せいぜいここ30年ほどのことだが、ロジックとイメージの相互転換過程である数学は二千数百年の歴史がある。数学こそ、古代ギリシャの昔から、万人に開かれたツールだったはずなのだ。哲学だってそうだ。いま現在、たまたまそうなっていないとしたら、数学と哲学をふたたび万人に開かれたツールとして再生させるのは、俺たちの役目だ。

夜はピアノのレッスン。指はどうにか動くようになったが表現というものができていない。本番までひと月を切っているし、なおのことしっかり練習せねば。

講義の時間になって教室へ行こうとしたが眼鏡が見当らない。仕方がないから眼鏡なしで講義。自然数論のうち大小関係の話が中心だが、定義による言語の拡大の説明もていねいにした。しかし、最後に \(a\neq0\) かつ \(x<y\) のとき \(ax<ay\) というなんでもない事実の証明でつっかえたのは痛恨であった。講義を終えて研究室に戻ると、眼鏡はソファーの下から見つかった。

昨日書いた連載原稿を見返し、少し直して、編集部へ送った。2年もののこの連載も、1月号の分を書き上げて、残すところ、あと2か月分。

10月ももう終り近くなって、夜などだいぶ肌寒い。フジグラン松山で食材を買って帰宅。いつものように、夕食後に明日以降のお惣菜を作る。

つどい2日目。ただし、俺はあまり講演を聴かずに控室で連載原稿をやっつけていた。結局きょう聴いたのは完全加法族についてのN.Yの講演だけだった。帰りのバスの時間があるので、閉会を待たずに退出したが、それはそれで、梅田に着いてから少々時間が余ってしまったので、紀伊国屋書店や丸善&ジュンク堂書店を見て回った。丸善&ジュンク堂では拙著がいまだに平置きされていた。ありがたいことだ。夕方の梅田の街はたくさんの人が歩いていて、なんだかお祭りみたいだった。バスは夕方6時20分発。夜11時半過ぎに松山市駅前に着いた。さすがに少し疲れた。

大阪大学理学部の教室をお借りして、第12関西すうがく徒のつどい1日目。俺はこの催しの「顧問」というものに祭り上げられているので、運営要員にも毎回名を連らねているのだが、いつもはろくに手伝いもしていない。せめて今日くらいは何か手伝おうと、受付を担当し、懇親会の会費を集めた。人様のお金を扱うのは久しぶりで、ちょっと緊張した。セッションが始まってしまうと、受付は暇になるので、お金の番をしながら明後日の講義の準備をした。

途中、受付を交代してもらって、小教室でそうじさんの講演「無限帽子パズルと位相空間論」の座長を務めた。無限帽子パズルというのは、いろいろな観点から調べられそうな、なかなか面白いテーマなので、自分も文献を取り寄せて少し勉強してみる。

朝8時30分のバスで大阪に向けて出発。梅田に着いたのは14時15分だから6時間近くかかったことになる。すぐさま御堂筋線で大阪府立大学へ向かう。嘉田さんのところで、最近コンソナント空間について考えたことを喋って知恵を借りようという、いわゆる研究連絡である。

夜は梅田に戻って、salmonsnareさん、山形さんと3人でビアブルグに行った。

明日の段取りを考えて、宿は十三(じゅうそう)に取った。十三は、京阪神間を電車で移動するさいには必ず通過する重要ポイント、いわば交通の要衝で、俺も何度となく通過だけはしてきたのだが、駅で降車して街へ出るのは初めてだ。ホテルは普通に東横イン。しかしラブホ街のど真ん中である。

ちょっと日が過ぎてしまったが、倅の誕生日プレゼントが昨日届いたのを受けとり損ねたので、朝、小雨のなか、郵便局へ歩いて行って受けとる。次回倅が泊まりにくるときに手渡してやろう。いつもの三番町ガーデンプレイスカフェは郵便局のすぐ近くである。コーヒーを飲みながら、昨日書いた原稿を読み返す。

午後は講義。ペアノ算術の公理と、足し算、掛け算のいくつかの例題。

この数日ずっと気にかけていた原稿を編集さんへ送った。LaTeXで書いてPDFに出力したものを送ったが、できれば数式以外の文章のところだけでもWordでくれというので、TeXファイルをテキストファイルとしてWordに読み込ませてちまちまと書式を整える。これには少し疲れたが、ともあれこれで肩の荷を降ろすことができた。と思ったのも束の間、すぐにも連載記事のほうに取りかからねばならんのだけど。

倅を学校へ送り出して、洗濯を済ませてから大学へ。午前中は昨日県立図書館で見つけられなかったワイルの『数学と自然科学の哲学』(菅原正夫・下村寅太郎・森繁雄訳、岩波書店1959年)を教室の書庫で見つけて調べる。この本(訳書74ページ)でワイルはたしかに「数学は無限の科学だ」と主張している。その前後の文章がなかなか難しい。数学ではもっぱら無限を扱う、というようなお気楽な意味ではなさそうだ。

午後は大学院のゼミ。\(\mathbf{V}=\mathbf{L}\) のときの \(L(\kappa)\) と \(H(\kappa)\) の比較の話など。そのあと学部の会議。それが済んでから、明日の授業の準備をして、さらに原稿書きをする。完成度が高いとはいえないが、それなりのものになりつつある。

即位礼正殿の儀のための祭日。

午前中、県立図書館で調べものをする。ヘルマン・ワイル『数学と自然科学の哲学』があるかと期待していたのだが、置いてなかったのは残念だった。ワイルの「数学とは無限についての科学だ」という有名な言葉の出典がこの本だと、村田全の本に記されていたので、裏をとりたい。まあ、ワイルのこの本なら明日教室の書庫で探せばよいので、なにも慌てる必要はないのだ。その他の本をいろいろ調べて、それなりに収穫はあり、とくに『Oxford数学史』(共立出版)のある記事を参照して面白いことがわかった。

昼食は炎やラーメン。それからコンビニで缶ビールを買って堀之内公園のベンチに座る。秋らしくおだやかな、静かな好天で、公園ではいろいろな人たちが思い思いに時間を過ごしている。こういうときは、この世界も捨てたもんじゃないなと思える。

午後は原稿を進める。分量的にはだいぶいい感じになってきた。だけど、なんだか論旨がはっきりしない。つまり、まだ言いたいことが的確に言えていないのだ。ここからが正念場だ。

夜はまたまた倅が泊まりに来る。夕食は食ってから来るという。なので、自分も夕食をどこかで済ませておかねばならん。フジグランで明日の朝食の食材などなどを買い、フードコートのマクドナルドでダブルチーズバーガーを食う。

倅を学校へ送りだし、洗濯をして、たまには運動しようと、歩いて大学へ行く。昼休みに会議。午後には講義。仮定をもつ推論と演繹定理、等号に関する公理、一意存在量化まで話して、論理についてはこれで一段落とした。次回から形式化された自然数論。

原稿は進捗なし。というか、大きく書き直したくなるようなアイデアばかりが浮かんできて困ってしまう。

幾何の作図題をパズルとして楽しむ Euclidea というサイトがあるのを知った。これがとても面白い。いまはそんなことをしている場合じゃないんだけど、と言いながら、うかうかと時間を費やしてしまった。

原稿をちまちま進める。分量的には半分くらい書いたが、話はまだぜんぜん核心に触れてもいない。ここからが肝心なところなのだが、さてさて…

ケーズデンキに行って500GBのSSDを買ってきた。物書きパソコンとは別に2011年モデルの東芝Dynabook T451/57DBDというマシンを、しばらく前にハードオフで買って置いてあるので、これの1TBハードディスクをSSDに換装しようというわけ。取り出したハードディスクは物書きパソコンその他のバックアップに利用する。で、この黒くて大きなDynabookは少々旧式だが、Core i7/2.2GHzというCPUと8GBのメモリ、それにBlurayドライブを積んでいる。どう役立てようか、というところは、実はまだちゃんと考えていなかったりする。

夕方からは倅が来る。本人の希望でこちらで一緒に晩飯を食うことになったので、イカの墨煮を作った。それと小松菜と豚肉のオイスターソース、昨日のうちに作りおきした鶏むね肉の蒸し焼き。あと生野菜。一人のときは食事の用意も面倒だが、誰かと食うとなったら、それなりのものを用意しようという気になるものだ。イカの墨煮は昼食後に調理して寝かせてあったので、味が馴染んでなかなかうまかったよ。

昨日夜10時前に床についたら、夜中の2時前に目がさめた。仕方がない。腹を決めて机に向かい、ボールペンを持ってコピー用紙の裏に依頼原稿の下書きをする。コピー用紙5枚ほど下書きができたので、パソコンを起動してLaTeXで打ち込んでみる。いつもの「数学セミナー」の連載原稿と違って、今回の依頼原稿は縦組みで、それが俺には少し新鮮だ。とはいえ俺の書くことだから、少しは数式を使わないわけにもいかず、なかなか悩ましい。下書きをTeXに直し、言葉を補ったり議論を敷衍したりしているうちに、分量的にはすでに全体の4分の1くらいは書けている。この調子で、しばらくがんばってみよう、と思っているうちに夜が明けてしまった。

それで、原稿をちょっとずつ進めながら一日過ごした。夜には Garakta へ行って、ラグビーの試合を見た。

月末締切の原稿にいくらなんでもそろそろ手をつけねばならん。それはわかっているのだが、そういうときに限って数学が面白く感じられて、先日から考えている位相空間の問題に、たいした進捗もないのに執着してしまう。よくある現実逃避の兆候である。

夕方、数学談話会で、工学部の新任の先生の講演を聴く。普段は聴かない解析学の話。いろいろな数学があるものだなあと思う。その後、月曜日の講義の準備を少しする。原稿が進んでいないことと、天気のよくないことと、あとここには書かないがちょっと面白くないことが重なって、なんだか憂鬱になってしまった。家に帰って簡単な夕食をとって、無理せず早めに寝てしまう。

朝、給料日とて、いつもの資金移動。大学へ行って研究室の古紙にまとめて紐をかけて紙ゴミ置き場へ出しにいく。年末調整関係の書類を出す。

午後は講義。ヒルベルト流の論理の公理と形式的証明の話。きょうの1回で済ませて来週から自然数論の話に入ってやろうかとも思ったが、さすがにそうもいかない。次回は仮定をもつ推論と、演繹定理の話をする。

講義のあと、コーヒーを飲みながら、ロートベルガーのいわゆる\(C''\)条件についての、ミラー(A.W. Miller)とフレムリン(D.H. Fremlin)の古い論文に目を通す。コンソナント空間についていろいろ考えているうちにそういう話に流れついたのだけど、詳細についてはまだ内緒、というか、語るほどのことはまだ何もわかっていない。

夕方、小雨の中を濡れながら帰宅。語るほどのことはまだ何もわかっていないと言いつつも、来週末に大阪でいま考えていることについて話すことにしたので、夜はその資料作りをした。

秋晴れである。朝、三番町ガーデンプレイスカフェへ行ってコーヒーを飲んでいたら、妻からメール。アパートの近くまで来ていて、倅が先日持ってきた勉強道具を回収したいという。仕方がないのでアパートまで取って返す。その流れで、久々に大学まで妻の車で運んでもらうことになった。午前中は文献 (“From the Calculus to Set Theory, 1630—1910”の第6章) を読み、午後の大学院のゼミではゲーデルの\(\mathbf{L}\)で一般連続体仮説GCHが成立していることの証明をやった。それから明日の講義の準備。論理の公理と形式的証明。詳しくやりだすとキリがないし、進度も予定より少し遅れているので、このあたりの詳細はだいぶ省かせてもらう。夕方、このごろ運動不足なのも意識して、早足で歩いて帰る。夜は「つどい」運営のSkype会議。

ついこのあいだまで暑い暑いと言っていたと思ったら、きょうはまた急にずいぶん秋らしく涼しくなった。朝食には雑炊を作った。

大学に行ってみると、Windows PCのモニタが故障していた。電源が入らない。これでは仕事にならないので、急遽業者の人に来てもらって、新しいモニタを買うことにした。10時すぎに発注して、昼休みのうちに新しいモニタが届いたので、ロスタイムは半日で済んだ。

日中、nCoくんが自分のノートパソコンのLaTeXシステムにemathパッケージをインストールするのを手伝い、コンソナント空間のことを考え、文献を読み、3年生セミナーをみる。雑誌『数学セミナー』11月号が届いた。正規空間の直積についての大田先生の記事が勉強になった。夜、ピアノのレッスン。楽譜を忘れていって、テシマ先生に手間を取らせてしまった。ごめんなさい。そのあと例によって Garakta に行き、バレーボールワールドカップの対カナダ戦をみた。

きょうも倅が泊まりに来る。午後から来るものだとばかり思っていたら、午前中に来て、昼飯もこちらで食うという話だった。俺としては、倅と二人で食う夕食にはちゃんとしたものを作るつもりだったが、自分一人で食う朝と昼の飯は、手抜きするつもりで何の用意もしていなかった。それに、早朝に飯を2合炊いて、朝昼に俺が1膳ずつ、夜に2人が1膳ずつ、というつもりで用意してあった。すっかり予定が狂ってしまったが、まあそういう日もある。日の高いうちに宿題をさせ、パソコンでゲームをさせ、散歩に連れだす。

快晴。しかし昨日の台風で関東に大きな被害が出たようだ。

午前中、再来週の「つどい」への往復のためにバスの切符を買いに出かけた。松山市駅前には共同募金のボランティアたちが並んでいる。些少のお金を献じ、赤い羽根をもらった。バスの切符を買ったあとは、まつちかBALでビールとピザで早めの昼食。ワインじゃなくてビール?と思う人もいるかもしれないが、ピザとビールの組合せも決して悪くない。それに、俺はワインが少々苦手なのだ。帰宅して昼寝のあとは文献読み。

読んだのは、I. Grattan-Guiness編 “From the Calculus to Set Theory, 1630—1910” (Princeton University Press, 1980)の第5章。カントールが集合論を創始するいきさつの記述だ。これによれば、カントールの連続体仮説の初出は、1883年に刊行されたいわゆる “Grundlagen” である。そしてそこでカントールはいまの言葉でいえば \(2^{\aleph_0}=\aleph_1\) を意味する主張をしている。つまり連続体の整列可能性を含む形で連続体仮説を述べている。ただし、そこでは連続体仮説はアレフ記法を用いずに「実数は高々第二級の数(=可算順序数)と同じ数だけある」という形で述べられている。連続体濃度が可算でないことはすでに(1874年に)知られていたが、実数の不可算性の初期の証明は、現在の教科書に載っているものよりもう少し連続体の構造に密着した形で与えられていて、一般の集合に拡張できる可能性は見てとりにくい。また、濃度の指数演算が開発され連続体濃度が \(2^{\aleph_0}\) で表されることがわかるのは1895年のこと。カントールはこの発見を《これこそ連続体仮説の解決に導く鍵に違いない》と大いによろこび、代表作である論文 “Beiträge” の最初の部分が受理されてそろそろ印刷に回ろうという時期に、編集責任者クラインに無理を言って書き加えさせたという。また、いわゆるカントールの対角線論法は、さらに少しあとになって、カントールが設立の主唱者であった「ドイツ数学者組合」の第1回会合(1891年)で発表したもの。(後日追記:このパラグラフの言いまわしを、正確を期すため少々修正した。10月15日)

そんなわけで、集合論の基本と連続体濃度にかかわる主要なアイデアはたしかにいずれもカントールのものだが、それらのアイデアがカントールにやってきた順番は、いま現在われわれが教科書で学ぶ筋道とはまるで違う。こういうことは調べてみないとわからないものだ。

ところで、“Beiträge” には功刀金二郎と村田全による邦訳があるが、“Grundlagen” はなかったように思う。ふむ。やはりドイツ語からは逃げられない。

いままでにない規模の台風19号が関東を直撃で大変らしい。松山はなんともないが、風だけはびゅうびゅう吹いている。みんな無事であってくれと祈るばかり。

昨日も誰とも口を聞かずに夜を迎えたが、きょうはそれだけでなく、家から一歩も出ずに夜になってしまった。他者との意思の疎通といえば、午前中にねげろんとツイッターで少しやりとりしたことと、夕方に倅の置いていった荷物について妻とショートメッセージをやりとりしただけだ。再来週の「つどい」のために宿をネット予約したが、これは他者との意思の疎通のうちに入るのだろうか。あとは文献を読んだり本の山を整理したり。二晩続けて飲みに出かける気にもなれず、きょうはこのまま家に籠ってることにする。

夕方から夜にかけて、廣松渉『世界の共同主観的存在構造』の岩波文庫版のうち、附録の鼎談(白井健三郎・足立和浩・廣松渉)と解説(熊野純彦)を読んだ。廣松が学生時代には一日600ページの読書をノルマとして自らに課していたと知って驚いた。

科研費の申請書の件。研究分担者3人の本人からの公式の承諾はきょうの午前中には得られたのだが、研究分担者の所属機関の承諾が間に合うか、少しヒヤヒヤした。これが揃わない限り、JSPSの提供するウェブアプリの仕様上、その先の応募書類の作成プロセスへ進めないのだ。17時までに書類作成が済まないようなら、きょうが大学内での提出締切日なもので、研究支援課に電話して釈明せにゃならん。しかしどうにか16時にはすべての準備が整って、申請書を無事に提出できた。大いに肩の荷を降ろす。研究分担者のみなさんとのメールのやりとりとウェブアプリで事が済み、授業もないし研究室を訪ねてくれる人もない。結局、職場では誰とも一言も喋らなかった。そんなことなら、事務室のメールボックスを見に行ったときに無駄話の一つもしてくりゃよかった。

このまま一日を終えるのもよくない気がしたので、夕食後に Garakta に行ってみたが、いつになく店内に女性のお客ばっかりいて、なんだかレディースデーみたいだった。まあ俺は普段から決してお喋りな客というわけではないが、そんなわけで常にも増して口数少なく、3杯(ジャックダニエル→知多ハイボール→クラガンモア)飲んで、バレーボールのワールドカップの試合で日本がエジプトに勝つのを見とどけて帰ってきた。バレーは接戦でハラハラさせられた。少し高い位置に設置されたテレビをずっと見ていたもんで、しまいに首が痛くなった。

午前中、申請書についての相談を研究分担者とメールでする。午後、講義をする。自由変数と束縛変数について。代入について。推論規則について。夕方、医者に行き、薬局でいつもの薬を出してもらう。スーパーで食材を買う。リンガーハットで晩飯に皿うどんを食う。夜、倅が泊まりに来る。科研費の申請書は一週間の間にずいぶんといいものになったと思う。研究分担者を引き受けてくれた3人のおかげで、ありがたいことだ。これまでは、研究分担者を置かない一人だけの研究で申請していたので、書き方もよくなかった。というか、そもそも研究らしい研究がほとんどできていなかった。それもこれも、自分の殻に閉じ込もってばかりいたのが災いしているのだろう。

とても気持ちのよい快晴。きょうは何通も仕事のメールのやりとりがあったし、大学院ゼミもあったし、セミナー室の掃除とか自分の研究室の片付けをしたし、図書室の雑誌のデータを整理するために久々にRubyのプログラムを書いたし、明日の講義の準備もしたし、なんだかんだ、けっこう仕事した感がある。ただし、そのわりにあまり進捗してない感もある。

朝5時半に起床し朝食の用意をしたはいいが、倅を学校へ送り出してから長々と二度寝するという、社会人らしからぬことをしてしまう。職場のウェブサイトの更新作業をちまちまと済ませ、3年生のセミナーをみる。彼ら学生さんたちは、議論しつつ学ぶということをいま初めて経験しつつあるのだから、教師という立場の俺という“権力者”が性急に口を挟んで“ザ・正解”を言ってしまわないように心がけねばならない。

コンソナントな可分距離空間について少し面白いことがわかった気がするが、まだ細部を詰めるには至っていない。いろいろのことが確認できたら、どこかのセミナーで発表することにしよう。

夜はピアノのレッスン。そのあといつもの Garakta に、と思ったが開いていなかった。いったん帰宅し夕食をとる。21時過ぎに再度行ってみると、まだブラインドを降ろしている。明かりはついているので休業日というわけではない。なんらかの事情で店主のテラさんが不在なのだろう。こういうことは時々あるのだ。少し街をうろうろして21時半ごろに行ったら、店は開いていて、いつもの顔ぶれがカウンターに並んでいる状態。聞けば、こういうときはテラさんがLINEのタイムラインに告知しているらしい。そりゃ知らなんだ。23時前まで飲んで喋って帰宅。いったん寝て、丑三つ刻に目を覚まし、昼間に考えた数学の話をTeX打ちする。

朝、神戸の菊池誠を三番町ガーデンプレイスカフェに連れていき、朝飯を食いながら話す。今季の講義で不完全性定理の証明をやることになっているので、俺がきょうの講義の予定などを話すと、菊池さんの弟子の倉橋さんが不完全性定理について最近証明したことの話やら、第二不完全性定理の第一発見者が本当は誰だったのかという話やらを、菊池さんが聞かせてくれた。いまの日本では、倉橋さんと菊池さんが不完全性定理に詳しい専門家第1位と第2位なんじゃなかろうか。

地方祭の神輿巡幸で賑やかな街を歩いて大学へ移動し、菊池さんが昨冬の「数学文献を読む会」で話したフレーゲ×ヒルベルト論争の話を再演してもらった。そのあと菊池さんは昼過ぎのバスで神戸に帰る。俺は近所のローソンへ宅配の荷物をとりに行き、ついでに昼食を買う。荷物はAmazonに注文した本3冊である。

午後の講義では、予定どおり自然数の形式的理論における項と論理式の定義と例を語った。講義のあと、科研費申請の作文を再開し、昨日相談した線で文章を増補する。そのためには図書室で参考文献を調べる必要があるし、研究分担者のみなさんの研究業績についても、ネットなどに公開されている情報をチェックしておく必要がある。申請書を作るのもひと仕事である。

夜にはそういう話の流れの一環で、妻子の住む元の家に、10年ちょっと前に買い揃えた中央公論新社版「哲学の歴史」シリーズ全13巻を回収に行った。それに今夜はまた倅がこっちに泊まりに来る。本を確保してすぐに引き返し、家で倅に宿題をさせている間に自分は明日の朝食の材料を買いにいく。いろいろ慌しい。

神戸の菊池誠が松山にやってきたので会いに行く。もちろん遊びに来たわけではなく、科研費申請の作文の相談に来た。つまり仕事である。大街道のフライング・スコッツマンでコーヒーを飲みながらその話をする。俺が先日書いたものは、どうやらもっともっと話を盛ったほうがいいらしい。それはそうだ。

夕方からは一番町の「てまり」で飲みながら語る。いつもの菊池節は昼間の作文の相談のときにひととおり出て気がすんで(?)いるので、俺が最近心を寄せている数学のアウトリーチ活動の話題になった。菊池誠いわく、大学外での数学の勉強会が、いま現在主流とされている最先端の数学を自分も先走って追求してみた、ということで終るんだったら、それはなんともつまらない。たとえば圏論の流行にそういう危惧を覚えるし、キューネンのフジタ訳を読んで集合論を勉強するにしても、ルベーグ積分を学ぶ前だったら、集合論のどこが面白いのか、いまひとつわからないんじゃなかろうか、と。圏論の流行については、先日のバーベキューのときに、うちの学部長ミキ教授も似たような危惧を口にしていたように思う。

それはそうだが、しかしものは考えようで、彼ら彼女らが、先生たち(つまり俺たち)の言うことを聞かずに、勝手に面白そうなものに手をつけているんだとしたら、そのことをむしろ喜ぶべきだと俺は思う。学生たちはとにかく俺たち先生の言うことなど聞いていてはいけない。俺の言うことを聞くな、とパラドクシカルなことを言われて、さて彼ら彼女らがどうするか。将来の希望は連中が勝手にやりだすことの中にあると、俺は思っているのだ。

世の中で流行っているからとか将来役に立ちそうだから、なんてことじゃなく、なんか面白そうだからと思って勝手に妙ちきりんなことを勉強する、そういう中からしか、面白いやつらは育たない。まして、俺たち教師が指導して面白いやつらを育てるなんてのは不可能である。

いまは「教員がきちんと学生の面倒をみる」ということ、つまりは管理することに、力を入れすぎだ。もちろんそれが俺たちの仕事なんだから、それなりにちゃんとやってはいるが、それだけでは、優秀な人材は育っても、面白い人材は育たない。

俺が常々、学生にもっと自由な時間と自由な環境を与えるべきだと言ってるのはそういう理由だ。だから大学は都会になけりゃならん。何度も言ってるんだけれど、大学のある街には、カフェや書店や映画館や美術館がなくちゃならん。そういう環境で、自由な時間を好き勝手に過ごせる余裕を、社会が学生に与えなきゃならん。

そういうことを、酒を飲みつつグダグダと語りあった。夜9時半ごろ、菊池誠と別れていつものように堀之内公園を通って家路をたどったら、四角八角の神輿が出てにぎやかなことになっていた。松山の秋祭は明日が本祭なのだ。

朝、近所の工事の音と振動が気になるので、どこかに避難しようと県立図書館に行った。5冊借りていた本のうち1冊を延長してもらい4冊を返却し、1時間ほど本を読み、4冊を新たに借りて図書館を出る。近所のスーパーで食材を買って帰宅。昼食にする。午後もどこかに避難したいが、行くところもないので大学の研究室に行った。借りてきた本を読むなり頼まれた原稿を書くなりすりゃあいいものを、あろうことか、長々と昼寝してしまった。どうもいけない。

金曜日は講義がないので少し勉強する。チェック完備空間がコンソナントであることの証明を読み、実数のベルンシュタイン集合が相対位相でコンソナントにならないことを証明する。だからベルンシュタイン集合は遺伝的ベールであってコンソナントでない可分距離空間の例になっている。まあ、20年以上も前に解決ずみの話題である。そのさいの論法を応用すると、実数の集合が相対位相でコンソナント空間になっているならば、その集合はルベーグ可測(より強くすべてのσ有限ボレル測度のもとで可測)となることが示される。これとて、よもや新しい結果とも思えないが、いままで自分がわからなかったことがわかったという意味では気持ちがいい。ただし、知りたいことはかえって増えるのだけれどね。夜、忘れないうちに証明をTeX打ちしてしまう。

午後は講義。単純無限構造としての \((\mathbb{N},S,0)\) における再帰的定義の原理と、事例としてのたし算とかけ算。

その後は自室でちまちまと作業。切れていたイエローのプリンタトナーが届いて、さて印刷再開、と思ったら、こんどはシアンのトナーが切れた。わははははは。また印刷中断トナー入荷待ち。まあ仕方ない。プリンタを買ったときについていたテスト用のトナーが順番に切れていっているのだ。ともあれ、科研費申請に関して昨日までに作文したものはTak教授に手渡すことができたので、いったんその件から頭を解放する。

夜、曇り空の下を自転車で帰りかけると、途中からぽつぽつと雨が降りだした。また前みたいに濡れねずみになるのはいやだなあと思ったが、本降りになる前に家にたどりついた。というか、結局本降りにはならなかった。家で夕食をとったがもの足りないので、また前みたいにフジグラン松山に行って、缶ビールを買ってフードコートで飲み、また前みたいにマクドでスパイシーチキンバーガーを食った。

午前中は、YPさんO2kさんと大学図書館に行って、図書の整備にかんする相談。午後は大学院のセミナーで、キューネン本(1980年版)第VI章に入った。きょうはセクション6.1のL-階層の話。ゼミのあとは科研費申請の作文に戻り、夕方までやって、中間報告的に研究分担者に回覧。それから明日の講義の準備を1時間ちょっとやって、小雨のなかを歩いて帰宅。夕食とシャワーのあと、少しは勉強するはずが、のびのびと休憩しすぎてすっかり夜遅くなってしまった。

10月になった。毎年恒例の科研費の申請手続きを始める。その他、いくつかメールの返事を書いたり、午前中はいろいろの作文で終わった。

午後、3年生ゼミ初回。4人のうち1人が病欠だったほかは、思いのほかちゃんと進行した。

夜はピアノのレッスン。どうも普段の基本がなっちゃいないので、飛び出る音引っ込む音があって、粒が揃わない。まだまだ前途多難である。レッスン後、例によって Garakta でウィスキーを3杯飲む。店は盛況だったが、周囲の話に入り込むチャンスがなかなかつかめなかったので、なるべく難しい顔をしないように気をつけつつ、頭の中でコンソナント空間のことなど考えていた。